義理チョコと十三夜(PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 義理チョコと十三夜なんて全く関係ないように見えますけれど、どういうわけで上のようなタイトルにしたのですか?
あのねぇ~、夕べ、バンクーバー図書館から借りてきた『日本の空を見つめて』という本を読んだのですよ。
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赤枠で囲んである本ですか?
そうです。 その本に次のように書いてあったのですよ。
十三夜
今日10月11日は旧暦9月13日、十三夜のお月見である。
旧暦8月15日夜の「中秋の名月」に対して、十三夜は「後の月」と呼ばれてきた。
諺辞典に「十三夜に曇りなし」とある。
(中略)
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五千円札の樋口一葉(1872-96)の短編小説『十三夜』は「不幸な結婚に悩むお関を主人公とし、封建的な環境での女の悲劇を精緻な筆で描」いた(『広辞苑』)といわれている。
本稿を書くに当たり、何回目かの読み直しをしてみた。
お関は望まれて高級官吏に嫁ぐが、身勝手な夫は子供が生まれると態度を変え、実家の貧乏や無教育を言い立てて、離縁を迫るかのようにふるまう。
7年目の十三夜に実家に帰ったお関は両親に離縁の許しを請う。
玉の輿(こし)に乗った娘の幸せを喜び、家柄の違いを思って交際も遠慮していた実家では、母は離縁に賛成するが、父は婚家に戻り子を育てよと説得する。
辛うじて納得して戻る人力車を引いているのは、零落した昔の恋人だった…… この作品発表の翌年、一葉は肺結核で24歳の青春を閉じた。
薄幸な娘に「憂き世の辛抱」を説く父の切なくも説得力のある言葉を、23歳の女性がよくも書けたものだと、改めて驚嘆する。
名作は何回読んでも新しい。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
127-128ページ 『日本の空をみつめて』
著者: 倉嶋 厚
2009年11月13日 第3刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店
十三夜のお月見から樋口一葉作品の『十三夜』について書いたものですわね。
そうです。
この部分にデンマンさんは感銘を受けたのですか?
いや。。。感銘を受けたというよりも「辛うじて納得して戻る人力車を引いているのは、零落した昔の恋人だった」を読んだ時に、そのシーンを鮮明に思い出したのですよ。
デンマンさんは映画で『十三夜』を観たのですか?
いや。。。違うのです。 もう20年以上も昔になりますよ。 まだ僕が日本で暮らしている頃のことです。 確か、NHKのドラマかなんかで『十三夜』をやっていたのです。
「十三夜」(朗読:馬場精子)
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樋口一葉旧居跡
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樋口一葉の世界
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残念ながらタイトルは覚えていないのですよ。 「十三夜」ではなかったような気がするのです。 でも、あらすじは間違いなく『十三夜』なんですよ。 お関に扮していた女優が誰だったのか? 栗原小巻さんだったか? 佐久間良子さんだったのか? そんな雰囲気の女優さんだった。 人力車を引いていた役者の名前は忘れてしまったけれど、顔ははっきりと覚えてますよ。
でも、どうしてそれほどまでに印象的にそのシーンを覚えていたのですか?
あのねぇ~、実は、僕にも悲恋の体験がある。 ちょうど、「零落した昔の恋人」の車引きの男に僕は自分を重ねて共感するものがあったのですよ。 それで、しみじみと涙を浮かべて観たことがあったのです。 僕が大学を出て社会人になり始めの頃ですよ。
マジで。。。?
小百合さんは僕が冗談を言っていると思うのですか?
だってぇ~、零落してデンマンさんはマジで車引きになったのですか?
やだなあああァ~、時代が違いますよ。 もちろん、僕は人力車の車引きになったわけではありませんよ。 でもねぇ~、昔の恋人であるお関を人力車に乗せて引っ張っている男の気持ちが僕には手に取るように解って泣けてきたのですよ。
デンマンさんが車引きの男に感情移入して泣いたなんて、ちょっと信じられませんわ。
実は、僕は意外と涙もろいところがあるのですよ。 小百合さんの前では涙を見せたことはありませんけどねぇ~。。。
そうなのですか? マジで意外ですわ。。。で、「義理チョコ」と「十三夜」が関係あるのですか?
