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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

日本語の難しさ

2023-07-10 03:08:18 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

日本語の難しさ

 


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デンマンさん。。。、バンクーバーで20年以上暮らしているので、最近 日本語を忘れるようになって、日本語の難しさをしみじみと感じているのでござ〜ますかァ〜?


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いや。。。この2年間、コロナの影響で日本にも帰省していないし、日本語の記事は書いているけれど、日本語を話してないのですよ。。。でも、日本語を忘れるようなことはありません。。。。

それなのに,どういうわけで日本語が難しいと思ったのですか?

あのねぇ〜、YouTubeで落語のクリップを探していたら、たまたま次の漫才のクリップを観たのですよ。。。

 


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あらっ。。。これは獅子てんや・瀬戸わんやさんの漫才ですわねぇ〜。。。ずいぶん古いものですわねぇ〜。。。



そうです。。。昭和時代の落語ブーム、漫才ブームの頃のクリップですよ。。。

デンマンさんは、この昭和時代のブームの頃には日本で暮らしていたのでござ〜♬〜ますかァ〜?

そうなのです。。。だから、懐かしく、笑い転げながら、昭和時代の思い出にふけりましたよ。。。

でも、日本語は、それほど難しいと思いますかァ〜?

上の漫才に出てきた「どうも」などは、意味があるようで、無いような、それでいて、けっこう意識せずに使っているのですよ。。。改めて「どういう意味?」と訊かれると、ちょっとまごついてしまいますよ。。。だから、外人が日本語を学ぶのは大変だと思います。。。日本人が英語を学ぶよりも、外人が日本語を学ぶ方が難しいと思いますよ。。。

でも、日本語が堪能な外人は、「日本語は易しい」と言いますわァ〜。。。

だから、そう思える外人だけが日本語を話すことができるのですよ。。。たいていの外人は「日本語は難しい」と思って勉強する気にもならないものですよ。。。

そうでしょうか?

僕の知り合いのカナダ人は、「日本語は難しい」と言いますよ。。。

でも、ジューンさんやシルヴィーさんは日本語がペラペラではありませんかァ〜?

あの二人は特別です。。。シルヴィーさんはインドネシアで生まれたのです。。。父親がオランダ人。。。母親は華僑の中国人。。。つまり、小さい頃から多言語の環境で育った。。。だから、オランダ語、英語、インドネシア語、日本語、広東語、北京語をペラペラに話すことができます。。。

 



『JFK暗殺の証拠』

 



どうして日本語がペラペラなのですか?



シルヴィーさんの大好きな叔父さんが日本人なのですよ。。。

ジューンさんが日本語がペラペラに喋れるのはどういうわけでござ〜♬〜ますかァ〜?

ジューンさんが子供の頃住んでいた家の隣に日本人が住んでいた。。。

 



『ヴィーナスのえくぼ』

 



そこの娘とジューンさんは小学校で同級生だったのですよ。。。そういうわけで、ジューンさんは子供の頃から日本人に好感をもっているのですよ。。。UBC(University of Britosh Columbia)では日本語を勉強したほどです。。。



ところで、「どうも」というのは、どういう意味ですか?

僕は卑弥子さんに訊きたいですよ。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのです。。。日本語に関しては専門家ではありませんか!

紫式部女史は「どうも」なんていうミーちゃん、ハーちゃんが使う言葉を使いませんでしたわァ〜。。。

そうですかァ〜。。。実は、僕も調べてみましたよ。。。ネットで調べたら次のように書いてありました。。。

 



どう‐も の解説

[副詞]

1 あれこれ考えたり試したりしてもなかなか満足できない気持ちを表す。

「何度やっても、どうもうまくいかない」「あの判決には、どうも納得できない」

2 物事の原因や理由がはっきりわからない気持ちを表す。

どうも調子がおかしい」「理数系はどうも苦手だ」

3 根拠や理由がはっきりしないまま漠然と推測する気持ちを表す。

「明日は、どうも雨になりそうだ」「どうも無事らしい」

4 あいさつに用いて、深く感謝したり謝罪したりする気持ちを表す。

どうもありがとう」「どうも失礼しました」




[感嘆詞]

気楽なあいさつや、気楽に謝意を表すときに用いる語。

「やあ、どうも」「どうも。いつもすいませんね」




例文



議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気が・・・




芥川竜之介「兄貴のような心持」


 



性格のいい老人だったよ、どうも。 酔うといつでも大肌ぬぎになって、・・・




有島武郎「親子」


 



レンチは署名をした。どうも思慮を纏めることが出来ない。最早死の沈黙・・・




著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外「罪人」





どうも の関連Q&A

(どうもという使い方について)


 

日本の方は「どうもどうも」って言っていることをよく聞きますが、 「どうもどうもどうも」ってどうもを3つ、4つ連発して言う人いますか。

高校の担任がどうもおかしい

高3の息子の担任の先生のことですが、最近どうもおかしいのではと感じる事が有り質問させていただきます。 その1 いきなり家庭訪問しようとする。 用件を聞いても「学年末試験前なの...

英文和訳をしてみましたが、どうもしっくりしません。ご教示いただければ幸いです




「どうも」の意味(GOO辞書)より


 



ところで、紫式部女史は「どうも」を使わずに、何と言ったのですかァ〜?



「どうも」というのは、上の説明にもありますが「あれこれ考えたり試したりしてもなかなか満足できない気持ち」「物事の原因や理由がはっきりわからない気持ち」「根拠や理由がはっきりしないまま漠然と推測する気持ち」「あいさつに用いて、深く感謝したり謝罪したりする気持ち」というように気持ち、つまり感情表現なのですわ。。。

だから、紫式部女史は、どういうわけで「どうも」を使わなかったのですか?

源氏物語に「どうも」は見当たりませんわ。。。当時は、そういう言葉は使われなかったようでござ〜ます。。。

でも、書き言葉と話し言葉は違うでしょう? 話し言葉の中で紫式部女史は「どうも」を使っていたのではありませんか?

確かに、明治の頃まで文語体と口語体は違っていました。。。でも、あたくしが調べたところでは、どうも、平安時代には「どうも」は会話の中では使われなかったようですわ。。。

つまり、そういう言い方はなかったのですか?

文章中には見当たりません。。。もしかすると、普段の会話の中で使われていたのかも知れませんが、あたくしの調べたところでは、会話の中でも、おそらく使われなかったと思います。。。

なぜですかァ〜?

文章中に出てこないということは、たぶん、「どうも」という言葉がなかった可能性が高いですわ。。。それに、『源氏物語』に出てくる人々は、感情をなるべく抑えていたのでござ〜ますわァ。。。

どうして。。。?

平安時代までは、比較的自由奔放に感情を表していたのですけれど、源氏物語が書かれる頃には、以前よりも文化や政治などが高度に進化してゆくのです。。。それに連れて人間の感情表現もより複雑になってくるですわ。。。古事記から文学の感情表現を追っていくと、古代最長の時代である平安時代は国風文化の爛熟とともに人間の二面性の感情コントロールもかなり高度化してきたのでござ〜ますわァ〜。。。

要するに、平安時代以前と違って感情をコントロールするようになったのですかァ〜?

そういうことでござ〜ます。。。それで、年を取ることによって涙もろくなったり感情的になったりすることを悪し様に言うのが当然というようになったのですわ。。。

つまり、感情をあらわに表すことは馬鹿のやることだと思われるようになったのですか?

そうですわ。。。だから、笑うことも、現代の笑いとはかなり違うものだったのでござ〜ます。。。

どのように違ったのですか?

『源氏物語』のなかでも、笑うという行為が冷笑、嘲笑を表現している場合がほとんどでござ〜ます。。。光源氏が柏木に当てこすった「笑い」なども、この冷笑、嘲笑にちかいのですわ。。。感情を隠すことが、紫式部女史が生きていた頃は人間関係を円滑にする有効な方法だったのでござ〜ます。。。

なるほどォ〜。。。気持ちや、感情表現を表すような言葉、たとえば、「どうも」のような言葉は使われなかったのですねぇ〜。。。

どうでござ〜ますわァ。。。だから、例えば、現在、ネットで見られるコメントを見ていると、神武君や現実君が感情をむき出して、あからさまにデッカイブーツさんや、すでに亡くなっているメグさんに対して、セクハラや、罵詈雑言を書いていますけれど、そういう事をする人物は、平安時代には完全な馬鹿だと思われたのですわ。。。うふふふふふ。。。

じゃあ、紫式部女史は、神武君や現実君のように感情をむき出して悪口や罵詈雑言を吐かなかったのですかァ〜?

手紙や、会話では、感情を抑えて悪口や罵詈雑言などは一切書きませんでした。。。もちろん、口に出して言わなかったのでござ〜ます。。。でも、感情をコントロールしすぎると不満が高まって、なんとかしなければなりません。。。そういうわけで、そういう不満や憎悪などは日記にしたためたのでござ〜ますわァ〜。。。

なるほどォ〜。。。なるほどォ〜。。。日記に、普段言えない悪い感情をぶちまけて、不満のはけ口にしたのですねぇ〜。。。

そうなのでござ〜ます。。。そういうわけで紫式部女史は、ライバルの清少納言女史の悪口を次のように日記に書いているのでござ〜♬〜ますわァ。。。うふふふふふふ。。。

 




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清少納言女史は、実に得意顔で偉そうにしています。あれほど賢がって、漢字を書き散らすのはアホのすることですわ。

よく見れば、まだとても未熟な点がたくさんあります。

このように、他人よりも優(すぐ)れていると思っている人は、かならず見劣りがし、先行きは悪くなっていくに違いありません。

思わせぶりの振る舞いが身についてしまった人は、ひどく無風流でつまらない時でも、しみじみと情趣に浸ったり、また興趣深いことを見過ごすまいとしているうちに、自然とその折に適切ではない軽薄な振る舞いをしてしまうものです。

そのように実意のない態度が身についてしまった人の行く末が、どうして良いことがありましょうか。悪い結末が待っているのですわ。




卑弥子の現代語意訳


 



なるほどォ〜。。。「どうも」を使って、感情をコントロールしながら清少納言女史に嫌味を言えなかったので、日記に不満と憎悪をぶちまけたのですねぇ〜。。。



そうなのですわァ〜。。。紫式部女史の同時代の人々は、特に宮廷人は、神武君や現実君が感情をむき出して、あからさまにネットで公然とデッカイブーツさんや、すでに亡くなっているメグさんに対して、セクハラや、罵詈雑言を書いていますけれど、そういう事をする人物は、平安時代には完全な馬鹿だと思われたのでござ〜ます。。。うふふふふふ。。。

よく分かりました。。。勉強になりました。。。神武君や現実君が、この記事を読めば 少しは反省すると思います。。。

 









『神武現実君』



 


(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

神武君や、現実君が、この記事を読めば、少しは反省すると思いますかァ〜?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。

 


(shitagi23-06-30.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で あたくしに御命令するのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 





 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ〜。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』




『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)

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美しい日本語

2023-07-08 01:54:52 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

美しい日本語

 



 
(kuge03.jpg+maiko19.png)




ケイトーは日本語が美しいと思っているの?


(kato3.gif)

いや。。。 特に日本語が美しいとは思いませんよ。

でも、タイトルにそう書いてあるじゃない?

僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。

じゃあ、誰がそう思ったのよ?

実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。

 


(lib30305b.gif)

 



つまり、赤枠で囲んである本を読んだのね?



そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。

それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?

そうです。。。 いけませんか?

別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?

やっぱり、シルヴィーもそう思う?

だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。

だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。

。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?

じゃあ、次の小文を読んでみてください。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社


 



著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?



そうらしいのですよ。

私は特に美しいとは思わないけれど。。。

僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。

どういうところが。。。?

「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 

 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。

 


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。

 


(sunf07.jpg)

I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER




 



Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。

 



 



あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?

 


(2004f.gif)

 



どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

 

Madame Butterfly



Miss Saigon



 



でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。

 



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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。

そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。

だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということですよ。




初出: 2013年3月16日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
ピエール・ロティの小説『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が、チェーホフにサハリンへの長旅に駆り立てる“公表できない動機”を与えたのでしょうか?
そのよなことは聞いたことがありませんわ。
でも、可能性としてはありそうですよねぇ。

プッチーニも日本へ行ったことはありません。
それにもかかわらずオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』を作ってしまったのですから。。。
その内、チェーホフに関しても動かぬ証拠が出てくるかもしれませんわ。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


(sylvie500.jpg)



『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』

『期待される人間像(2012年12月13日)』

『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


(2ndbeach.jpg)




(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
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落ちる人が死んでから

2023-07-02 02:44:39 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

落ちる人が死んでから

乗ってけーさい


 


(fukiage7.jpg)


たまには温泉につかってさっぱりして、身も心も癒されたいと思うでしょう。
上の写真は滝つぼで泳いでいる訳ではないのですよ。

これ、温泉なんです。
自然のお湯が流れているのですよ。
驚きでしょう?
ちょっと温(ぬる)めですけれどね。。。

でも、立派な露天風呂です。
宮城県鬼首(おにこうべ)温泉郷、吹上温泉の旅館峯雲閣にある湯滝です。
男女混浴の露天風呂なんですよ。

仙台からそう遠くありません。
宮城県大崎市にあります。
鳴子温泉郷とも呼ばれます。
陸羽東線鳴子温泉駅よりバスで約30分で着きます。

この温泉については次の記事で書きました。

■ 『七夕の起こりって?  2007-07-07』

興味があったら読んでみてください。

でも、仙台と聞いてすぐに思い浮かぶのは松島でしょうね。

“松島や ああ松島や 松島や”


(matsu2.jpg)

松島湾内外にある大小260余りの小さな島が奇妙な形を見せてあなたの目を楽しませてくれるのですよ。
日本三景の1つだから、あなただって名前だけは聞いたことがあるでしょう?
芭蕉もこの地を訪れたのですよ。

あまりにも素晴しい景色を前にして芭蕉は俳句が浮かんでこない。
それで、思い余ってその感激を上の句として書いたということを僕は中学校の国語の時間に聞いた覚えがあるのですよ。


(matsu-map2.gif)


(niou3.jpg)

     仁王島

でもね、上の俳句は芭蕉が作ったのではないらしいのですよ。
実は、僕もこの記事を書く前まで知らなかったのですよ。
でも、念のために調べたら次のように書いてあるじゃないですか!



(basho3.jpg)

松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、
「松島やああ松島や松島や」と詠んだという逸話があるが、
この川柳は後世の狂歌師田原坊の作で、芭蕉の作ではないとされる。

ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしく、
『奥の細道』には、同行した弟子の河合曾良の次の句が掲載されている。

「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」

また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。

アインシュタインが訪れた際に同行者に次のように言ったと伝えられている。

「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


僕も松島へ行きました。
初めて行ったのはもう20年以上も前ですよ。
JRではなく国鉄時代の仙石線で仙台から松島海岸駅まで行ったのですよ。

僕が驚いたのは車掌さんが車内のマイク放送で松島案内をするのですよ。
テープじゃなくて生の声です。
その案内が終わると、なんと『松島音頭』を歌ったのですよ。
バスガイドじゃあるまいし。。。

でも、僕には楽しい驚きでした。

“ところ変われば品変わる”

バスガイドでも観光ガイドでもないのに国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って『松島音頭』を歌う。
50才ぐらいの男の声でした。
決して歌がうまい訳ではない。
でも歌い慣れているのを感じました。
しかし、NHKの喉自慢に出ても合格の鐘はならなかったでしょうね。
ただし、そのサービス精神の旺盛な事には驚かされました。

僕も旅行が好きですから、日本のあちらこちらを旅行しましたが、
国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って歌うのを聞いたのは、それが初めてで最後でしたね。

ところで、『松島音頭』の歌詞を調べたら、なんと北原白秋が書いたのですよ。
作曲が山田耕筰です。
知りませんでしたね。


松島音頭 北原白秋


(5daidou.jpg)

松は松しま、
磯馴の松の
松のねかたに、桔梗が咲いた。
  見たよ、見ました、
      一もと桔梗。
  や、ほうれ、ほうい
   舟ばたたゝいて
  や、ほうれ、ほうい。

『d-score 楽譜 - 松島音頭』より


松島と仙台は僕にとって日本での第2のふるさとです。
だから思い出の多いところです。
でも、最も強烈に思い出されるのはタイトルに書いた言葉ですよ。

松島を初めて訪れたのはちょうど夏の観光シーズンだったのです。
混んでいたのですね。
松島海岸駅に着いたら駅員さんが叫んでいたのですよ。

“落ちる人が死(スィ)んでから

乗ってけーさい”


驚きましたよ。
一体、何事が起こったのか?
どうして、物騒な事を言うのだろうか!?

僕にはそのように聞こえたのですよ。うしししし。。。

でもね、これは仙台弁(宮城弁)なんですよねぇ~。

僕は仙台市富沢金山という地区に住んでいました。
政令都市100万の仙台市ができる前の住所です。
僕が住んでいた近所の人も仙台弁丸出しで話していましたよ。

でも、松島海岸駅の駅員さんは、かなり東北弁の訛(なまり)が強い人でした。

“降りる人が済んでから乗ってください”

標準語でならば、このように言うつもりだったのですよ。


(foolw.gif)

あなたもぜひ一度日本三景の一つ、松島を訪ねてくださいね。

楽しい思い出がたくさんできるかもしれませんよ。

では、あなたのためにトラベルガイドを用意しました。

次のリンクをクリックして覗いてくださいね。

■ 『あなたが癒しの旅を楽しめるように。。。』

じゃあ、あなたも日本のすばらしいさを

満喫してくださいね。

Have a nice trip!




初出: 2007年8月29日



(aodori.jpg)

あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

■ 『今、すぐに役立つ情報をゲットしよう!』


(creditx.gif)

■ 『あなたのための クレジット カード ガイド』


(atmvend.jpg)

■ 『あなたのための ローン ガイド』


(house03.gif)

■ 『住宅ローン・ビジネスローン ガイド』


(linger57.jpg)

『センスあるランジェリー』


(breakup0.gif)

■ 『結婚を真剣に考えているあなたのための結婚ガイド』


(kuji005.gif)

■ 『無料で当てる・もらえる懸賞生活』


(himiko5.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


(cabanel5.jpg)

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』


 

たらぁ~♪~

平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(june92.gif)

おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますよ。

もう、イヤ~~、なんて

言わないでよね。

いつも同じ姿では

あなたも退屈するかと思って

変身しましたわぁ~。

どうでございますか?

結構、あたくしって、ボインでしょう?

おほほほほ。。。。

十二単(じゅうにひとえ)って

やっぱりダサいわよねぇ~?

十二単じゃ国際化に

なりませんものね?

日本にも、たくさん

すばらしい所がありますよね。

あなたも、日本の良さを

見失わないようにね。

そういうわけですから

次のサイトもよろしくね。

■ 『あなたのための面白い新しい古代日本史』

あたくしがマスコットギャルをやってるので

ござ~♪~ますのよ。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあ、バーィ!



(kuge01.jpg)


(byebye.gif)

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スルーパスと芦雪

2023-05-20 02:33:21 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

スルーパスと芦雪

 


(nakata02.jpg)


(rosetsu81.jpg)


(salon22.jpg)





デンマンさん。。。 今日はなんだか場違いな所に出てきてしまいましたわ。



。。。ん? 場違い。。。? どうしてですか?

だってぇ~。。。 サッカーと掛軸のお話でしょう?

いや。。。 サッカーと掛軸の話ではないのですよ。

でも、上の写真はサッカーと掛軸ですわ。

確かに、写真を見るとサッカーと掛軸なのだけれど、実は、話のきっかけにサッカーと日本画家の長沢芦雪(ろせつ)が出てくるのですよ。

それで、サッカーと掛軸の写真を出したのですか?

そういうことです。。。

。。。で、そのきっかけのお話というのはどういうことなのですか?

あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で本を借りて読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。

 


中田のスルーパスと芦雪

 


(nakata02.jpg)



 

かつて中田英寿が現役だった頃、伝説的なパスがあった。
と、言っても、実は、私自身そのプレーを見たわけでなく、サッカー好きの友人が何度も熱弁をふるって、あたかもそこでその試合が行われているかの如くしゃべるのを聞いているうちに、私の内でもテレビで見たかのように如実な記憶として育ってしまったのである。

ご存じの通り、パスとは通常、サッカーやバスケットボールなどの球技で「送球」、つまり持っていたボールを味方に渡すことであるが、パスの中にもいろいろ種類がある。
もらったボールをくれた人に戻すリターンパスや自分のところに来たパスボールをそのまま即時に誰かにパスするダイレクトパスなどがある。

他にもサッカーに特有なものとして、スルーパスというものがある。
スルーとは“through”つまり、「~を通り抜けて」という意味である。

相手ディフェンダーの間にボールを蹴り込み、通り抜けさせて、その背後に走り込む味方に合わせるパスのことである。
成功すると一気に形勢が変わり、得点できるチャンスが生まれる。

ある試合、走っている中田に味方から速めのパスが来た瞬間のことである。
縦目の速いパスだったので、たまたま中田は、そのボールに触れずにしばらく全力で併走し、敵陣をめざす結果となった。

 (中略)

その直後のことである。
観客は思いも寄らぬ行為を見ることになるのである。
一体中田はどんなプレーをしたのか。

中田は、なんと何もしなかったのである。

それまで、ドリブルも行わず、その速いボールに付き添うように全力で併走していた中田は、スルーパスを出したい選手に正確に出すには、今のボールが持っている角度とスピードが最適であると判断した。
そして、そのままそのボールから離れたのだ。
すると、果たせるかな、ボールはなんと、受けてほしい味方の選手の前方、最良のポイントに躍り出たのである。

中田の伝説的なパスは、中田が少しも触れていないパスなのである。
何もしなかったが故に最高のパスになったのだ。 

(略) こんなことを思いおこしながら、画家の福田美蘭(みらん)さんが日本経済新聞に寄せた永沢芦雪(ろせつ)の解説記事を読んでいた。
(略) その記事は平成18年の7月のものである。 
気になって切り抜きにしてあったものの いつの間にか紛失し、忘れてしまっていた。
それが、机の上を片付けた拍子に (略) 発掘されたのだ。
その切り抜きには、最初に読んだときにも感じたのか、青いボールぺンで「中田のスルーパスのような……」と私の筆跡で走り書きのメモが端に書かれていた。 

芦雪は近年、人気のとみに高い若冲(じゃくちゅう)と同じく江戸時代後期に京都で活躍した日本画家だが、その解説は「白象黒牛図屏風」について書かれ、その屏風絵も載っていた。


(rosetsu1.jpg)


(rosetsu2.jpg)

 (中略)

私は、この屏風を見ているうちに、中田のスルーパスをなぜか思っていた。

(略) この屏風を構成する一枚(白象図・左から四曲目)を目の当りにすると、新聞記事の写真であっても、そんな軽いめまいのような状態が生まれる。


(rosetsu1b.jpg)

その一瞬のクラッという思いが、中田の触れたのか、
触れなかったのか、という思いを呼び起こしたのだった。

もちろん芦雪の屏風の一曲は絵筆で色を塗ってあり、
何もしていないというわけではないが、
(略) その一枚だけ眺めると意味を決定することができなかったのである。

 (中略)

我々は物事の意味を決定するとき、無意識ではあるが、必ずある思考的枠組みを重層的に用意する。
そして範囲を狭め意味を明確にしていく。

 (中略)

しかし、この枠組みが固定化したり、その繫がり方もパターン化してくると、新しい気持ちが起こらなくなってしまう。
まるで錆とか埃がこびりついた動きの悪い機械のように、毎日行う思考に自由さが失われてしまうのである。

多くの人にスポーツや芸術が愛好されるのは、枠組みの固定化や繋がり方のパターン化を壊し、新しいそれらを見せてくれるからであろう。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




59-65ページ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社


 



上の文章を読んでデンマンさんは感銘を受けたのですか?



いや。。。 感銘と言えば感銘と言えるかもしれないけれど、僕は上の文章を読んでオツムに閃(ひらめ)いたモノがあったのですよ。

また、どう言う訳でひらめいたのですか?

中田は、なんと何もしなかったのである」と書いてある。 確かに、その時 何もしなかったから、ボールは、受けてほしい味方の選手の前方、最良のポイントに躍り出たのですよ。 つまり、何もしないことが時には最良の判断になることもある。

そのことがデンマンさんのオツムに衝撃を与えたのですか?

いや。。。 その事よりも、「この屏風を構成する一枚(白象図・左から四曲目)を目の当りにすると、新聞記事の写真であっても、そんな軽いめまいのような状態が生まれる」と書いてある。

 


(rosetsu1b.jpg)

 



つまり、上の写真の赤枠で囲んだ部分は屏風の 6つの面の一つなのですよ。。。 その赤枠の部分だけを見ると“空白”のように見える。。。 つまり、画家が何も描いてないように見える。。。 要するに、中田選手のように何もしてないように見える。



その“空白”の部分を見て 佐藤雅彦さんは「軽いめまいのような状態が生まれる」と書いてますけれど、 デンマンさんも その“空白”の部分を見てオツムに閃いた物があったのですか?

そうなのですよ。

。。。で、いったい何が閃いたのですか?

あのねぇ~、柿本人麻呂が詠んだ次の和歌を見てください。


東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 


(kaki003.jpg->kaki005.png)

 


東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている



 



何度読んでみても、とりわけ心が揺さぶられるような素晴らしい歌ではないのですよ。



それはデンマンさんの個人的な意見ですわ。

あのねぇ~、小百合さんも、もう一度マジで読んでみてくださいよ。 いったい、どこに『万葉集』に載せるほどの魅力があると言うのですか?

だから。。。いいと思った人が昔に居たのですわ。

でもねぇ、その良さを『万葉集』日本古典文学大系を書いた人は全く理解してないのですよ。 だから、上のように月並みな説明をしているだけ。。。 しかも「東方の野に 曙の光が見えて 西を振りかえると 月が傾いて淡い光をたたえている」というような、正に月並みなことしか書いてない。 バカバカしい! こんなバカバカしいことしか書けないから、日本のミーちゃんハーちゃんは万葉集など読まないのですよ。

デンマンさんは、なんだか上の和歌の本当の素晴らしい意味が分かっているようなことを言ってますわね?

そうですよ。。。僕は上の和歌の真意を理解しているのです。

マジで。。。?

このような時に冗談やウソが言えますか!?

分かりましたわ。 それで、その真意って一体どのようなものなのですか?

あのねぇ~、それを説明するには、ちょとばかり歴史を知らないと理解できないのですよ。 小百合さんのためにここに書き出しますから読んでみてね。

 


高市皇子(たけちのみこ)

 

生年:654年(白雉5年)?
没年:696年8月13日(持統天皇10年7月10日)

 

日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。
後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。

672年の壬申の乱勃発時、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父に合流した。
若年であったが美濃国の不破で軍事の全権を委ねられ、乱に勝利した。

679年に天武天皇の下で吉野の盟約に加わり、兄弟の協力を誓った。
この後には他の皇子とともにしばしば弔問に遣わされた。
686年に持統天皇が即位すると、太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。

壬申の乱

大海人皇子は高市皇子に、「近江朝では、左右大臣と智謀の群臣が一緒に議を定めている。今朕はともに事を計る者がない。幼少の子供がいるだけだ。どうしたものか」と言った。
高市皇子は腕まくりをして剣を握りしめ、「近江の群臣は多いといえども、どうして天皇の霊に逆らえますか。天皇独りであっても、ここに臣高市、神祇の霊を頼り、天皇の命を請け、諸将を率いて征討します。これをどうやって防げましょうか。」と答えた。
大海人皇子は誉めて高市の手をとり背を撫でて、「慎め、怠るな」といった。
そこで鞍馬を与え、軍事をすべて委ねた。

各地から来た大海人皇子の軍勢は、和蹔に集結して高市皇子に掌握されたと考えられる。

7月23日に大友皇子(弘文天皇)が自殺したことで、壬申の乱は終わった。
8月25日に、大海人皇子は高市皇子に命じて、近江の群臣を処罰させた。

天武天皇の時代

乱の終結した直後、高市皇子を除く他の皇子たちはまだ幼く(最年長の忍壁皇子でも10歳前後)、天武天皇の皇親政治のもと、高市皇子が重要なポストを占めていたことは間違いないだろう。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)11月4日の条には既に、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う」とある。この時点で皇族・臣下の序列としては既に最高位だったのかもしれない。

天武天皇8年(679年)5月6日に、天皇、皇后(持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、川島皇子、忍壁皇子、志貴皇子は、吉野宮で互いに助け合うことを約束した(吉野の盟約)。
10日に六皇子が大殿の前で天皇を拝した。
天武天皇が自らの死後に壬申の乱のような皇位継承争いが起こることを恐れたためとされる。

この頃から高市皇子は天武天皇の皇子の中で3番目とされるようになった。

皇女を母にもつ草壁皇子、大津皇子に次ぐ。
母親の身分による序列では10人中8番目。

太政大臣

天武天皇が亡くなった直後、皇太子につぐ皇位継承資格を持つと見られていた大津皇子が謀反の罪で死刑になった。
続いて皇太子の草壁皇子が持統天皇3年(689年)4月13日に薨去した。
そのためそれまで天武天皇の皇后として政務を執っていた鸕野讚良皇女が翌年(690年)1月1日に即位した。持統天皇である。
この年の7月5日に全面的な人事異動があり、高市皇子は太政大臣に任命された。このときから薨去まで、高市皇子は皇族・臣下の筆頭として重きをなし、持統政権を支えた。

持統天皇4年(690年)10月29日、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。

持統天皇5年(691年)1月13日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて3000戸になった。持統天皇5年(691年)1月4日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて5000戸になった。

持統天皇7年(693年)1月2日に浄広壱の位に進んだ。

持統天皇10年(696年)7月10日薨去。『延喜式』諸陵によれば墓は「三立岡墓」で、大和国広瀬郡にあり、東西6町南北4町で守戸はなし。だが、高松塚古墳の被葬者を高市皇子とする説もある。

挽歌

万葉集巻第2の199~202番に柿本人麻呂作の高市皇子への、万葉集中最長の壮大な挽歌が収められている。


(kaki004.jpg->kaki199.jpg)

ここに「高市皇子尊」「後皇子尊」と尊称されている。
この尊称から高市皇子が立太子されていたのではないかとの説がある。
また柿本人麻呂がこれほど壮大な挽歌を寄せていることから、この2人は親交があったのではないかと言われている。

高市天皇説

上記の挽歌、高市皇子の長男・長屋王の邸宅跡から発見された「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡、政治情勢、壬申の乱における功績、母の実家の勢力、莫大な資産などから彼が天皇であったという説もあるが、はっきりとはしていない。(参考:九州王朝説)

高市皇子の歌

•万葉集巻第2 156~158番(高市皇子作の十市皇女への挽歌)
自作の歌はこの3首のみ

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、上の和歌の本当の意味と高市皇子が関係しているのですか?



もちろんです。 だから高市皇子の略歴を持ち出したのです。

もしかしてデンマンさんは高市皇子が天皇になっていたと考えているのではありませんか?

確かに、そのような説があるのですよ。 上の略歴を読んでも天武天皇の子供の中では「壬申の乱」で高市皇子が一番活躍したのです。 だから、天皇になっていたとしても不思議じゃなかった。

天武天皇の長男だったのに、どうして天皇になれなかったのですか?

高市皇子のお母さんが天皇の娘ではなかったからですよ。 母親の身分による序列では10人中8番目だった。 でも、実力はナンバーワンだった。

それで柿本人麻呂が高市皇子を尊敬していたのですか?

そうですよ。 だからこそ、万葉集の中で最長の挽歌を高市皇子のために柿本人麻呂が詠んだのです。 つまりねぇ、高市皇子を天皇にしたいと思っていた人がかなり居たということですよ。

実力主義でなかったので高市皇子が天皇になれなかったのですわね?

いや。。。そう言う訳でもない。 実際、天武天皇が天皇になたのは「壬申の乱」というクーデターによって天智天皇の長男である大友皇子を破って天皇になったのですよ。 要するに実力によって天皇になったということですよ。 だから、高市皇子が天皇になっても不思議じゃなかったのです。

でも、そうならなかったのはなぜですか?

天武天皇の第一夫人の力が強かったのですよ。 クリントン夫人のようなものです。

 


(hillary07.jpg)

 



クリントン夫人って、それほど実力があったのですか?



クリントンが大統領になたのもクリントン夫人がついていたからですよ。 夫人が居なかったらまず大統領にはなれなかったでしょう!?

。。。で天武天皇の第一夫人って誰ですか?

天武天皇のすぐ後で持統天皇になった鸕野讚良皇女ですよ。

つまり、クリントン夫人のような、でしゃばっている夫人が居たために高市皇子は天皇になれなかったのですか?

その通りですよ。 持統天皇は自分の子供に天皇になって欲しかった。 だから、自分の子供が天皇になる間だけ自分が天皇になって時間稼ぎをしたというわけですよ。

つまり、その間に柿本人麻呂を含めたグループが高市皇子を天皇にしようという動きがあったのですか?

その通りです。

でも、失敗してしまったのですか?

その通りですよ。

どうしてデンマンさんは、そうだと思うのですか?

あのねぇ、そういう動きに参加していたために柿本人麻呂は持統天皇に睨(にら)まれて左遷され、一生を棒に振ってしまったのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 柿本人麻呂の略歴を読んでみてください。

 


柿本人麻呂


(kaki003.jpg)

660年頃 - 720年頃


 

柿本人麻呂は、飛鳥時代の歌人。
名は「人麿」とも表記される。
後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。
また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。

出自・系譜

近時は宮廷歌人であったと目されることが多いが、宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局は不明というほかない。
ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
後世の俗書では、持統天皇の愛人であったとみるような曲解も現れてくるが、これはもとより創作の世界の話である。

『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多いが、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解や、後人の仮託であるとの見解も有力である。
また、文武天皇4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁皇子の薨去後も都にとどまっていたことは間違いない。藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には死去したものと思われる。

代表歌

•天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ

東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

•ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみぢば)の 過ぎにし君が 形見とぞ来し

•近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

また、愛国百人一首には「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」という天皇を称えた歌が採られている。

官位について

各種史書上に人麻呂に関する記載がなく、その生涯については謎とされていた。
古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。

人麻呂にまつわる異説・俗説

その通説に梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。
また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。
しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上の略歴に手がかりがあるのですか?



そうですよ。 人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれと書いてあるでしょう? 僕は人麻呂が刑死したとは思わないけれど、間違いなく政争に巻き込まれ、持統天皇ににらまれて左遷されたと思っているのですよ。

その根拠は。。。?

あのねぇ、『万葉集』を編纂したのは大伴家持なのです。 大伴家持も柿本人麻呂も日本では「歌人」として知られているけれど、当時の文人は中国の伝統に則(のっと)って、現在の感覚で言えば政治家としての活動もしていた。 その政治家としての活動の部分が日本史では取り上げられてない。 脱落している。 特に柿本人麻呂の略歴からは政治的活動はすっぽりと脱落している。

大伴家持の場合には政治的活動も略歴の中に書かれているのですか?

書かれてますよ。 だから、そのことで僕は『万葉集』は単なる歌集ではなくて、政治的批判の書であると次の記事の中で書いたことがある。

 


(temple53.jpg)

『万葉集の謎と山上憶良』

 (2006年7月1日)


 


(sayuri55.gif)

つまり、柿本人麻呂が高市皇子を天皇にするための政治的活動をして、それが持統天皇の知るところになって、人麻呂は左遷されて一生を棒に振ったとデンマンさんは信じているのですか?


(kato3.gif)

そうです。

持統天皇はそのような事をする人なのですか?

する人なのです。 子供の頃に不幸な事件が度重(たびかさ)なってぇ心にトラウマを受け、権力に人一倍こだわるようになってしまった不幸な女性なのですよ。 その事で僕は次の記事を書いたのです。 ぜひ読んでみてください。

 


(bond010.gif)

『愛と怨霊』

 (2007年6月9日)


『いにしえの愛とコミュニケーション』

 (2007年1月8日)


 



。。。で、柿本人麻呂の詠んだ「かぎろい」の和歌は、実は、政治批判の歌だとデンマンさんは主張するのですか?



その通りですよ。

 


(kaki104.jpg->shoko07.jpg")

 

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 



上のつまらない和歌が『万葉集』の中に柿本人麻呂の代表的な歌として載せられている。 なぜだと思いますか?



どうしてですか?

万葉集を編纂した大伴家持が歴史の真相を後世の我々に知って欲しかったからですよ。

その歴史の真相ってぇ何ですのォ~?

だから、高市皇子を天皇にするための政治的活動があったということですよ。

でも、そのような事を歴史の時間に先生は言いませんでしたわ。

多分、そのような事を言った人はあまり居ないでしょうね?

でも、デンマンさんはマジで柿本人麻呂が高市皇子を天皇にする政争に巻き込まれたと信じているのですか?

マジで信じています。

。。。で、上の和歌の真意はどのようなことになるのですか?

次のようになるのですよ。

 


東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 


(kaki003.jpg->kaki005.png)

 


ああ、何ということだ
持統天皇の野心と陰謀は
ついに、ここまで剥(む)き出しにされ
大津皇子は自殺に追いやられてしまった。

この分では高市皇子が皇位につくこともあるまい。
命を永らえることさえ危(あや)ういのだ。

高市皇子の運命は、今、まさに沈もうとする
月のようではないか…。



 



でも、柿本人麻呂の和歌に上のような歴史的事実が込められているという根拠があるのですか?



ありますよ。 あのねぇ~、柿本人麻呂の和歌を選んだのは万葉集・編集長の大伴家持なのですよ。 この人は万葉集の最後に自分の歌を載せている。

 



(yakamo3.jpg)

 

新しき 年の初めの 初春の

今日降る雪の

いやしけ吉事(よごと)


 



新しい年の始めの初春の

今日降る雪のように、

これからの世には

よい事がいっぱいありますように…。



 



これは天平宝字3(759)年の元旦に詠んだ歌なのですよ。 でもねぇ、大伴家持の願いとは裏腹に、このあと家持には良い事は起こらなかった。 むしろ悪い事が待っていた。



どのような。。。?

あのねぇ~、この歌を詠んでから26年後の延暦4(785)年8月28日に、大伴家持は奥州の多賀城で68歳の生涯を閉じたのです。 ところが、藤原氏は家持が死んだ後も、そっとしておいてはくれなかった。

大伴家持が亡くなってからって。。。死んでからでは何もできないでしょうに。。。

でも藤原政権はしつこいのですよ。。。翌年、京都で藤原種継(たねつぐ)暗殺事件が起きた。

その事件と大伴家持が関係あるのですか?

大いに関係がある。 権力を握る藤原氏によって大伴家持は、その事件の首謀者の一人に仕立てられてしまったのですよ。 しかも、大伴家持の遺骨は掘り返されて隠岐(おき)の島に流刑にされてしまった。

わざわざ遺骨を掘り起こして隠岐(おき)の島まで持っていったのですか?

そうなのですよ。 現在から見れば常識では考えられないような事をした。 つまり、それほど大伴家持は睨まれていた。

なぜ。。。?

だから、大伴一族は藤原氏に抵抗する集団と考えられていた。

どうして。。。?

なぜなら、大伴家持のお父さんの大伴旅人(たびと)は長屋王に協力していた。 当然のことだけれど、長屋王の父親・高市皇子や、その協力者・支援者だった柿本人麻呂の事なども大伴家持は、お父さんの旅人から聞かされていた。

つまり、大伴家持は柿本人麻呂が高市皇子を天皇にしようという政治活動に参加していたこと、それがもとで持統天皇に睨まれて左遷されてしまった事などをお父さんの旅人から聞かされていたとデンマンさんは主張するのですか?

その通りですよ。 だからこそ、一見つまらなそうに見える柿本人麻呂の和歌を大伴家持は『万葉集』に取り上げたのですよ。

要するに、何百年後に生きているデンマンさんのような歴史馬鹿に、歴史の真実を知ってもらおうとして『万葉集』の中に柿本人麻呂の「かぎろい」の和歌を取り上げたのですか?

そうです。。。でも「歴史馬鹿」だけ余計ですよ。(苦笑) とにかく、歴史の事実をはっきりとは書けなかった。 つまり、柿本人麻呂が芦雪のような日本画家だったとしたら、当時、巨象の姿、つまり持統天皇の悪事をすべて描くことができなかったのですよ。

 


(rosetsu1.jpg)

 



どうしてですか?



持統天皇に睨まれたら首が飛んでしまう。。。 じっさい、彼は左遷されてしまった。 だから、次のようにしか描けなかった。

 


(rosetsu1c.jpg)

 



上の赤枠の部分が柿本人麻呂が詠んだ「かぎろい」の和歌ですよ。 当たり障りのない和歌しか詠めなかった。。。 だから、背景を何も知らずに読むとつまらない和歌なのですよ。。。 でも、大伴家持は背景を充分に知っていた。。。 だから、“空白”の和歌にも“巨象”を見ていた。 それで、一見つまらない人麻呂の歌を『万葉集』に載せたのです。



つまり、大伴家持は上の赤枠で囲んだ空白しかない和歌を『万葉集』に載せて、現代の私たちが“巨象の姿”を見て欲しいと思ったわけですか?

その通りですよ。。。 「かぎろい」和歌を読む我々が 歌の中に込められた歴史の真実を理解して欲しいと願いながら 大伴家持は『万葉集』に載せたのです。 “行間を読む”という格言があるけれど、この場合、“余白”を読む必要があるのです。

つまり、その事が芦雪の屏風の“空白”を見て デンマンさんのオツムに閃いたのですか?

そういうことですよ。。。




初出: 2015年9月17日



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
確かに、デンマンさんの お話を伺っていると、そうなのかなァ~、とも思いますよね。

でも、あたくしは、柿本のおじさまが単純に「かぎろい」の美しさに魅せられて詠んだと思うのですわ。

いづれにしても、そのような事よりも、今のあたくしは お腹がすいたので 具のたくさん入った“あんかけ焼きそば”を作ろうとしているのでござ~♪~ますわァ。

あなたのために、作り方を教えますわねぇ。


(joe306.jpg)



どうですか? 美味しそうでしょう?

でも、あたくしは これだけでは満足できませんのよう。
デザートに“たいやき”をいただくのでざ~♪~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

最近では、餡に替わってクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を詰めたものもでてきましたわ。

サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」もあらわれました。


(taiyaki5.jpg)

あなたも 好きなものを“たいやき”に詰めてみませんか?

そういう面白い“たいやき選手権”があったのですわよう。
うふふふふふ。。。

では、あなたのためにビデオクリップを貼り付けますので ご覧になってくださいまし。

 



 

お腹がすいてきて、“たいやき”が食べたくなってきたでしょう?
でも、この記事を最後まで読んでから台所に走ってくださいね。

では、小百合さんのお話に戻りますけれど、
どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

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■ 『思い出の天の川』

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(godiva05.jpg)

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(curryind.jpg)


(byebye.gif)
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ダンスとノーベル賞

2023-05-17 02:29:53 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

ダンスとノーベル賞

 


(nobelbanq1.jpg)


(nprize2.jpg)


(nobelbanquet.jpg)


(nobelbanq3.jpg)


(dance011.jpg)







あらっ。。。 デンマンさん。。。 2015年のノーベル賞授与式の後の晩餐会で 私とデンマンさんがダンスしているのですか?


