ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

お金について思うこと

2008-05-11 19:15:59 | 
お金はどれくらいあればいいんだろうか。

あと何年生きるかわからないけれど、それがそこそこ賄えるくらい。
それっていくらくらいだろう。
贅沢をしなければ、ギャンブルなどの浪費に嵌らなければ、
そんな一杯はいらないはず。

何か大変な出費が待っているのではないか。
そう思うと多少の蓄えもと思ったりもする。
けれど、その時はその時。

どうせお金をためたって、あの世にまでもっていくことは出来ない。
ガリガリ亡者となり、お金に固執すると、人心が荒れてくる。
あると思えば、その財産をめぐり、いろんな人のいろんな思惑が働く。
お金は、諍いの元。欲しいなら全部あげればいい。もってけ。


なんで人間には欲が絶えないんだろう。


無いことの美徳。何も無いことで幸せになれる。


資本主義の発展法則は、資本の自己運動と言えます。
その中で人や社会が資本の循環に巻き込まれ、生産・所得・消費を繰り返し、
モノを生み、お金に変え、モノの購買が強制されます。
欲望を駆り立てるシステム。
基本的にこの欲望がなくなると成り立たないシステム。
それが、現代の資本主義経済とその社会。


人間の醜さや汚さを、赤裸々に浮かび上がらせる。もう、見たくないね。
ニュースを見ても、悲惨な事件ばかり。いやになる。


そこから相対的に独立して生きたいと常々思う。
自給自足、晴耕雨読の生活がいい。いつになったらできるだろうか。


今日は、朝からちょっと鬱な、そんな気持ちだった。
生きるの、疲れてくるね。
全部自分が悪いんだ。それはわかっている・・・
やっぱり僕って、病気かな・・・

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ふるさとは遠くにありて思うもの・・・

2008-05-11 09:59:45 | 
朝早くに、遠い田舎の実母から電話がありました。
そう、今日は「母の日」です。

「いつもどうもねぇ」

多分、その地方でないとわからない“なまり”(方言)の声。
母の日の“プレゼント”を贈ったからです。

東京に来てからは、かかさず「母の日」「父の日」と、
何がしかの贈り物をしている。せめてもの“罪滅ぼし”と・・・
もうかれこれ20年近くになろうか・・・

          

ほとんど贈り物のネタも尽き、ここのところは現金を送っている。
現金というと何かそっけないのですが、それで温泉いったり好きなものを買ってもらったりと、結構重宝しているようです。
歓んでもらえればよいので、最近はこれにしています。

うちの実家の方ではようやく田植えも終わったようです。
うちには80才にならんとする父母2人しかいません。
当然、もう田植えも自分たちではできません。
町の農協の青年部にお願いし、田植えや稲刈りなどを任せているようです。

    

僕らの子供の頃は、父や母の世代の人たちもまだ若く、どのうちでも家族総出で
田植えに大童、凄く活気がありました。若い農業の担い手がまだ一杯いました。
僕も、たまに連れて行かれました。何するでもありませんでしたが、
10時と3時の“おやつ”の時に、近くの万屋に、パンとか牛乳、
お菓子を買いに行くのが唯一の仕事でした。
手伝いに来ている叔父さんや叔母さんから、おやつの時にいろんなお話を聞けるのが、
なんとなく楽しみでした。

いまや、僕の実家では、すっかり活気がなくなっています。
僕のうちでも田んぼが10枚以上あります。どうしたものか。
長男坊の僕の悩みの一つなんです。



毎日朝早く通った地元の駅。地元の風景もだいぶ変わってしまいました。
小学校、中学校も建替えられ、幹線道路も一杯出来ました。
コンビにも3件ほど出来ています。


遠くにいて思うふるさとは、僕からどんどん離れて行っている気がします。


父や母は、あとどれくらい生きていられるのだろう。
いまは元気でおりますが、僕が齢を重ねているのと同じに、
毎年、年を重ねていきます。
生きているうちにもっと“親孝行”せねば・・・
けれど、どうしたらいいか、わからないのです。

「母の日」は、そのせめてもの償いでしょうか。


「米あるのかい。ジャガイモあるか・・・」

かあちゃんのいつものフレーズ。

「大丈夫、あるから心配いらない」

いつも僕はそっけなく返す。
もっと優しい言葉のひとつもかけてあげればいいものを、僕はなぜか駄目なのです。


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