デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

タイ国王@映画

2022-04-04 02:28:02 | 映画・芸能界


 

タイ国王@映画

 


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デンマンさん。。。、最近、タイ国王 が出てくる映画を観たのですか?


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そうなのですよ。。。

どういう映画なのですか?

バンクーバー市立図書館で借りたDVDで次の映画を観たのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



アンナと王様


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『アンナと王様』(Anna and the King)は、1999年のアメリカ合衆国のドラマ映画。

この映画は1956年のミュージカル映画『王様と私』のリメイクではなく、マーガレット・ランドンが発表した伝記小説『アンナとシャム王』(Anna and the King of Siam)の元になったアンナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』(The English Governess at the Siamese Court)を原作に映画化された作品である。

この映画にはミュージカルの部分は一切ない。
王様を演じるのは香港映画界のスターであったチョウ・ユンファで、家庭教師のアンナを演じるのはジョディ・フォスターである。

本作は、舞台となった時代の衣服や装飾などを丹念に調べた上で製作された。
また身分階級によるタイ語の使い分けも留意された。

このため、アンナとラーマ4世を描いた作品の中では最も史実に忠実に描かれているという。
(映画パンフレットとレーザーディスク版の紹介文による)。

しかし本作の制作後、アンナの著書自体に史実の改変があることが知られるようになった。
このこともあってか、『王様と私』同様、本作もタイでは上映されていない

 

あらすじ

インドで生まれ育ったアンナは、シャムの近代化を目指すモンクット王に家庭教師として招かれ、モンクットの子供たちの教育を担当することになる。
しかし、最初の授業の際に、第一王子チュラロンコーンが彼女の息子ルイに対して、父親がいないことをからかったため喧嘩が起きてしまう。
アンナは罰として二人に居残りをさせるが、チュラロンコーンは反省しなくても時間が経てば帰れると考えていた。

しかし、日が暮れてもアンナはチュラロンコーンを許そうとせず、また事情を聞いたモンクットもアンナに賛成したため、チュラロンコーンは慌てて反省する。

アンナはチュラロンコーンと打ち解けるが、宮殿の側で鎖に繋がれた奴隷を目撃する。
奴隷はモンクットの側室から自由を得ていたが、彼女に騙され自由を得られずにいた。
憤慨したアンナは側室に奴隷を自由にするように談判し、側室はモンクットに彼女の無礼を訴え、話を聞いたモンクットは奴隷を自由にするように命令する。

アンナはモンクットや彼の子供たち、正室や側室たちとも打ち解け、国王一家と行動を共にするようになり、次第にモンクットの人柄に惹かれていく。
同じように、モンクットも物怖じせず物事をはっきりと言うアンナに惹かれていった。

しかし、王の側室の一人タプティムが駆け落ち事件を起こし、姦通罪で死刑を宣告された。
モンクットは恩赦を考えていたが、アンナから激しく抗議されたため、これで恩赦を与えれば、外国人の意見で判決を曲げたと受け取られかねず、やむなくタプティムとその恋人を処刑する。
この一件でモンクットと対立したアンナは帰国を考えるようになる。

同じ頃、シャム国内で略奪行為を行う隣国ビルマの軍を討伐するため、国境地帯に出兵していた王弟チャファとアラク将軍が殺されたという知らせが入る。
モンクットはビルマとの戦争を決断し、シャム軍を出撃させる。

しかし、クララホム総理大臣の元を訪れたイギリス人商人は、事態の黒幕はアラクであると伝える。
アラクは近代化を図るモンクットを「イギリスに屈服した裏切者」と考え、国王一家を殺害するつもりでいた。

クララホムは出国しようとしていたアンナを探し出し、モンクット一家の脱出に同行して欲しいと頼み込み、アンナは再びモンクットの元に戻る。

一方、モンクット一家の脱出を知ったアラクは追跡を始め、モンクットを殺そうとする。
モンクットは橋に爆薬を仕掛けてアラクを倒そうと考え、家族とアンナを安全な場所に逃がす。

橋の上でアラクと対峙したモンクットは爆薬を点火させようとするが、逃げずに残ったアンナ、ルイ、チュラロンコーンが丘の上から打ち上げ花火を挙げてラッパを吹いたため、イギリス軍の援軍がいると思い込んだアラクの部下たちは逃げ出し、アラクだけが取り残される。

