台湾@日本統治
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ケイトー。。。 今日は日本が台湾を統治していた当時のことを話すのォ〜?
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そうです。。。いけませんか?
太平洋戦争の前のことよねぇ〜…。
そうです。。。
でも、どういうわけで急に日本統治時代の台湾を取り上げるのォ〜?
実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのですよ。。。この映画が取り上げている時代が日清戦争の後で、敗れた清が下関条約で台湾を日本に割譲した。。。その直後から日本帝国陸軍の兵隊や警察官が台湾に入って統治し始める頃から物語が始まるのですよ。。。
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セデック・バレ
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『セデック・バレ』 (原題:賽德克·巴萊 /Seediq Bale)
セデック語で「真の人」の意。
2011年の台湾映画。監督はウェイ・ダーション。
1930年、日本統治時代の台湾で起こった先住民セデック族による抗日蜂起事件である霧社事件を描く。
ただし、史実をもとにしているものの、史実と異なる部分や創作も含まれている。
台湾映画史上最高額となる7億台湾元をかけて制作された。
全2部作で、第1部は143分、第2部は131分。
第1部が2011年9月9日、第2部が9月30日より公開され、2011年11月26日、第48回金馬奨で「最優秀作品賞」「最優秀助演男優賞」「最優秀オリジナル音楽」「最優秀音響効果」「観客賞」の最多5部門を受賞した。
日本では2012年3月の第7回大阪アジアン映画祭で初公開。
台湾以外の国際映画祭に出品されたインターナショナル版(短縮版:155分)ではなく、2部作合計4時間半におよぶフルバージョン(タイトルは第1部『セデック・バレ 太陽旗』、第2部『セデック・バレ 虹の橋』)で、3月13日と14日にそれぞれ上映され、コンペティション部門の「観客賞」を受賞。
日本での一般公開は2013年4月20日で、『セデック・バレ 第一部 太陽旗』『セデック・バレ 第二部 虹の橋』が同時公開された。
あらすじ(ネタバレ注意)
台湾のセデック族は、誰からも支配されることなく自然の中で狩猟をし、先祖から伝わるガヤ(掟)に従い、暮らしていた。
その中で、部族同士の抗争、殺し合いもありつつ、自分たちの世界を築いて生きていた。
出草(首狩り)の風習も生きていて、それは彼ら自身の宗教と価値観に基づいていた。
しかし日清戦争後、進駐してきた日本軍と戦って敗北し捕えられる。
その後、警官の監視のもとで日本の風習や言語を身につけ、日本人の考えるところの文明を受け入れることを強制され、さらに少ない賃金による労働の供出を強いられていた。
日本人からの侮蔑、差別、女性の性的搾取が日常的に行われていた。
日々鬱屈した不満が高まっており、警官へのリンチ事件をきっかけに、他の村と共に武装蜂起を決意した。
それは最初から勝利の見込みのない、部族としての誇りを取り戻すためだけの戦いであった。
派出所の警官を襲撃した後、運動会に集まっていた日本人たちを手当たり次第に惨殺し、山中でのゲリラ戦を仕掛けるが、対する日本軍は毒ガス、敵対部族の動員などによって追い詰め、壊滅へと追い込んでゆくのだった。
出典:「セデック・バレ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。1930年に台湾の原住民が反乱を起こしたのねぇ〜
僕も歴史の授業で原住民の高砂族が反乱を起こしたということは聞いたことがあるけれど、詳しいことは上の映画を観て初めてわかったのです…。
史実をもとにしているものの、史実と異なる部分や創作も含まれている、と書いてあるけれど、霧社事件 という反乱は歴史的にはどういうことだったの?
