愛と名声 (PART 1)
奄美に渡った孤高の花鳥画家
18歳でストレートで東京美術学校に入学するが、3ヶ月足らずで退学している。 その理由がよくわからない。 持病の結核が再発して静養が必要だったのはたしかだが、それなら休学でもよかったし、経済的な理由ならば学費免除を申請するなど、いくらでも方策はあっただろう。
彼がまだ中学生だったころから画会が開かれており、田中一村(当時は田中米邨)の名は「全国美術家名鑑」に載るほど知られていた。 画会とは絵の展示と販売を兼ねたいまでいう展覧会で、細々とではあっても、絵で食べていく道がついていたことがわかる。
また、美術学校に彼の描きたい南画を指導する教授がいなかったことも、理由のひとつかもしれない。
(中略)
奄美に来る前は千葉に住んでいた。 20代に両親と6人兄弟のうち3人をつぎつぎと亡くし、千葉の田舎に家を建てて祖母と姉妹の4人で移り住んだのだった。
そこで20年ほど暮らして50歳のとき、弟の才能を信じきって結婚もせずに応援してきた姉の喜美子をひとりあとに残して、家を売り払って金を手に奄美にやって来たのである。...40代半ばに2度にわたって日展に出している。 美術学校の同期生が出世して審査員になっていたから、いいチャンスだと思ったのかもしれない。 しかし2度とも落選し、人一倍強い彼のプライドはずたずたになった。 50歳を前にして、このままの人生が終わってたまるかと切迫した気持ちになっただろう。
(中略)
《パパイア》
一村は子供のときから花鳥画ばかりを描いてきた。...奄美時代の作品は、植物の繁茂するさまが克明に描かれ、息苦しいほどの密度がある。 と同時に一村自身のエネルギーの質のようでもあり、両者が一体となった緻密さを感じる。
《ソテツ残照》
(中略)
湿度が高いと膠(にかわ)が乾かず変色するので、いつも天気予報を気にしていたという。 日本画を描くには理想の環境とは言いがたかったが、彼は奄美にこだわった。
写生の鬼になったように、エビひとつについてもトゲの数を数えたり、触角の下の色を気にして何度も繰り返し描いた。
「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、画の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。 それは見せるために描いたのではなく私の良心を納得させるためにやったのですから……」
スケッチブックに、知人への手紙の下書きとしてこんな文章が記されていたという。 画壇を見返してやりたいという闘争心はすでに消えている。 純粋に絵に向かっていこうとする気概だけがある。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
133 - 140ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社
デンマンさん。。。どないな訳で奄美大島に渡った孤高の画家などを持ち出してきやはったん?
めれちゃんは田中一村という画家の名前を聞いたことがあるかァ?
ありしませんがなァ。。。それほど有名なお人やのォ~?
いや。。。わても大竹昭子さんの書いた本を読むまで知らへんかったのや。
それやのに、どうして田中一村のことを引用しやはったん?
実は、田中一村の絵を見て素晴らしいと思うたのや。 奄美大島に渡った孤高の画家というイメージも、なかなかええやんか。 それに残した次の言葉がぐっと胸に迫ってくるやん。
それは見せるために描いたのではなく
私の良心を納得させるために
やったのですから……
こないに、なかなか言えんもんやでぇ~
そうですやろか?
そやかて、めれちゃんも次のように言うたやんかァ~。
めれんげは、
それでも詩人
テーマ:文学がテーマっす
混沌とした日々が続いています。
めれんげは、詩のことばっかり考えてます。
いや。考えていることを、
如何にして詩にするかということで
頭がいっぱいなのです。
このブログには詩は書かないけれど、
「即興の詩」
「極私的詩集」には、
ほぼ毎日詩をアップしているのです。
恋愛詩。
ダークな詩。
その両方は、めれんげという車の
別々の車輪みたいなもので、
それらがなければ、わたしの活動はストップ
してしまいます。
世に認められたい気持ちはあるけれど、
自分の詩が、どこまで通用するのか、
さっぱり自信がないんですよね(泣)
ただ書きつづけて、
死ぬまで書き続けて、
わたしの消滅のあとも、
作品だけは残ればいいなあ...
なーんて思っています。
まるで、カフカのように
奇特な友人がいればなあ...
なーんて消極的でへなちょこなわたしです。
by merange (めれんげ)
2009-08-21 19:17:19
「めれんげの原材料」
『めれんげは、それでも詩人』より
『名声とは何か?』に掲載
(2010年6月16日)
あんさんは、こないなことまで覚えてはったん?
そうや。。。めれちゃんにも世に認められたい気持ちがあるねんな?
詩を書いたり小説を書いたり、絵を描いたりしている人には心のどこかに世に認めてもらいたいという気持ちが誰にもあると思うねん。
そやけど、田中一村は、そのようには言うておらへん。
苦労しやはってぇ、挙句の果てに到達した境地なんやと思うわァ。
「即興の詩」
「極私的詩集」には、
ほぼ毎日詩を
アップしているのです。
めれちゃんは、こないに言うてたのに、最近では全く詩をアップしてへんでぇ~。。。しかも「即興の詩」サイトは閉鎖してしもうたやないかいなァ。 いったい、どないしておるねん?
心境の変化ですやん。 あんさんが、わいわい、がやがやとわたしのサイトにしょうもないコメントを書きはったさかいに、わたしのファンの人たちが他のサイトに行ってしまいはったわァ。
それは、めれちゃんの被害妄想と思うでぇ~。。。それで、もう詩を書いてないのんかァ~?
いいえ。。。思いついたときに書いてますねん。 ただし、サイトにアップする気になれへんだけですう。
どないな訳で。。。?
心境の変化ですねん。
そう言えば、めれちゃんは次のような事を書いてたなァ~。
レゾンデートル
見失いそうな
消え入りそうな
自分の存在理由
懸命に鏡を見つめても
そこには何もない
大声で叫んでみても
誰の耳にも届かない
すがりつくものは
あまりに脆弱だ
手を触れることはできないのだから
毎日書き続ける遺書
生きていた証しを記そうと
からっぽの遺書を書き続ける
生まれてきたことに意味などない
死にゆくことにも意味はない
生きていることに意味を見出そうと
もがきあがき疲労する
諦観するにはまだ早いのか
by merange (めれんげ)
October 26, 2009 19:40
『極私的詩集 - レゾンデートル』より
諦観するのは早いのやでぇ~。。。
そうですやろか?。。。そやけど、あんさんがそないに言わはる根拠はなんやのォ~?
めれちゃんの才能を認めている人も居るのやでぇ~。。。
どこに。。。?
めれちゃんの才能に気づいた読者の一人が次のようなコメントを残していったやないかいなァ。
新しい才能を直感
つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。
こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。
孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。
小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、
というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。
ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。
岩下俊三
July 30, 2009 17:00
『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』の
コメント欄より
『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)
それで、あんさんはわたしにどないにしろと言わはるのォ~?
わては、めれちゃんに、ああしろ、こうしろとは言わへんでぇ~。。。ただ、めれちゃんの次の詩を読んで感じるところがあったのや。
(すぐ下のページへ続く)