アラクは隙を突いてモンクットを殺そうとするが、それに気付いたモンクットの家臣が爆薬に点火してアラクごと橋を爆破する。

シャムの危機を回避したモンクットは宮殿で盛大な宴を開き、アンナとの別れを惜しみダンスを踊る。
アンナがシャムを離れた後、モンクットの後を継いで国王となったチュラロンコーンは、父の政策を受け継ぎシャムの近代化を実現する。




出典: 「アンナと王様」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 



あらっ。。。この映画とよく似た映画がありますよねぇ〜。。。



そうです。。。ユル・ブリンナーとデボラ・カーが主演した『王様と私』という映画ですよ。。。ベティさんも観たのですかァ〜?

ずい分前に観ましたわァ〜。。。

1956年に作られた古い映画ですよ。。。ベティさんは、当時まだ生まれてなかったでしょう?

まだ生まれてませんわ。。。実は、私もバンクーバー市立図書館でDVDを借りて、5,6年前に観たのですわァ〜。。。

僕も改めて 2月28日に観たのですよ。。。

 


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『実際のページ』


 



王様と私


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『王様と私』(The King and I)は、1956年のアメリカ合衆国のミュージカル映画。
20世紀フォックスが製作、ウォルター・ラングが監督、チャールズ・ブラケットとダリル・F・ザナックがプロデュースし、デボラ・カーとユル・ブリンナーが主演した。

マーガレット・ランドンが1944年に発表した小説『アンナとシャム王』をもとに、1951年に初演されたロジャース&ハマースタインのミュージカル『王様と私』を原作とし、アーネスト・レーマンが脚本を担当した。

この小説は1860年代初頭、シャム(現:タイ王国)のラーマ4世の子供たちの教師となったアンナ・リオノウンズの回顧録を基にしている。
リオノウンズの物語は自伝的ではあるが、様々な部分で議論の余地がある。

この映画は商業的、批評的に成功し、第29回アカデミー賞において9部門にノミネートされ、ブリンナーの主演男優賞を含む5部門で受賞した。




出典: 「王様と私 (1956年の映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 



この記事を書くために観たのですか?



そうです。。。『王様と私』はミュージカルなのですよ。。。それをそのまま映画化したのです。。。それに対して『アンナと王様』は、普通のドラマです。。。この映画は1956年のミュージカル映画『王様と私』のリメイクではなく、マーガレット・ランドンが発表した伝記小説『アンナとシャム王』(Anna and the King of Siam)の元になったアンナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』(The English Governess at the Siamese Court)を原作に映画化されたのです。。。

。。。で、デンマンさんは、どういう訳で2つの映画を比較する気になったのですかァ〜?

どちらが歴史的に忠実に描かれているだろうか? そう思ったのですよ。。。

。。。で、歴史的な背景を調べたのですか?

そうです。。。

 



歴史的背景

 


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ラーマ4世(右奥)と妻(左奥)と子供たち。
ラーマ4世の隣に後継者ラーマ5世がいる


 

1861年、シャムの国王ラーマ4世は大体57歳となった。人生の半分ほどを僧として過ごし、学問に熱心であり、仏教の新たな作法や、腹違いの兄ラーマ3世に捧げるバンコクの寺院などを創立した。何十年にもわたる修行の間、ラーマ4世は禁欲的な生活や西洋の言語を習得した。1850年のラーマ3世没後、ラーマ4世が即位した。

当時ヨーロッパの多くの国々が東南アジアを支配しようとし、アメリカの貿易会社はその恩恵を受けようとしていた。ラーマ4世はシャムを独立国として守り抜いたが、後継者など妻子の一部には西洋文化に慣れ親しませた。

1861年、ラーマ4世はシンガポールのエージェントのTan Kim Ching に子供たちのためのガヴァネスとしてイギリス人女性を探してくれるよう頼んだ。

当時、シンガポールのイギリス人コミュニティは小規模で、すぐに植民地で小さな保育所を経営するアンナ・リオノウンズ(1831年-1915年)に声がかかった。
リオノウンズはインド陸軍兵のアングロ・インディアンの娘で、ホテル管理人トーマス・オウエンズの未亡人であった。

2年前にシンガポール入りしており、上流階級の将校の未亡人で、ウェールズ生まれのため肌色が濃いと語っていた。
『王様と私』が執筆されるまで没後 長年アンナ・リオノウンズの身分詐称は明らかにされなかった