あのねぇ~、昔の悲恋を思い出しながら涙ながらに本を読み進めてゆくと次の箇所に出くわしたのですよ。
義理チョコ
人為的な商業季節の盛衰も見られる。
たとえば「バレンタイン・チョコ」の始まりは昭和33年に東京新宿の伊勢丹デパートで売り出した50円のハートチョコだが、売れたのは3枚だけ。
しかし昭和48年にはチョコレート騒ぎが加熱して話題になった。
もっとも「家計調査年報」では、この年の1年間のチョコレートへの支出金額に対する2月の支出の割合は11%で、特に目立って多くなってはいない。
この数字は昭和54年に13%、昭和60年に20%、平成4年に32%と増えている。
私が初めて「義理チョコ」をもらったのは、札幌気象台の予報課長をしていた昭和54年2月14日、部下の女子職員からだった。
ただし平成12年にはこの数字は23%に減少しており、「義理チョコ」への反省が表れている。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
145ページ 『日本の空をみつめて』
著者: 倉嶋 厚
2009年11月13日 第3刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店
上の「義理チョコ」の話を読んでデンマンさんは、さらに悲痛な思い出に涙を流したのですか?
いや、違うのですよ。 『十三夜』のシーンを思い出してかなり落ち込んでいたのだけれど、この「義理チョコ」の話を読んで、僕の気持ちは舞い上がったのですよ。
あらっ。。。 どうして急にデンマンさんの気持ちが舞い上がったのですか?
やだなあああァ~。。。 小百合さんは忘れてしまったのですか?
何を。。。?
やっぱり忘れているのですね。 じゃあ、次の小百合さんからの手紙を貼り出しますから思い出してくださいよ。
前略
バレンタインデーに
間に合うように
送ります。
でも、もしかすると
間に合わないかも…
デンマンさんと一緒に食べた
長崎ちゃんぽん。
「柚子こしょう」も入れました。
行田の「とんでん」で
茶そばが旨いと言っていた
デンマンさん。
面倒でも5分で茹で上がるので
食べてみてね。
それに今回も
「麺職人」を入れましたよ。
それから、心躍る甘酸っぱさの
フルーティMINTIA!
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最近、私はカバンに入れて
持ち歩いてます。
デンマンさんの
迷惑そうな顔が
思い浮かびます。
でも、1年に一度ぐらいは
女の子の気持ちになって
ルンルン気分で
スキップしながら
舐めてみてください。
うふふふふ。。。
うららかな春のバンクーバーの
街を歩きながら。。。
また、フードストアに向かう
買いものついでに。。。
それから、思いつくままに
チョコレート、即席うどん
山菜そばを入れました。
日本の味を懐かしみながら
食べてみてくださいね。
では。。。
早々
小百合より
2011年2月3日
『愛とロマンの小包』から
(2011年2月20日)
あらっ。。。 またこの手紙ですか!? もう一昨年になるのですわね。
そうですよ。 月日の経つのは早いものです。 小百合さんからのメールを読んでねぇ、ルンルン気分になったのでよ。 手紙と共にバレンタイン・チョコも入っていたのですから。。。
デンマンさん。。。 このようなメールは受け取った本人だけが密かに読んで胸に秘めておくものですわ。 こうしてデンマンさんはネットで公開しちゃいますけれど、読まされる人は白けるだけですわ。
いや。。。 「義理チョコ」じゃなく、心のこもったバレンタイン・チョコを送る人もいるのだということを。。。
あらっ。。。 私は「義理チョコ」を送ったつもりですけれど。。。
やだなあああァ~。。。 この期(ご)に及んで、そのようなつれない事を言わないでくださいよ。 せっかく僕は舞い上がったのですから。。。 ついでだから次のメールも読んでみて下さい。
(すぐ下のページへ続く)