明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



予定では会場のウィンドウ内に『帝都上空』の大きく伸ばした画像が収まることになっている。そこに撮影に使った乱歩像も置くことになった。先日書いたように、撮影用に遠近感を強調して作っており、一方向からしか形になっていない。正確に言うと穴から覗くくらい視点を固定するべきだが、ウィンドウ内ではそうもいかない。 改めて点検すると、ここまでやったのだから、もうちょっとどうかすればいいじゃないか、というぐらい何もしていない。この部分は必要がない、と思うと本当に私は愛想がない。よって舞台裏は実に殺伐としている。気球など、あと数センチ塗れば塗り終わるのに、写らないからと途中で止めている。こんな小さなことだが、数センチ塗るぶんのエネルギーすら、本番の肝心な部分に集中することに回そうとしていることが判る。 私は方向音痴だ計算ができない、何ができないこれができないといっているが、実際はほとんど恥じておらず、この分がみんな創作のほうに回っているのだ、と腹の中ではほくそ笑んでいるのである。しかし嬉しそうにしていては、立場によって怒りだす人もいるので、恥ずかしそうにしているのが、狭い下町育ちで身につけたテクニックというものである。なにしろ駄目なマイナスな部分が、すべて創作用にプラスに変じているのだ、と喜んでいるのだから、私は鬱にはなりにくような気がする。 そんなわけで、本来披露するものではないのだが、『夜の夢こそまこと』(パロル舎)の出版記念ライブをやった時、撮影に使用した人間椅子などと共に入り口に飾ったことがある。その2、3日後に松坂屋大丸本店でも展示したが、先方にやる気がまったくなく、館内に展示の告知がなされていない有様で、ヒマな通りがかりの人しか観ていないはずである。 展示するには箱に入れて、せめて正面からしか見えないようにしないとならない。私は乱歩の第一作は、黄金仮面を持って立っている作品だと思っていたが、ひょっとして、これが第一作ではないか、という気がしてきた。現在であれば、一々雑記に書いているのでおおよそのことは判るが、HPを作る前だったので確かめようがない。HPを作るためにパソコンを始めたので、まだワープロすら触ったことがなく、そんな野暮くさい物、なんていっていた頃なので、当然合成もしていないが、この作品は原点といっていいだろう。

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