 


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海軍の制服を着たラーマ4世とラーマ5世

 

王から正式な招待状が届き、リオノウンズは娘エイヴィスにイギリスの一流教育を受けさせるためイングランドの学校に進学させ、5歳の息子ルイスを伴いバンコクに向かった。

ラーマ4世は地元の宣教師に妻子を教育してもらおうとしたが、宣教師たちはこれを機会に改宗させようとしたため、宣教師でないイギリス人を探していたのである。
当初リオノウンズは月額の給料としてシンガポール通貨で150ドルを要求した。
ほかに、西洋の人々との繋がりを保つために宣教師たちのコミュニティ内または近くに住むことを要求した。
ラーマ4世はこれに敏感に反応し、「ここにはもうキリスト教の教師は必要ない」との手紙を送った。

ラーマ4世とリオノウンズは月額の給料100ドル、宮殿近くに住むことで合意に達した。
当時のバンコクの交通手段はボートであり、ラーマ4世は毎日の通勤は望んでいなかった。
リオノウンズとルイスは紹介された最初の家が居心地悪いとして一時的にクララホム首相邸に住み、その後宮殿から徒歩圏内のレンガの家に引っ越した。
バンコクの気候では木造の家屋は腐りやすいのである。

1867年、リオノウンズは6か月間の予定でイングランドに娘エイヴィスを訪れるためバンコクを離れ、ルイスをアイルランドの学校に行かせてエイヴィスをシャムに連れてくることになった。

しかし予期せぬ行程の遅れにより、1868年後期にラーマ4世が病死する頃にもまだリオノウンズはシャムに戻れずにいた。
結局リオノウンズはシャムに戻らなかったが、かつての教え子で新たな王となったラーマ5世とその後も連絡を取り続けた。




出典: 「王様と私 (ミュージカル)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



。。。で、どちらの映画が歴史的に忠実に描かれているのですか?



僕が思ったとおり、『アンナと王様』の方が歴史的に忠実に描かれているのですよ。。。でもねぇ〜、アンナ・リオノウンズが書いていた日記には、もともと嘘が含まれていた。。。本人は意識して嘘を書いたわけではないのだろうけれど、日記を調べて、彼女の実際の経歴などを比較すると、日記の内容とは違っている部分が見つかったのですよ。。。

例えば、どういうところですか?

映画では、夫を亡くしたイギリス在住のアンナが教育係として請われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているのですよ。。。でも、実際には、アンナはインド生まれで生涯の大半をインド、東南アジアで暮らしていたのです。。。だから、東洋の文化には慣れていた。。。

どうして、映画では初めて東洋に足を踏み入れたことになっているのですか?

その方が面白いからですよ。。。

でも、それは、アンナの日記に、そう書いてあるのではなくて、脚本家が東洋に初めて足を踏み入れたことにしてしまったのではありませんか?

確かにそうかも知れません。。。でもねぇ〜、教育係 (goveness) としてアンナは雇われたことになっているのですよ。。。しかし、実際には、単なる英語教師を募集していたのを見てアンナは応募したのです。。。また、映画ではアンナとラーマ4世との関係も 相当 親密に描かれているのだけれど、実際にはそれ程深いものではなかったと言われているのです。。。

そうなのですか?

それに、王太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはアンナの教育の影響のように描かれているけれど、歴史家によると、単なる時代の流れへの対応と見られているのです。。。

映画に出てくるラーマ4世は実際にはどのような王様だったのですか?

ウィキペディアには次のように書かれてます。。。

 



ラーマ4世


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(1804年10月18日 - 1868年10月1日)

 

ラーマ4世(タイ語: รัชกาลที่ ๔)は、チャクリー王朝の第4代のシャム国王。タマユットニカーイの創設者。
チョームクラオや、モンクット(タイ語: มงกุฎ, ラテン文字転写: Mongkut)の名でも呼ばれる。
ただし、ラーマ6世の名にもモンクットの語が登場するため注意を要する。『清史稿』は鄭明と呼ばれる。

かつて発行されていた50バーツ紙幣に肖像が使用されていた。

父はラーマ2世、母はシースリエントラー(Sri Suriyendra)である。

元々は兄のラーマ3世よりも彼の方に王位継承権があったが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けた

