タイ国王@映画
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デンマンさん。。。、最近、タイ国王 が出てくる映画を観たのですか?
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そうなのですよ。。。
どういう映画なのですか?
バンクーバー市立図書館で借りたDVDで次の映画を観たのです。。。
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アンナと王様
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『アンナと王様』(Anna and the King)は、1999年のアメリカ合衆国のドラマ映画。
この映画は1956年のミュージカル映画『王様と私』のリメイクではなく、マーガレット・ランドンが発表した伝記小説『アンナとシャム王』(Anna and the King of Siam)の元になったアンナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』(The English Governess at the Siamese Court)を原作に映画化された作品である。
この映画にはミュージカルの部分は一切ない。
王様を演じるのは香港映画界のスターであったチョウ・ユンファで、家庭教師のアンナを演じるのはジョディ・フォスターである。
本作は、舞台となった時代の衣服や装飾などを丹念に調べた上で製作された。
また身分階級によるタイ語の使い分けも留意された。
このため、アンナとラーマ4世を描いた作品の中では最も史実に忠実に描かれているという。
(映画パンフレットとレーザーディスク版の紹介文による)。
しかし本作の制作後、アンナの著書自体に史実の改変があることが知られるようになった。
このこともあってか、『王様と私』同様、本作もタイでは上映されていない。
あらすじ
インドで生まれ育ったアンナは、シャムの近代化を目指すモンクット王に家庭教師として招かれ、モンクットの子供たちの教育を担当することになる。
しかし、最初の授業の際に、第一王子チュラロンコーンが彼女の息子ルイに対して、父親がいないことをからかったため喧嘩が起きてしまう。
アンナは罰として二人に居残りをさせるが、チュラロンコーンは反省しなくても時間が経てば帰れると考えていた。
しかし、日が暮れてもアンナはチュラロンコーンを許そうとせず、また事情を聞いたモンクットもアンナに賛成したため、チュラロンコーンは慌てて反省する。
アンナはチュラロンコーンと打ち解けるが、宮殿の側で鎖に繋がれた奴隷を目撃する。
奴隷はモンクットの側室から自由を得ていたが、彼女に騙され自由を得られずにいた。
憤慨したアンナは側室に奴隷を自由にするように談判し、側室はモンクットに彼女の無礼を訴え、話を聞いたモンクットは奴隷を自由にするように命令する。
アンナはモンクットや彼の子供たち、正室や側室たちとも打ち解け、国王一家と行動を共にするようになり、次第にモンクットの人柄に惹かれていく。
同じように、モンクットも物怖じせず物事をはっきりと言うアンナに惹かれていった。
しかし、王の側室の一人タプティムが駆け落ち事件を起こし、姦通罪で死刑を宣告された。
モンクットは恩赦を考えていたが、アンナから激しく抗議されたため、これで恩赦を与えれば、外国人の意見で判決を曲げたと受け取られかねず、やむなくタプティムとその恋人を処刑する。
この一件でモンクットと対立したアンナは帰国を考えるようになる。
同じ頃、シャム国内で略奪行為を行う隣国ビルマの軍を討伐するため、国境地帯に出兵していた王弟チャファとアラク将軍が殺されたという知らせが入る。
モンクットはビルマとの戦争を決断し、シャム軍を出撃させる。
しかし、クララホム総理大臣の元を訪れたイギリス人商人は、事態の黒幕はアラクであると伝える。
アラクは近代化を図るモンクットを「イギリスに屈服した裏切者」と考え、国王一家を殺害するつもりでいた。
クララホムは出国しようとしていたアンナを探し出し、モンクット一家の脱出に同行して欲しいと頼み込み、アンナは再びモンクットの元に戻る。
一方、モンクット一家の脱出を知ったアラクは追跡を始め、モンクットを殺そうとする。
モンクットは橋に爆薬を仕掛けてアラクを倒そうと考え、家族とアンナを安全な場所に逃がす。
橋の上でアラクと対峙したモンクットは爆薬を点火させようとするが、逃げずに残ったアンナ、ルイ、チュラロンコーンが丘の上から打ち上げ花火を挙げてラッパを吹いたため、イギリス軍の援軍がいると思い込んだアラクの部下たちは逃げ出し、アラクだけが取り残される。
アラクは隙を突いてモンクットを殺そうとするが、それに気付いたモンクットの家臣が爆薬に点火してアラクごと橋を爆破する。
シャムの危機を回避したモンクットは宮殿で盛大な宴を開き、アンナとの別れを惜しみダンスを踊る。
アンナがシャムを離れた後、モンクットの後を継いで国王となったチュラロンコーンは、父の政策を受け継ぎシャムの近代化を実現する。
出典: 「アンナと王様」
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あらっ。。。この映画とよく似た映画がありますよねぇ〜。。。
そうです。。。ユル・ブリンナーとデボラ・カーが主演した『王様と私』という映画ですよ。。。ベティさんも観たのですかァ〜?
