デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

セレブと碓氷峠 PART 1 OF 3

2008-09-07 13:20:32 | 日本史

  
セレブと碓氷峠





Subj:明けましておめでとうございます。

Date: 01/01/2008 3:12:13 AM Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


お正月に何を書こうと迷いましたが
思いつくままに最近感じた軽井沢の不満
について書こうと思います。

題して“軽井沢不満たらたら編”ですう。



私は群馬で上州だから
学生の時から夏は軽井沢に良く出かけました。
(軽井沢は信州ですが)

那須とか日光には、めったにいきません。

私が学生のころ、高崎から横川へ碓氷峠を登り
軽井沢駅まで普通電車で安く行けました。



今は電車は横川止まりです。
子供達はバスで峠を登り軽井沢駅につきます。

大人は高崎から新幹線のホームへ向かい高いお金を払って、
峠を越えるというか
、山の中をくぐってワープします。
長野オリンピックで便利になったけど
あの峠を新幹線でアットいう間にすりぬけてしまって、
釜めしは食べる時間もなく
軽井沢の駅の売店で買って食べたりして、
時間の流れが違ってしまいます。





子供のころ軽井沢ってほんと遠いな~というか
高い聖地にある町だな~と思い
楽しみに電車に乗って峠の風景をみていたものです。
私の子供にも経験させたかった。

碓氷峠にはいろいろ思い出があります。

東京も横浜も好きでよくいきますが、
スキーもできてVancouverのように
涼しい軽井沢がいいです。 

佐野はあつい~。
夏は昼間出かけられません
労働意欲もなくなります。

思いつくままに取りとめも無く書きましたが、
どうかデンマンさんも良いお正月を迎えてくださいね。

2008年元旦

小百合より



『釜飯と小百合さん (2008年1月3日)』より




今日は、デンマンさんの祖先の男の人があたくしの祖先の可愛い女の子に出会うお話をしてくださるのですよね?



そうですよう。そのつもりですよう。

それなのに小百合さんと碓氷峠の思い出でござ~♪~ますか?

あのねぇ~、1000年も前の卑弥子さんの遠い祖先の可愛い女の子を持ち出しても、誰も信じてくれませんよう。

それで、碓氷峠を持ち出してきたのですか?でも、小百合さんは関係ないでしょう?

全く関係ないとは言えないのですよう。僕は、小百合さんの祖先と僕の祖先は同族だったと信じているほどですよう。

どう言う訳でござ~♪~ますか?

だから、それを説明するためにも小百合さんの碓氷峠のメールを持ち出してきたわけですよう。

分かりましたわ。では、その碓氷峠の事からお話しくださいな。

卑弥子さんも覚えていると思うけれど、万葉集には碓氷峠が出てくる歌がある。僕は2つの和歌を取り上げて、その歌が刻み込まれている歌碑と共に紹介したのですよう。


釜めしと万葉集





おいしそうでござ~♪~ますわ。あたくしは電車の中で待っていますから、デンマンさんが2つ買ってきて下さいな。



あのねぇ、駅弁だけではないのですよう。僕は途中下車して行って見たい所があるのですよう。

どこでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは忘れてしまったのですか?

忘れたって。。。何をでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は卑弥子さんのために軽井沢と万葉集の事で調べたのですよう。その事で、かつて記事に書いたのですよう。

■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』

あらっ。。。いやでござ~♪~ますわぁ。。。うふふふふ。。。“夢のホテル”であたくしとデンマンさんがエッチな事をするのでござ~♪~ますか?

しませんよう!んもお~~。。。そんな事は、どこにも書いてませんよう!たくゥ~~。。。

。。。んで、あたくしが何を忘れているのでござ~♪~ますか?

防人(さきもり)の歌の歌碑ですよう。



この上の写真を見れば思い出すでしょう?旧碓氷峠の見晴台入り口にあるのですよう。昭和42年に軽井沢町が建てたものです。思い出したでしょう?

ええ、ええ、ええ。。。思い出しましたわ。確かに、デンマンさんが書いていましたわ。
 
『万葉集』には軽井沢は出てこないけれど、碓氷峠が出てきます。奈良時代や平安時代の初期には碓氷峠は「宇須比」とか、「碓日嶺」などと書かれていたようです。上の歌碑には次のような歌が書かれているのですよう。




日の暮れに

うすひの山を

越ゆる日は

背なのが袖も

さやに振らしつ

 
 

(巻第十四 東歌 三四〇二 詠み人知らず)

現代語訳:

日の暮れ時に、碓氷の山の峠を越える日に、
我が夫が、別れの時に目につくほどはっきりと袖を振っていたわ。

峠を越えて去ってゆく夫を慕う妻の心情を詠んでいる。





ひなぐもり

うすひの坂を

越えしだに

妹が恋しく

忘らえぬかも

 
 

(巻第二十 四四〇七
 他田部子磐前 [おさたべの子いわさき])

現代語訳:

ひなくもり(碓氷を導く枕詞)碓氷の坂を越える時は、
国へ置いてきた妻のことが恋しくて忘れられない。

碓氷峠越えの別れの恋歌。


■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』より


ロマンチックな歌でござ~♪~ますわね?

これはねぇ、実は悲しい歌なのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?

もう2度と会えないかもしれないと言う悲痛な思いを込めて詠(うた)っているのですよう。

デンマンさんは、マジでござ~♪~ますか?

もちろんですよう。

でも、それ程別れがつらいのならば、一緒に行けばいいではござ~♪~ませんか?

しかし、一緒に行けない訳があったのですよう。

どのような。。。?

この別れは、どちらも離れてゆく人が楽しい旅に旅立つ訳ではないのですよう。この別れが相手を見る最後になるかもしれないと言う、まさに悲痛な思いが込められていた。

なぜでござ~♪~ますか?

万葉集の「巻第二十」には、防人(さきもり)の歌がたくさん入っているのですよう。

つまり、上の歌で別れて碓氷峠を越えてゆく人は、九州まで歩いていって防人の役目に就(つ)く人でござ~♪~ますか?

そうですよう。任期は3年だったのですよ。しかも、この間に税は免除されないから、残された家族は大変だったのですよう。働き者を防人に取られて、家族はその人の分まで一生懸命に働かねばならなかった。だから、残された者にとっても重い負担になった。しかも、この3年の任期は延ばされることもよくあったというのです。更に、任期が終えても、帰ってくる途中で行き倒れになる人もあったと言うのですよう。

マジで。。。?

もちろん、マジな話ですよう。詳しい事は上のリンクをクリックして読んでくださいね。




『ビバ!白鳥の湖 (2008年6月15日)』より


。。。んで、この歌と碓氷峠がデンマンさんの祖先とあたくしの祖先に、どのように関わっているのでござ~♪~ますか?

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