ウィキペディアには次のように書いてありました。
霧社事件
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霧社事件(むしゃじけん)とは、1930年(昭和5年)10月27日に日本統治時代の台湾・台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった、日本軍とセデック族の軍事衝突である。
日本統治初期においては清朝統治時代の隘勇制度が踏襲され、原住民族の隔絶・封じ込めが図られたが、1906年に佐久間左馬太が台湾総督に就任すると、山林資源などを求めて理蕃事業が本格的に開始された。
台湾総督府は長期に亘る武力制圧の末に1915年には全域の原住民を支配するに至る。
原住民に対しては大量の警官を通じた高圧的な統治を行う一方で、教育による同化が進められ、伝統的な文化・習俗は禁じられた。
原住民蜂起の直接の引き金となったとされるのが、霧社セデック族村落の一つマヘボ社のリーダーであったモーナ・ルダオの長男、タダオ・モーナが1930年(昭和5年)10月7日に起こした日本人巡査殴打事件である。
その日、巡査が同僚を伴って村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかったところ、宴に招き入れようとしたタダオが巡査の手を取ったが、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキでタダオを叩いた。
侮辱を受けたと感じたタダオは、この巡査を殴打したのである。
原住民側はこの巡査殴打事件への報復に怯え、特にタダオの父モーナ・ルダオが警察の処罰によって地位を失うことを恐れ、蜂起を画策したといわれている。
原住民が無謀な蜂起を起こすに至った背景として、日頃からの差別待遇や強制的な労働供出の強要、山地統治を行う警察に対する反感、そして1900年代に抵抗する民族に対して行った台湾総督府による弾圧の記憶等が挙げられる。
経緯
1930年(昭和5年)10月27日、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。
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当時の公学校には一般市民の日本人と漢人(大陸からの移住者)の家族子弟が集まっており、部族民は和装の日本人を標的として襲撃、結果日本人132人と和装の台湾人2人余りが惨殺された。
犠牲者は無残にも首を切り落とされる有様であった。
なお、現地の警察には花岡一郎(セデック語:Dakis Nomin,1908年-1930年)と花岡二郎(セデック語:Dakis Nawi,?年-1930年)という、霧社セデック族の警察官も2名居たが、彼らは事件発生後に日本への義理立てを示す遺書を残してそれぞれ自殺した。
この遺書は偽造されたものであるとの見解や、実は彼らが暴動を首謀、扇動または手引きした(させられた)との見方もあるが、両名が蜂起を事前に知っていたか、またそれに関与していたかは今日に至るまで不明である。
蜂起の連絡を受けた駐留日本軍や警察は武力による鎮圧を開始した。
日本側は2日後の10月29日には早くも霧社を奪回した。
霧社セデック族側は山にこもり、霧社襲撃の際に警察から奪った武器弾薬を使って抵抗した。
11月1日の戦闘では蜂起軍側は日本側に抵抗したが、指揮を取っていたモーナの次男バッサオが死亡。
11月初めにはモーナ・ルダオが失踪、日本側は親日派セデック族や周辺の諸蕃部族(「味方蕃」と呼ばれた)を動員し、11月4日までに蜂起側部族の村落を制圧した。
モーナの失踪後は長男のタダオ・モーナが蜂起勢の戦闘を指揮したが、12月8日にタダオも自殺した。
12月中に鎮圧軍は現地の治安を完全に回復し、戦闘は終結した。
日本側は大砲や機関銃、航空機などの兵器を投入し、ようやく蜂起軍を制圧した。
毒ガス弾が使用されたとする文献もあるが、諸説があり定まっていない。
味方蕃の戦闘員たちに対しては蜂起軍の首級と引き換えに日本側から懸賞金が支給された。
この措置は日本統治下で禁止されていた首狩り(出草)を許可するものであり、懸賞金の対象は敵蕃の壮丁のみならず、一般市民まで含まれていた。
この措置は原住民部族間のみならず同族セデック間での凄惨な殺し合いをも助長し、第二霧社事件の発端にもなったとされる。
戦闘の中で、700人ほどの蜂起軍が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。
特にモーナのマヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態となった。
一方、鎮圧側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人、味方蕃21人であった。