(kato3.gif)

いけませんか?

私は12月10日に スウェーデンにあるストックホルムのコンサートホールに出向いたことはないのですけれど。。。

真由美ちゃん。。。 堅苦しいことは抜きですよ。。。 真由美ちゃんと僕で仲良くダンスしているではありませんかァ~!

また、デンマンさんのお得意のコラージュで、上の写真をでっち上げたのですわねぇ~。。。?

うへへへへへへ。。。 やっぱり、バレてしまいますねぇ~。。。

当然ですわ。。。 私は、まだスウェーデンに行ったことがないのですもの。。。

スウェーデンのストックホルムはきれいな街ですよ。。。 真由美ちゃんも休みが取れたらぜひ訪ねてみたらいいよ。。。

 


(stockholm.jpg)



 



デンマンさんはストックホルムへ行ったことがあるのですか?



仕事でジューンさんと一緒に出かけたことがありますよ。。。 僕はジューンさんのカバン持ちでしたけれど。。。 (微笑)

 


(stockhol3.jpg)

 



。。。で、ノーベル賞の授与式に参列したのですか?



いや。。。 ノーベル賞とは全く関係ありません。

それなのに、どうして今日、ノーベル賞を取り上げるのですか?

あのねぇ~、3月28日に軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと“愛の偶然と必然”について語り合ったのですよ。

 


(ilove3.jpg)


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偶然と必然のあいだ


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19世紀の科学者達の多くは、精密科学の領域で得られた豊富な、そして確実な成果によって裏づけられた力学的な世界観の上に立って、あらゆる細部にわたる決定論を避け難いものと結論した。
彼等にとっては「偶然」とは結局人間の無知に基づくものであった。

ある日の午後、私が道を歩いている時に、偶然旧友に出遭ったとする。
私がこれを偶然と感じるのは、彼等の考えによれば、私が旧友の最近の動静を知らなかったからである。
もしも超人的な能力を持った、いわゆるラプラスの魔物がいて、私と旧友の行動に目をつけていたとするならば、その日の朝から二人の出会いを予知し得たであろう。

それどころではない。
この魔物がこの世界の状態をもっと広く、もっと詳細に調べていたならば、何千年、何万年も前に二人の出会いを推定し得たであろう。

私どもの視野が狭く、知識が足りないために、思いがけない事件が起こるように感じるのである。
この意味において偶然はすべて主観的なものであるといわれる。

【昭和22(1947)年8月号】

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




65-66ページ
『「文藝春秋」で読む戦後70年』
【第1巻】終戦から高度成長期まで
編集人: 石橋俊澄
平成27(2015)年7月21日 発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 




あのねぇ~、これは日本で初めてノーベル賞をもらった湯川秀樹博士が書いたエッセイの一部なのですよ。 昭和24年11月3日の文化の日、コロンビア大学客員教授だった湯川秀樹博士が、日本人として初めてのノーベル賞を受賞した。。。 このエッセイはその2年前、プリンストン高等学術研究所に招かれて渡米するに際し、『文藝春秋』昭和22年8月号に掲載された科学エッセイなのですよ。。。



上の写真は湯川博士と娘さんがダンスをしている写真ですか?

違いますよ。 奥さんのスミさんと授賞式後のパーティーでダンスを踊っているときの写真です。

それで、上のエッセイのどこにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

もっと詳細に調べていたならば、何千年、何万年も前に二人の出会いを推定し得たであろう”と書かれているところですよ。

この部分に それ程の感銘を受けたのですか?

そうですよ。。。 実は、僕も小百合さんとの出会いをかなり以前に推定していたのです。。。 小百合さんと僕はカナダで偶然に出会ったわけではないのですよ。

信じられませんわ。




『愛の偶然と必然』より
(2016年3月28日)


 



あらっ。。。 小百合さんとデンマンさんの出会いは千年以上も前に推定できたというのですか?



うん。。。 そうなのだけれど、今日はその事について真由美ちゃんと語り合うのではないのですよ。。。 昨日改めて上の記事を読んでねぇ、ちょっと考え込んでしまったのですよ。

何がそれほどデンマンさんを考え込ませたのですか?

あのねぇ~、湯川博士がノーベル賞を受賞したのは昭和24年なのですよ。。。 まだ日本が敗戦の痛手から完全に抜け出していないときなのですよ。。。 上野駅の地下道では食うや食わずで戦争孤児がたむろしていた時代なのです。。。 

 


(warkoji2.jpg)



 



昭和24年頃までは、まだこういう悲惨な状況が日本の各地に残っていたのですよ。。。それにもかかわらず、湯川博士と奥さんがストックホルムの授与式に参加して、その後の晩餐会でダンスを踊ったのです。



つまり、湯川秀樹博士夫妻の豊かな生活をデンマンさんは非難するのですか?

いや。。。 別に非難するつもりはありません。。。 湯川博士だって日本に居る時には豊かな生活をしていたとは思えない。。。 当時の日本人は誰もが食うために一生懸命に仕事を見つけて働いていたのですよ。

 


(yugawa01.jpg)

 



ただし、ここで考えさせられるのは、昭和24年当時、社交ダンスを踊れる人が いったい日本人にどれだけいたか?。。。当時の日本人は食うことに一生懸命で社交ダンスどころではなかったですからねぇ~。。。 ところで、真由美ちゃんは社交ダンスを踊れる?



いいえ。。。 お恥ずかしいのですけれど、私はこれまでにフォークダンスは女子高で習ったのですけれど、社交ダンスは正式に習ったことがないのですわァ。。。

フォークダンスが踊れるだけでもたいしたものですよ。。。 昭和24年には盆踊りを踊れる人は日本人にたくさんいただろうけれど、西洋のフォークダンスは踊れる人はまずいなかっただろうねぇ~。。。 もちろん、社交ダンスを踊れる日本人は、ごく少数だったと思いますよ。 女性では、外交官の奥さんか戦前の貴族の令嬢ぐらいだったと思うのですよ。

今でも、社交ダンスを踊れる人は日本ではそれほど多くないと思いますわ。

でもねぇ~、日本は明治維新を迎えて、文明開化の時代には、とにかく西洋文化を受け入れようと“鹿鳴館”という社交場を造って、毎晩のようにダンスパーティーを開いていた時期があったのですよ。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


(rokumei02.jpg)

 

(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。

すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。

初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)

 


(rokumei12b.jpg)

 

二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。

人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社

『美しい日本語再び』に掲載
(2015年3月11日)


 



芥川龍之介も『舞踏会』という作品で、こうして“鹿鳴館”を取り上げている。。。 でもねぇ~、“鹿鳴館”にやって来た外国人の目には日本人が社交ダンスを見よう見まねで踊る姿は“猿真似”と映っていた。



マジで。。。? その証拠でもあるのですか?

ちょと次の対話を読んでみてください。

 




それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?



いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



(hara901.jpg)

存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


(loti01.jpg)

「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


(loti04.jpg)

 



ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」 「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」 「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。




『美しい日本語再び』より
(2015年3月11日)


 



あらっ。。。 “オカネさん”というのは、あの有名なオペラ『蝶々夫人』のモデルになった人なのですか?



うん、うん、うん。。。 そうなのですよ。。。 でもねぇ~、今日は その事が問題じゃなくて、明治の鹿鳴館時代には、猿真似で日本人が社交ダンスを踊っていたのですよ。。。 でも、とにかく、日本は“文明開化”で西洋の文化を吸収した。 それで曲がりなりにも日本にも西洋の進んだ文化が根付くようになった。

つまり、昭和24(1949)年のノーベル賞授賞式の後の晩餐会で湯川秀樹博士夫妻が社交ダンスを踊れたのは、日本に西洋の文化が定着したことの証拠だとデンマンさんは見るのですか?

 


(yugawa01.jpg)

 



そうですよ。。。 昭和24年といえば、一般の日本人は社交ダンスどころではなかった。。。 おそらく、日本人の90%が盆踊りは踊れても、食うために忙しくって、盆踊りどころではなかった。。。 だから、社交ダンスなどには見向きもしなかった時代だったでしょう!



それなのに、湯川秀樹博士夫妻がストックホルムの晩餐会で社交ダンスを踊ったことにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

そうですよ。。。 つまり、ノーベル賞をもらえる人は専門馬鹿ではないのですよ。。。 やっぱり、湯川博士も奥さんも西洋文化の洗礼を受けていたということです。

私は違うと思いますわァ~。。。

ん。。。? 違う。。。? 何が違うのですか?

昭和24年11月3日の文化の日、コロンビア大学客員教授だった湯川秀樹博士が、日本人として初めてのノーベル賞を受賞したのですよね。

そうです。。。

デンマンさんが引用したエッセイは その2年前、つまり、昭和22年にプリンストン高等学術研究所に招かれて渡米する時に、『文藝春秋』昭和22年8月号に掲載された科学エッセイでしたよねぇ~!?

そういうことです。。。

つまり、湯川夫妻がアメリカに渡ってからノーベル賞を受賞するまでに2年の歳月があったのですわ。。。 だから、その間に湯川夫妻はアメリカで社交ダンスを習ったのだと思いますわ。

そうかなァ~。。。?

だってぇ、私も日本では社交ダンスは踊れませんでしたもの。。。 バンクーバーにやって来てから、デンマンさんに教わったのですわァ~。。。

 


(dance011.jpg)

 



うん、うん、うん。。。 確かに、そうかもしれない。。。 でも、こればっかりは湯川夫婦に訊いてみないと分からないよねぇ~。。。




初出: 2016年4月16日



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、現在ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいます。

先生やクラスメートとの英会話には、今でもまごつくことがあるそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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現在、移住を目指して頑張っているところです。

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


(stanley50.jpg)


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(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー






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(canplace22.jpg)

 

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)



上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




If you've got some time,

Please read one of the following artciles:




(biker302.jpg)

『まんじゅう@富岡』

『ん?トゥーランドット』

『女の子の夢』

『イヴォワールのレストラン』

『151歳の誕生日』

『お皿をぺろぺろ』

『ポップス@蕎麦屋』

『検便と回虫』

『スコーンとプディング』

『スコーン姉妹』

『ピラミス 美術館』

『明治屋 圧力ジャム』




(surfin2.gif)


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(girlxx.gif)
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浅間山とフランス

2023-05-14 02:54:01 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

浅間山とフランス

 


(asama02.jpg)


(francerev2.gif)


(sylvie702.jpg)




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ケイトー。。。、日本の浅間山がどういうわけでフランスと関係があるのォ~?


(kato3.gif)

タイトルを見たら、誰もがシルヴィーが感じているような疑問を持つだろうと思うのですよ。。。

でも、関係あるのォ〜?

もちろんです。。。関係なかったら、上のようなタイトルを付けないですよう。。。

でも、無理矢理 関係づけるんじゃないのォ〜? ケイトは「バタフライ効果」というのを聞いたことがあるゥ〜?

そういう語句があるのは知ってますよ。。。でも、詳しくは知りません。。。具体的には、どういうことですかァ〜?

次のような事を言うのよ。。。

 



バタフライ効果

 


(butterfly22.gif)

 

バタフライ効果(英: butterfly effect)は、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。
カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現である。

気象学者のエドワード・ローレンツによる、「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する。

 

表現の由来

バタフライ効果(英語: butterfly effect)という表現は、気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル Predictability: Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?(予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?) に由来すると考えられている。

ローレンツによると、ローレンツ自身は初期値鋭敏性の象徴として元々はカモメを使っていたが、この学会の主催者で気象学者のフィリップ・メリリースが蝶に変更したことで、この講演タイトルとなった。

蝶の方が儚げで弱そうなものに見えるので、大きなものを生み出し得る小さなものの象徴に最適と判断したのだろうと、ローレンツはこの変更理由を推測している。

バタフライ効果という言葉が一般的に引用されるとき、ローレンツの講演タイトルのような形で説明を付けることが多いが、説明に出てくる地名と発生する現象には様々な違いが見られる。

ベストセラーとなった1987年のジェイムズ・グリックの著書 "Chaos: Making a New Science"(邦題:カオス―新しい科学をつくる)では、「今日の北京で1匹の蝶が空気をかき混ぜれば、翌月のニューヨークの嵐が一変する」という形で説明されており、元の講演タイトルと比較すると「ブラジル」が「北京」に、「テキサス」が「ニューヨーク」に変わっている。

ポピュラーカルチャーでの例としては、1990年の映画『ハバナ』でロバート・レッドフォード演じる主人公が「1匹の蝶が中国ではばたけば、カリブでハリケーンを起こす」というセリフをレナ・オリン演じるヒロインに話すシーンがあり、「ブラジル」が「中国」に、「テキサス」が「カリブ」に、「嵐」が「ハリケーン」に変わっている。

 

ポップカルチャーでの受容

ローレンツの研究、バタフライ効果という用語が与えられる以前からも、バタフライ効果が意味する初期鋭敏性、すなわち非常に小さな事象が因果関係の末に大きな結果につながるという考え方は、フィクション作品の中で多く見られる。

グリックは著作の中で、そのような古い例として、童謡マザー・グースの『釘がないので』を挙げている。

ローレンツ自身も、講演以前の作品として、ジョージ・リッピー・スチュアートによる1941年の小説『嵐』などで、バタフライ効果を意味するようなセリフやストーリーがあることを例として挙げている。

ジャーナリストのピーター・ディザイクス(Peter Dizikes)はボストン・グローブのコラムで、ポピュラーカルチャーの中ではバタフライ効果という用語が「歴史や運命を決定する一見些細な出来事や、因果関係の繰り返しの果てに人生の行き先や世界経済にまで影響を与える最初のきっかけが存在することの意味するメタファー」として愛されていると述べている。

『雷のような音』- 1952年のレイ・ブラッドベリによるSF短編小説。2005年には『サウンド・オブ・サンダー』として映画化された。タイムトラベルで過去に戻った主人公が1匹の蝶を殺してしまったことによって歴史が大きく変化するというプロットとなっており、バタフライ効果とよく結び付けられる




出典: 「バタフライ効果」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



ケイトーも、この「バタフライ効果」のように長たらしいイベントを並べて、無理矢理 浅間山とフランスを結びつけるんじゃないのォ〜?



いや。。。僕は、詭弁(きべん)を弄(ろう)してまで浅間山とフランスを結びつけるような愚かな事はしません。。。実は、日本にも同じような事を言う昔の人がいました。

 



風が吹けば桶屋が儲かる

 


(okeya10.jpg)

葛飾北斎作の富嶽三十六景「尾州不二見原」、桶を製作する江戸時代の職人

 

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは、日本語のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである。

また現代では、その論証に用いられる例が突飛であるゆえに、「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさ」を指すことがある
「大風が吹けば桶屋が喜ぶ」などの異形がある。

 

由来

江戸時代の町人文学、浮世草子の気質物(かたぎもの)が初出とされる。

明和5年(1768年)開版の無跡散人著『世間学者気質(かたぎ)』巻三「極楽の道法より生涯の道法は天元の一心」において、三郎衛門が金の工面を思案するくだりの一部が以下である。

 



とかく今の世では有ふれた事ではゆかぬ。

今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。

そこで三味線がよふうれる。

そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。

そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。

爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず




— 無跡散人『世間学者気質』より、慣用句辞典 より転記。


 

関連内容として、

(1)大風が吹けば土埃が立ち、盲人などの眼病疾患者が増加する。

(2)盲人などが三味線を生業とし、演奏方法を指導したり、門付で三味線を演奏するので、三味線の需要が増える。

(3)三味線製造に猫の皮が欠かせないため、猫が多数減り、鼠が増加する。これら鼠は箱の類(桶など)をかじることから、桶の需要も増加して桶屋が儲かるだろう。

…ということが挙げられている。

ここでは「風が吹けば箱屋が儲かる」などの成句の形はみえず、「桶」のかわりに「箱の類」となっている。

また、『東海道中膝栗毛』二編下(享和3年、1803年)では、「箱」になっている。

江戸時代には、江戸並びに地方の城下では、桶屋町や指物町などの職人町が発達していた。

庶民の手桶や商品製造用の商家桶(味噌桶など)を生業とした「桶屋」があり、また木を組んで木箱を組み立てた上で、その上に精巧な細工を施す「指物屋」などがあった。




出典: 「風が吹けば桶屋が儲かる」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


&nbsp



なるほどォ〜。。。似たようなことわざが日本にもあるのねぇ〜。。。そもそも、どういうわけで浅間山とフランスを取り上げたわけなのォ〜?



ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(goo23-05-08.jpg)


『拡大する』

『入れ墨熟女』

『呆れる完璧な馬鹿』

『浅間山噴火とフランス革命』


 



この上のリストは GOO の「デンマンのブログ」のバンクーバー時間で2023年5月8日のアクセス解析のリストです。。。アクセス元ページ の5番の赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



あらっ。。。短縮URL から「デンマンのブログ」にやってきて記事を読んだネット市民がいたのねぇ~。。。

そうです。。。実は、この短縮URL をクリックすると 浅間山噴火とフランス革命(PART 1) が表示されるのです。。。この短縮URL はツイートに貼られたURL なんですよ。。。でも、僕は最近 この記事のことで呟いたことがない。。。不思議に思って調べてみたら次のツイートのリンクからやって来たことが判った。。。

 


(tw23-05-08.jpg)


『拡大する』

『実際のツイート』

『浅間山噴火とフランス革命』


 



あらっ。。。ケイトーが呟(つぶや)いたツイートではないのねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。明日香さんが5月7日の午後11時にリツイートしたのですよ。。。

つまり、明日香さんがは『浅間山噴火とフランス革命』を読んで浅間山の噴火がフランス革命の遠因になったということが解ってビックリしたのねぇ〜。。。

そういうことです。。。それで、他のネット市民の皆さんにも知ってほしいと思ってツイッターでリツイートしたのですよ。。。



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも『浅間山噴火とフランス革命』を読んでみて、浅間山の噴火がフランス革命の遠因になったと思いますかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私に命令するのですか?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)


(cleopara2.jpg)

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


(superm3.jpg)

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』

『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『修道院の悲劇』

『バナナとりんご』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(rengfire.jpg)


(byebye.gif)



コメント
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エッチな嫁さん

2023-05-10 02:31:28 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

エッチな嫁さん

 


(wife21.jpg)


(ass350h.png)




(merange12.jpg)

デンマンさん。。。 あんさんの嫁はんはエッチやのォ~?


(kato3.gif)

そないなことがあるかいなァ~。。。あんじょう気品があって、気高いのやでぇ~。。。

ほんまかいなァ~?

信じられへんのかァ~。。。

それやったら、どないなわけでエッチな嫁さん を取り上げはったん?

ちょっと次のリストを見て欲しいねん。。。

 


(liv22-07-09.jpg)


『拡大する』

『面白い方言 エッチ』


 



これはライブドアの わての「徒然ブログ」の日本時間で7月9日の午前5時から午後11時29分までのアクセス者の記録やねん。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。「にほんブログ村」で検索して「徒然ブログ」の 面白い方言 エッチ を読みはったのやねぇ~。。。

そういうことやァ~。。。リファラ をクリックすると次の検索結果が出てきよる。。。

 


(mur22-07-09.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『面白い方言 エッチ』

『エッチな人』


 



面白い方言 エッチ と エッチな人 を読みはったのやねぇ~。。。



そういうことやァ~。。。実は、茨城県の桜川市に住んでいる桜井茉里奈(さくらい まりな)ちゃんが読んだのやァ~。。。

 


(ip2030.jpg)



 



茉里奈ちゃんは桜川市で何をしてはるのォ~?



茉里奈ちゃんは地元の中学校に通う中学3年生やんかァ~。。。

なるほどォ~、エッチに関心を持つ年頃やねぇ~。。。

そういえば、めれちゃんもエッチに関心を持つ16歳の時に桜の花びらを散らしたのやなァ~。。。

 



(merange42.jpg)

「ペスト」に登場するのは、
ほとんどが男性ですよね

わたしは、読みかたとしては、
ちょっと邪道ですが、
勝手に空想をふくらませて、
登場人物に恋をするんです…

わたしのお気に入りは
タルーです(*´д`*)

by めれんげ

2008/07/30 1:38 AM





(foolw.gif)

うん、うん、うん。。。。

登場人物に恋をするねぇ~

確かに、そういう人物が出てこないと

小説読んでいても、つまらないよねぇ。

日活ロマンポルノの「軽井沢夫人」

の佳子!


(miwa100.jpg)

高田美和さんが演じているのだけれど、

35歳当時の美和さんが実に素晴しい!

日本女性の繊細なヌード!

すってきィ~♪~♪~ !!!

こういう女性を僕ちゃんならば『ペスト』に

登場させるのですよう!

確かに、邪道ですよう!

デンマン!!日活ロマンポルノと『ペスト』

を一緒にするなあああぁ!

ノーベル賞選考委員から

怒鳴られてしまいますよう!

うへへへへ。。。

\(@_@)/ キャハハハ。。。

『ペスト』は、とにかくテレビの無い時代に

書かれたんだよね。

今時、あんな小説を書いたら、

本を放り出されて、

みなテレビを見てしまいますよう。

めれちゃんのお気に入りは

タルーねぇ。。。?

う~~ん。。。?

英語の本では Tarrou だね?

夕べは81ページから

84ページまで読んだけれど、

82ページに出て来ましたよう!

ホテルに居るんだよね。

早い時期には登場しなかったような気がする。

だから、僕はこの人物について、

ほとんど分からない。

僕は、 Doctor Rieux の

視点から物語を見ているような気がする。

これまでの人物で最も感情移入できるのは

この人ですよう。

言わば、主人公のような人物ですからね。

これまで84ページ読んできて

面白いと思った人物は

自殺をしそこなって助けられた男。

Cottard ですよう。

この男は、自殺に失敗して

今では、生きる気持ちで居るのだけれど、

ペストで死んでしまうのだろうか?

