明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



背景は小石川後楽園である。後には現在東京ドームが大きく控えているが、慶喜が生まれた水戸藩の屋敷はこの場所にあった。二代藩主の光圀が完成させた庭がこの後楽園ということになる。 徳川慶喜は新し物好きで趣味も多く、写真、自転車、狩猟など好んだが、中でも有名なのが写真であろう。将軍しか撮影できない場所から庶民の生活まで、あらゆる物を被写体にしている。そこで慶喜の傍らにカメラを置くことにした。 慶喜の使ったカメラは数台現存している。当初同様の機種を調達して、と考えたが、事実にこだわって面白い場合と、そうでない場合がある。カメラは当時は当然高価な物で、一般人が容易に入手できるものではなかったが、将軍が使用した物と考えると案外地味である。三脚の上にレンズが付いた黒い箱を乗せても、いまひとつに思える。そこで将軍だったらこのくらいの物を、と慶喜愛用の写真機を捏造、でっち上げることにした。コンセプトは“伝統工芸の粋を集めすぎてしまった”カメラである。背景は緑が多いので、映えるように蛇腹も赤蛇腹にした。 けっして華美なものを好んだ人物ではないが、あくまでイメージであり、正確に事実を再現するのが私の役割ではない。またおそらく慶喜の置かれた立場からくるのであろう。弟の昭武が撮影したプライベートな写真を別にすれば、慶喜の肖像写真には独特の憂いのようなものがある。それをこの過剰なカメラの眩しさにより、陰翳を強調できれば、と考えたのである。

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