掃討戦で戦死した日本軍人・味方蕃兵士は靖国神社に祀られている。
翌1931年(昭和6年)1月、台湾総督石塚英蔵、総務長官人見次郎、警務局長石井保、台中州知事水越幸一が事件の責任を取り辞任した。
評価
当時の日本社会においては台湾原住民の存在自体が熟知されておらず、雑誌等に興味本位にその風俗などが描かれる程度であった。
霧社事件は台湾総督府に対しては強い衝撃を与え、原住民統治の抜本的な改革を迫るものであった。
第二次世界大戦後、日本にかわって中国国民党が台湾を統治するようになると抗日教育が行われるようになった。
そのため、台湾では霧社事件は日本の圧政に対する英雄的な抵抗運動として高く評価されるようになり、蜂起の指導者たちは「抗日英雄」と称されるようになる。
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霧社にあった日本人の殉難記念碑は破壊され、蜂起の参加者らを讃える石碑が建てられた。
霧社では毎年、霧社事件の遺族らが参加して、蜂起側部族の犠牲者を追悼する「追思祭典」が開催されている。
1990年代以降、民主化の過程の中で台湾史への再認識がブームとなり原住民文化への再評価が行われるようになると、今度は霧社事件は「原住民族のアイデンティティーを賭けた戦い」として位置づけられるようになった。
出典: 「霧社事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
史実と異なる部分や創作も含まれている、と書いてあるけれど、ケイトーは上の映画を観て史実と異なる部分や創作があることに気づいた?
上のウィキペディアには「現地の警察には花岡一郎と花岡二郎という、霧社セデック族の警察官も2名居たが、彼らは事件発生後に日本への義理立てを示す遺書を残してそれぞれ自殺した」と書いてあるけれど、映画の中ではセデック族出身の花岡巡査一人だけが取り上げられているのです。。。日本の師範学校を出て警察官になったのです。。。日本人の女性と結婚しており、男の赤ちゃんがひとりいる。。。おそらく日本人と結婚しているというのは創作だと思うのですよ。。。
どうして、そう思うのォ〜?
駆け落ちでもしない限り、当時は、結婚するには親の承諾が必要なのです。。。日本人の両親が娘の相手の男が台湾の原住民だと聞いたら、まず許すはずがないのですよ。。。
毒ガス弾が使用されたとする文献もあるが、諸説があり定まっていない、と書いてあるけれど映画ではどうなってたのォ〜?
映画では飛行機から毒ガス弾を地上に投げるシーンが出てくるのですよ。。。僕もビックリしました。。。毒ガスは満州で、あの有名な石井中将の731部隊で開発されたものだと読んだことがある。。。
731部隊
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1932年(昭和7年)8月、陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室(別名「三研」)が開設された。
それと同時に、日本の勢力下にあった満州への研究施設の設置も着手された。
そして、出先機関として関東軍防疫班が組織され、翌1933年(昭和8年)秋からハルビン東南70kmの背陰河において研究が開始された。
この頃の関東軍防疫班は、石井四郎の変名である「東郷ハジメ」に由来して「東郷部隊」と通称されていた[7]。
1936年(昭和11年)4月23日、当時の関東軍参謀長 板垣征四郎によって「在満兵備充実に対する意見」における「第二十三、関東軍防疫部の新設増強」で関東軍防疫部の新設が提案され、同年8月には、軍令陸甲第7号により正式発足した。
関東軍防疫部は通称「加茂部隊」とも呼ばれており、これは石井四郎の出身地である千葉県山武郡芝山町加茂の出身者が多数いたことに由来する。
この際同時に関東軍軍馬防疫廠(後に通称号:満州第100部隊)も編成されている。
1936年12月時点での関東軍防疫部の所属人員は、軍人65人(うち将校36人)と軍属105人であった。
部隊規模の拡張に応じるため、平房(ハルビン南方24km)に新施設が着工され、1940年に完成した。
出典:「731部隊」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
731部隊では確かに毒ガス実験が行われていたのです。。。でも、1933年(昭和8年)秋からハルビン東南70kmの背陰河において研究が開始されたのです。。。だから、1930年には毒ガス弾はまだ日本でも満州でも開発されてないはずです。。。
1910年代の第1次世界対戦では毒ガスが使われたので、この反乱鎮圧にも毒ガス弾が使われたと映画監督が考えて毒ガス場面を入れたのかもねぇ〜。。。
そうかも知れません。。。
他にケイトーが気になったことでもあったのォ〜?