これから、どうなってゆくのか?

興味が湧いてきましたよう。

それから、“語り手”の正体が

本の最後で分かることになっているのだけれど、

ん。。。?“語り手”。。。?

確かに、 Narrator と言う

単語が2,3度見えたけれど、

特に、語っている部分があるようには見えない!

Doctor Rieux が語り手のようなんだよね。

この医者が物語を進めているように

僕には見えるのですよう。

その辺の事も、どう言う事なのか?

これからどうなるのか。。。?

そう思いながら夕べも読んだけれど、

イマイチ!

81ページから84ページまで読み進んで、

つまらなくなったので本を閉じました。

日活ロマンポルノの高田美和さんが

夢に出てくればいいなあああぁ~~

そう思いながら次女猫の“ねね”のように

ぐっすりと熟睡しました。


(cat110.jpg)

♪┌(・。・)┘♪ キャハハハ。。。

ついに美和さんは夢には出て来なかった。

その代わり、めれちゃんが出てきて

僕ちゃんにキスしてくれました。

うへへへへ。。。

そうなればイイなって。。。

そう思っただけ!

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

by デンマン

2008/07/30 4:50 AM





(merange31.jpg)

タルーは、とてもカッコイイです!
初めて「ペスト」を読んだ後、
しばらくは、タルーの事で頭がいっぱいでした!

リウーには、イマイチ関心がないです…
内面的な描写が少ない気がするのです
それは、彼の手記のような形をとっているからでしょうが…

コタールは興味深い人物ですね!
考えていることが、見え見えで、
こういう人物に下される運命は、
どんなものか?
目が離せません!

読み終えたときに、感想を話しあえたら、
とても楽しいですね♪

by めれんげ

2008/07/30 12:02 PM





(kato3.gif)

Doctor Rieux は、

日本語では「リウー」と言うんだぁ~

僕のオツムの中ではリュウ(竜)と

読んでいましたよう。

。。。んで、Cottard は「コタール」ね。

僕のオツムでは「コタードゥ」と英語読みでしたよう。

タルーはめれちゃんにとって、

そんなにかっこいいの?

僕にとっては、影の薄い存在ですよう。

まだ、本の中で出てきたばっかりだから

印象が薄いのだと思うよう。

それにしても、めれちゃんがタルーと書いた

前の晩に、僕は82ページでTarrouに

出会っていたのだよう。

だから、すぐに“タルー”と読むに違いないと

思ったものですよう。

“以心伝心”というのか、

なんだか不思議だよね。

テレパシーかな。。。?

僕は Tarrou を“太郎”とオツムの中では

読んでいましたよう。

うしししし。。。

うん、うん、うん。。。

『ペスト』を全文読むつもりでいるけれど、

めれちゃんに感想を書く楽しみが増えましたよう。

めれちゃんとは、かなり違った角度から

本を読んでいるような気がします。

あまり面白そうでないのだけれど、

めれちゃんと、こうして話していたら、

読む意欲が湧いてきましたよう。

でも、一気に読むだけの気力が

湧いて来ないんだよねぇ~。

気力をみなぎらせるための

脱力が足りないのだと思うよう!

うへへへへ。。。

次女猫のねねが居れば、

一緒に脱力できるのだけれどねぇ~、

バンクーバーと大阪では離れ過ぎているから、

ねねを迎いに行くわけにも行きません。

そう言う訳で、脱力せずに

ゆっくり読みますね。

じゃあねぇ~。

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/30 2:36 PM





(woman14.jpg)

タルーがなぜカッコイイか…
それは、読み進むうちに
見えてくると思います♪

しかし。
タルー=太郎とは…
笑ってしまいました

「ペスト」が終わったらラディゲの「肉体の悪魔」でも読もうかと考えています(^ω^)

by めれんげ

2008/07/31 6:03 PM





(foolw.gif)

レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)ねぇ~

めれちゃんは、本当によく本を読むねぇ~

感心させられるよう。

とにかく、小学生の頃から

「チャタレー夫人の恋人」を読んで、

それで、16歳で桜の花びらを

散らしてしまったのだから。。。

んも~~。。。

めれちゃんは文学少女だったんだよねぇ~

かなり、早熟だったのやでぇ~


ほんまに、おどろき、ためいきィ~、さんしょのきィ~

このラディゲも、早熟だったのですよう。14歳の頃、

『肉体の悪魔』のモデルとされる

年上の女性と出会い、

勉強しなくなって、不登校!

そのために学校を放校処分になるんやでぇ~。

えらいこっちゃぁ~~

とにかく、『肉体の悪魔』は、

彼の自伝的要素が強い作品だよね。

でも、本人は、あくまでも

フィクションだと言っていたらしい。

なぜ。。。?

ところで、めれちゃんだって、早熟な上に、

かずかずの恋愛体験を持っている。

その体験に基づいて小説を書けば、

直木賞、芥川賞は、当然のようにもらえるんやでぇ~

だから、ノーベル文学賞を目指してねぇ~。

めれちゃんの書く恋愛小説は

絶対に面白いと思う。

なぜならば、江戸川乱歩のような

エログロナンセンス的な要素が

必ず入り込むだろうと

僕ちゃんには思えるから。。。


(cat110.jpg)

でも、その前に次女猫のねねを

モデルにして小説を書いてね。

絶対に面白いものが出来上がると思うよう。

それに、めれちゃんのおばあちゃんを

モデルにした小説も。。。

めれちゃんが小説を書くことに没頭すれば、

日本文学に新しい気風を

吹き込む事ができるのに。。。

ボクちゃんは、めれちゃんの才能を

信じていますからねぇ~。

ぜひ、書いておくれましなぁ。

ほんまに、たのむでぇ~

じゃあねぇ。

\(*^_^*)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/07/31 8:07 PM





(tantra20.jpg)

「肉体の悪魔」は、
ずっと前に読んだのですが、
やたらおもしろかったことをおぼえています

わたし、最近書けないんです(ノд<。)゜。
めれんげサバイバルで書いていた
「猫小町手習い日記」も
全然進まないし…

スランプかな?

by めれんげ

2008/07/31 11:22 PM





(toohot.gif)

うん、うん、うん。。。

そういうことって、あるでぇ~

パソコンが使えんちゅうことがぁ、

よけいに、めれちゃんの気分を

落ち込ませとるんやでぇ~

一番ええのんわぁ、使えなくなった

パソコンを使えるようにするこっちゃぁ

友達にパソコンの詳しい奴が

おるんとちゃいまっかぁ~

ほなら、その奴にお願いして

直してもらうんやわぁ。

そう言う訳にはゆきしませんかぁ~?

わてが大阪におるんなら、

めれちゃんとこに飛んでいって

直してあげるんやけどォ~、

バンクーバーじゃぁ、次女猫のねねのように

宙にぶら下がって大阪に飛んでゆく訳にも

ゆきしませんがなぁ~。

ほんまにィ、じれったいこっちゃぁ~

そう言う訳やから、

今は、たくさんの短歌を詠(よ)んで、

その間に、たくさんの本も読んで

小説書くために、めれちゃんは

気力をみなぎる脱力をすることやでぇ~

つまり、勉強する時間が

たくさん持てるというこっちゃぁ~

そやないかいなぁ~?

そんな風に考えてみィ~なぁ~

人間万事塞翁が馬!やぁ~

あせってみても仕方ないやろうゥ。

そやさかい、気をらくゥ~に持って

あんじょうやっておくれやすゥ~

そうゆうわけやぁでぇ~、

ほんなら、マジでさいならぁ~

ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/01 9:48 AM




『指きり』のコメント欄より

(残念ながら 旧・『即興の詩』サイトは閉鎖




『愛と心の旅路』より
(2019年7月17日)


 



そういう どうでもええようなことは、あんさんは よう覚えておるのやねぇ~。。。で、茉里奈ちゃんは記事を読んで何か発見したことでもあったん?



意外なことを発見したのやがなァ~。。。めれちゃんも、久しぶりに読んでみたら ええやん。。。

 



「かわいい」のいろんな言い方


(bouncy.gif)

え~らしい

「愛らしい」のナマリで、主に小さい子どもなどをほめるときに使います。

《例》 ○○さん家の子は、え~らしいなぁ。 (大分)

えちゃけ

「いちゃけ」とも言い、「いたいけない」が変化した言葉とも。
「かわいらしい」「あどけない」というニュアンスで用います。 (石川)

かいらし

「かわいらしい」が変化したもの。
近畿、四国地方で使われています。

《例》 あのこ、ほんまに、かいらし~なぁ。 (大阪)


(britflag.gif)

みじょか

「みぞか」「みぞ~か」「んじょか」とも言い、「かわいらしい」「美しい」という意味。
ちなみに「かわいがる」は「むじょがる(みぞがる)」。 (長崎) 

むじょか

「かわいらしい」の意味で「むぞか」「むぞらしか」とも。
ちなみに佐賀では「むぞ~か」、宮崎では「むじい」を同じ意味で使います。 (熊本・鹿児島)

めんこい

語源は「めぐし(愛し)」。
福島以北の東北・北海道地域で広く使われ、「めごい」(青森)、「めんけ」(秋田)、「めんげ」(福島)、「めんごい」(山形)と変化する地域もあります。
ちなみに「お気に入りのコ」を北海道では「めんこ」。
「めんこめんこする」は頭をなでなですることです。

《例》 この子、めんこいっしょ。 めんこめんこして。 (北海道・東北)

や~らしか

「や~らしか嫁さん」と言われて「エッチな嫁さん」なんて想像してはいけません。

佐賀では、「や~らしか」は「かわいい」という意味です。

《例》 おまえ、や~らしか嫁さんばもろたらしかな。 (佐賀)


(bitegirl2.gif)

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストと動画はデンマン・ライブラリーより)




53-54ページ 『かわいい方言手帖』
編者: ふるさとナマリ研究会
2005年9月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 河出書房新社



 



あらっ。。。「や~らしか嫁さん」と言われて「エッチな嫁さん」なんて想像してはいけません と書いてありますやん。。。



そういうことやがなァ~。。。佐賀では、「や~らしか」は「かわいい」という意味なんやでぇ~。。。

つまり、茉里奈ちゃんは、この事を知ってびっくりしやはったん?

そういうことやがなァ~。。。茨城県の桜川市に住んでいる桜井茉里奈(まりな)ちゃんにとって、「や~らしか嫁さん」は「エッチな嫁さん」あるいは「エロい嫁さん」 以外に考えられへん。。。それが佐賀では「かわいい嫁さん」になるなんて、びっくりこいたのやがなァ~。。。

確かに、そうかも知れへん。。。佐賀県人が茨城県にやってきて、かわいい赤ちゃんを見て「や~らしか赤ちゃんねぇ~」と言わはったら、それこそ村八分になってしまいますわァ~。。。




初出: 2022年7月17日



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

そうですよねぇ~。。。

佐賀県人の貴方、東京に出たら、「や~らしか」は絶対に使わないでくださいねぇ~。。。

ところで、めれんげさんは 2013年の6月に『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

でも、現在は、3位です。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)



(surfing9.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事



(linger49.gif)



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』


(ebay5.jpg)


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『鶴橋のおばちゃん』

『やらしい嫁さん』

『結婚式の夜』

『エッチで検索』

『アホウドリ夫婦』

『愛の擬人法再訪』

『やらしい嫁さん』

『保護犬人気』

『新着保護犬』

『入れ墨の女』




(june24b.jpg)

こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

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良寛さん@台湾

2023-04-21 02:41:10 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

良寛さん@台湾

 


(ryokany.gif)


(taiwan10.jpg)


(himiko93.jpg)




(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。台湾にも良寛さんがいたのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

いや。。。僕の知る限り、台湾には現在も過去にも良寛さんは居ません。。。

じゃあ、どういうわけで誤解を与えるようなタイトルを付けたのでござ~ますかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv23-04-15.jpg)


『拡大する』

『良寛さんの顔』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で4月15日の午後9時21分から翌日、16日の午前1時7分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。



あらっ。。。4月16日の午前0時9分に 良寛さんの顔 を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。実は、台湾の台中市に住んでいる劉麻美(リュウ・マーメイ)さんが読んだのです。。。

 


(ip17597.jpg)


(taichun.jpg)



 



マーメイさんは、台中市で何をしているのでござ~ますかァ~?



地元の国立中興大学の文学部で日本文化日本語を勉強しているのですよ。。。

 


(chukouniv.jpg)



 



良寛さんのことでレポートでも書くつもりだったのでござ~ますかァ~?



そうです。。。

でも、どのようにして記事を見つけたのですか? 上のリストを見ると検索エンジンで記事を探してやってきたようには見えませんわ。。。

マーメイさんは僕のブログの常連さんです。。。良寛さんの顔 を読んだのは、これが初めてではないのです。。。記事を見つけるときには、当然、次のように検索したのですよ。。。

 


(gog23-04-19.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『良寛さんの顔』


 



良寛さん 徒然ブログと入れて検索したのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。17,900件ヒットするうちでトップから4番目に 良寛さんの顔 が表示されるのです。。。この記事を見つけて初めて読んだときに、マーメイさんは、この記事をブックマークしておいたのです。。。

2度めからは直接URL をクリックして良寛さんの顔 を読んだのでござ~ますかァ~?

そういうことです。。。

。。。で、マーメイさんは、記事を読んでレポートを書くのに参考になることでも見つけたのですか?

見つけました。。。卑弥子さんもその箇所を読んでみてください。。。

 


究極の菩薩の姿

 

よく菩薩の中の菩薩といわれるのに、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」というボサツがいる。
『法華経』に登場して有名になったボサツである。
「常不軽品」という章の名称にまでなっている。
どんな人間に会っても、辞を低くして礼拝したというボサツである。
「常不軽」というのは、どんなときでも出会う相手を「軽んじない」という意味だ。
なぜなら人間は誰でもやがて仏になる存在だからである、という。

しかし、つねに相手を軽んずることなく礼拝をくり返している人間(菩薩)は、それゆえに人々から軽んじられるであろう。
たえず軽蔑され、馬鹿にされ、そして差別の眼差しを全身にうける。
その逆境的な運命を甘受するところに「常不軽菩薩」の存在理由があるのだと思う。
誰にでもなれる境地ではない。
ふつうの菩薩でも、このボサツにななかなか手がとどかないであろう。
自立、自立……と咆哮するラカンたちからは、もっとも遠い存在かもしれない。
「常不軽菩薩」が菩薩、究極の菩薩の姿、といわれるゆえんである。

その常不軽菩薩のことが、良寛さんも好きだったようだ。
理想の菩薩だったのではないだろうか。
後世の良寛神話が、そうした良寛さんの心情を純化して、良寛さんのイメージをこの常不軽菩薩と重ね合わせるようになった。

(中略)

良寛さんもその常不軽菩薩のように生きようとひそかに決意していたにちがいない。
実際、良寛さんの日常生活をうかがうと、そのような生き方を心がけていたことがよくわかる。
その自然体の優しさの中に常不軽菩薩を実践している良寛さんのイメージが蘇る。
安田靫彦の良寛像にもそのような気配がただよっているといっていいだろう。


 


(ryokan2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




197-199ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


 





この上の箇所がデンマンさんには興味深く感じられたのでござ~♪~ますか?



そうなのです。 「常不軽菩薩」で思い出したことがあるのですよ。 僕は以前、良寛さんの本を読んで強烈なエピソードに出くわしたことがある。

そのエピソードって一体どのようなものでござ~ますか?

良寛さんが40代の頃の話というから、たぶん、越後国蒲原郡国上村(現燕市)の国上寺にある五合庵で暮らしていた頃のエピソードだと思いますよ。 ある日、村の女の子のことで騒ぎが持ち上がった。

どのような。。。?

その女の子は15歳か16歳で、小さな頃、子供仲間と一緒に良寛さんとよく遊んだことがあった。 その子のおなかが見るからに膨(ふく)らみ始めた。

妊娠したということでござ~ますか?

そうです。 まだ嫁に行く前の娘だから村中の噂にのぼった。 当然、誰が孕(はら)ませたのか? 村中で詮索が始まった。 その娘に尋ねても全く答えようとしない。 そのうち立派な赤ちゃんが生まれた。 しかし誰が父親なのか判らない限りその赤ちゃんの始末に困ってしまう。 両親は仕方なく村の名主(なぬし)さんのところに相談に行った。

それで。。。?

名主さんが娘を呼んで優しく問いただしたのですよ。

。。。んで、女の子は誰が父親だか名主さんに話したのですか?

それがなかなか話さない。 でも、名主さんは根気よく娘にいろいろと世間話をしながら、なんとか聞き出した。

その子はなんと答えたのでござ~ますか?

良寛さんだと答えたのですよ。 もちろん、名主さんは信じることができなかった。 でも、女の子がそう言うものだから、仕方なく名主さんは良寛さんのところへ相談に行った。

そしたら。。。?

良寛さんは薄笑いを浮かべながら答えて言うのですよ。 「その女の子がそう言うのなら私が孕ませたんじゃろう」 それで良寛さんがその赤ちゃんを引き取って育てたという話です。

このエピソードが「常不軽菩薩」と関係あるのでござ~ますか?

あのねぇ~、誰もが亡くなったら仏になるのだから、たとえ15歳の女子であろうとも軽んじてはいけない。 それで良寛さんは、その子の悩みを汲(く)んであげたのですよ。 そのような気持ちが良寛さんに働いたのだと思います。 だからこそ、ウィキペディアの説明にも書いてあるとおり、良寛さんは子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈して、子供達と遊ぶことを好んだのですよ。

つまり、だから子供にも好かれたと言うのですか?

そうです。 しかし、そのことを考えて安田靫彦の良寛和尚像を見ると子供が好きそうな表情には見えない。

 


(ryokan2.jpg)

 



上の絵の良寛さんは子供と一緒に遊びそうな人物には見えないということでござ~ますか?



僕にはそう思えるのですよ。

。。。で、デンマンさんの目には良寛さんはどのような表情をしていたと思うのですか?

次のような表情をしていたと思うのですよ。

 


(ryokany.gif)

 



つまり、誰にでも優しく救いの手を差し伸べてくれる菩薩のような表情をしていたと僕には思えるのですよ。



そうですわね。 上の絵の良寛さんならば子供が好んで集まるかもしれませんわね。




『良寛さんの顔』より
(2012年11月9日)


 



つまり、マーメイさんは、上の箇所を読んで共感したのでござ~ますかァ?



そうです。。。それで、この点を考慮してレポートを書くことにしたのですよ。。。

どうして、そんなことまでデンマンさんはご存知なのですか?

マーメイさんがメッセージをよこしたのです。。。

マジで。。。? 信じられませんわ。。。

信じてください。。。昔の人は「信じる者は救われる!」と言いましたから。。。良寛さんも生きていたら きっとそう言いますよ。。。


 


(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

貴方も良寛さんのお顔は、子供が親しみやすい表情をしていたと思いますかァ~?

ええっ。。。「そんなことより、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーも、芸能界では幅を利かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったものです。。。

 





 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

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『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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良寛さんの顔

2023-04-18 02:24:49 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

良寛さんの顔

 


(ryokan3.jpg)

長岡市隆泉寺の良寛像

 




(himiko22b.gif)

デンマンさん!。。。どうして「良寛さんの顔」を取り上げたのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 


ボサツ顔とラカン顔

 

良寛は菩薩だったのか、それとも羅漢だったのか。

そんな問いが、いつごろからか明滅するようになった。

菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える。

安田靫彦(ゆきひこ)の良寛さんをみていて、つくづくそう思う。

 


(ryokan2.jpg)

安田靫彦画 良寛和尚像

 

いや、そう思い惑っている。

現実の良寛も、おそらくそんな風だったのではないか。

良寛の面白いところ、近づき難いところである。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています)




194ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


 



良寛さんは菩薩顔だったのか? それとも羅漢顔だったのか? 本の著者は、どちらでもないようにも思える、と言っているのでござ~♪~ますわね。 ところで菩薩と羅漢とはどういう人なのですか?



あれっ。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授が菩薩と羅漢の意味を知らないのですか?

違いますわよう。 この記事を読んでいらっしゃる日本語が解る世界のネット市民の皆様の中にも、菩薩と羅漢を知らない人が居ると思ったので、気を利かせて尋ねてみただけですわ。 おほほほほほ。。。

解りました。 僕の国語辞典から簡単に書き出しますよ。

 


菩薩

 

1) 仏陀(ブッダ)の次の位

2) 昔、朝廷から高僧に賜った号。

3) 仏になぞらえて用いた、神の尊号




 

羅漢

 

煩悩を殺す意の梵語(ぼんご)の音訳。

完全に悟りを開いた、小乗仏教の修行者。




三省堂『新明解国語辞典』より


 



国語辞典にはこのように書いてあるのですよ。 でもねぇ、本の中で使われている意味は「菩薩」は「すぐにでも救いの手を差し伸べてくれるような優しい人」、「羅漢」は「厳しい修行を耐え抜いて気迫に満ちた人」ということなのですよ。



。。。で、良寛さんは「すぐにでも救いの手を差し伸べてくれるような優しい人」のようでもあり、「厳しい修行を耐え抜いて気迫に満ちた人」のようでもある。 そのどちらでもないようにも思えると、言っているのでざ~ますわね?

そうなのです。

では、良寛さんの顔は結局、判らないままではござ~ませんか!

いや。。。読んでゆくと安田靫彦(ゆきひこ)が描いた良寛像の表情を良寛さんもきっと持っていただろうと言っているのですよ。

良寛さんの表情について書いてある文献はないのでござ~ますか?

