明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




昨日のBSの曾我蕭白の再放送を観て、改めて思った。男の場合は何をどうしても宿命的にユーモラスな所が滲み出る。男ばかり作って来て、その点はかなり意識して来た。それ抜きには描けない、とさえ思っている。例え生涯ニコリともしないで死んでいった人物だとしてもである。三島由紀夫へのオマージュ展男の死でさえ、その点を意識していた。三島自身はというと、そのユーモアは一線を超えているところがあった。 私は〝及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”とやり過ぎる、過剰な人物が好きだし、やり過ぎれば、そこに何某かのユーモアを生じる。最後に襖絵として再現された蕭白の龍図も、実際見れば迫力に圧倒されるだろうが、大き過ぎて可笑しいし、過ぎた挙句に、豪快さと逆な性格さえ感じるくらいである。番組中、蝦蟇鉄拐仙人も紹介された。私も連中の鼻毛伸ばそうかな、と。 番組中唯一ユーモアを爪の先程も感じなかったのが子宮を口に咥えている、という幽霊を描いた女性画家で、描く物とそぐわない入念な化粧にほんの僅か漂っていたけれど。

 



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