戦闘の中で、700人ほどの蜂起軍が死亡もしくは自殺した、と書いてあるけれど、残された家族、女と子どもたちが集団自殺している場面が出てくるのですよ。。。花岡巡査も赤ちゃんと妻を殺して自殺するのです。。。この場面は凄惨(せいさん)で目を背(そむ)けたくなりますよ。。。史実では、どうだったのか?。。。この事はウィキペディアの説明には詳しく書いてない。。。ただ、「マヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態となった」、と書いてあるだけです。。。
。。。で、その集団自殺の凄惨な場面を観て何か感じたことでもあるのォ〜?
あのねぇ〜、「歴史は繰り返す!」 としばしば言われるけれど、霧社事件では、日本軍が反乱を鎮圧したことで集団自殺が起きたのだけれど、それから10数年後、今度はアメリカ軍の掃討作戦でサイパン島の日本人の妻や子供が集団自殺しているのですよ。。。
バンザイクリフ
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太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍司令部がサイパン島北部にあり、アメリカ軍の激しい戦闘(サイパンの戦い、1944年6月15日 - 7月9日)において、追い詰められた日本兵や民間人が、スーサイドクリフと同様にアメリカ兵からの投降勧告、説得に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)である。
多くの自決者が「天皇陛下、万歳」や「大日本帝国、万歳」と叫び、両腕を上げながら身を投じたことから、戦後この名で呼ばれるようになった。
自決者の数は1万人にのぼるとも言われていて、海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化した。
のち、サイパン島南太平洋地域の平和記念公園として整備され、慰霊碑や寺院が建立されており、崖周辺にある多数の供養塔とともに、観光地の1つとなっている。
慰霊碑へ向かう道の途中には戦車が遺棄されていて、見学することができる。
第二次世界大戦後60周年の2005年(平成17年)6月28日、皇室としては初めて、明仁天皇・美智子皇后がバンザイクリフを慰霊のため訪問した。
かつては、英語化された音でマッピ岬(Marpi)と呼ばれた。
日本統治時代の地名もマッピ(松尾)で、古い文献にもそのように記されている。
プンタンサバネタ(Puntan Sabaneta)という呼称は、現地の言葉であるチャモロ語での呼称である。
北マリアナ政府は、この岬を正式にプンタンサバネタに変更したが、世界ではバンザイクリフが使われている。
サイパン戦の犠牲者
日本兵・在留日本人:55000人以上
アメリカ兵:3500人以上
チャモロ人:900人以上
出典:「バンザイクリフ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この時には、自決者の数は1万人にのぼるとも言われていて、海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化した、というのです。。。霧社事件の時よりも酷(ひど)いのですよ。。。
上のクリップに出てくるおばさんがバンザイクリフから飛び降りるのだけれど、まるで1メール下の道路にでも飛び降りるようにして簡単に死んでしまうのねぇ〜。。。ちょっと常識では考えられないわァ〜。。。
あのねぇ〜、シルヴィーは知らないと思うけれど、戦争中はアメリカ軍やイギリス軍は鬼畜米英と言われて、日本帝国政府はデマを流して教育したのですよ。。。つまり、兵士たちに降参させないように、捕虜にでもなったら、アメリカ軍やイギリス軍の兵士は鬼のようなものだから、日本兵が捕虜になったら食事も満足に与えられないで強制労働させられてすぐに死んでしまう。。。だから、捕虜にならずに最後まで徹底的に戦うようにと教育されたのですよ。。。女性は、アメリカ軍やイギリス軍に捕まったら、レイプされて、なぶり殺しにされると脅されたのです。。。
それで、アメリカ軍の呼びかけにも応じないでバンザイクリフから飛び降りて自殺したわけぇ〜?