即位までの27年間は出家して寺院に属し、経文の言語であるパーリ語、サンスクリット語をマスターした。
その中でタイの仏教のあり方に疑問を感じていた。

その後、キリスト教宣教師の手を借りて、英語・ラテン語を学び、ルネサンスを通じて教義が合理化されたキリスト教に触れ、新時代の宗教は合理化されたものでなければならないと感じ、俗信を排除した仏教を建てた

このとき建てられた革新派の仏教集団をタマユットニカーイと言う。
ラームカムヘーン大王碑文を発見した人物でもある。

即位後は、西洋との関係を重視し、イギリスからアンナ・リオノウンズ(Mrs. Anna Leonowens)を家庭教師に招き入れ、子弟に西洋の教育をさせた。
このときのことは小説『アンナとシャム王』に書かれているが、アンナに虚言癖があったため、全面的な信用はしない方がよいと言われる。

この話は後に『アンナとシャム王』で初めて映画化されて、『王様と私』で劇作化と映画化、『アンナと王様』で3度目の映画化がされたが、いずれもタイでは上映が禁止されている

1854年には清への朝貢を止め、トンブリー王朝以来つづいていた冊封体制から脱した
1855年にイギリスと通商貿易に関するボーリング条約 (不平等条約) を締結。
西洋と自由貿易を開始し、米を輸出するようになった。

このためタイの中央平原部に運河が多く建設され、米の増産がはかられた。
現在においても米はタイの大きな輸出品目である。
外国人の便宜を図るため、「ニューロード」(ジャルンクルン通り)を建設したりもした。
また、62人の子を残したとされる。

ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年8月18日にプラチュワップキーリーカンを訪れ、予測通り観測できたといわれる。
しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。




出典: 「ラーマ4世」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。ずいぶんと開明的な王様だったのですわねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。東洋で植民地にならなかったのはタイと日本だけだけれど、この王様がいたおかげで植民地にならなかったのですよ。。。

じゃあ、映画に描かれているアンナとラーマ4世の関係は、事実とはかなり違うものなのですわねぇ〜?

そうです。。。かなり違っているはずです。。。

どうして、デンマンさんはそう思うのですか?

あのねぇ〜、『アンナと王様』も『王様と私』もタイでは上映が禁止されているのですよ。。。

なぜ禁止されているのですか?

タイ政府は、2つの映画ともタイ王室の尊厳を傷つけているようなシーンがたくさんあるので上映を禁止していると言うのです。。。例えば、日本の明治天皇と教育係の西洋人が日記を書いていたとして、その日記を基にして西洋人が映画を作ったとします。。。でも、おそらく同じような理由で日本では上映禁止になっていると思いますよ。。。

そうでしょうかァ〜?

そうですよ。。。明治時代の文化を西洋人が充分に理解できるはずがないのです。。。だから、日本の文化を理解していない西洋人が次のような事件に巻き込まれてしまうのですよ。。。

 



生麦事件

 


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   当時の生麦村

 

生麦事件(なまむぎじけん)は、江戸時代末期(幕末)の文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。

尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから、文久3年7月に薩摩藩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発した。

 

事件の勃発

生麦村住人の届け出書と神奈川奉行所の役人の覚書、そして当時イギリス公使館の通訳見習だったアーネスト・サトウの日記を突き合わせると、ほとんど以下のような経緯を辿った。

行列の先頭の方にいた薩摩藩士たちは、正面から行列に乗り入れてきた騎乗のイギリス人4人に対し、身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人たちは、「わきを通れ」と言われただけだと思いこんだ。

しかし、行列はほぼ道幅いっぱいに広がっていたので、結局4人はどんどん行列の中を逆行して進んだ。
鉄砲隊も突っ切り、ついに久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れたところで、供回りの声に、さすがにどうもまずいとは気づいたらしい。

しかし、あくまでも下馬する発想はなく、今度は「引き返せ」と言われたと受け取り、馬首をめぐらそうとして、あたりかまわず無遠慮に動いた
その時、数人が殺しにかかった。

4人は驚いて逃げようとしたが時すでに遅く、リチャードソンは深手を負い、桐屋という料理屋の前から200メートルほど先で落馬しとどめを刺された。
マーシャルとクラークも深手を負い、ボロデール夫人に「あなたを助けることができないから、ただ馬を飛ばして逃げなさい」と叫んだ。