なさそうです。 試しに「良寛」を入れて画像検索してみたのですよ。 その結果を見てください。

 


(gog21108.gif)

 



あらっ。。。どの画像もどことなく安田靫彦(ゆきひこ)が描いた良寛像のようでござ~ますわね?



そうなのです。 どことなく痩(や)せて生気のない表情を浮かべているのですよ。 

でも、どこかに良寛さんの表情について書いた文献があるのではありませんか?

もしそうならば上の本の中にもその事が書いてあるはずですよ。 『ウィキペディア』には次のように書いてあります。

 


良寛

 



1758年11月2日 - 1831年2月18日

 

良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
俗名、山本栄蔵または文孝。
号は大愚。

良寛は越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた。
四男三女の長子。
父、山本左門泰雄はこの地区の名主・橘屋であり、石井神社の祠職を務め、以南という俳人でもあった。
異説では越後国新津(現・新潟県新潟市秋葉区)の大庄屋・桂誉章の子。

名主見習いだった良寛は18歳のとき出家したが、この時期には妻(山本家家譜によると死後法名は釋尼妙歓)が居たとする説が最近出ている。
この妻は出家前に離縁。

出家後、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、諸国を廻る。
その頃義提尼より和歌の影響を受ける。
48歳のとき、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵、61歳のとき、乙子神社境内の草庵、70歳のとき島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。

無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。
良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。
その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。

最期を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。
良寛は他に漢詩、狂歌、俳句、俗謡に巧みで、書の達人でもあった。
故に後世の贋作が多い。
新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。

良寛の名は、子供達を愛し積極的に遊んだという行動が人々の記憶に残っている。
良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んだという。
懐には常に手毬を入れていたという。

名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた。
現在でもその凧は残っている。

ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子供達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。
しかし、日が暮れて暗くなり、子供達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。
翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、「静かに!そんな大声を出せば、子供達に見つかってしまうではないか」と言ったという。
このような類いの話が伝えられ、子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。

また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。
また弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたといわれている。

今日生家跡には「良寛堂」が建っている。
裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。
沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。




出典: 「良寛」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



やっぱり、良寛さんの表情については書いてありませんわね。



。。。でしょう? ところで、本の中には次のようにも書いてあった。

 


究極の菩薩の姿

 

よく菩薩の中の菩薩といわれるのに、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」というボサツがいる。
『法華経』に登場して有名になったボサツである。
「常不軽品」という章の名称にまでなっている。
どんな人間に会っても、辞を低くして礼拝したというボサツである。
「常不軽」というのは、どんなときでも出会う相手を「軽んじない」という意味だ。
なぜなら人間は誰でもやがて仏になる存在だからである、という。

しかし、つねに相手を軽んずることなく礼拝をくり返している人間(菩薩)は、それゆえに人々から軽んじられるであろう。
たえず軽蔑され、馬鹿にされ、そして差別の眼差しを全身にうける。
その逆境的な運命を甘受するところに「常不軽菩薩」の存在理由があるのだと思う。
誰にでもなれる境地ではない。
ふつうの菩薩でも、このボサツにななかなか手がとどかないであろう。
自立、自立……と咆哮するラカンたちからは、もっとも遠い存在かもしれない。
「常不軽菩薩」が菩薩、究極の菩薩の姿、といわれるゆえんである。

その常不軽菩薩のことが、良寛さんも好きだったようだ。
理想の菩薩だったのではないだろうか。
後世の良寛神話が、そうした良寛さんの心情を純化して、良寛さんのイメージをこの常不軽菩薩と重ね合わせるようになった。

(中略)

良寛さんもその常不軽菩薩のように生きようとひそかに決意していたにちがいない。
実際、良寛さんの日常生活をうかがうと、そのような生き方を心がけていたことがよくわかる。
その自然体の優しさの中に常不軽菩薩を実践している良寛さんのイメージが蘇る。
安田靫彦の良寛像にもそのような気配がただよっているといっていいだろう。



(ryokan2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




197-199ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


 



この箇所がデンマンさんには興味深く感じられたのでござ~♪~ますか?



そうなのです。 「常不軽菩薩」で思い出したことがあるのですよ。 僕は以前、良寛さんの本を読んで強烈なエピソードに出くわしたことがある。

そのエピソードって一体どのようなものでござ~ますか?

良寛さんが40代の頃の話というから、たぶん、越後国蒲原郡国上村(現燕市)の国上寺にある五合庵で暮らしていた頃のエピソードだと思いますよ。 ある日、村の女の子のことで騒ぎが持ち上がった。

どのような。。。?

その女の子は15歳か16歳で、小さな頃、子供仲間と一緒に良寛さんとよく遊んだことがあった。 その子のおなかが見るからに膨(ふく)らみ始めた。

妊娠したということでござ~ますか?

そうです。 まだ嫁に行く前の娘だから村中の噂にのぼった。 当然、誰が孕(はら)ませたのか? 村中で詮索が始まった。 その娘に尋ねても全く答えようとしない。 そのうち立派な赤ちゃんが生まれた。 しかし誰が父親なのか判らない限りその赤ちゃんの始末に困ってしまう。 両親は仕方なく村の名主(なぬし)さんのところに相談に行った。

それで。。。?

名主さんが娘を呼んで優しく問いただしたのですよ。

。。。んで、女の子は誰が父親だか名主さんに話したのですか?

それがなかなか話さない。 でも、名主さんは根気よく娘にいろいろと世間話をしながら、なんとか聞き出した。

その子はなんと答えたのでござ~ますか?

良寛さんだと答えたのですよ。 もちろん、名主さんは信じることができなかった。 でも、女の子がそう言うものだから、仕方なく名主さんは良寛さんのところへ相談に行った。

そしたら。。。?

良寛さんは薄笑いを浮かべながら答えて言うのですよ。 「その女の子がそう言うのなら私が孕ませたんじゃろう」 それで良寛さんがその赤ちゃんを引き取って育てたという話です。

このエピソードが「常不軽菩薩」と関係あるのでござ~ますか?

あのねぇ~、誰もが亡くなったら仏になるのだから、たとえ15歳の女子であろうとも軽んじてはいけない。 それで良寛さんは、その子の悩みを汲(く)んであげたのですよ。 そのような気持ちが良寛さんに働いたのだと思います。 だからこそ、ウィキペディアの説明にも書いてあるとおり、良寛さんは子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈して、子供達と遊ぶことを好んだのですよ。

つまり、だから子供にも好かれたと言うのですか?

そうです。 しかし、そのことを考えて安田靫彦の良寛和尚像を見ると子供が好きそうな表情には見えない。

子供と一緒に遊びそうな人物には見えないということでござ~ますか?

僕にはそう思えるのですよ。

。。。で、デンマンさんの目には良寛さんはどのような表情をしていたと思うのですか?

次のような表情をしていたと思うのですよ。

 


(ryokany.gif)

 



つまり、誰にでも優しく救いの手を差し伸べてくれる菩薩のような表情をしていたと僕には思えるのですよ。



そうですわね。 上の絵の良寛さんならば子供が好んで集まるかもしれませんわね。




初出: 2012年11月9日



【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

 

ですってぇ~。。。
良寛和尚像を描いた安田靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに、焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わりました。
良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計しました。

安田靫彦は1884年、東京日本橋の料亭の四男として生まれました。
日本絵画協会絵画共進会で横山大観、菱田春草、小堀鞆音らの作品を見て感動し、画業を決意したということです。
1898年より小堀鞆音に師事しました。
東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進みましたが中退しています。

後に岡倉天心に認められ、1907年に日本美術院に招かれ、院展の初回より作品を出品しています。
肺病に悩まされながらも晩年まで制作を続け、1978年神奈川県大磯町にて没しています。
墓所は大磯の大運寺です。

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『まんじゅう@富岡』

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(surfin2.gif)

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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増長慢

2023-04-06 02:14:54 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

増長慢

 


(tengu52.jpg)


(tengu51.jpg)


(ireba03.jpg)


(laugh16.gif)


丸亀城


(marugame.jpg)

 

海抜80メートルの小山をそのまま利用して築かれた丸亀城は、造形美の粋をこらした城壁の石垣で名高い。
石垣は、花崗岩の切石を巧みに積みあげたもので、2段、3段の層をなし、山腹を螺旋状に包みこんでいる。

また“扇の勾配”と呼ばれる二の丸の清正流三日月形の石組みは、その名の如く、ひらいた扇のようなゆるやかな曲線を描き、城全体に雄大さと優美さをかもしだしている。

この石垣には、石工・羽重 重三郎の哀話が残されている。
石垣を築くことにかけては名人とうたわれた重三郎は、その名声により、時の領主・生駒親正(いこま ちかまさ)に召しだされ、期待通りの腕をふるって石垣を完成させた。

ある日巡視にきた親正は、高々と聳(そび)えたつ峻険な石垣の出来栄えに感嘆し、
「この石垣を乗り越えるものは、空飛ぶ鳥のほかにはあるまい」
と大いに賞賛した。

有頂天になった重三郎は、うかつにも、
「私ならば、これ一本で登ってみせまする」
というや、かたわらにあった一尺あまりの鉄棒を切石の割れ目にはさみ、するすると頂上までかけ登ったかと思うと、また鉄棒を巧みにあやつって難なく地上におり立ったのである。

唖然とした親正は、その場ではともかく重三郎を誉めたたえたものの、内心では、この者を生かしておいては万一敵に通じた場合、要害堅固を誇る城も危険にさらされるに違いないと胸さわぎを覚えた。

 


(idosoko2.jpg)

 

その夜、親正は重三郎に場内の井戸の底を調べるように命じ、、上から石を落として殺してしまったという。

この話は、とかく増長慢(ぞうちょうまん)になりがちな人間の弱点を戒める教訓として、今日まで伝えられている。

 


(nihonsiro2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




231-232ページ 『日本の城ハンドブック新版』
監修者: 小和田哲男
2005年11月3日 第1刷発行
発行所: 株式会社 三省堂





(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけで“増長慢”にオイラを呼び出したのですかァ~?


(kato3.gif)

あのさァ~、オマエは“増長慢”という言葉の意味を知っているよなァ~?

当たり前でしょう! オイラはこう見えても早稲田の理工学部で数学科に籍を置いて優秀な成績で卒業したのですよ。。。増長慢の意味ぐらい知ってますよ。。。

だったら、意味を言ってごらんよ!

“増長慢”とは、仏教用語であり、「増上慢」と言う人も居ますよ。 意味は、己が悟ったと錯覚し、まさに増長して鼻高々に陥ることです。。。 そのことを持って天狗の鼻は高くなり、「天狗になる」などという言葉も出て来たのです。

オマエは、マジで知っているんだねぇ~。。。

この程度のことは常識ですよ。。。 「増長」とは、思い上がること。 つけあがることですよ。。。 「慢」は、当然、自慢していい気になることです。。。

じゃあ、オマエは、この言葉を聞いて 何か心当たりがあるだろう!?

。。。ん? つまり、オイラが“増長慢”だ、とデンマンさんは断定するのですかァ?

僕が そう断定すると、何か都合が悪いことでもあるのォ~。。。

お言葉ですが、オイラは自分では 一般的な日本人と比べても とりわけ謙虚だと自負しています。。。 うへへへへへへ。。。

オマエは、寝て起きたばかりじゃないよねぇ~。。。

いえ。。。 起きてからすでに半日が経過してますがァ~。。。 オイラが、何か寝ぼけた事を言っているとデンマンさんは妄想したのですかァ~?

あのさァ~、オマエは最近 物忘れが激しくなっただろう?

確かに、日本語が通じなくなってから久しい家内が、時たま そのようなことを口にすることがあります。。。

悪い事は言わないから、近くの高齢者専門のお医者さんに診てもらったほうがいいよ。。。

どうして、そのような事をデンマンさんは言うのですか?

オマエは、恥ずかしげもなく次のような事を 最近、ネット市民の皆様を前にして公開したのだよ。。。

 


言葉 - この世話がやける手段

F. M. 様



ご無沙汰をしております。お元気でご活躍かと思われますが、その後、F. M. さんは如何お過ごしですか。
引退は、まだ遠いことなのでしょうか。F. M. さんの近況を知らせて頂けませんか。

…(中略)…

以前に、F. M. さんから、私は読者に親切でないから、と書かれてきたのですが、他の人からも指摘されたことに外来語をカタカナで書かないこともあったのでしょう
(私も一方では、ドストエフスキーについて書くときに限って、ロシア文字を書けないので、カタカナを使わざるを得ない、という不徹底さがあり、残念に思っていますが、しかし、日本で働いていたときでも、外来語がラテン文字である限りは、alphabetを混えて技術書を書いておりました。別に誰からもひんしゅくをかいませんでしたが、皆が呆れて諦めていたのでしょう)。

日本では、何故か、英語では、二重母音を長母音(例を挙げればきりがないのですが、informationをインフォメーション)などの理解できない慣例が多く、ドイツ語では母音が続かないときの子音は無声音であるはずなのに(例として、Burgmuelerをブルグミューラア、また、この例では最後のアは不要でしょう)、などの妙な慣習(更なる例として、Schweizerをシュワイツァー、ドイツ語でのwは英語やフランス語のvの発音)が観られますね。
漢字、平仮名、カタカナ、アラビア数字混じりの現代の日本文で、何ゆえalphabetだけが忌避されるのか疑問に思いませんか。
また、Los Angelesをロスなどといって粋がっている輩もおりますが、Losというスペイン語起源の単語は、英語で言うならばtheにすぎなく(但し、男性複数名詞用の定冠詞)、Los Angelesとは、もともとがThe Angelsの意味であるぐらいのことは、alphabetを使っていたならば、そして、最低限の想像力があるならば、推測できてしかるべきことではないでしょうか。
また、ロスアン…ではなく、ロサン…であるべきということにも敏感にならざるをえないですね。
当方での日本人を見ていても、そうした疑問を抱いております。日頃、言葉そのものについて無神経であるから外国語の習得にも苦労するのですね。
そういえば、F. M. さんのsiteを読んでいたとき、W.A. Mozartの<<Requiem>>を「モツレク」などと言語不明瞭意味不明瞭に略すのを批判しておられましたが、日本では、それに限らず、品の無い造語が氾濫しているではないですか。
こうした若輩に迎合するから、新仮名使い当用漢字の夏目漱石や谷崎源氏などの、低きに合わせた日本文化に堕落しつつある、と思われませんか。
私は、親切ではありたいのですが、迎合はしたくないので私の著作を出版できなかったということで、それでは出版を諦めよう、という心境でした。

此処で、今、また、F. M. さんが、私たちの学生時代に、太田君の妥協は妥協のうちに入らないよ、と言っていたことを思い出しております。
もっと重要なことは、これは日本人には限らないのですが、しかし、とりわけ日本人は、自分が曖昧に考えていたことを誰かが適切に表現し、書いてくれたことに同感、共感、評価するに留まることが多いですね。
彼我の違いを悦ばない、余所者を受け付けない、誰々の論理は理解できる、ではなくて、誰々の気持ちは分るわぁ、といった類です。
それが故に、言葉に於いても彼我の差には敏感になれなく、それどころか自分の母国語ででさえ曖昧になり、更に、思考能力の低下をもたらしているのではないでしょうか。
また、そこでは、自分が賛成するかしないかはさておいての他者の論理の自立、論理の終始一貫性なんぞは等閑に附される傾向が無いでしょうか。
それは理屈だよ、理屈に過ぎない、などと言う人は、生涯なんらの自らの論理体系も形成せずに終るのではないでしょうか。
それでは、ドストエフスキーの小説の登場人物(例えば、<<カラマーゾフの兄弟>>のイワンなど)の思い、自分は、ぎりぎりのところ、こうとしか考えられないけれど、それでは自他が辛すぎる。

むしろ自分が間違っていたらならばよいのだが、のような煩悶、苦悩、願望の弁証法の片鱗も理解できないでしょう。
私は、傲慢な私に戻ったようです。しかし、日本人の謙遜、謙譲のgestureというものは、多くの場合、何のこと無い、自己保身にすぎないのではないでしょうか
(それは、当方の世間、世界では通じない甘えですので、二、三を除いては、こちらの日本人との付き合いは無くなってきました)。
私は、何もかも此方の方がよいとしているわけではありませんが、傲慢になったついでに書きますと、私は、私が書き続けた著作には、高い水準で、日本では、いや世界では始めての見解が此処彼処に読みとれられる、と自負しているのですが、反面、読み手から反応が少ないのは私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか、と小心な私は一方で首を傾げておりますが、如何でしょうか。




赤字はデンマンが強調)
108-109ページ
『書簡集』より


 



確かに、オイラは『書簡集』の中で上のように書きました。。。 それが、デンマンさんの気に障ったのですかァ~?



あのさァ~、オマエの書いたものは、外国語をカタカナで書かずに、アルファベットをそのまま書き込んでいるので誰からも拒否されて出版できなかったのだよ! それで、オマエ自身が書いている! 「オイラは親切ではありたいのですが、迎合はしたくないのでオイラの著作を出版できなかったのです」 オマエはちゃんと自覚しているのだよ!

うへへへへへ。。。

そのように うすら馬鹿笑いしている場合じゃないのだよ!

その事と“増長慢”は関係ないでしょう!

あるのだよ。。。 言うに事欠いて次のようにネットで公開したら、多くのネット市民の皆様が呆れてしまうのだよ!

 


(ireba03.jpg)

私は、何もかも此方の方がよいとしている

わけではありませんが、傲慢になったついでに

書きますと、私は、私が書き続けた著作には、

高い水準で、日本では、

いや世界では始めての見解が

此処彼処に読みとれられる、

と自負している
のですが、

反面、読み手から反応が少ないのは

私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか


と小心な私は一方で首を傾げておりますが、

如何でしょうか。


 



オマエは恥ずかしげもなく、身の程知らずに このように書いているのだよ!



あのォ~。。。 もしかして上の部分を読んで西田 芽理亜(にしだ めりあ)さんも呆れ果ててしまったのですか?

 



『悪名と名声』

 



あたり前田のクラッカー!



デンマンさん! 40年前のギャグを言うのはやめてください!

とにかく、恥知らずにも、ここまで書いてネットで公開したら、これを読む多くのネット市民の皆様は、呆れるばかりじゃない! 

呆れるばかりじゃないということは、どういうことですか?

もしだよ。。。 ノーベル賞に「大馬鹿部門」が設けられていたら、オマエは第1回のノーベル賞大馬鹿野郎になれるよゥ!

オイラが書いたことはそれほどすごいことなのですか?

そうだよ。。。 でも、オマエが上の文章をネットで公開してくれたおかげで、僕はこの記事を書くことができる。。。 そうでないかぎり、この記事を読んでくれるネット市民の皆様は、オマエのような変わった人間が居ることを絶対に信じないと思うよ。。。

オイラは、それほどすごい人間だとデンマンさんは信じてくれるのですか?

そうだよ。。。


(smilerol.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

やはり、仏のデンマンさんは

すばらしいです。。。

デンマンさんがオイラを

すごい人間だと認めてくれました。

オイラは日本語が分かる

130ヵ国のネット市民の皆様にも

知れ渡ってしまうのです。。。

 

海外からのアクセス

 


(wp70707map.png->wp70701map.png)



(wp70707.png->wp70701.png+wp70707b)

『葛飾北斎と太田将宏』@Denman Blog

 

もう こうなったら、スキップしてしまおう!


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

コスタリカ(Costa Rica)の首都の

サンホセ(San José)に滞在している

出口 亀雄(でぐち かめお)君も

読んでくれるのです。


(costa04b.jpg)

『おばさんパンツ@サンホセ』


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

もひとつおまけにィ~

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン


 



オイ!。。。 オイ!。。。 いつまでも喜んでいる場合じゃないのだよ!。。。 まだ、僕の話は終わっちゃいないのだよ。。。



あれっ。。。 まだ他にも言いたいことがあるのですかァ~?

あるのだよ。。。 オマエは 何を血迷ったのか婆(ばあ)さんに成りすまして次のコメントを書いたのだよ。。。

 


Identity theft をなさった

デンマンこと加藤明様について(改訂版)

by I. A.


太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏
(grandma9.jpg)


デンマン注

スピーカーをONにして 上の写真をクリックしてください。

太田将宏が ばあさんに成りすまして笑います。
別窓が開きます。 この男はオツムの回転が鈍いので
笑うまでに少し時間がかかります。

とにかく、虫唾(むしず)が走るようなうウザったい笑いです。
あなたも笑えますよ。 (爆笑)


2016-05-28 05:30:05

 

まだ、デンマンこと加藤明さんは、まるで狂犬病に罹った犬のように相変わらず吠え続けているのですね。

皆様、まずは、以下の駄文を読んで頂けますか。

 



(foolw.gif)

オイ! 太田将宏。。。オマエは相変わらず馬鹿だね!

どんな人物に成りすましても、このような愚かな極めて長い同じ内容のコメントを書くのは太田将宏しかいないのだよ!

愚か者! (爆笑)

オマエがこれまでに書いた すべてのコメントのIPアドレスは 次のアドレスなんだよ!

99.244.57.104

オマエは愚劣にも恥の上塗りをしているのを理解していない孤独で愚かな老人に成り下がってしまったのだよ!
実の娘にも、心優しい奥さんにも相手にされない、
愚かで哀れなもうろく爺さんになってしまったのだよ!
きゃははははは。。。


(laugh16.gif)

今、愚劣なオマエに付き合っている暇がないのだよ! (微笑)
大切な人に会っている最中なのだよ!
僕は孤独で愚かな老人のオマエとは違って
たくさんの大切な友人、知人、親戚の人たちに恵まれているのだよ!
ぎゃはははは。。。

オマエのような愚か者に こうして返信を書いている時間は、本来ならばもったいないのだよ!
でも、オマエのような愚か者と違って紳士の僕ちゃんは、オマエが愚かにも、同じ内容のたくさんのコメントを書きまくっているので、このままほおって置くと、愚かなオマエが、ますます愚かな行為を続けると思うので、仕方なくこうして返信を書いているのだよ!(爆笑)

そのうち大切な人たちと会って、時間のゆとりができたら、じっくりとオマエに関する記事を書くつもりなのだよ!
だから、同じ内容のコメントを もうこれ以上書くのをやめろよな!
オマエも、できたら、愚かな事を止めて、田舎者じゃなく紳士になれよな!

