明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島の仕上げをしながら伊集院静の乾燥が終わり、こちらも仕上げに入る。次は気分を替えて古今亭志ん生にしようと思う。いつもは粘土感丸出しで作っているが、気まぐれにリアルに作ってみようと試みた作品である。これは『中央公論Adagio』用に作った作品だが、特集場所の本所に再開発により適当な場所がなく、特集場所でない木場の『河本』を使わせてもらった。志ん生の十八番『火焔太鼓』の甚兵衛さんが太鼓を届けに行く途中で飲んでしまっているの図である。これも志ん生、火焔太鼓、共に写る部分しか作っていない。 志ん生は湯のみに手を伸ばしているが、本来下に載せたお銚子にガラスコップであった。入稿後ホッとしていると編集長から電話。発行元の交通局から飲酒表現はNGだと連絡が来たという。編集長は担当相手に頑張ってくれたようだが、しまいには都知事の判断を仰ぐ、という笑い話のような話になった。こいつは面白いと内心思ったが、当時銀行問題でそれどころではないという結末に。湯のみにしたところで志ん生がお茶を飲んでいると思う人はいないだろうが、替えさせた、ということで収まったのであろう。これに懲りてNG表現はなんなのか、事前に聞いておきたいとお願いしたが、具体的にはウニャムニャ、と要領を得なかった。

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