ボロデール夫人も一撃を受けていたが、帽子と髪の一部が飛ばされただけの無傷であり、真っ先に横浜の居留地へ駆け戻り救援を訴えた。
マーシャルとクラークは流血しつつも馬を飛ばし、神奈川にある当時、アメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込み助けを求め、ジェームス・カーティス・ヘボン博士の手当を受けた。

『薩藩海軍史』によれば、リチャードソンに最初の一撃をあびせたのは奈良原喜左衛門であり、さらに逃げる途中で鉄砲隊の久木村治休が抜き打ちに斬り上げ致命傷を与えた(久木村は同事件の回顧談を鹿児島新報紙上に詳細に語っている。)

落馬後、瀕死のリチャードソンに「今、楽にしてやっど」と介錯のつもりでとどめを刺したのは海江田信義であったという。

なお、当時近習番だった松方正義の直談によれば、駕籠の中の久光は「瞑目して神色自若」であったが、松方が「外国人が行列を犯し、今これを除きつつあります」と報告すると、おもむろに大小の柄袋を脱し、自らも刀が抜けるよう準備をしたという。




出典: 「生麦事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この事件が起きたのは幕末で、ちょうど上の映画が描かれている時代と同じ時期なのですよ。。。当時の日本人にとって、大名行列が通れば、道路の脇に土下座して平伏(ひれふ)すことが常識だった。。。時代劇にはよく出てくるシーンですよ。。。もちろん、乗馬している者も下馬して道をゆずるのも常識だった。。。



そうなのですか?

ベティさんには理解できないと思うけれど、士農工商という身分制度があったから、そうしなければならなかったのですよ。。。同様に、当時の西洋人がタイで王様と友達のように話すなんて考えられないでしょう!? 明治天皇とアンナのような西洋人の一般女性がダンスをするなんて、明治時代には考えられないことですよ!

そうなのですか?

そうなのです。。。文化の違いですよ。。。だから、現在のタイ人が『アンナと王様』と『王様と私』を見れば、考えられないことが起きている!とビックリするはずですよ。。。

そういうわけで、タイ政府は『アンナと王様』も『王様と私』も上映禁止にしているのですか?

それ以外に考えられないでしょう!?



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも明治天皇と西洋人の一般女性がダンスをするなんて考えられませんか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

右側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

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『浅間山噴火とフランス革命』

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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

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『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


(nopan05.png)

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

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『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『IPアドレスの謎』


(ext200.jpg)

『地球外生物』

『パスカルの悩み』

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『ミラーサイトで金儲け』

『5,216 アクセス!』

『信じられない!』

『アクセス急増!』

『超アクセス急増!』

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『UFOと大津波』

『あと1時間で死ぬと判ったら』

『6000日@GOO』

『パシフィックリムの旅』

『雨のニューヨーク』

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)




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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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コロッケパン

2022-04-04 02:15:23 | 食べ物・料理・食材

 

コロッケパン

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでコロッケパンというタイトルにしたのですか?


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あのねぇ~、たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。



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わたしは東京都江東区に住んでいる。
同じ区に暮らす中央公論新社の編集者ミウラ女史に、そのパン屋さんを教わった。
「なにを食べても、懐かしい味です。 コロッケパンは、1個で十分にお昼ごはんです」

ミウラ女史の食の感性を、わたしは信頼している。
教わった翌日、カミさんと連れ立って南砂の『パン工房 中村屋』をおとずれた。(略)

 


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真っ先に手に取ったのが、焼きそばがたっぷり詰まったコロッケパンである。

なんとこの店では、キャベツの変わりに焼きそばが敷かれていた。(略)
下敷きになった焼きそばの量が半端ではない。(略)

 


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昭和懐古の声が、近頃かまびすしい。
おのれの身の丈を忘れつつあるがゆえに、ひと肌のぬくもりが残る昭和を思うのか。

されど中村屋は、いまを生きるパン屋だ。
この店のパンを口にすると、おのれの身の丈相応に生きる心地よさを味わえる。

(著者: 山本一力)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




71-73ページ 『こんがり、パン』
編者: 杉田淳子 武藤正人
2016年5月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社


 



この部分を読んで僕も急にコロッケパンが懐かしくなったのですよ。。。



でも、コロッケパンというと、普通、冒頭の写真のように細切のキャベツが敷いてあって そこにコロッケが乗ってますよねぇ~。。。

 


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そうです。。。 そうです。。。 でも、これだけだと、ランチに食べるにはちょっと物足りないですよね。。。



やっぱり、焼きそばとコロッケを一緒に食べて満腹感を味わいたのですか?

