原題:Living Proof
Director: Dan Ireland
Writers: Vivienne Radkoff (teleplay), Robert Bazell (book)
2008年 アメリカ
免疫チェックポイント阻害剤に結び付くPD-1という分子を発見、
その仕組みを明らかにした功績で本庶教授がノーベル医学生理賞を受賞しました。
これの何が凄いかというと、
標準治療は現在、手術、抗ガン剤、放射線治療の3通りありますが
これに「免疫療法」という第4の道筋が開かれたという事のようです。
人の持つ免疫力を使う治療が確立されれば近い将来ガンも不治の病ではなくなりそうですが
まだまだ解明されていない免疫システムをコントロールするのも難しそうですね。
余談ですが最近「はたらく細胞」が面白くて愛読している私。
これを読んでいると、自分の細胞がとても愛しくなり大事にしようという気になるんです。
細胞に無理をさせないよう摂生したくなるのでおススメです。
前置きが長くなりましたが、
ノーベル賞に便乗してこの映画をご紹介したいと思います。
ご存知の方はあまりいないのかもしれません。
かく言う私も知ったのは去年です。
この映画はハーセプチンの発明者、デニス・スレイマン医師によるハーセプチンが認可されるまでの
厳しい道のりを描いた実在のストーリーです。
ハーセプチンはHER2陽性の乳がん治療に用いられる「分子標的薬」で、
HER2陽性は進行が速いためそれまで予後不良とされていましたが、
ハーセプチンの登場でかなり改善されたそうです。
文字通り数えきれないほどの女性の命を救うことになりましたが、
スレイマン医師は今も現役でいらっしゃいます。
1988年 UCLAの研究医であるデニス・スレイマン医師は
毎年20万人の女性が乳がんに罹患する事実を受け止め
女性たちを救うべく「ハーセプチン」実用に向けて奮闘していました。
1989年、共同開発のバイオベンチャー企業ジェネンテックはHer2の研究資金の提供を中止します。
デニスの友人でNBCの社長夫人、リリー・ターティコフが資金を援助、
さらにリリーは「新薬ができれば毎年4万人の女性が救える、2年で競技場がいっぱいになる」
とスレイマン医師の言葉でレブロンのオーナー、ロン・ペレルマンから寄付を引き出し、
ロンの提案で資金集めの慈善パーティ「Fire and Ice Ball」を長年に渡り開催することになります。
しかしその間にも乳がんに罹患する女性が後を絶ちません。
フェース1、第1相の前に抗体テストが行われました。
ステージ4を宣告された2児の母親であるニコールという女性も参加をし、
結果的にこの女性の余命が数年延びています。
ジェネンテックが積極的ではないためフェーズ1の許可がなかなかおりないので
スレイマン医師は直接ジェネンテックの役員を説得します。
その中のセリフ「医師は患者のみならずその家族も救う」本当にその通りだと思いました。
インターフェロンで巨額の損失を出したジェネンテックはハーセプチンに効果は見込めないとし、
これ以上リスクを負うのを嫌っていました。
スレイマン医師の説得で試験の許可は下り、1992年にフェーズ1の試験が開始されます。
治験に参加する女性たちの前で医師は新薬が「ハーセプチン」という名前がついたと発表。
HER2のハーにインターセプト(妨害)のセプチンです。
ニコールの母親が医師を訪ねてきます。
抗体テストで延びた寿命が尽き欠けているので治験に参加させてほしいと言います。
治験の参加には適正があり、最初に抗体を投与しているニコールに参加資格はありませんでした。
しかもフェーズ1では人道的投与も許可されていないので母親は諦めるしかありませんでした。
治験中に亡くなってしまう人もいました。
フェーズ1が終了しましたが効果の出なかった人、
また効果があっても著しくない人はフェーズ2には進めません。
認可されるには良いデータを出さなくてはならない、という事情もあるようです。
しかもジェネンテック社の反対派に阻まれフェーズ2もなかなか開始できませんでしたが
様々な協力者のもと、どうにかフェーズ3まで終わりFDAの認可もおりました。
この治験で完全奏功し普通の生活を送ることができた患者さんもいます。
ラストではスレイマン医師が競技場までランニングをする場面で
多くの女性たちが観客席で拍手を送っています。
それはハーセプチンが新薬として認可されたことで救われることになる多くの女性でした。
今も多くの薬が承認され私たちはその恩恵を受けていますが
その陰では厳しい治験があり多くの涙が流されている事を知りました。
患者さんたちの勇気ある行動と尽力してくれている様々な人たちに感謝せずにはいられません。
化粧品もレブロンにしようと思いました。
日本は薬の認可がとても遅いらしいですね。
もう少し何とかしてほしいところです。
