昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

選択肢

2024-06-05 07:27:20 | 日記
朝露が珠を結んでいました。さて、どこが前でどこが後ろか。

オーヘンリー「20年後」。20年後に再会の約束をした幼馴染のボブとジミー。当日の夜、一寸金持ちになったボブが待っている所へ、巡回中の警官がやって来ます。20年前の約束や成功譚を語るボブ。警官が去った後、待ち合わせの暗がりにジミーらしき男が。

2人で歩きながら明るい場所まで来た時、その男がジミーでないことに気づくボブ。男の正体は私服警察官。法に抵触する稼ぎ方で指名手配中のボブは逮捕されます。

私服警察官からボブへ渡された手紙はジミーから。最初の警察官こそジミーでした。指名手配犯がボブだと気づいたジミーでしたが、どうしても友を逮捕することができず、別の警察官に頼んだのでした。

私情と公務の板挟み。職務への忠誠か正義感がやや勝ったか、ジミーなりの落とし処であって、法に沿った「善」を遂行しました。

もしこれが、ボブが親ジミーが子であって且つ儒教国家であれば、ジミーの行動は「孝」に反する「悪」として糾弾されることになるのでしょう。

本質的には「善悪」とは絶対的なものではなく、秩序維持の為に人為的に決められた基準による、その程度のモンです。
が、犯罪は犯罪。例え法が古く時代に合っていなくても、信用を形成する納期の遅延や、最大利益、最小コスト時、若しくは必要な時に提供できない経済的損失といった資本主義において「悪」であったとしても、今回の国内自動車メーカーの様に罰を受けることが現代社会のルール。

では、ルールそのものが異なる、若しくは解釈が異なる個別多集団間のトラブルは、何をもって解決するか。
知的理性的「法」自体が、欲望による浸食を常にうけ正常に機能しない以上、勿論古典的な「暴力」もまた、その選択手段ではあるのですが、それでは余りにも。