そういうことです。。。

 


 

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『パン工房 中村屋』のコロッケパンを食べると、普通のコロッケパンと焼きそばパンを2つ食べたような気分になれるでしょう! これならランチとして申し分ないですよ。。。



私は今 ダイエットしているので ごく普通のキャベツが敷いてあるコロッケパンをいただきたいですわァ~。。。

真由美ちゃんもコロッケパンが好物なのですか?

嫌いではありませんけれど、私はクリームパンに目がないのですわァ~。。。

 


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あれっ。。。 このグローブの形をしたクリームパンが真由美ちゃんの好物なのですか?



そうです。。。 これを食べると子供の頃のことが懐かしく思い出されるのですわ。。。

 



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ロバのパン屋さんが、少しずつ少しずつ、近づいてくるときの、胸のときめきだけは、しゃんしゃんと、音を立てて、いまもよみがえってくる。
パン屋さんは来ても、たいてい何も買わないのだった。

誰か近所の子が、母親に伴われて、その腕にぶら下がりながらパンを買ってもらう。
そのわずかな時間に、たっぷり流れてくるパンのにおいに、はなをふるわせるだけでも、嬉しかった。

ロバパンが来た、ロバパンが来た……と、箱車のまわりをぴょんぴょん、スキップでもしていたいような気分だった。
実際、そんなことをしていた子が多かった。 (略)

パンのなかでも、クリームパンには他のパンにはない何か慫慂(しょうよう)するものがあった。
クリームパン1個は、ジャムパン2個よりも、私には心のわきたつものだった。

あの、グローブのかたちをしたやわらかなものを、まずはじの方から割る。
クリームはない。
もうひとつのはじの方から割る。
同じくクリームはない。
どろりとしたカスタード風のクリームは、いつもまんなかにしかない。


クリームのにおいがまた、淡く甘くしゃれていた。
そのおいしいクリームの蜜は、決してあふれるほど入ってはいなくて、むしろいつもあまりに少なすぎた。

それは、好きになった友だちが、私にかほどの友情も見せないときの、甘い悲しさに似ていた。

 (著者: 増田れい子)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




118-119ページ 『こんがり、パン』
編者: 杉田淳子 武藤正人
2016年5月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社


 



思い出しますわ。。。 そうなんです。。。 あの、グローブのかたちをしたやわらかなものを、まずはじの方から割る。 クリームはない。 もうひとつのはじの方から割る。 同じくクリームはない。 どろりとしたカスタード風のクリームは、いつもまんなかにしかないのですわァ~。。。 そうやってクリームを最後に食べると幸福感がオツムに広がるのですわァ~。。。



でも、真由美ちゃんはロバのパン屋さんは見たことがないでしょう!?

私が子供の頃はロバじゃなく、車で売りにやってきましたわ。。。

 


(robapan3.jpg)

 



デンマンさんが子供の頃には ロバが車を引いてパンを売りに来たのですか?



僕が住んでいた行田市の下町地区にはロバのパン屋さんはやって来なかったのですよ。。。 その代わり、カバヤのカバ車がやってきました。

 


(kabaya01.jpg)

 


初代宣伝カー「カバ車」

 

1952年(昭和27年)から7年間、カバの胴体を象った宣伝カー「カバ車(カバしゃ)」を使ったキャンペーンも行うなど、地方に本社を置く製菓会社としては異色の宣伝活動を行った。
この「カバ車」は、排気量1000ccのトヨペットトラックのシャーシを利用した車両で、カバの背中にカバヤキャラメルの箱を載せるというスタイルであった。

車体製作は広島ボディーが担当、設計にあたってはモックアップとして実物大のクレイモデルを作成し、それに合わせて手作業で車体を製作した上で架装したが、製作に半年を要した。
標準的なベース車両の価格が当時約40万円だったのに対して、「カバ車」は1台約125万円であった。
15台が製造されたが、全て手作業による製作だったため、1台1台が微妙に表情が変わっていたという。

完成した車両は、1952年(昭和27年)4月に岡山市立出石小学校の校庭でお披露目を行った上で、日本全国を走行し、話題を提供した。
山道で「カバ車」と対向した馬車馬が動かなくなったり、農作業中の牛が「カバ車」を見て暴れだした、というエピソードが残されている。

しかし、交通規制等の理由により、「カバ車」は昭和30年代に全て廃車となった。
現存する車両はなく、本社にミニチュアモデルが残されただけであった。




出典: 「カバヤ食品」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。 カバの形をした車が岡山から行田市まで走って行ったのですか?



