外国人に対する日本語教育では、使役形は受身形と相前後して教えられることが多い。受身形とは「れる」、「られる」が動詞の未然形についた形で、「行く」を例にとると、「行かれる」の形である。普通は他動詞の受身形から教えるが、いわゆる迷惑の受身として自動詞の受身も教える。「雨に降られる」、「風に吹かれて」などがその代表例である。
使役形が「せる」、「させる」なのに対して、受身形は「れ る」、「られる」で、よく似ている。ローマ字で書くとますます似てくる。“seru”と“reru”だと“s”と“r”の1字違いである。つまり[r]音と[s]音の違いでしかない。
ところで、「いかせる」は普通の使役の意味だが、「いかれる」は単独で使うと、「だめになる」、「故障する」、「狂う」などの意味になる。「いかれた奴」とか「パソコンがいかれた」などと使う。
使役形が「せる」、「させる」なのに対して、受身形は「れ る」、「られる」で、よく似ている。ローマ字で書くとますます似てくる。“seru”と“reru”だと“s”と“r”の1字違いである。つまり[r]音と[s]音の違いでしかない。
ところで、「いかせる」は普通の使役の意味だが、「いかれる」は単独で使うと、「だめになる」、「故障する」、「狂う」などの意味になる。「いかれた奴」とか「パソコンがいかれた」などと使う。