ずい分前に観ましたわァ〜。。。
1956年に作られた古い映画ですよ。。。ベティさんは、当時まだ生まれてなかったでしょう?
まだ生まれてませんわ。。。実は、私もバンクーバー市立図書館でDVDを借りて、5,6年前に観たのですわァ〜。。。
僕も改めて 2月28日に観たのですよ。。。
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王様と私
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『王様と私』(The King and I)は、1956年のアメリカ合衆国のミュージカル映画。
20世紀フォックスが製作、ウォルター・ラングが監督、チャールズ・ブラケットとダリル・F・ザナックがプロデュースし、デボラ・カーとユル・ブリンナーが主演した。
マーガレット・ランドンが1944年に発表した小説『アンナとシャム王』をもとに、1951年に初演されたロジャース&ハマースタインのミュージカル『王様と私』を原作とし、アーネスト・レーマンが脚本を担当した。
この小説は1860年代初頭、シャム(現:タイ王国)のラーマ4世の子供たちの教師となったアンナ・リオノウンズの回顧録を基にしている。
リオノウンズの物語は自伝的ではあるが、様々な部分で議論の余地がある。
この映画は商業的、批評的に成功し、第29回アカデミー賞において9部門にノミネートされ、ブリンナーの主演男優賞を含む5部門で受賞した。
出典: 「王様と私 (1956年の映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事を書くために観たのですか?
そうです。。。『王様と私』はミュージカルなのですよ。。。それをそのまま映画化したのです。。。それに対して『アンナと王様』は、普通のドラマです。。。この映画は1956年のミュージカル映画『王様と私』のリメイクではなく、マーガレット・ランドンが発表した伝記小説『アンナとシャム王』(Anna and the King of Siam)の元になったアンナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』(The English Governess at the Siamese Court)を原作に映画化されたのです。。。
。。。で、デンマンさんは、どういう訳で2つの映画を比較する気になったのですかァ〜?
どちらが歴史的に忠実に描かれているだろうか? そう思ったのですよ。。。
。。。で、歴史的な背景を調べたのですか?