そうなのですよ。。。 当時、僕は小学生になるかならないかの頃だから、車体が馬鹿(バカ)に大きく見えました。。。 カバというよりも象に見えたほどです。。。 でも、長い鼻がなかったので、カバというのも でかい生き物だと思いましたよ。。。

パンも売ってたのですか?

いや。。。 パンは売ってなかったと思う。。。 クッキーとか、チョコレート、カバヤのキャラメルでした。。。

私も見たかったわ。。。 ロバのパン屋さんといい、カバヤのカバ車といい、デンマンさんの子供の頃にはロマンがあったのですわねぇ~。。。

そうですよ。。。 あのねぇ~、今度、暇があったら、クリームのいっぱい入ったグローブの形のクリームパンを作ってねぇ~。。。

はい。。。 私も久しぶりに子供の頃を思いだしながら作ってみようと思います。。。

 


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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは僕の従妹(今田 とも子)の娘です。
僕の言う事は素直に信じてくれる、とても性格のいい子です。(笑)

カナダにやって来てからはノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいました。

2016年9月に卒業式を終えて、現在、バンクーバー市内の
旨いベーグルを提供するカフェ・レストランで働いています。

学生時代には、先生やクラスメートとの英会話には、まごつくことがあったそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

太田将宏老人のように、40年もカナダに住んでいるのに
英会話が満足にできずに 6人に成りすまして日本語でブログにコメントを書きなぐって余生を過ごす人もいます。


なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!

 


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ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。

 


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世界で最も住みやすい街バンクーバー






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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。

 


(polar10.jpg)



 

上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)


 



If you've got some time,

Please read one of the following artciles:



ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』


(santa85b.jpg)

『ピラミス@美術館』

『夢のバンクーバー』

『バンクーバーの屋上で』

『オランダ移住』

『カナダ移住の夢』

『ディープコーヴ』

『浴衣のバンクーバー』

『黒豚テリマヨ』

『イタリアのベーグルとサルサ』

『花火大会』

『乙女老い易く学成り難し』

『真由美ちゃん@英語』

『真由美ちゃんダントツ』

『日本よい国天国だ!』

『やっぱりどこか狂ってる』

『日本で再会』


(utsunomiya10.jpg)

『乙女力@宇都宮』

『いい出会いの連鎖』

『笑顔の乞食おばさん』

『ニュートンの暗い秘密』

『新年@バンクーバー』

『スープキッチン@新年』

『猫と癒し』

『猫と犬と癒し』

『大通りde水の滑り台』

『イルカとワンちゃん』

『カワウソ@スタンレー公園』

『生パンツ系男子とベトナム兵』

『愛と癒しの涙』

『ダンスとノーベル賞』

『おもてなし』

『思い出ポロポロ』

『ロブソンの5月』


(biker302.jpg)

『ネットが不倫を連れて来る』

『ペットと良心』

『夢のデニッシュ』

『パンツァネッラ』

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『行田の伯母さん』

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『タイムマシーン』

『ルンルンdeサルサ』

『天国のワンちゃん』

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『プロシュット』


(mayumi76.jpg)

『なせば鳴る音楽』

『日本人女学生行方不明』

『日本人女学生死亡』

『ガレット』

『那須高原の紅葉』

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『マンボ@バンクーバー』

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『パリ風カフェ』

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『行田物語 悪夢』

『行田物語 社長』

『行田物語 棺桶に入るまで』

『宝田百合子@インド』

『行田物語 ちゃぶ台』

『行田物語 アカギレ』

『行田物語 にぼし』

『ノーベル賞がなぜ?』


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『トゥーランドットとかぐや姫』

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『シェフ バベット』

『まんじゅう@富岡』

『ん?トゥーランドット』

『女の子の夢』

『イヴォワールのレストラン』

『151歳の誕生日』

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『ポップス@蕎麦屋』

『検便と回虫』

『スコーンとプディング』

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『明治屋 圧力ジャム』

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『行田物語@ナポリ』

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『日本で再会ね』



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(dogs17.gif)


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