平成30年5月24日(木)
宮崎兄弟の生家は「明治30年、まだ草深い荒尾村を亡命客孫文が訪れた。滔天(とうてん)と綴った筆談の書や庭には孫文が親しんだ梅の古木、泉水、味噌蔵、それに滔天がシャムから持ち帰った菩提樹等がその頃を偲ばせる。近代日中交流史の原点でもあったこの家は市制50周年記念事業を期に荒尾市が整備し公開に至った。【パンフレットより】
市制50周年式典は1992年(平成4年)の秋でした。入口です。荒尾市役所から徒歩7分の所にあります。
左側の「宮崎兄弟資料館」と併設されています。今回は生家のみ紹介します。
この建物が資料館です。以前アップした記事です。
入口を振り返りました。
正面の茅葺きの建物が宮崎兄弟の生家です。宮崎兄弟でも特に著名なのが「孫文を助け、革命に挺身した侠の人」・滔天(八男)、「自由民権に散った天性の革命児」・八郎(二男)、「土地復権を生涯の使命とした哲人」・民蔵(六男)、「理想の国を中国革命にみた思想家」・彌蔵(七男)です。(「 」ないはパンフより引用)。
こちらは東からの入口です。資料館以外は無料で開放されています。
生家は熊本県指定の史跡になっています。
土蔵や物置があります。
庭から裏庭を臨みます。
座敷で孫文と滔天の筆談の模様が再現されています。
行ったときはまだ牡丹が満開でした。
庭の一角です。
水は張ってありませんが小さな石橋があります。
裏庭から眺めた生家です。
竈(かまど)です。古井戸も残っています。(4月12日の訪問記憶でした。)
功績は素晴らしいものが有りますね。
自由民権に散った天性の革命児
土地復権を生涯
中国革命にみた思想家
革命に挺身した侠の人、孫文を愛し
以前もどんこさんから、この兄弟のことについてupされ凄い兄弟がいるものと、感心しました。
兄弟そろってと言う事は、きっと父・母がしっかりしていたのでしょう。
そんなことに関心を抱きググってみたら、
長蔵との間に八男三女をもうけた。
武芸者であった夫・長蔵の気風を受け、
「畳の上で死するは男子なによりの恥辱なり」と子どもたちに語って育てたという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・凄い。
父もただものではなかったようですが、母もこれに輪を掛けて子供たちを教育されたのでしょう。
もおう少し調べてみようか!!、興味津々です。今日は時間を掛けて・・・・。
部屋の掛書
達 観
博愛行仁➡孫文直筆
有難うございました。
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建設の話し持ち上がり、いろいろと苦労があったことを
目の当たりにしてきたので、感慨深いものがあります。
平凡社から宮崎滔天全集5巻が刊行されていますが
これはつぶさに読ませていただきました。
文学座の公演で今は亡き北村和夫、宝生あやこが主演して
滔天をモデルにした演劇が各地で開催されましたよ。
過去の記事を良く覚えてくださっていてありがとうございます。
また滔天について良く調べていらっしゃることに敬服しています。
私はNHKの大河ドラマでも取り上げていただきたい人物(兄弟を含めて)と思っています。
長男・龍介の奥さんがあの白蓮だったことは
朝ドラ「花子とアン」で皆さん良くご存じでしょうね。
ドラマでは蓮さま・宮本龍一の名でしたが・・・。
してきました。
ちょうど「花子とアン」の朝ドラがあっていた
時期だったと思います。
今年の春に行ってみたかったのですが休館日に
当たっていたので行きそびれてしまいました。
機会があったらまた行ってみたいです。
宮崎蕗苳さんは大正14年9月6日に宮崎龍介と柳原白蓮の長女として生まれました。
宮崎蕗苳さんは華道家でもり、奈良山村御流 - 東京精華会に所属されているようで、現在は東京都内に在住されているとのことです。
家内が東京精華会に稽古に行き、長女の宮崎蕗苳さんとお花のことで、お世話に成っているようです。
しかし、高齢でなかなか顔を見せるのが大変のようです。
1年に一度、奈良の方にも(寺)稽古に出かけます。
、
・・・岩本橋・・・ですが 道路標識で 宮崎兄弟生家 って書いてあるんですよね~
一度行きたいと思っているけど このクマモトツウ 未だ行ったことがありません。
今年も牡丹が終わってしまったけれど 人が少なくていいかもしれませんね。
敷地も広く 立派なお家ですね。 石橋までありますね。
そういえば 伊藤伝右衛門邸に 4月 行きましたよ。
写真探してみますね。何せ SDカード空っぽになったんですよ。
おくどの隣に井戸があるのは珍しいですね!
孫文の辛亥革命の成功の裏には宮崎滔天など日本人の多大な援助があったのですね!
立派な資料館の建設にどんこさんも尽力されたとは素晴らしいです。
行って見たいですね~
どんこさんのブログではいつも懐かしい記事を
拝見察せていただき うれしい限りです。
記念館立ち上げのことにも詳しいのですね。
子供の頃から 滔天さん、龍介さんの名は耳にしていましたが。
どんこさんは ちゃんと宮崎家の歴史を読んで
いらっしゃるのですね。
手入れも行き届いて きちんと保存されているのはarao出身者としては
喜ばしい限りです。
「花子とアン」ブームで、あの頃は来館者が多かったようです。
ブームが終わった頃に熊本地震が勃発、
来館者が激減したそうです。
荒尾は地震の影響は少なかったのですが、ひとつの風評被害なのでしょうね。
是非またおいで下さいね。
宮崎蕗苳さんについては仰せの通りですね。
お元気でインタビューなどにも応じていらっしゃるようで
草葉の陰から祖父の滔天も
また両親である龍介・白蓮も喜んでいることでしょう。
奥様も関わり合いがおありのようで、本当に奇縁ですね。
葛飾と荒尾がまた近くなったような気がします。
かねがね存じ上げていますが
ロマン溢れる龍介・白蓮の物語の郷である面にも
どうか着目して下さいね。
荒尾の石橋探訪のついでに是非ともお立ち寄り下さい。
私の西隣の青年・Kちゃんがここに勤めていて
素晴らしいガイドもしてくれますよ。
伊藤伝右衛門は白蓮の2番目の旦那さん、
北九州の人は今も白蓮を恨んでいるのでしょうかね?