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The Many Resurrections of Sherlock Holmes 前半

2015-12-25 07:44:30 | Sherlock Topics 2015
なぜホームズは今でも生き続けるのか、
その理由を様々な方向から考察しているエッセイ?なんでしょうか。
かなり真面目な内容です。


そもそも何でこれに手をつけたんだか、自分でもすごく謎なんですけど、
10月に見かけて以来、何となく少しずつ読んでいるものの難しい言葉がいっぱい出てくるので
どんな意味なのか全然わからないまま直訳してる部分が結構あります。
しかも画像まったくありません。さ、寂しい。

私の訳ではかなり退屈だと思いますが、
BBC版もビクトリア時代をやることだし、話のネタにでもなれば幸いでございます。

元記事です。
The Many Resurrections of Sherlock Holmes

先日ロンドンに旅行したときに私は雨の中3時間半、
ベイカー街221Bのシャーロック・ホームズ博物館の外に立っていました。
(もちろん私は機会費用の概念は理解しています。
待つことはそれに値しません、待つことも楽しみのうちになりました。)

私の前にいた日本のお母さんと10代の娘に他のグループが別の場所を観光をさせようと
定期的に誘いますが彼女たちはディアストーカー帽を直すと確固たる態度で1歩も引きませんでした。

私の後ろのイギリスの北部からきた家族の最も若いメンバーで8歳くらいの男の子が、
BBCのヒットドラマ、シャーロックに出ているモリアーティが登場する場面を分析し、
アーサー・コナン・ドイルの著作に登場したキャラクターとの比較に家族は我慢強い聴衆と化していました。

根気強さと多様性を持つ私のシャーロキアンの仲間でさえ博物館で最も人を引き付けた、
名探偵へのたくさんの手書きのメッセージやスケッチが様々な言葉で幾重にも重なっている
シンプルなコルクの掲示板に対する準備をさせていませんでした。
ガイドはより多くの場所を作るために愛情のこもった記念品を片付けるのに手いっぱいでした。

2012年にギネスは映画やテレビで最も演じられた著作上の人物だと公表しました。
我々は近頃のホームズによる有り余るほどの財産を満喫しています。
Mr.ホームズのイアン・マッケラン、ガイリッチー版のロバート・ダウニーJr、
アメリカドラマのエレメンタリーのジョニー・リー・ミラー、
BBC版シャーロックのベネディクト・カンバーバッチ、
そしてノルウェイのビダル・マグヌッセンさえスケッチコメディーショー「Underholdningsavdelingen」で
シャーロックのパロディを演じています。

実際、アニメからインタラクティブゲームや模倣小説まで
21世紀のホームジアンのマルチメディアな物語は今や全盛期です。
二次創作でホームズとワトソンはコンピューターにアップロードされ、
サイボーグにアップグレードし、同性愛者で性転換、そして宇宙に打ち上げられます。

すぐに名探偵が世界規模で人気が出たわけではありません。
なぜ私たちはシャーロック・ホームズを蘇えらせては解釈をし続けているのか。
なぜ私たちは雨の中、ベイカー街で何時間も列を作り立っているのか。
それには理由があるはずです。おそらく4つほど。

Reason 1: Because We Are the New Victorians
理由その1:私たちはニュービクトリアンだから。

スコットランドの医者だったアーサー・コナン・ドイルは
1887年に緋色の研究でシャーロック・ホームズに命を吹き込みました。
4本の小説と56本の短編を通じてホームズはロンドンのシンボルになっていきました。

ガス灯と霧が立ち込める行きつけの場所は居心地がよく古風な趣があるように見えます。
しかし実際のホームズの背景には世界の急激な変化がありました。

不景気や失業の不安や様々な言葉で話し、違う神を崇拝する移民たちについての政治討論など
ビクトリア朝の英国人は今の私たちにも一目でわかる問題に直面していました。
さらにロシアのアナーキストの悪影響やアイルランドの国粋主義者たちが内戦の恐怖をもたらしました。

そして時代が終わりに近づくにつれ、古い世代がマスコミの知的レベルの低下や道徳観念の衰退を公然と嘆きました。
マイケル L パターソンが 、
A Brief History of Life in Victorian Britain: A Social History of Queen Victoria's Reignで
ビクトリア朝のイギリスを思い出させてくれます。
ビクトリア時代も手書きの手紙電報に、そして電報から電話に移行するのが見えます。

パターソンは「ビクトリア朝の人たちのように私たちも絶えず革新や新しい技術に捕らわれている。
そしてたった10年前には化学は空想だと思われてきた。」と言っています。
もちろん、創造は進歩を意味しますが最初のうちはたくさんの人がフューチャー・ショックを起こしていました。

さらに言うと、輸送や製造の革命と日々の生活の全ての面で中流階級に可処分所得と自由な時間を与えました。
確かに良い面ではありますがパターソンは「さらに多くの人がそれを求め始めたので、
それゆえにストレスも増大することになった。それは我々のこの時代にも当てはまる。」と説明しています。

つまり、ビクトリア時代の人はひとつの革新的な瞬間を生きてきたんです。
彼らは未来を恐れるどころかそれを受け入れ進化具体化を望みました。

圧倒的なカオスに見える理解しがたい変化は実は解明も理解もできるエキサイティングな世界で、
一人の人間が個々に改善できることに気づいて欲しかったのです。

彼も変化(影響)をもたらしています。小説や物語で。
ホームズは彼に助けを求める依頼人に変化をもたらしました。
多くは権利を奪われ最も無力な、その時代を反映した人たちです。
実在の人物では、E.J.ワグナーが「The Science of Sherlock Holmes 」で、
後にエンジニアや宇宙飛行士に影響を与えたスタートレックと同じように
名探偵がいかに科学捜査官(法医学者)の世代に影響をあたえたかを考察しています。