研究開発はどこの組織でも企業でも捻出するのに苦労しています。
投資する余裕がなく、しかし研究開発を怠れば未来はありません。
難しいですね。
収益が見込めない分野こそ国に投資してほしいですが。
ここでしれっとカミングアウトしてしまいますが
実は一昨年の11月にHER2陽性の乳がんを告知されました。
告知されたときは足元の地面が崩れていくような、
昨日まで自分がいた世界とは違う世界になった感覚がありました。
仕事はどうしよう、とか、
このブログもやめないとダメかな、とかいろいろな事を考えていました。
翌年の1月5日から抗がん剤とハーセプチンの化学療法を開始、
初回は時間かけて点滴をしますがその最中に何をしていたかというと
シャーロックS4を訳していたんです。辞める気ゼロ(笑)
副作用と戦いながらも仕事も休まずに続けられました。
仕事も趣味も続けることで励みになっていた部分はすごく大きかったと思います。
何もなければ乗り越えることはできなかったかもしれません。
また、10年以上通っている病院がガン拠点病院だったので
馴染みのある場所で総合的に治療できたのも良かったと思います。
おかげさまで抗ガン剤の効果判定は「完全奏功」し、ガンは完全に消えていました。
今も再発予防でハーセプチンは続けています。
「HER2は進行度も悪性度も高いけど、
今は良い薬があるから大丈夫。頑張りましょう。」
今でも乳腺外科の言葉は忘れませんし、
スレイマン医師に足を向けて寝ていません。(本当か)
ハーセプチンがなければ私は今頃この世界にはいなかったのですから。
人生は本当にいろいろあります。
このブログを読んでくださっている方でガンに罹患されている方もいるかもしれません。
このブログが何かの役に立つわけではありませんが・・・・
人は何かが起こるとそれに意味付けをしたくなるものです。
ガンに罹患して良い事などひとつもありませんが、
今まで知っていたようで実は知らなかったことがたくさんあることに気づかされました。
何より当たり前のように享受していた事、
食べられること、眠れる事、そして自分の意志で動けることの大切さを知りました。
人はひとりでは生きてはいませんし、
私もたくさんの人に支えられて生きている事を実感しました。
医学の進歩はすさまじく不治の病も1年生きれば新薬で治る可能性もあります。
何があっても希望だけは持ち続けたいです。
原題の「Living Proof」ですがこれはどう訳すのでしょうか。
生きた証?
難しいですね。
Director: Dan Ireland
Writers: Vivienne Radkoff (teleplay), Robert Bazell (book)
2008年 アメリカ
免疫チェックポイント阻害剤に結び付くPD-1という分子を発見、
その仕組みを明らかにした功績で本庶教授がノーベル医学生理賞を受賞しました。
これの何が凄いかというと、
標準治療は現在、手術、抗ガン剤、放射線治療の3通りありますが
これに「免疫療法」という第4の道筋が開かれたという事のようです。
人の持つ免疫力を使う治療が確立されれば近い将来ガンも不治の病ではなくなりそうですが
まだまだ解明されていない免疫システムをコントロールするのも難しそうですね。
余談ですが最近「はたらく細胞」が面白くて愛読している私。
これを読んでいると、自分の細胞がとても愛しくなり大事にしようという気になるんです。
細胞に無理をさせないよう摂生したくなるのでおススメです。
前置きが長くなりましたが、
ノーベル賞に便乗してこの映画をご紹介したいと思います。
ご存知の方はあまりいないのかもしれません。
かく言う私も知ったのは去年です。
この映画はハーセプチンの発明者、デニス・スレイマン医師によるハーセプチンが認可されるまでの
厳しい道のりを描いた実在のストーリーです。
ハーセプチンはHER2陽性の乳がん治療に用いられる「分子標的薬」で、
HER2陽性は進行が速いためそれまで予後不良とされていましたが、
ハーセプチンの登場でかなり改善されたそうです。
文字通り数えきれないほどの女性の命を救うことになりましたが、
スレイマン医師は今も現役でいらっしゃいます。
1988年 UCLAの研究医であるデニス・スレイマン医師は
毎年20万人の女性が乳がんに罹患する事実を受け止め
女性たちを救うべく「ハーセプチン」実用に向けて奮闘していました。
1989年、共同開発のバイオベンチャー企業ジェネンテックはHer2の研究資金の提供を中止します。
デニスの友人でNBCの社長夫人、リリー・ターティコフが資金を援助、
さらにリリーは「新薬ができれば毎年4万人の女性が救える、2年で競技場がいっぱいになる」
とスレイマン医師の言葉でレブロンのオーナー、ロン・ペレルマンから寄付を引き出し、
ロンの提案で資金集めの慈善パーティ「Fire and Ice Ball」を長年に渡り開催することになります。