そうですよ。。。もう集団心理です。。。レミングじゃないけれど、前に続けと言わんばかりに集団自殺したのですよ。。。
つまり、レミングは死にたくて集団自殺するわけじゃないのねぇ〜?
そうです。。。レミングの数が増えたら、集団で移動する。。。崖にさしかかったら、止まろうとしても、後ろから、後ろから押し寄せて来るから、飛び込まないわけにはゆかない。。。人間の目から見たら集団自殺するように見えるだけです。。。
でも、霧社事件の時も、バンザイクリフの時も、集団自殺がマジで起きたのでしょう?
そうです。。。霧社事件の時には、名誉を守るために集団自殺したと言われているのですよ。。。バンザイクリフでは日本帝国政府のデマによる教育のために、死ななくても良い人までが集団自殺したのです。。。つまり、名誉を守るためにしろ、デマによる教育にしろ、生きるか死ぬかの場面にさしかかると、死を選ぶようにしつけられていたのです。。。
ケイトーは、そういうことはいけないと思うわけぇ〜?
もちろんです。。。対照的に、アメリカ軍もイギリス軍も、捕虜になったら脱出するためにしぶとく生き抜けと教育されていたのですよ。。。だから、捕虜になって帰ってきたら英雄です。。。日本では、生き恥をさらしたと言われて戦時中に帰ってきた者は収容所に入れられた。。。ジョン・マケインはベトナム戦争で捕虜になったけれど、しぶとく生き抜いて英雄として母国に帰ってきた。。。その人気を後ろ盾に上院議員になり、アメリカ大統領に立候補してオバマ氏に敗れたものの敗北宣言は今でも有名です。。。
日本でも、アメリカやイギリスのような、徹底的に生き抜けという教育をしていたら、ジョン・マケインのような優秀な人材が死なずに日本に帰ってきて、日本のために働いたのですよ。。。
死に急ぎはいけないということねぇ〜。。。
そうです。。。どんな事があろうとも、しぶとく生き抜く教育をしないといけないのですよ。。。「人の生命は地球より重い」と、どこかの総理大臣が言ったほどなのだから。。。
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■『命の値段』
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、命は地球よりも重い、と思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せよ!」
あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ〜。。。
では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。
次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。
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■『アダムとイブは何を食べたの』
■『舞踏会 明子』
■『波乱の人生』
■『国際化だよね』
■『イングナさんを探して』
■『美しい日本語 チェーホフ』
■『横の道@ニコライ堂』
■『また塩野七生批判』
■『日航スチュワーデス』
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■『クレオパトラ@塩野批判』
■『テルモピュライの戦い』
■『思い出の蓮』
■『角さんと天罰』
■『ラーメン@リガ』
■『角さんと天罰がなぜ?』
■『南京事件と反知性主義』
■『あけびさんの卒論』
■『愛は降る星の彼方に』
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■『サイバー戦争』
■『エロくて、ごめんね』
■『モバイル社会とガラケー』
■『元老のアメリカ』
■『ケネディ家の呪い』
■『欧米を敵に回す』
■『ソフィアからこんにちわ』
■『ドイツが原爆をロンドンに』
■『いまだに謎』
■『さらば大前研一』
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■『空飛ぶスパイ』
■『愛情はふる星@ベトナム』
■『ヒラリーと塩野七生』
■『ケネディ夫人@インドネシア』
■『究極の大前研一批判本』
■『フェルメールの謎』
■『女に文句を言う女』
■『あなたの祖国』
■『宮沢りえ@韓国』
■『正しい戦争』
■『ゴールデンシャワー』
■『死刑廃止』
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■『かまびすしい』
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■『クレオパトラ@アラビア』
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■『未来予測』
■『知られざる悲劇』
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