そうです。。。
歴史的背景
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ラーマ4世(右奥)と妻(左奥)と子供たち。
ラーマ4世の隣に後継者ラーマ5世がいる
1861年、シャムの国王ラーマ4世は大体57歳となった。人生の半分ほどを僧として過ごし、学問に熱心であり、仏教の新たな作法や、腹違いの兄ラーマ3世に捧げるバンコクの寺院などを創立した。何十年にもわたる修行の間、ラーマ4世は禁欲的な生活や西洋の言語を習得した。1850年のラーマ3世没後、ラーマ4世が即位した。
当時ヨーロッパの多くの国々が東南アジアを支配しようとし、アメリカの貿易会社はその恩恵を受けようとしていた。ラーマ4世はシャムを独立国として守り抜いたが、後継者など妻子の一部には西洋文化に慣れ親しませた。
1861年、ラーマ4世はシンガポールのエージェントのTan Kim Ching に子供たちのためのガヴァネスとしてイギリス人女性を探してくれるよう頼んだ。
当時、シンガポールのイギリス人コミュニティは小規模で、すぐに植民地で小さな保育所を経営するアンナ・リオノウンズ(1831年-1915年)に声がかかった。
リオノウンズはインド陸軍兵のアングロ・インディアンの娘で、ホテル管理人トーマス・オウエンズの未亡人であった。
2年前にシンガポール入りしており、上流階級の将校の未亡人で、ウェールズ生まれのため肌色が濃いと語っていた。
『王様と私』が執筆されるまで没後 長年アンナ・リオノウンズの身分詐称は明らかにされなかった。
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海軍の制服を着たラーマ4世とラーマ5世
王から正式な招待状が届き、リオノウンズは娘エイヴィスにイギリスの一流教育を受けさせるためイングランドの学校に進学させ、5歳の息子ルイスを伴いバンコクに向かった。
ラーマ4世は地元の宣教師に妻子を教育してもらおうとしたが、宣教師たちはこれを機会に改宗させようとしたため、宣教師でないイギリス人を探していたのである。
当初リオノウンズは月額の給料としてシンガポール通貨で150ドルを要求した。
ほかに、西洋の人々との繋がりを保つために宣教師たちのコミュニティ内または近くに住むことを要求した。
ラーマ4世はこれに敏感に反応し、「ここにはもうキリスト教の教師は必要ない」との手紙を送った。
ラーマ4世とリオノウンズは月額の給料100ドル、宮殿近くに住むことで合意に達した。
当時のバンコクの交通手段はボートであり、ラーマ4世は毎日の通勤は望んでいなかった。
リオノウンズとルイスは紹介された最初の家が居心地悪いとして一時的にクララホム首相邸に住み、その後宮殿から徒歩圏内のレンガの家に引っ越した。
バンコクの気候では木造の家屋は腐りやすいのである。
1867年、リオノウンズは6か月間の予定でイングランドに娘エイヴィスを訪れるためバンコクを離れ、ルイスをアイルランドの学校に行かせてエイヴィスをシャムに連れてくることになった。
しかし予期せぬ行程の遅れにより、1868年後期にラーマ4世が病死する頃にもまだリオノウンズはシャムに戻れずにいた。
結局リオノウンズはシャムに戻らなかったが、かつての教え子で新たな王となったラーマ5世とその後も連絡を取り続けた。
出典: 「王様と私 (ミュージカル)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
。。。で、どちらの映画が歴史的に忠実に描かれているのですか?
僕が思ったとおり、『アンナと王様』の方が歴史的に忠実に描かれているのですよ。。。でもねぇ〜、アンナ・リオノウンズが書いていた日記には、もともと嘘が含まれていた。。。本人は意識して嘘を書いたわけではないのだろうけれど、日記を調べて、彼女の実際の経歴などを比較すると、日記の内容とは違っている部分が見つかったのですよ。。。
例えば、どういうところですか?
映画では、夫を亡くしたイギリス在住のアンナが教育係として請われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているのですよ。。。でも、実際には、アンナはインド生まれで生涯の大半をインド、東南アジアで暮らしていたのです。。。だから、東洋の文化には慣れていた。。。
どうして、映画では初めて東洋に足を踏み入れたことになっているのですか?
その方が面白いからですよ。。。
でも、それは、アンナの日記に、そう書いてあるのではなくて、脚本家が東洋に初めて足を踏み入れたことにしてしまったのではありませんか?
確かにそうかも知れません。。。でもねぇ〜、教育係 (goveness) としてアンナは雇われたことになっているのですよ。。。しかし、実際には、単なる英語教師を募集していたのを見てアンナは応募したのです。。。また、映画ではアンナとラーマ4世との関係も 相当 親密に描かれているのだけれど、実際にはそれ程深いものではなかったと言われているのです。。。
そうなのですか?