僕ちゃんのコメントを次の記事の中で引用したので読むように!


(paris29.jpg)

『きみ待ちわびて』

 

僕ちゃんの記事はたくさんの人に読まれるけれど、オマエの書いた愚劣なコメントなど真面目に読む人などいないのだよ!
オマエはネットでは、太田将宏という愚かな悲しい哀れで孤独な老人として知れ渡っているのだよ!
きゃははははは。。。

じゃあ、僕がオマエの記事を書くまで、元気にこの世に居て欲しい!
最後に、ぎゃはははははは。。。


(laughx.gif)


 

太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏

皆様。
妥協して、彼の想像から推測まででは、まあ、正常と致しましょうか。

でも、推測から空想、それが空想であることを自覚しているならば正常なのでしょうが、
彼としての曖昧さのために続く空想から妄想、その妄想についての自覚なんぞが全く無いので異常、つまりparanoiaに陥るのですね。

彼、デンマンこと加藤明様が書いていることを引用すると、
それだけでこちらの手が汚れるような気がしますので、
以下、ただの一例だけに致しますが、彼が言う、「孤独で愚かな老人」、
「実の娘にも、心優しい奥さんにも相手にされない」というのには、
太田さんを含めて私たち四人で大笑いを致しました。

まずは、太田さんが「実の娘にも、...、相手にされない」とのことですが、それはデンマンこと加藤明様の勝手な想像なのです。

二人の娘さんはUSAで働いていらっしゃるのですよ。
互いに忙しく、娘さんに度々会えないのは当然ではないですか。
まあ、empty nestでの寂しさがあるにしても「相手にされない」というわけではありません。

次に、彼の奥様についてなのですが、「心優しい奥さん」ですって???
太田さんの奥様が「加藤明さんの揉み上げを見ると虫唾が走る」と仰っていたのを太田さんが宥めて、
時おりでしたが、デンマンこと加藤明様を家に招き、
デンマンこと加藤明様が好きだという茶碗蒸しを用意させていた時期もあったことなどを


(chawan001.jpg)

デンマンこと加藤明さまが知る由も無いので仕方がないにしても、
太田さんの奥様が「心優しい」のは確かなのですが、
それにしても、デンマンこと加藤明様は知らぬが仏の三文道化師だったということですね。

此処からが重要なのですが、そもそも、他人の夫婦の機微や親と娘との関わりに、
もはや関係の無いデンマンこと加藤明様なんぞに、
あること無いことを出過ぎた態度で口汚く論評する資格はなかったでしょう。

加えて「僕は孤独で愚かな老人のオマエとは違ってたくさんの大切な友人、
知人、親戚の人たちに恵まれているのだよ!ぎゃはははは」ですって?!?。

デンマンこと加藤明様は自分を棚に上げていますが、彼こそが実年齢だけではなくて、
仲間内の幼児性を加えた「愚かな老人」ではないですか。

太田さんの方は、実年齢はともかくとしても、知的水準のみならず、
未だ溌剌とした現役のskierなのですよ。


(ski88.jpg)

更に重要な一般論として、そもそも、幸、不幸なんぞは誰もの人となりとは関係の無いことでして、
たとえ仮に誰かが孤独で不幸な人であったとしても、
それをデンマンこと加藤明様のような人が自分の方が孤独で不幸な人な人より
優位にあるなどと勘違いして、その軽薄な結果論で孤独で不幸な人をあげつらうことこそが、
皆様、さもしい彼らの品性ではないですか。

いえ、デンマンこと加藤明様は、品性のみならずに、
それら一切の区別、けじめがつかない程度の頭脳の持ち主ということなのではないですか。

要するに、デンマンこと加藤明様の為している全ては、
妄想にしか基づかないで他人を中傷すること自体を目的とするという卑劣な個人攻撃ですね。

奇妙なことに、いつぞや、デンマンこと加藤明様自身が太田さんに
「個人攻撃は良くない」などと抗議していたことがありましたが、
デンマンこと加藤明様は自分自身が何を言っているかすらも分かっていないのでしょう。

太田さんは事実に基づいて中傷などすることなしに抗議していたのです。
私たち三人も同様でしたが、デンマンこと加藤明さんよりも
私たちの方がparanoiacと皆様に思われないように、

この辺りで私もA. I. と同様に一時休止致しておりましたが、
もしかしたら、多分、もう、このような人、デンマンこと加藤明さんなどを相手にすることは、
私たちの人生での貴重な時間の無駄になるので止めようか、
と皆で話し合うことを提案するかもしれません。

 

I. A.




『孤独で寂しい太田将宏(PART 1 OF 3)』のコメント欄より


 



オイラが上の婆さんに成りすまして上のコメントを書いたとデンマンさんは断定するのですか?



その通りだよ。。。 詳しいことは次の記事で書いたので、もう一度読んでごらんよ。。。

『悪名と名声』

オマエは一人で道化師を演じてネット市民の皆様の笑いモノになっているのだよ。。。

マジで。。。?

あのさァ~、オマエは自分でも「こちらの日本人との付き合いは無くなってきました」と上の『言葉 - この世話がやける手段』の中で書いている。。。 つまり、オマエはトロントの日本人仲間の中では言わば“村八分”になっていたのだよ。。。

それは、“誹謗・中傷”です。。。

オマエが自分で書いてるのだよ!

“村八分”にされたとは書いてません。。。

だから、客観的に見ると、そうなのだよ。。。 オマエは自分で都合のいいように書いているだけなんだよ。。。 しかも、滑稽なのは、オマエは自分が書いた内容について2度、3度と読み返して推敲(すいこう)しようとしていない。。。

その証拠でもあるのですか?

あのさァ~、オマエは婆さん成りすまして「デンマンこと加藤明様が好きだという茶碗蒸し」と書いているけれど、この事実を知っているのは、オマエと心優しい奥さんの二人しかいないのだよ! 

 


(chawan001.jpg)

 



それ以外のトロントの日本人に僕は話したことがないのだよ。



マジっすかあああァ~。。。?

だから、オマエは愚かな道化役者だと、僕は言うのだよ! 5人に成りすまして僕の記事に嫌がらせのコメントを書いていることが、すぐにバレてしまうのだよ。。。

ついつい うっかりして 他の人が知らないことまで書いてしまいました。。。 やっぱり、完璧な人間は居ないという証拠ですねぇ~。。。 うへへへへへへ。。。

そうやって、うすら馬鹿笑いを浮かべて話題を変えようとしている場合じゃないのだよ。。。。

まだ他にも言うことがあるのですか?

あるのだよ。。。 オマエは婆(ばあ)さんに成りすまして次のようにも書いている!

 

太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏

太田さんの方は、実年齢はともかくとしても、

知的水準のみならず、

未だ溌剌とした現役のskierなのですよ。


 


(ski88.jpg)

 



オイラは、上の文章の中で 何か可笑しな事を書いてますかァ~?



あのさァ~、普通の日本人は このような文章の中でskierというアルファベットの英単語をまず書かないものなのだよ! スキーとかスキーヤーというのは、すでに日本語になっている! だから、オマエ以外に、skier と書く人は、まず居ないのだよ!

やっぱり外来語はカタカナで書くべきなのですか?

オマエ以外の日本人は99パーセントが、そう思っているはずだよ。。。

分かりました。。。 これから気をつけたいと思います。。。 バレないように。。。

それに、普通の日本人のネット市民の皆様は、オマエがプロのスキーヤーでもないのに、何で「未だ溌剌とした現役のskierなのですよ」と書いたのか理解に苦しむと思うのだよ。。。

どうしてですか?

あのさァ~、プロのスキーヤーの三浦雄一郎氏が、そのように書けば80歳を過ぎているのに たいしたものだ、と読む人は感心するかもしれないけれど。。。 オマエは時代遅れの大型コンピューターのプログラマーして退職後何もすることがなくて、5人に成りすまして嫌がらせのために、僕の記事にコメントを書きなぐっていたのだよ。

つまり、プロ・スキーヤー以外の人が「溌剌とした現役のskierなのですよ」と書くことは禁止されているのですか?

別に禁止されてないけれど、オマエの場合だったら、「時代遅れの大型コンピューターのプログラマーとしてはすでに退職したものの、未だ溌剌とした現役のプログラマーとして、周りの人から馬鹿にされながらも、一生懸命にプログラムを組んでいます」と書くのが知的で教養のあるやり方なのだよ。。。

でも。。。、でも。。。、オイラは趣味のスキーをやっていますが、そのスキーのテクニックはプロ級なのですよ。。。

だから、それがオマエの増長慢なのだよ! オマエだけが、そう思い込んでいる! 実際、オマエの家で心優しい奥さんが自ら作ってくれた茶碗蒸しを食べていると、オマエは酒を飲んでほろ酔い気分になったところで、急に次のように言ったのだよ!

 


(ireba03.jpg)

私は、デンマンさんが旨そうに

茶碗蒸しを食べているのを

妨害するつもりではありませんが、

ほど良く ほろ酔い気分になったついでに

言いますと、私は、素人ではありますが、

スキーにかけてはプロも驚くほどの

上達を成し遂げて

日本でも、 いや世界でも通用するような

スキーヤーだと自負している
のです。

反面、聞き手の反応が少ないのは

私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか


と小心な私は一方で首を傾げております。


 



これを聞いた心優しい奥さんは、「内の宿六は、ほろ酔い気分になってまた 悪い癖が出て 増長慢になり 誰も興味のない自慢話をし始めた! 恥ずかしい思いをするのは、いつも私なのよ!」 と僕に言ったのだよ!



マジで。。。?

オマエは、都合悪い事は忘れてしまうけれど、そういうことが度々(たびたび)あったので、現在、オマエと奥さんとの関係が次のように成ってしまったのだよ!

 




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。


長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。

家内と言えば、

日本語も通じなくなってから

何年にもなる。



私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)





初出: 2017年7月10日



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
あたしは、太田さんの娘さんにも、奥様にもお会いした事はありません。

でも、娘さんは、二人とも アメリカで女医さんになっているほどですもの。。。
娘さんにしても、奥様にしても、決して悪い人ではないと思いますわ。

それなのに、太田さんは 娘さんとも、奥様ともうまくやっていないという事は、
太田さんに、問題があると思うのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って 読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。


(hand.gif)


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(kimo911.jpg)

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(juneswim.jpg)


(byebye.gif)
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他人の不幸は…

2023-04-04 01:39:51 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

他人の不幸は…

 


(maiko19.png)

 


『鑓の権三重帷子』

(やりのごんざかさねかたびら)



(gonza05.jpg)

あらすじ

鳥取藩士の笹野権三は、若殿の祝言で茶を点(た)てることを命じられた。
権三は「鑓の権三」と異名をとる遣い手だったが、太平の世に剣術では出世できない。
そこで、茶道役での出世を狙う。

しかし、この手前は格式の高い「真(しん)の台子(だいす)」で行わなければならない。 ... これは茶道指南役・浅香市之進から伝授を受けたものしか扱えず、権三はまだ伝授を受けていなかった。
しかも市之進は現在、江戸詰めで鳥取にはいない。
そこで権三は、市之進の妻おさゐから、真の台子の伝授を受けようと考えた。

権三が目指す祝言の茶道役を彼の同僚・川側伴之丞も狙っていた。
権三は伴之丞の妹・お雪と縁談を進め、本来なら伴之丞と親しく付き合えるはずだったが、権三は、嫌味な性格の伴之丞が好きになれず、伴之丞も権三をライバル視し、やはり真の台子の伝授を受けようと、おさゐに近づいた。
伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。 美男の誉れ高い権三で、娘の夫になってもらいたいと、おさゐは権三に伝え、もし承知してくれれば伝授すると約束した。
権三は悩んだ。 自分にはすでに許婚(いいなずけ)がいる。 ここは恋を取るか、出世を取るかの選択となった。

悩む権三の姿を見て、おさゐはいらつく。 権三には許婚がいるのを知っていた。 権三が締めていた帯も許婚が贈ったもの。
このままでは権三が取られてしまう。
おさゐは忌々(いまいま)しい帯をを権三から取り、私のを締めればいいと自分の帯を解いた。 すると、この状況を伴之丞が目撃する。

伴之丞は夜這(よば)いをして、おさゐから伝授を得ようと企(たくら)んでいた。
しかし、権三に先を越されたと早合点し、二人の帯を持ち去り、それを証拠に不義密通を訴え出た。

権三とおさゐは、二人で鳥取から逃げ去るが、逃亡先の京伏見で、おさゐの夫・浅香市之進の手に掛かる。

ここを観て聴いて

二人に不義密通の事実はなかった。
しかし、解かれた帯を証拠にされては、もう言い逃れは出来ない。
権三はもう、武士が廃(すた)ったと切腹を覚悟するが、おさゐはそれを押し止め、そして権三に懇願する。
私の夫・浅香市之進は妻の不義で恥をかき、その上、不義相手を討ち果たす妻敵討(めがたきうち)が出来なければ恥の上塗り。
それでは妻としてあまりに不憫なので、「どうせ死ぬのなら夫に討たれてください!」。
理不尽とも思えるこの願いを権三は受け入れる。
これも出世を望み、許婚を捨てようとした罰か……。

印象的なラストシーン

二人は、おさゐの夫・浅香市之進以外の者に斬られないように国を出た。
その二人を見つけ手に掛ける市之進。
権三は何の弁明もせずに討たれるが、おさゐは夫に真実を告げたかった。
しかし市之進は何も聞かずにおさゐを斬った。

この後、刀をじっと見つめてから捨てた、市之進役の人形遣いがいた。
今までに見たことのない演出だったが、妻を斬った苦しさ、武士の空しさが痛いほどよく判った。

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




102-103ページ 『名作文楽50』
著者: 高木秀樹
2005年7月1日 初版第一刷発行
発行所: 株式会社 世界文化社





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デンマンさん。。。あんさんは古臭い文楽などに関心がありますの?


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あきまへんか?

あっかァ~ん!と言うつもりはないんやけど、どないなつもりで文楽など持ち出してきやはったん?

あのなァ~、めれちゃんは文楽が古臭いというけど、この『鑓の権三重帷子』は、『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』と『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ』と共に近松門左衛門の三大姦通劇と言われて現在でもよく知られてるゥ。 実際、1986年には映画化されてるのやでぇ~。。。

 


鑓の権三

 


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近松門左衛門原作の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』の映画化で、1986年に作られた。
「卑弥呼」の富岡多恵子が脚色。
監督は「瀬戸内少年野球団」の篠田正浩。
撮影は同作の宮川一夫がそれぞれ担当。

あらすじは世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』とほぼ同じだが
おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、権三と夫婦の契りをかわしてから」と、旅篭(はたご)で激しく愛しあう。

宇治の川岸にかかる橋の上で、ふたりはついに市之進と出会った。
そして、彼の刀に倒れるのだった。
一件落着し、浅香家では遺児・虎次郎が亭主となり、茶を立てている。

配役:

郷ひろみ (笹野権三)
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
加藤治子 (お雪の乳母)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
浅川奈月 (市之進娘・お捨)
大滝秀治 (岩木忠太兵衛)
三宅邦子 (忠太兵衛女房)
河原崎長一郎 (忠太兵衛伜・甚平)
竹中直人 (権三の同僚・文右衛門)
浜村純 (道具屋の主人)
小沢昭一 (船頭)




篠田正浩監督作品

『乾いた花』 『鑓の権三』





 



デンマンさん。。。あんさんは上の映画を観やはったん?



もちろんやァ。 『堀川波鼓』は1707年2月15日に、大坂竹本座で初めて演じられた。 1706年に起きた、鳥取藩士が妻敵(めがたき)を討った事件を基にして近松門左衛門が書いたものなのやァ。 そやから、『鑓の権三重帷子』も、実際に起きた事件を基にして近松が書いたものやと思うねん。

つまり、実際に起きた事件を基にして近松のおっさんが書いたものやさかいに、あんさんは観る気になりはったん?

そうやァ。。。そやけどなァ~、次の箇所はドラマチックにするために付け足したと思うねん。


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おさゐは忌々しい帯を権三から取り、

私のを締めればいいと自分の帯を解いた。

すると、この状況を伴之丞が目撃する。




この場面はあまりにも不自然やと思うねん。



どうして。。。?

このような見え見えの事をするかいな! これでは、「私たちが不義をしている所を見て!見て!」と宣伝しているようやないかいなァ! アホらしくて、観ているわての方が恥ずかしくなったでぇ~。。。

なにも、あんさんが恥ずかしくなることはおまへんがなァ~。。。

とにかく、観客の目に不自然やと思われるような事はせ~へんこっちゃ!

。。。で、あんさんは、その事が言いたいために、わざわざ『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

ちゃうねん。。。そのような些細な事で記事を書くかいなァ!

そやったら、どないな理由で『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

あのなァ~、このような不義密通をテーマにした作品は“姦通物(かんつうもの)”と呼ばれておるのやけど、戦後、姦通罪が無くなったのに、どうして未だに人気があるのか? その事をわては考えさせられたのやがなァ。

それで、記事のテーマにしようと思いはったん?

そうやァ。 江戸時代から太平洋戦争まで、この姦通罪は、不義をした妻と、その相手の男だけに適用されて、この二人が罰せられた。 つまり、夫が妻以外の女と浮気をしようが2号さんを持とうが罪とはならへん。

それは男女同権に反しますやん。

そやから、戦後、姦通罪は廃止されたのやがなァ。 それにもかかわらず、未だに『鑓の権三重帷子』が上演されたり 1986年には映画にもなった。 つまり、人気が続いているねん。

『忠臣蔵』が未だに人気があるのと同じ理由やと、わたしは思うわァ。 つまり、吉良上野介を悪者にして、悪い奴をみなで懲らしめはるゥ。 そういう場面を見て日本人は気分良く日常生活に戻ってゆきはる。 気分がすっきりして癒されますねん。

なるほどォ~。。。言われてみれば分かるような気がする。 そやけどなァ、『鑓の権三重帷子』の場合はちょっと違うと思うねん。

どないに。。。?

実は、日本の家庭の主婦は、多かれ少なかれ「おさゐ」さんのような中年女性が多いと思うねん。

伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。

美男の誉れ高い権三で、

娘の夫になってもらいたいと、

おさゐは権三に伝え、

もし承知してくれれば伝授すると約束した。


つまり、たいていの主婦は打算的で、スーパーならば人よりも良い物を安く手に入れたいと思う。 夫に失望している妻は、せめて娘だけには夫よりも有望な若者を探して見合いでもさせたいと思うてる。 しかも、最悪の状態になっても、諦め切れない未練がましい気持ちにとらわれる。 そやから映画のような状況に共感する。

 


(gonza14.jpg)

おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、

権三と夫婦の契りをかわしてから」と、

旅篭(はたご)で激しく愛しあう。


 



つまり、このような願望を日本の中年主婦が持っていると、あんさんは言わはるのォ~?



夫に失望している妻ならば、当然やろう?

そうやろか?

そやけどなァ、おさゐも権三も殺されてしまうのや。 それを見定めて観客の中年主婦は、きっと次のように思うねん。

 


(kaisendon.jpg)

ああ~  思えば、わたしだってぇ、

同じような状況であれば、

同じような事をするかも。。。

駄目な夫と生活しているけれど、

殺されるよりは

生きて旨い物でも食べていた方がええわァ。


ここで初めて常日頃不満タラタラの家庭の主婦は蜜の味を感じるのやァ。

 

“他人の不幸は蜜の味”

 
 


あんさん!。。。、これはかな~り性格の悪い解釈ですぇ~。。。



さよかァ~。。。?




初出: 2012年1月8日



【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
デンマンさんは近松門左衛門の作品にハマっているようですわ。
かつて『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)について次の記事を書きました。


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『心中と切腹』

(2010年11月25日)


同名の人形浄瑠璃は1721(享保5)年に、大坂竹本座で初演されました。
実際に1721年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を基にして書いた作品です。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されています。
また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られています。
後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれのこたつ)が主に上演されています。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)


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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』も

近松門左衛門の三大姦通劇の一つですが、

この人形浄瑠璃は1707年2月の初演以来、

上演が途絶えていたのです。

それが1964年にNHKで復活しました。

これを映画化したものが今井正監督による『夜の鼓』です。

新劇では俳優座が『つづみの女』として上演しました。

鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、

夫が江戸詰めで国許を留守にして間に、

酒席で飲みすぎて、そのはずみで

鼓師・宮地源右衛門と褥(しとね)を共にしてしまいます。

そして不義の子を身ごもるのです。

その噂のために、妹のお藤(ふじ)の縁談は

破談になってしまいます。

隠しきれなくなったたねは、

夫への忠節を示すため自分の胸を突き、

非を詫びながら夫の手で絶命します。

たねの妻仇(めがたき)を討つべく、

彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて

宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすという物語です。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
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あんどん かつどん

2023-03-28 02:12:23 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

あんどん かつどん

 


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あんどん (あんかけ丼)


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かつどん (かつ丼)


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てんどん (天丼)


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デンマンさん。。。 あんどん というのは「あんかけ丼」のことでござ~ますかァ~?


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京都でもあんどん というのは「あんかけ丼」と言うのですか?

