肝腎な物は外側にはなく、すべて自分の中に存在すると薄々感じ、今では確信している。そんな訳で、私なりの眉間にレンズを向ける念写を試みている。 我が母は、どうもそこらの育児書が役に立たない我が息子に、石原慎太郎の『スパルタ入門』をタンスに隠していて先に読まれてしまったりしながら、母親の勘で、外の世界に興味がない、という顔をしていてはいけない、危険だと私に伝えたのだと思う。あまりにうるさ過ぎてチック症になってしまった私だが、今では感謝している。まあ友人にも恵まれ、人間関係でもたいした問題もない。 だがしかし、ここまで来れば当ブログ内くらい演技プランを捨て去り、自分が何を作るかしか興味がない、といってしまっても良いだろう。ここに来て人生において、大きく一周回った気がしているが、このタイミングで外側からの脅威コロナというのも何か理由があるのではないか、と勘ぐってしまう。 昨年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』の終了から半年、金魚を眺めながら、様々なことが明らかになりつつある。今死んだら私が長年恐れて来た、あれが作りたかったのに、と胸掻きむしりながら悶え死ぬことになるだろう。SNSでは生々しい治療の過酷さを目にする。どうしても避けなければならない。