デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

セレブと碓氷峠 PART 3 OF 3

2008-09-07 13:17:58 | 日本史


『更級日記』の当時13才の作者の将来の夫となる人が橘家の人なのでござ~♪~ますわねぇ。

そうですよう。それで、卑弥子さんの遠い親戚筋に当たる訳ですよう。うへへへへ。。。

デンマンさんがあたくしの親戚とおっしゃるから、もっとずうっと血縁の濃い間柄だと思っていたのでござ~♪~ますわよう。例えば、あたくしの大叔母だとか。。。

そんな訳ないでしょう!千年ほども昔なんだから。。。

分かりましたわ。この13才の少女が橘家の者と夫婦になるのですわね。でも。。。、この少女が武蔵野で見た騎馬の上の人物が、どうしてデンマンさんの祖先だと分かるのでござ~♪~ますか?

もちろん、確証があるわけではないのですよう。ちょうど上の本の中で次のように書かれている。


司馬さんの筆は期せずして

一編の壮大な叙事詩を

つむぎだしているかに見えます。


だから、僕も司馬さんに見習って一編の壮大な叙事詩をつむぎだそうと言う訳ですよう。

分かりましたわ。それで、どのような叙事詩でござ~♪~ますか?

僕の生まれたのは北関東の行田市です。



忍十万石として知られている城下町ですよう。もちろん昔の武蔵野国にあるのです。


天正時代のデンマンのふるさと

天正18年(1590年)の小田原征伐のとき、石田三成率いる豊臣軍が忍城を攻撃しました。
この当時、行田周辺を治めていたのは後北条氏でした。
当時から行田一帯は軍事的に最重要拠点のひとつと見なさていました。
忍城は低湿地の沼沢を濠とし、その中に浮かんだ島を曲輪として利用した堅城でした。
そのため、石田三成は優秀な官僚でしたが戦においては三流だったため、城を落とすことは遂にできませんでした。

後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れました。
しかし忠吉は11歳という幼年であったため、松平家忠が1万石で入りました。
家忠は石田三成の水攻めのために荒廃した忍城と城下町を修築し、代官の伊奈忠次の助けも受けて領内に検地を実施した。
結構、やり手だったのですね。




『行田市と大長寺 (2007年10月7日』より


僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?

後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。

つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?

難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。

それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?

そう言う事ですよう。

。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?

そんなモノは残っていませんよう。

。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?

僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。

その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?

“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。

つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。

でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?

全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
こんなお話をあなたは信じることができますか?
馬鹿馬鹿しいと思うでしょう?

それにしても、ずいぶんとこじつけたものですわぁ~。
呆れかえってしまいますわア.

ええっ?あたくしの祖先の橘三千代というのも同じように怪しいって。。。?
んも~~

あたくしの家には、家系図が伝わっているのでござ~♪~ますわよう。
デンマンさんのように空想から、つむぎだしたものではないのでござ~♪~ます。

とにかく、あさってもメチャ面白くなりそうです。
あなたも、ぜひ、また、戻ってきてくださいましね。
では、あさってお会いしましょう。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

卑弥子さんの家系は

1300年続いているそうです。

すごいですよね。

カナダは今年の7月1日に

141歳を迎えたばかりです。

日本の天皇家が紀元前660年に

起こったとして、今年で2668年目です。

卑弥子さんの橘家は天皇家の

半分の長さを誇っている訳です。

ところで、アメリカでもカナダでも最近

自分の家系をたどる事が

隠れたブームになっています。

興味のある人は次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

■ “genealogy.com”

  (あなたの家系をたどってゆこう!)






これは持統天皇(女帝)を中心として描いた系図です。

興味のある人は次のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。

■ 『古代のある女の悲劇』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







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