いいえ。。。「あんどん」というのは、時代劇に しばしば出てくる照明器具ですわァ~。。。

 


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「あんどん」と言えば、日本全国でこの時代物の照明器具を意味するのではござ~ませんかァ~? デンマンさんの埼玉県の故郷ではレストランで「あんどん」と言うと、「あんかけ丼」が出てくるのですか?



いや。。。そういうことはありません。。。レストランで「あんどん」と言ったら、おそらく注文を取りに来た女性が、不思議な顔をすると思いますよ。。。

じゃあ、「あんどん」が「あんかけ丼」を意味するのは、どこの地方の方言なのでござ~ますかァ~?

僕の知る限り、そういう方言はないと思います。

じゃあ、どういうわけで「あんどん」を持ち出したのですか?

あのねぇ~、最近、記事を書いて頭が疲れた時など、息抜きに落語を聴くのですよ。。。2,3日前に古今亭志ん朝の次の落語を聴いたのです。。。

 


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「首提灯」という面白い話なのですよ。。。

 



落語「首提灯」

 


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首提灯(くびぢょうちん)は古典落語の演目の一つ。
原話は、安永3年(1774年)に出版された笑話本『軽口五色帋』の一遍である「盗人の頓智」。

元は小噺程度の短いものであったが、4代目橘家圓蔵が一席物にまとめた。
古今亭志ん朝は『頭山』と並んでSF落語の嚆矢としている

後に上方にも伝えられたが、まったく異なる話となった。

主な演者には、6代目三遊亭圓生(この噺で芸術祭文部大臣賞受賞)、そして林家彦六などがいる。

 

あらすじ

酩酊状態の男が品川遊郭へ行こうと人気のない夜の芝山内に差し掛かった時だった。近頃、芝山内には追い剥ぎや辻斬りが出るという噂が立っており、さっさと通り抜けようとするところ、男は背の高い侍に突如声をかけられる。
侍は道に迷ったと言い、麻布へはどう行けばいいかと尋ねてくる。

噂の辻斬りと疑い内心で焦っていた男は虚勢を張るが、侍の口調に訛りがあることに気づくと酔いも手伝って田舎侍と罵倒を始める。
怒るものの、しょせんは酔っ払いが相手だと穏便に対応する侍であったが、これに気を良くして男はさらに増長し、罵詈雑言を浴びせた末に、痰を吐き掛ける。
これについに侍は激怒し、目にも留まらぬ居合抜きで男の首を斬ると、その場を去る。

あまりにも見事な居合だったために、自分が斬られたことに気づかない男はそのまま歩みを始める。
しかし、声が喉から漏れたり、段々首がズレたり、首元を触れば血糊がべったりとしていて、ようやく首を斬られたと気がつく。

男はニカワでもあれば元に戻るかなどと軽口を言っていると、道先で火事が起こっていることに気づく。
既に大量の野次馬がおり、人混みを無理に掻き分け進むと首が落ちてしまうだろう。
そこで、男は首を掴むと提灯のように持ち「はいごめんよ、はいごめんよ」。

上方版(上燗屋)

上方に移る際、まったく別の話となった

まず立ち飲み屋(上燗屋)での店主と客のやり取りが主となる。
演者は泥酔した客を演じ、初めてきた上燗屋の酒や料理を仕切りに褒める。

やがて会計の段になり、客は細かい持ち合わせが無かったためにツケにしようと浅い策を練るが、店主にあっさり拒絶される(この最後の場面をサゲとして「上燗屋」という題で演じられる場合もある)。
仕方なく客は近くにあった古道具屋に入り、仕込み杖を買って金をくずして支払う。

その後、酔客は家路につくが、せっかく買った仕込み杖を使いたいとウズウズとする。
そこであえて家を無防備で留守であるかのように見せる。

すると案の定、泥棒が入ってくる。
そして泥棒が中の様子を見るため首を伸ばしたところを、スパンと一刀の下に斬る。

しかし、泥棒は首が斬れているのに死なず、慌てて家の外に飛び出し首を斬られたとボヤく。
すると近所で火事があり、自分の首を提灯のように持ってその場を逃げる。

 

備考

江戸時代、提灯には明かり以外に名札としての役割があった。
提灯には紋や屋号を特注して入れ、これで遠目にも誰であるか容易に特定できるようになっていた。
この演目のサゲ(オチ)はこのことが前提となっている。

コトバンクでは、「首や胴が切られても活動するという奇抜な発想がおもしろく、この種の咄はほかに『胴取り』『胴斬(ぎ)り』などが現代に残されている」と評している。

落語評論家の山本益博も解説で取り上げている。

1995年に古今亭志ん朝が高座で取り上げ、NHKにおいて放送された。
放送の際、志ん朝が自身で解説を行った。
林家彦六から稽古をつけてもらったこと、冬の話なので夏には出来ないこと、SF落語の嚆矢として他に『頭山』を引き合いに出すなどの話をした。

演者としては、その志ん朝がよく知られた他、上方に移った演目では桂枝雀が得意としていた。




出典: 「首提灯」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この話に入る前の「枕」で、最近の20才前後の若者は、古今亭志ん朝さんが若い頃に知っていた日本語が解らないという話をするのですよ。。。その話の中に「あんどん」が出てくる。。。若い女性に尋ねると、「あんどん」と語呂が似ている「かつどん」や「てんどん」の連想から「あんかけ丼」のことですか?…という返事が帰ってきたと言うのです。。。



あらっ。。。知らないとは言うものの、絶妙な答えではありませんかァ~。。。おほほほほほほ。。。

確かに、「行灯(あんどん)」を知らなければ、語呂が似ているので「あんかけ丼」だと思うかもしれません。。。

デンマンさんは、当然知ってますよねぇ~。。。

もちろん、知ってます。。。僕が子供の頃は時代劇映画をたくさん見ましたからねぇ~。。。夜の場面では、行灯が必ずお屋敷の座敷に出てましたよ。。。

他に、どのような日本語を志ん朝さんは取り上げたのですか?

次のような言葉が出てくるのですよ。。。

 



にこごり(煮凝り):魚を似た汁が、冷めて固まったもの

そこつ(粗忽):そそっかしい

せっちん(雪隠):トイレ

はばかり(憚り):トイレ

しきい(敷居):引き戸や障子などを開けたてするための床や畳のそばにある横木

かもい(鴨居):引き戸や障子などを立てる、溝のある上の横木



 



このような言葉の後で、古今亭志ん朝さんが昔 サントリーのCM(コマーシャル)に出たことがある、という話が続くのです。。。

 


 



その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時に、たまたま『オーケー牧場の決闘』の話になったと言うのです。。。。

 



OK牧場の決闘

 


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OK牧場の決闘(英語: Gunfight at the O.K. Corral)とは、1881年10月26日、アリゾナ州コチセ郡トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こった銃撃戦。

1881年10月26日、ワイアット・アープらを始めとする市保安官たちと、クラントン兄弟(父親オールド・マン・クラントンはこの2ヶ月前に既に物故)をはじめとするカウボーイズがアリゾナ州コチセ郡トゥームストーンの町で撃ち合い銃撃戦となった。

これは正式な意味での決闘ではなく、表面的には市保安官が銃不法所持者を武装解除しようとした際に発生した銃撃戦と言える。

そして実際にはアープ組とカウボーイズ組とのさまざまな確執の結果であるというのが今日の見方である。
すでにダッジシティで保安官として名を馳せたワイアット・アープが、1879年の12月1日、銀鉱山であるトゥームストーンへ一旗揚げようと兄弟のジェイムスとバージルの家族と共にやって来た。

当初はまだカウボーイズらとの仲は悪くなかったと言われている。
それが銃撃戦にまで至る事情はおおむね次のような原因が重なったためと言われている。

トゥームストーンでワイアットは2番目の(しかし内縁の)妻のマティと不仲になり、その頃郡保安官ジョン・ビアンと付き合っていたジョセフィン・サラ・マーカスと三角関係になり、結局ジョセフィンを手に入れる。

カウボーイズらの郡党(County Party。民主党支持)と、アープ組の法と秩序党(Law And Order Party。共和党支持)の対立。
それは1880年10月、カーリー・ビルによるフレッド・ホワイト保安官殺害事件となり、両陣営の亀裂をさらに深める。

1881年7月、駅馬車強盗の容疑者として、ドク・ホリデイがジョン・ビアンにより逮捕される。後に無罪判決となる。
駅馬車強盗の犯人に関する闇取引(アイク・クラントンに対して、仲間を売るように持ち掛けた)に関する諍いで、アイク・クラントンはワイアット、ドク・ホリデイ双方と喧嘩状態になる。決闘前夜にドクとアイクは酒場で喧嘩となる。

このようないきさつにより、アイク・クラントンは、「アープ兄弟と決闘だ」、「ワイアットを殺す」と町の仲間らに言いふらしており、アープらも「決着」をつけなければいけない気持ちになっていた。

ドク・ホリデイは、肺結核を患っており半ば死に場所を探しているような節があり、最初からこのいざこざに加勢するつもりでいた

当日は、「フライ写真館の隣にある空き地から、フリモントストリートに出たあたりで、カウボーイズ組が銃を所持しているので、武装解除するべきだ」と市民の忠告を受けた、バージル・アープは、彼らをただ武装解除するだけのつもりで出かけた。

決闘は、郡保安官の仲裁も失敗に終わり、約30秒、30発の銃弾でほとんど至近距離での撃ち合いとなった。

決闘後、アープ組は全員殺人罪で起訴されたが、全員無罪となった。
この判決を受け、カウボーイズ組はバージルとモーガンを闇討ちし、バージルは腕を、モーガンは命を失う。
その後、ワイアット・アープら自警団は、モーガン殺害の実行犯と見られたフランク・スティルウェルをツーソン駅構内で殺害したと言われている。

その後、ワイアットとドクはロサンゼルスへと移ったが恩赦はおりず、貧困を極めたが、やがて1920年代に当時映画撮影の中心地となったハリウッドで西部劇の決闘の演技を指導する仕事に就いた。
そしてその折りにワイアットはこの決闘を題材として売り込んだと言われている。

決闘の名称について

「OK牧場の決闘」の名称は、1957年にジョン・スタージェス監督が制作した西部劇映画『OK牧場の決斗』の邦題に由来する。
映画の原題(および英語での事件名)であるGunfight at the O.K. Corralは直訳すれば「OKコラルの銃撃戦」となる。

コラルとは家畜の囲いを意味し、牧場の畜舎を指すこともあるが、ここでは旅の集団が牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる、西部開拓時代特有の囲い場を指し、実際に映画の中で描かれている「O.K. Corral(オーケー・コラル)」も町はずれにあって柵で囲ってあるだけの簡素な囲い込み場で、一般的な意味での牧場ではない。

しかしこの映画の日本公開にあたり、配給会社が「OKコラルの決闘」では分かりにくいので「OK牧場の決闘」と意訳し、この映画を受けて日本では史実の決闘のことも「OK牧場の決闘」と呼ぶようになった。
映画の題名がそのまま史実の名称として語られることになった珍しい例といえる。

関係者

アープ組
バージル・アープ - 市保安官で、ワイアット・アープの兄 右太腿負傷
ワイアット・アープ - 市保安官 無傷
モーガン・アープ - ワイアット・アープの弟 負傷
ドク・ホリデイ - ワイアット・アープの友人 大腿部打撲

カウボーイズ組
アイク・クラントン - オールド・マン・クラントンの子 決闘には不参加(逃走)
ビリー・クラントン - オールド・マン・クラントンの子・アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー - アイクの友人 死亡
トム・マクローリー - フランクの弟 死亡
“ザ・キッド”ビリー・クレイボーン - カウボーイズの知り合い 決闘中に逃走。リンカーン郡戦争で有名なビリー・ザ・キッドとは別人。




出典: 「OK牧場の決闘」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この有名な「OK牧場の決闘」を扱った映画は、何度か映画にもなっている。。。だから、、僕もバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 2本「OK牧場の決闘」を扱った映画を観てます。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』








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『拡大する』

『実際のページ』




 



この映画に出てくるドッグホリデーが労咳(ろうがい)病(や)みで、…今で言う肺炎(肺結核)を病んでいて、健康な人よりも、こういう病弱な人が決闘のような場面に出てくるところが格好がいい、と志ん朝さんが言うわけです。。。日本ならば、さしずめ平手造酒(ひらてみき)だろう、と志ん朝さんが続ける。。。

 



平手造酒

 


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平手 造酒(ひらて みき)は、江戸時代幕末の剣客。
本名は平田 深喜、名は深木、三亀とも書く。

仙台藩あるいは紀州藩の藩士など諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。

博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝6時ごろ)。
享年30、あるいは30代とも。

争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは造酒一人のみと伝わる。
墓所は千葉県香取郡東庄町の延命寺。
また、神崎町松崎の心光寺にも、身を寄せていた名主の建立した平田三亀の墓がある。

講談や浪曲の『天保水滸伝』では、江戸は神田お玉ヶ池の千葉道場で、北辰一刀流千葉周作門下の四天王のひとりとされた俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。

 

平手造酒を扱った作品

一連の騒動を別個に取材した宝井琴凌と5代目伊東陵潮が、お互い材料を持ち寄って1856年(安政3年)にひとつの台本に仕上げたとされる講談『天保水滸伝』が有名である。

これとは別に、河竹黙阿弥作の歌舞伎『群清滝贔屓勢力(むれきよたきひいきのせいりき)』が1867年(慶応3年)に上演されている。
浪花節では、正岡容脚色による2代目玉川勝太郎が人気を博した。

講談

飯岡助五郎:改良天保水滸伝(講演:松の家太琉 他)

小説

天保水滸伝(高木為鎮)
半身のお紺(笹沢左保)
今朝もまた夢―平手造酒外伝(笹沢左保)
武蔵野水滸伝(山田風太郎)
花も刀も(山本周五郎)
月とよしきり(津本陽)

浪曲歌謡

大利根月夜(唄:田端義夫)
大利根無情(唄:三波春夫)
大利根ながれ月(唄:氷川きよし)

映画


平手造酒(1925年、監督:大久保忠素、平手造酒:森野五郎)
祐天吉松(1925年、監督:中山呑海、平手造酒:尾上多見太郎)
天保悲剣録(1927年、監督:山崎藤江、平手造酒:坪井哲)
平手造酒(1927年、監督:村越章二郎、平手造酒:光岡龍三郎)
平手造酒(1928年、監督:志波西果、平手造酒:大河内伝次郎)
阪東侠客陣 第一篇・中篇・最終篇(1928年、監督:仁科熊彦、平手造酒:片岡左衛門)
天保水滸伝(1928年、監督:丘虹二、平手造酒:葉山純之助)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:澤村國太郎)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:明石緑郎)
平手造酒(1930年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
平手造酒(1931年、監督:星哲六、平手造酒:明石潮)
決戦大利根の暁(1932年、監督:橋本松男、平手造酒:片岡左衛門)
喧嘩道中記(1932年、監督:青山正雄、平手造酒:清水隆之助)
闇討渡世(1932年、監督:伊丹万作、平手造酒:片岡千恵蔵)
平手造酒 白衣剣鬼録(1933年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
一刀流酒供養(1933年、監督:石山稔、平手造酒:海江田譲二)
一刀流闘士陣(1933年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鳥羽陽之助)
八州侠客陣(1933年、監督:石田民三、平手造酒:木村正二郎)
平手造酒(1934年、監督:西原孝、平手造酒:市川百々之助)
天保水滸伝(1936年、監督:山本松男、平手造酒:杉山昌三九)
義憤の血煙(1936年、監督:山本松男、平手造酒:大河内龍)
八州侠客陣(1936年、監督:マキノ正博、平手造酒:清水英朗)
平手造酒(1937年、監督:稲葉蛟児、平手造酒:海江田譲二)
春秋一刀流(1939年、監督:丸根賛太郎、平手造酒:片岡千恵蔵)
関東剣豪陣(1941年、監督:田崎浩一、平手造酒:原健作)
天保水滸伝 大利根の夜霧(1950年、監督:佐伯清、平手造酒:山村聡)
平手造酒(1951年、監督:並木鏡太郎、平手造酒:山村聡)
天保水滸伝 利根の火祭(1952年、監督:安達伸生、平手造酒:坂東好太郎)
やくざ狼(1953年、監督:萩原遼、平手造酒:杉山昌三九)
地獄の剣豪 平手造酒(1954年、監督:滝沢英輔、平手造酒:辰巳柳太郎)
潮来出島 美男剣法(1954年、監督:安田公義、平手造酒:黒川弥太郎)
関八州大利根の対決(1957年、監督:志村敏夫、平手造酒:丹波哲郎)
天保水滸伝(1958年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鶴田浩二)
花の遊侠伝(1958年、監督:安田公義、平手造酒:千葉敏郎)
あばれ街道(1959年、監督:小沢茂弘、平田深喜:戸上城太郎)
遊太郎巷談(1959年、監督:田坂勝彦、平手造酒:植村謙二郎)
関の弥太っぺ(1959年、監督:加戸敏、平手造酒:千葉敏郎)
血闘水滸伝 怒涛の対決(1959年、監督:佐々木康、平手造酒:大友柳太朗)
大利根無情(1960年、監督:的井邦男、平手造酒:三波春夫)
草間の半次郎 霧の中の渡り鳥(1960年、監督:内出好吉、平手造酒:須賀不二男)
美男の顔役(1961年、監督:沢島忠、平手造酒:鈴木金哉)
座頭市物語(1962年、監督:三隅研次、平手造酒:天知茂)
男度胸のあやめ笠(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:黒川弥太郎)
勢揃い関八州(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:近衛十四郎)
天保遊侠伝 代官所破り(1965年、監督:山内鉄也、平手造酒:内田良平)
天保水滸伝 大原幽学(1976年、監督:山本薩夫、平手造酒:高橋悦史)

テレビドラマ

東芝日曜劇場 第125回「剣」(1959年、平手造酒:木村功)
平手造酒(1960年、平手造酒:嵐寛寿郎)
新国劇アワー / 地獄の空ッ風(1960年、平手造酒:辰巳柳太郎)
講談ドラマ / 孤影(1963年、平田深喜:御木本伸介)
甲州遊侠伝 俺はども安(1965年、平手造酒:平幹二朗)
新・日本剣客伝 第4話「平手造酒」前編・後編(1969年、平手造酒:鶴田浩二)
日本任侠伝 第1シリーズ 第2話「笹川繁蔵」(1969年、平手造酒:宗方勝巳)
女殺し屋 花笠お竜 第23話「女ごころを酒が呼ぶ」(1970年、平手造酒:高宮敬二)
めくらのお市(1971年、平手造酒:丹波哲郎)
青空浪人 第8話「血風お玉ヶ池」(1971年、平手造酒:上野山功一)
遠山の金さん捕物帳 第119話「平手造酒を斬った男」(1972年、平手造酒:若林幾夫)
天下堂々(1973年、平手造酒:村野武範)
天保水滸伝 平手造酒(1973年、平手造酒:栗塚旭)
必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜(1985年、平田深喜:樋口隆則)
必殺まっしぐら! 第11話「相手は向島の元締」(1986年、平田深喜:内藤剛志)
必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察(1990年、平田深喜(平手造酒):滝田栄)
女無宿人 半身のお紺(1991年、平手造酒:萩原流行)
名奉行遠山の金さん 第3シリーズ 第18話「美女の陰謀!関八州あばれ旅」(1990年、平手造酒:寺田農)※スペシャル
あばれ八州御用旅 第4シリーズ 第1話「男涙の大利根無情!抜荷街道の謎を追え!」(1994年、平手造酒:萩原流行)※スペシャル
秋のスペシャル時代劇 / 平手造酒 利根の決闘(1997年、平手造酒:古谷一行)
御家人斬九郎 第4シリーズ 第3話「大利根の月」(1999年、平手造酒:近藤正臣)





出典: 「平手造酒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



日本では、確かに、平手造酒は色々な作品に登場して有名なのですよ。。。ところが、古今亭志ん朝さんがサントリーのCMに出て、その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時、平手造酒を持ち出すと、知っている人はたったの一人だったと言うのです。。。



あたくしは、詳しいことは知りませんけれど、名前だけは度々聞いたことがござ~ますわァ~。。。それに、平手造酒が出ている時代劇の映画も、おぼろげながら観たことを覚えていますわ。。。。デンマンさんは平手造酒の映画をご覧になったことがあるのでござますかァ~?

もちろん観てますよ。。。僕はバンクーバー市立図書館でDVDを借りて『座頭市物語』を観て、その中に出てきた天知茂が扮している平手造酒を見ています。。。

 


(zato22-12-16.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』




 



あらっ。。。上の映画を2013年の1月に観てコメントを書き込んだのですわねぇ~。。。



そうです。。。平手造酒の映画を観るつもりではなかったのですよ。。。僕は『座頭市』にハマっていて、座頭市シリーズは 26作品ある内で、バンクーバー市立図書館にあるものは全て観ました。。。平田造酒は1962年に制作された 上の第1作目に出てきたのです。。。この話をしてから、志ん朝さんは家に帰って、丁度いい機会だからというので息子を呼んで、平手造酒の話をしたと言うのです。。。「平手みきなんて、僕は知らないよ。もしかして女性歌手?」 息子さんは、そう言ったそうですよ。。。

そういえば、女性歌手に仲宗根美樹と言う人がいましたわねぇ~。。。

 



 



その名前の連想で「平手みき」が別の女性歌手だと思ったのですわねぇ~。。。



そういうことなのですよ。。。平手造酒と書いて、「どうして造酒を《みき》と読むんだい?」と逆に尋ねたそうです。。。

確かに「造酒」は、普通ならば「ぞうしゅ」、あるいは訓読みにしても「つくりざけ」としか読めませんわねぇ~。。。おほほほほほ。。。

志ん朝さんは 1938年3月10日に生まれて 2001年10月1日に亡くなっているのですよ。。。今の若者とは時代が違うから、話が通じないのも無理はありません。。。

デンマンさんは志ん朝さんのお話を聞いて違和感はありませんでしたかァ~?