"You know my methods. Apply them,"
「君は僕の手法を知っているだろう。それを使え」と、ホームズは4つの署名の中で言っています。
ここにホームズが長命である鍵のひとつがあります。

彼の才能は彼を世間から切り離してしまったかもしれませんが、彼の手法は我々みんなが利用できます。
魔法を杖も超人的な力も必要はありません。コナン・ドイルがホームズのモデルのしたのはドクターなのです。

スコットランドのエディンバラ大学医学校の有名な講師、ジョゼフ・ベルは、
生徒の著しい観察力と推論のスキルに感銘を受けました。
「Mr.Holmes」と呼ばれているエッセイでベルは名探偵の方法が自らの体験を基にしていることにすぐに気づきます。
「解説の部分は明白でわかりやすい。君はわかっていると思うが頭の良い読者はすぐに感じ取るから、
これからは私ももっとよく観察しながら調べてみることにしよう」
これがいかに自信を与えたかは言うまでもありません。
ビクトリア朝の人たちや我々も影響を受けたのですから、不思議ではありませんが。

Reason 2: Because Max Weber Would Approve
理由その2:マックス・ウェバーが同意しているから

ビクトリア朝の人々が経験した混乱と変化は近代化の普及を示唆していました。
ドイツの哲学者で社会学者、そして政治経済学者でもあるマックス・ウェバーは、
近代化は合理化をもたらす両刃の剣であるとしています。
一方では無意味な伝統から人々を開放しましたが、
もう一方では個々の自由が制約され、非人間的なマシーンの歯車のような状態に陥らせました。
ウェバーの見解によればこの超合理的で非宗教的で官僚的で統制された近代化は、
奇跡や独創性といった意義が失われます。

マイケル・サレールは初期のファンコミュニティ
(名探偵を取り囲む刷新的で類を見ないファンダムの発端)を研究した本、
「As If: Modern Enchantment and the Literary Prehistory of Virtual Reality」の中で
スコットランド人の啓蒙主義者、デイヴィッド・ヒュームのような人物たちが
認識の概念の議論をすることで合理性の概念からさらに解放されるとホームズは以前から指摘していると述べています。
概念を融合させる想像豊かな推察力は芸術と科学を結合させ、
そして、幻滅を再び喜びに変えるパワーがあるとサレールは主張します。
サレールはこの推察と想像力の結合を「アニミズムな推察」と呼んでいます。

エドガー・アラン・ポーはそれを推理と呼んでおり、
文学作品初のスター探偵、C・オーギュスト・デュパンの「モルグ街の殺人」(1841)、
「マリー・ロジェの謎」(1842)、そして「盗まれた手紙」(1844)でそれを使い名声を得ています。

コナン・ドイルはポーの熱いファンボーイでホームズをデュパンの知性の継承者と見なしていました。
そのため、Dr.ワトソンは緋色の研究で一番最初の冒険の時にホームズに
「君を見ているとエドガー・アラン・ポーのデュパンを思い出すよ。
You remind me of Edgar Allan Poe's Dupin.」と言っています。
(ホームズはもちろん自分の方が優れていると主張します。)
それはまた、一世紀以上経たBBC版シャーロックでベイカー街のシャーロックのベッドルームに、
エドガー・アラン・ポーの肖像画が飾られている理由でもあります。
(クロニクルにも記載がありますが、ベルグレービアの醜聞で見る事ができます。
うまくスクショできませんでしたが多分これ。)


コナンドイルはホームズを使ってポーの推理に対する理論を体現させたのです。

ホームズは推理を通じて現代の世俗主義と調和させたような方法で日常生活に再び意義をもたらし、
近代的な方法でどのように現代世界を再び魅了させることができるかを示しているというのがサレールの解釈です。
ホームズは我々に見て観察しろと教えています。ありふれたものが重要だと。
「犬はあの晩何もしませんでした the dog did nothing in the night-time」という事実が実は奇妙な出来事だったのです。
(白銀号事件です)
ホームズは「花婿失踪事件」で「間違いない、平凡なものくらい異常なものはないんだ。
Depend on it, there is nothing so unnatural as the commonplace.」とも言っています。

自由の敵によって手段的合理性の採用が制限された今の官僚は
コナン・ドイルの話に出てくる勤勉だが想像力が欠如し、
事件解決の手がかりを失っているスコットランドヤードのように重要な何かを見逃しています。

一方でホームズは想像力を使い、そうすることで私たちを解放します。
私たちは機械の歯車ではありません。魅力ある世界の役者なのです。
シャーロキアンのマーシャル・マクルーハンはエッセイ「シャーロック・ホームズ対官僚
(Sherlock Holmes vs. the Bureaucrat)」で、
「普通の人がホームズと彼の多くの末裔をヒーロー視するのは官僚が我々ひとりひとりを犯人扱いし、
カフカの登場人物のような気にさせるからである。」と主張しています。

ホームズは私たちに代わって調査をし、常識的な話に疑いを持ち、
どこにでもある目立たないところから驚くべき発見をします。

後半へ。

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