しかしその間にも乳がんに罹患する女性が後を絶ちません。
フェース1、第1相の前に抗体テストが行われました。
ステージ4を宣告された2児の母親であるニコールという女性も参加をし、
結果的にこの女性の余命が数年延びています。
ジェネンテックが積極的ではないためフェーズ1の許可がなかなかおりないので
スレイマン医師は直接ジェネンテックの役員を説得します。
その中のセリフ「医師は患者のみならずその家族も救う」本当にその通りだと思いました。
インターフェロンで巨額の損失を出したジェネンテックはハーセプチンに効果は見込めないとし、
これ以上リスクを負うのを嫌っていました。
スレイマン医師の説得で試験の許可は下り、1992年にフェーズ1の試験が開始されます。
治験に参加する女性たちの前で医師は新薬が「ハーセプチン」という名前がついたと発表。
HER2のハーにインターセプト(妨害)のセプチンです。
ニコールの母親が医師を訪ねてきます。
抗体テストで延びた寿命が尽き欠けているので治験に参加させてほしいと言います。
治験の参加には適正があり、最初に抗体を投与しているニコールに参加資格はありませんでした。
しかもフェーズ1では人道的投与も許可されていないので母親は諦めるしかありませんでした。
治験中に亡くなってしまう人もいました。
フェーズ1が終了しましたが効果の出なかった人、
また効果があっても著しくない人はフェーズ2には進めません。
認可されるには良いデータを出さなくてはならない、という事情もあるようです。
しかもジェネンテック社の反対派に阻まれフェーズ2もなかなか開始できませんでしたが
様々な協力者のもと、どうにかフェーズ3まで終わりFDAの認可もおりました。
この治験で完全奏功し普通の生活を送ることができた患者さんもいます。
ラストではスレイマン医師が競技場までランニングをする場面で
多くの女性たちが観客席で拍手を送っています。
それはハーセプチンが新薬として認可されたことで救われることになる多くの女性でした。
今も多くの薬が承認され私たちはその恩恵を受けていますが
その陰では厳しい治験があり多くの涙が流されている事を知りました。
患者さんたちの勇気ある行動と尽力してくれている様々な人たちに感謝せずにはいられません。
化粧品もレブロンにしようと思いました。
日本は薬の認可がとても遅いらしいですね。
もう少し何とかしてほしいところです。
研究開発はどこの組織でも企業でも捻出するのに苦労しています。
投資する余裕がなく、しかし研究開発を怠れば未来はありません。
難しいですね。
収益が見込めない分野こそ国に投資してほしいですが。
ここでしれっとカミングアウトしてしまいますが
実は一昨年の11月にHER2陽性の乳がんを告知されました。
告知されたときは足元の地面が崩れていくような、
昨日まで自分がいた世界とは違う世界になった感覚がありました。
仕事はどうしよう、とか、
このブログもやめないとダメかな、とかいろいろな事を考えていました。
翌年の1月5日から抗がん剤とハーセプチンの化学療法を開始、
初回は時間かけて点滴をしますがその最中に何をしていたかというと
シャーロックS4を訳していたんです。辞める気ゼロ(笑)
副作用と戦いながらも仕事も休まずに続けられました。
仕事も趣味も続けることで励みになっていた部分はすごく大きかったと思います。
何もなければ乗り越えることはできなかったかもしれません。
また、10年以上通っている病院がガン拠点病院だったので
馴染みのある場所で総合的に治療できたのも良かったと思います。
おかげさまで抗ガン剤の効果判定は「完全奏功」し、ガンは完全に消えていました。
今も再発予防でハーセプチンは続けています。
「HER2は進行度も悪性度も高いけど、
今は良い薬があるから大丈夫。頑張りましょう。」
今でも乳腺外科の言葉は忘れませんし、
スレイマン医師に足を向けて寝ていません。(本当か)
ハーセプチンがなければ私は今頃この世界にはいなかったのですから。
人生は本当にいろいろあります。
このブログを読んでくださっている方でガンに罹患されている方もいるかもしれません。
このブログが何かの役に立つわけではありませんが・・・・
人は何かが起こるとそれに意味付けをしたくなるものです。
ガンに罹患して良い事などひとつもありませんが、
今まで知っていたようで実は知らなかったことがたくさんあることに気づかされました。
何より当たり前のように享受していた事、
食べられること、眠れる事、そして自分の意志で動けることの大切さを知りました。
人はひとりでは生きてはいませんし、
私もたくさんの人に支えられて生きている事を実感しました。
医学の進歩はすさまじく不治の病も1年生きれば新薬で治る可能性もあります。
何があっても希望だけは持ち続けたいです。
原題の「Living Proof」ですがこれはどう訳すのでしょうか。
生きた証?
難しいですね。