ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

家族旅行に思うこと

2008-11-30 08:55:37 | 



家族の数だけ家族の思い出があるのですね。

なかでも家族で旅行をしたことは幼き頃の大切な心の記録にほかなりません。

家族の温かさや家族であることの幸せや喜び、そうしたことを後から振り返り
実感できることのひとつでしょう。


そう思うのですが、僕の場合、あまりその記憶が定かではありません。
父は年中出稼ぎでお家にはおりませんでした。母も朝から晩まで水産加工会社で働きづくめ。
とても家族旅行どころではありませんでした。


そんな中、かすかにひとつだけ、思い出されることがあります。
車で1時間足らずのとある自衛隊の飛行場に、〝航空ショー〟を見に行きました。
たぶんそこには父も母も、妹も弟もいたように思います。
普段いない父が、お盆か農作業の繁忙期かのために帰省していたのでしょう。
嬉しいというよりもめったにないことに、逆に戸惑ってしまい、また、
帰ってはお酒にまみれる父に、僕らはなかなかなじめないこともあり、
ただたださっさと帰りたいという気持ちしかなかったような気がします。

そのたった一回の日帰り旅行が、僕の〝家族旅行〟の思い出です。


普段は祖父母のもとで暮らしていた生活の中で、父や母を近くに感じることは、
ほとんどありませんでした。
古い田舎の暮らし。
封建的な家父長制度や嫁姑の関係が残存し、自由がなくて窒息しそうな、
そんな空気の中で育ったんだ。
僕の心象風景の原点は、そうした環境で形成されたんだろうと、
振り返りながら思います。


家族というものの「温かみ」から離れてこのかたどれくらいになるだろうか。
すでに祖父母は亡く、父と母はひっそりと田舎で暮らし、
兄弟はてんでばらばら。


そうだ。僕のアルバムには〝家族〟との写真はない。
一枚たりともない。


人はひとりで生まれひとりで土にかえっていきます。
だったら、孤独である方が、いざその間際には、後ろ髪をひかれることもなく、
何の禍根もなく、楽かもしれない。

それって、やっぱり淋しいことなのでしょうか…


こんなにひんやりとし日差しも優しく気持のよい小春日和に、
こんなことを思ってしまう。
最近、また多少〝鬱〟が出てきているようだな。

にほんブログ村 本ブログへ




最新の画像もっと見る