それに、王太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはアンナの教育の影響のように描かれているけれど、歴史家によると、単なる時代の流れへの対応と見られているのです。。。
映画に出てくるラーマ4世は実際にはどのような王様だったのですか?
ウィキペディアには次のように書かれてます。。。
ラーマ4世
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(1804年10月18日 - 1868年10月1日)
ラーマ4世(タイ語: รัชกาลที่ ๔)は、チャクリー王朝の第4代のシャム国王。タマユットニカーイの創設者。
チョームクラオや、モンクット(タイ語: มงกุฎ, ラテン文字転写: Mongkut)の名でも呼ばれる。
ただし、ラーマ6世の名にもモンクットの語が登場するため注意を要する。『清史稿』は鄭明と呼ばれる。
かつて発行されていた50バーツ紙幣に肖像が使用されていた。
父はラーマ2世、母はシースリエントラー(Sri Suriyendra)である。
元々は兄のラーマ3世よりも彼の方に王位継承権があったが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けた。
即位までの27年間は出家して寺院に属し、経文の言語であるパーリ語、サンスクリット語をマスターした。
その中でタイの仏教のあり方に疑問を感じていた。
その後、キリスト教宣教師の手を借りて、英語・ラテン語を学び、ルネサンスを通じて教義が合理化されたキリスト教に触れ、新時代の宗教は合理化されたものでなければならないと感じ、俗信を排除した仏教を建てた。
このとき建てられた革新派の仏教集団をタマユットニカーイと言う。
ラームカムヘーン大王碑文を発見した人物でもある。
即位後は、西洋との関係を重視し、イギリスからアンナ・リオノウンズ(Mrs. Anna Leonowens)を家庭教師に招き入れ、子弟に西洋の教育をさせた。
このときのことは小説『アンナとシャム王』に書かれているが、アンナに虚言癖があったため、全面的な信用はしない方がよいと言われる。
この話は後に『アンナとシャム王』で初めて映画化されて、『王様と私』で劇作化と映画化、『アンナと王様』で3度目の映画化がされたが、いずれもタイでは上映が禁止されている。
1854年には清への朝貢を止め、トンブリー王朝以来つづいていた冊封体制から脱した。
1855年にイギリスと通商貿易に関するボーリング条約 (不平等条約) を締結。
西洋と自由貿易を開始し、米を輸出するようになった。
このためタイの中央平原部に運河が多く建設され、米の増産がはかられた。
現在においても米はタイの大きな輸出品目である。
外国人の便宜を図るため、「ニューロード」(ジャルンクルン通り)を建設したりもした。
また、62人の子を残したとされる。
ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年8月18日にプラチュワップキーリーカンを訪れ、予測通り観測できたといわれる。
しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。
出典: 「ラーマ4世」
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あらっ。。。ずいぶんと開明的な王様だったのですわねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。東洋で植民地にならなかったのはタイと日本だけだけれど、この王様がいたおかげで植民地にならなかったのですよ。。。
じゃあ、映画に描かれているアンナとラーマ4世の関係は、事実とはかなり違うものなのですわねぇ〜?
そうです。。。かなり違っているはずです。。。
どうして、デンマンさんはそう思うのですか?
あのねぇ〜、『アンナと王様』も『王様と私』もタイでは上映が禁止されているのですよ。。。
なぜ禁止されているのですか?
タイ政府は、2つの映画ともタイ王室の尊厳を傷つけているようなシーンがたくさんあるので上映を禁止していると言うのです。。。例えば、日本の明治天皇と教育係の西洋人が日記を書いていたとして、その日記を基にして西洋人が映画を作ったとします。。。でも、おそらく同じような理由で日本では上映禁止になっていると思いますよ。。。
そうでしょうかァ〜?
そうですよ。。。明治時代の文化を西洋人が充分に理解できるはずがないのです。。。だから、日本の文化を理解していない西洋人が次のような事件に巻き込まれてしまうのですよ。。。
生麦事件
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当時の生麦村
生麦事件(なまむぎじけん)は、江戸時代末期(幕末)の文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。
尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから、文久3年7月に薩摩藩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発した。
事件の勃発
生麦村住人の届け出書と神奈川奉行所の役人の覚書、そして当時イギリス公使館の通訳見習だったアーネスト・サトウの日記を突き合わせると、ほとんど以下のような経緯を辿った。
行列の先頭の方にいた薩摩藩士たちは、正面から行列に乗り入れてきた騎乗のイギリス人4人に対し、身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人たちは、「わきを通れ」と言われただけだと思いこんだ。
しかし、行列はほぼ道幅いっぱいに広がっていたので、結局4人はどんどん行列の中を逆行して進んだ。
鉄砲隊も突っ切り、ついに久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れたところで、供回りの声に、さすがにどうもまずいとは気づいたらしい。
しかし、あくまでも下馬する発想はなく、今度は「引き返せ」と言われたと受け取り、馬首をめぐらそうとして、あたりかまわず無遠慮に動いた。
その時、数人が殺しにかかった。
4人は驚いて逃げようとしたが時すでに遅く、リチャードソンは深手を負い、桐屋という料理屋の前から200メートルほど先で落馬しとどめを刺された。
マーシャルとクラークも深手を負い、ボロデール夫人に「あなたを助けることができないから、ただ馬を飛ばして逃げなさい」と叫んだ。
ボロデール夫人も一撃を受けていたが、帽子と髪の一部が飛ばされただけの無傷であり、真っ先に横浜の居留地へ駆け戻り救援を訴えた。
マーシャルとクラークは流血しつつも馬を飛ばし、神奈川にある当時、アメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込み助けを求め、ジェームス・カーティス・ヘボン博士の手当を受けた。
『薩藩海軍史』によれば、リチャードソンに最初の一撃をあびせたのは奈良原喜左衛門であり、さらに逃げる途中で鉄砲隊の久木村治休が抜き打ちに斬り上げ致命傷を与えた(久木村は同事件の回顧談を鹿児島新報紙上に詳細に語っている。)
落馬後、瀕死のリチャードソンに「今、楽にしてやっど」と介錯のつもりでとどめを刺したのは海江田信義であったという。
なお、当時近習番だった松方正義の直談によれば、駕籠の中の久光は「瞑目して神色自若」であったが、松方が「外国人が行列を犯し、今これを除きつつあります」と報告すると、おもむろに大小の柄袋を脱し、自らも刀が抜けるよう準備をしたという。
出典: 「生麦事件」
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この事件が起きたのは幕末で、ちょうど上の映画が描かれている時代と同じ時期なのですよ。。。当時の日本人にとって、大名行列が通れば、道路の脇に土下座して平伏(ひれふ)すことが常識だった。。。時代劇にはよく出てくるシーンですよ。。。もちろん、乗馬している者も下馬して道をゆずるのも常識だった。。。
そうなのですか?
ベティさんには理解できないと思うけれど、士農工商という身分制度があったから、そうしなければならなかったのですよ。。。同様に、当時の西洋人がタイで王様と友達のように話すなんて考えられないでしょう!? 明治天皇とアンナのような西洋人の一般女性がダンスをするなんて、明治時代には考えられないことですよ!
そうなのですか?
そうなのです。。。文化の違いですよ。。。だから、現在のタイ人が『アンナと王様』と『王様と私』を見れば、考えられないことが起きている!とビックリするはずですよ。。。
そういうわけで、タイ政府は『アンナと王様』も『王様と私』も上映禁止にしているのですか?
それ以外に考えられないでしょう!?
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも明治天皇と西洋人の一般女性がダンスをするなんて考えられませんか?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」
あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。
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