僕は戦後生まれでも、今の若い20代の人たちよりは、志ん朝さんの世代に近いから、それほどの違和感はありません。。。それに、平手造酒が出てくる『座頭市物語』も観ていましたから。。。




初出: 2022年12月18日


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、平手造酒が出てくる映画を観たことがありますか?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』




『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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未亡人の苦悩

2023-03-22 04:10:50 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

未亡人の苦悩

 


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デンマンさん。。。今日は、デンマンさんが未亡人を悩ませた お話をするのですかァ~?


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ジュンコさんには、僕が未亡人を悩ませるような人間に見えるのですかァ~?

デンマンさんは、上のような けっこうエロい画像をデッチ上げているので、未亡人を悩ませたことがあると考えられても仕方がありませんわァ~。。。

あのねぇ~、もし僕が上の画像のようなセクシーで美しい未亡人を悩ませていたら、わざわざ画像までデッチ上げてネットにアップロードして公開などしませんよ。。。

つまり、デンマンさんには未亡人を悩ませてみたいという秘めた欲望があるのですわねぇ~? うふふふふふふ。。。

いや。。。僕には、そのようなエロい欲望はありません。。。

じゃあ、どういうわけで未亡人の苦悩 を取り上げるのですかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv23-03-14.jpg)


『拡大する』

『未亡人の苦悶』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で3月15日の午前1時3分から午前2時20分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。 3月15日の午前1時15分にピンタレストからやって来て 未亡人の苦悶 を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。実は、インドネシアのスラバヤ市に住んでいる矢野亀夫君が読んだのです。。。

 


(ip114124.jpg)



 



スラバヤという町は大きな町なのですか?



インドネシアでは第2の都市ですよ。。。東ジャワ州の州都であり、人口は約297万人(2021年)です。。。明の時代から華僑が在住していて、漢字では「泗水」という名前で知られてます。。。天然の良港タンジュン・ペラック港を中心に、オランダ植民地時代から貿易の中心として栄えたのですよ。。。現在でも、インドネシア最大の港湾で、最大の軍港です。。。中国人やアラブ系住民も多く、チャイナタウンやアラブ街もあります。。。

矢野君はスラバヤ市で何をしているのですか?

地元のアイルランガ大学の情報工学部でメディアと情報分析を勉強しているのですよ。。。

 



 



上のリストの リファラ のリンクをクリックするとどんなページが出てくるのですか?



次のページが表示されるのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

『未亡人の苦悶』


 



このページはどこで見つけたのですか?



矢野君は落語が好きなので、久しぶりに落語のYouTubeでも探そうと思ったのですよ。。。

 


(rakugo23-03-19.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

『後家殺しページ』


 



矢野君は上のページの左上の赤枠で囲んだ写真をクリックしたのですか?



そうです。。。

落語に、マジで「後家殺し」という演目があるのですか?

あるのです。。。

 



後家殺し

 


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おかみさんが居ないのが好都合だと言い、男が聞き始めた。
表の伊勢屋の後家と常吉は、3年越しのいい仲になっていた。
出会いは、伊勢屋で浄瑠璃の会があって、助演として「三十三間堂棟由来、平太郎住家の段」を語った。
後家さんは年のころ二十七、八で、色白の上品ないい女。

後家さんは「嬉しいじゃないの。亡くなった亭主が良くやっていた『柳』だなんて」、それを聞いた常さん、急に心配になって、出だしから巧くいかなかったが、途中で後家さんを観ると首を振り振り聞いているので、気を持ち直して語り尽くした。

汗を拭き着替えていると、酒とお食事が用意されていて太棹の吉蔵達と一緒にご馳走になった。

翌日も二人が呼ばれて、忠臣蔵を語り、歓待されて帰ってきた。
またその翌日にも、今度は一人でと招待され、酒肴で歓待された。
あまり飲めないので気分が悪くなり、横にならしてもらうと、長襦袢の上に黒の羽織をかけた後家が入ってきて、「亭主が亡くなって3年、みだらな心を起こした事は無いが『柳』を聞いて心が変わった。私を、面倒見て欲しい」と。

家に帰って家内と相談したら、「打ち明けてくれたので、貴方の良いようにしてもイイ」と。
それ以来の3年越しの付き合いなんだ。

男が、常さんは想っているが、女とはそんなものでは無い。
俺は見たんだが、いい男と後家が話をしているのを聞いてしまった。
「常さんとは、時期の良いときに話をして別れ、その後にお前と生涯連れ添うよ」と。
常の耳に入れると大変な事になるからと友人からも注意されていると告げ口して、逃げるように帰って行った。

火の無い所には煙は立たない、と疑い始まるとキリが無い。
飲めない酒を飲んで、酔うどころか頭が冴えて、出刃包丁を研ぎ上げ、手ぬぐいに巻いて懐に。
伊勢屋に酔っ払って入ったが、聞く耳を持たず出刃包丁を突きつけ、逃げる後家が転ぶのを背後から、滅多差しにして殺害してしまった。

役人が出てきて取り押さえられ、調べてみると根も葉もない話で、あまりにもうらやましいので作り話で煽っただけだと解った。
人を殺せば死刑と決まっていた。

白州に引き出された常吉は、痩せ細り消沈してうな垂れていた。
「江戸無宿、常吉面(おもて)を上げィ」、無宿というのは人別帳からはずされているので、家族に累が及ばない。
御上の御慈悲です。
「御上の御慈悲により『打ち首』申しつくる。ありがたくお受けいたせ」。
「最後に一つ、奉行聞き叶えてあげるが、なにか有るか」、と問われて常さん、 「後家も殺しましたし、もう一人殺したい者が居ましたが、それも叶わぬ事。(義太夫口調で)後に残りし女房子が、打ち首とォ聞くゥなァらばァ、さこそ、なげかァん~、ふびん~やァーとォー」と語ると、
奉行、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」



 



こういう噺なのですよ。。。



矢野君は初めて聴いた演目なのですか?

一度聴いたことがあった。。。でも、殆ど忘れてしまって、どういう筋なのかも忘れていたのですよ。。。それで、改めて聴いてみたというわけです。。。

でも、この噺って、よくわかりませんわァ~。。。

どこがわからないのですか?

最後にお奉行が、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」と感心したように叫びますが、これはいったいどういうことですかァ~?

上のあらすじだけを読んだのでは理解できないのは無理もないのですよ。。。

でも、実際、三遊亭圓生の落語を聴いてみると理解できます。。。

 


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演目を語る前に噺家は「まくら」という世間話のような小咄を語るのですよ。。。演目と関係ないことを話すこともあるけれど、演目を理解するのに必要な事を話す場合もある。。。上の高座では三遊亭圓生が義太夫の掛け声について「まくら」で語っている。。。



奉行が、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」と叫びますけれど、この「後家殺しッ!」という掛け声は、演目の中で誰も後家を殺してなくとも、かけるのですか?

そうなのです。。。義太夫(ぎだゆう)では語り手が観客を感動させるような場面になると、聴衆が、特に大阪の聴衆は「後家殺しッ!」という掛け声をかけるのです。。。それが粋(いき)なことだとされていた。。。

それは知りませんでしたわァ。。。拍手はしないのですか?

拍手するようになったのは明治になってからのことだと言うのですよ。。。それまでは、もっぱら掛け声をかけたというのです。。。「待ってました!」というのが決り文句だったようです。。。

どうして江戸時代には拍手しなかったのですか?

拍手というのは、歌いながら手拍子をとる時とか、女中さんを呼んで酒を持ってきて欲しい時に手をたたくという時以外は、まず手をたたくということはしなかったのですよ。。。

時代が変わると、ずいぶんと様子が変わるものなのですわねぇ~。。。

そうです。。。現在では「後家殺し」は禁句になっている場合がありますよ。。。GOOのブログで「#後家殺し」とハッシュタグをつけたら、「その語句は受け付けられません!」という表示が出てきました。。。

記事の中に書くのは構わないのですかァ~?

記事の中に書くのならば問題はないけれど、ハッシュタグに書くとダメなんですよ。。。

ダブルスタンダードですわねぇ~。。。

時代が変わると、そういう変なことをする人間が出てくるのですよ。。。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

貴方も落語は好きですか?

もし他の演目を聴いてみたかったら、次のページから気に入ったものを選んで聴いてみてくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「落語は、どうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわァ~。。。

 


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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


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『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』


(cleopara2.jpg)

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

『核戦争』

『1910年の飛行レース』

『エンペラー習近平』


(sunwind2.gif)

『暗殺@GOO』

『テロとの戦い』

『マリアのミイラ』

『パナマ文書』

『南京事件』

『古代文明人』

『海の文明人』

『CIAの暗躍』

『特異点の世界』

『JFK 証拠隠滅』

『トランプ@スキャンダル』

『フェーリア・モール』

『使い捨てファッション』

『万物の理論』

『カラル遺跡』

『アレン・ダレス』

『JFK暗殺の証拠』

『エロいモナリザ』

『ダイアナは殺された?』

『タイムトラベラー』

『ロバート・ケネディ暗殺』

『超古代文明』

『つぶやき効果』

『大正デカダンス』

『五千五夜物語』

『ケチ 6日知らず』

『13日は不吉』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



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小柴垣草子

2023-03-06 03:57:49 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

小柴垣草子

 


(koshiba09.jpg)


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(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どうして“小柴垣草子”を持ち出してきたのでござ~ますかァ~?


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どうしてでしょう?

惚(とぼ)けた事を言わないでくださいましなァ~。。。 タイトルに“小柴垣草子”と書いてあるではござ~ませんかァ! デンマンさんが持ち出してきたのですわよう!

あのねぇ~、上のタイトルをつけたのは僕じゃないのですよ。

でも、タイトルを書くのはデンマンさんしかいないじゃござ~ませんかァ!

確かに、タイトルを書いたのは僕なんだけれど、タイトルを書くように仕向けたのは僕じゃないのですよ。。。 ちょっと次のリストを見てください。

 


(liv50928b.png)

『拡大する』

 



上のリストはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から28日までの4週間の「リンク元URL」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 15番に注目してください。



あらっ。。。 GOOGLEで検索して『後白河上皇とポルノ』を読んだネット市民の皆様が 14名いたということですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 次の記事を読んだのです。

 


(shibagaki4b.jpg)

『後白河上皇とポルノ』

 



でも。。。、でも。。。、どうして『後白河上皇とポルノ』と“小柴垣草子”が関係あるのでござ~ますか?



確かに、ポルノにハマってない人にとっては、関係があるとは思えないかも知れませんよねぇ~。。。

あらっ。。。 “小柴垣草子”はポルノなのでござ~ますか?

いや。。。 ポルノと言ってしまっては身も蓋もありません。。。 ちょっと次のリストも見てください。

 


(liv50928c.png)

『拡大する』

 



上のリストは『徒然ブログ』の3月1日から28日までの4週間の「人気検索キーワード」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 8番に注目してください。



あらっ。。。 “小柴垣草子”が出てきたではござ~ませんかァ~。。。 8番目に人気があるのですわねぇ~。。。 でも、これだけでは『後白河上皇とポルノ』と“小柴垣草子”の関係がイマイチ分かりませんわァ~。。。

卑弥子さんのために“小柴垣草子”を入れてGOOGLEで検索してみました。。。 その結果を見てください。

 


(gog50928a.png)

『現時点での検索結果』

 



“小柴垣草子”を入れてGOOGLEで検索すると、3、440件ヒットして、『徒然ブログ』に掲載された『後白河上皇とポルノ』が 9番目に表示されるのですわねぇ~。



そういうことです。

。。。で、“小柴垣草子”というのはポルノにハマっている人にとっては 人気がある“草子”なのでござ~ますか?

『ウィキペディア』には次のように書いてありますよ。

 


小柴垣草紙


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小柴垣草紙(こしばがきぞうし)は、春画の絵巻物である。
「小柴垣草子」「野宮草紙」とも称され、また後述する長文系統の話末に独自の宗教観に基づく評釈があることから、宗教的な極意伝授を意味する『灌頂巻』と呼ばれることもある。

原本は平安時代末期に描かられたと推測されるが、現在残っているのは江戸時代の模本や写本である。
他にも古春画絵巻は、後世の模写によって何点か残っているが、その中でも『小柴垣草紙』は、官能的な物語を流麗な筆致の詞書と濃密な愛欲描写の挿絵によって描き、日本の古春画最高傑作とみなされている。

寛和2年(986年)花山朝の斎宮済子女王が、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕するため洛西嵯峨野の野々宮で潔斎していた折、美男の滝口武者平致光を誘惑し密通したとの噂が流れ、ついには済子の伊勢行きが取りやめになったという、『十訓抄』第五にある物語に基づく秘戯図である。

伝写本は数多いといわれ、さまざまな異本があるが、原本はおそらく12段前後の詞書と挿絵から成っていたと推測される。
画は藤原信実筆、詞は藤原為家筆とも、奥書より画は住吉慶恩(13世紀初頭の絵師。住吉派の祖とされる)筆、詞は後白河天皇または久我通具筆ともいい、ほかに豊後法橋画というもの、土佐光則画というものなどがある。
しかし、あからさまに性愛を扱う内容のため、公開される機会は極めて少ない。

伝承としてこの絵巻物は、承安元年(1171年)高倉天皇に嫁いだ平清盛の娘平徳子に対して、彼女の叔母にあたり後白河天皇の女御だった平滋子が贈ったとする説がある。
後白河天皇は、絵巻物好きで好色な人物だったことを考えると、小柴垣草紙も後白河の意向で制作された可能性が高い。

『小柴垣草紙』は詞書の長短で二種類に分類できる。
一つは斎宮と平致光の一夜の逢瀬を濃密な性表現によって描写した後、この密通が発覚して斎宮群行が取りやめられた結末で終わる短い内容の伝本群。

もう一つは前者の内容に加えて、逢瀬の後に再会し、噂を耳にした女房も加わり、最後は性行為の有り難さについて宗教的言説を用いて解説した、やや長い内容を持った伝本類である。
順序としては、まず短文系統が成立し、次いでこれを増補する形で長文系統が現れたと見られる。




出典: 「小柴垣草紙」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



。。。で、どういうわけで“小柴垣草子”を取り上げたのでござ~ますか?



だから、僕が取り上げたのじゃないと言ってるでしょう!。。。 知る人ぞ知る“小柴垣草子”には 隠れた人気があるのですよ。。。だから 14人が“小柴垣草子”を入れて検索して『後白河上皇とポルノ』を読んだのですよ。

だから、どう言う訳で隠れた人気があるのでござ~ますか?

人間の本性を代弁しているからですよ。

たとえば。。。?

例えば次のように。。。

 



(goshirakawa.jpg)

平安時代の末期である院政期には「日本で一番前衛的な天皇様」である後白河上皇が大活躍をして、絵巻物の黄金時代を現出させた。

(中略)

日本の国宝級の絵巻物を続々と生み出した日本最大の文化プロデューサーである後白河上皇は、ポルノというものが嫌いだったのだろうか?---ということになると、そんなことはない。
彼はちゃんと、ポルノグラフィーの制作に関与している(らしい)のだ。
男女---あるいは人間同士の性交渉を描写した(たぶん)日本で最初の絵巻物《小柴垣草子絵巻》の詞書(ことばがき)は、後白河上皇が直接書いたのだといわれている。
彼はちゃんと、やっている(らしい)のだ。

 (中略)

平安時代には、賀茂神社と伊勢神宮という二つの大きな神社の神に仕える、“斎院”“斎宮”と呼ばれる特別な未婚の女性がいた。
“特別”というのは、この女性たちが内親王をはじめとする皇族の娘たちだったからだ。
“神の花嫁”となって、斎院は京都の賀茂神社へ、斎宮は伊勢神宮へと出向いていった。
彼女たちは当然“未婚の処女”でなければならないし、神に仕える間に男との交渉を持ってはならない。
がしかし、その神聖な処女である伊勢の斎宮が、ある時警護の男性と密通をしてしまった。
大スキャンダルになって、彼女は斎宮の地位を下ろされて出家させられてしまうのだが、《小柴垣草子絵巻》は、その“歴史上の大事件”を題材にした絵巻物なのである。

 (中略)

986年の夏、やがては伊勢に下ってゆくことになる斎宮・済子(さいし)は、京都の野の宮で、身を清めるための潔斎に時を過ごしていた。
決して男を近づけてはならない斎宮を守るために身辺警護の男達がいて、その中に平致光(むねみつ)という武士がいた。
《小柴垣草子絵巻》の詞書によれば、「この男を御簾の間からご覧になった斎宮はポーッとなってしまった」のである。

ポーッとなってしまった斎宮は、夜になって、その致光が庭の小柴垣のそばで横になっているのを発見した。
身辺警護の武士たちが夜勤の時にいつもそうするように、致光も庭の垣根のそばで寝ていたのである。
ポーッとなった斎宮は、御簾から出て、その男を誘惑してしまった。


(shibagaki4c.jpg)

赤字はデンマンが協調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより。)




168ページ 『ひらがな日本美術氏2』
著者: 橋本治
1997年8月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



なるほど。。。 なるほど。。。 うふふふふふ。。。 神聖な処女である伊勢の斎宮が 庭の垣根のそばで寝ていた平致光(むねみつ)さんを見て ポーッとなってぇ、御簾から出て誘惑してしまったのですわねぇ~。。。 とっても。。。、とっても。。。、積極的なのですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。



卑弥子さん。。。 あまり興奮しないでくださいよ。。。 鼻息が荒くなってきましたよ。。。

つまり、平安時代の女性は性的に積極的だったのでござ~ますか?

それは僕よりも京都の女子大学で“腐女子”たちに「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子さんの方がよく知っているでしょう!? 次のような話も源氏物語にはあるじゃありませんか!

 


好色な老女官(ろうにょかん)をめぐる

恋のさやあて



(seisho05.gif)

頭の中将は「源氏に、自分だと気づかないうちに、ここを抜け出そう」と、無言のまま、怒り狂ったふりをして、太刀を抜くと、源の典侍(げんのないしのすけ)は「あなた様、あなた様。どうかお助けを」と、中将に向かって手をすり合わせるので、もう少しで吹き出すところだった。

典侍(ないしのすけ)は、色っぽく若作りしているので、うわべは何とか見られるが、57、8歳の女がだらしない姿でうろたえて、しかも二十歳(はたち)の若者たちの間で震えているのは、なんともぶざまだ。

頭の中将は、別人をよそおい、恐喝(きょうかつ)するふりを演じて見せたが、源氏はかえって目ざとく見抜いてしまった。

「自分と知ってわざとやったんだ」と気づくと、ばかばかしくなった。

「頭の中将だな」とわかると、おかしくてたまらず、太刀を握った腕を捕らえて、ぎゅっとつねった。

中将のほうも、見破られてしゃくに障るものの、我慢しきれず、吹き出してしまった。

(pp.86-87)


頭の中将が、源氏と老女官の寝ている部屋に忍びこみ、屏風(びょうぶ)をがたつかせて脅(おど)す場面である。
『源氏物語』の滑稽譚(こっけいたん)の最たるものだ。

女性は、早いと30代で床離れするのが、当時の夫婦生活である。
当然、この老女官は淫乱症として、徹底的に嘲笑されることになる。




源の典侍(げんのないしのすけ)は

紫式部の兄嫁か?


源の典侍は、50半ばの好色な老女として描かれている。
徹底的に戯画化して描かれ、彼女の登場は笑いを誘わずにはおかない。

ところが、この源の典侍にはモデルがあって、なんと、作者紫式部の兄嫁だというから驚く。
当時の公家日記に照合すると、確かに源明子という典侍が実在し、年齢も同じ50半ばだという。

しかも、『源氏物語』の評判を恥じて、辞表まで出したと推測されている。
もし事実ならば、紫式部という小姑(こじゅうと)の底意地の悪さは相当なものだ。
もっとも、事の真相は不明だが。

(pp.88-89)





『愛の形』より
(2009年6月6日)


 



卑弥子さんの専門の源氏物語にも 57、8歳の大年増(おおどしま)の好色な女官が出てくるのですよ。。。 でしょう!?



好色な大年増なら分からないことでもござ~ませんわァ。。。 でも、花も恥らう10代の女性で積極的なのは どうかと思いますわァ~。。。

あのねぇ~、年に関係なく、人間というものは性に関心を持つものなのですよ。。。 卑弥子さんだって10代の頃に性に関心を持ったでしょう!?

それは。。。 それは。。。 少しは。。。

少しどころじゃないでしょう! 10代の頃に性に関心を持ったので卑弥子さんは源氏物語を読み始めたのですよ!。。。 そうでしょう!?

デンマンさん! んもおおおォ~。。。 そのようなことをネット市民の皆様の前でバラさないで欲しいのでござ~ますわァ~。。。

とにかく、後白河上皇も好色な上皇だったのですよ。。。 だから、次のように書いている。

 



(shibagaki7.jpg)

御髪(おぐし)はいと心くるしくこぼれかかりて、また、黒くにくさげなるところ、月の影にほのばかり見ゆる心まどひ、言はんかたなし。




(現代語訳)

長い髪は痛ましげにこぼれかかって、黒くてちょっとヤバいところが、月の光でかすかにセクシーに見えてドキドキしてしまうところは、もうなんとも言えないのだよ。


 



上の写真はぼんやりしてよく解りまへんけど、誘惑された平致光(むねみつ)さんが斎宮の「黒くてちょっとヤバいところ」を見つめているところなのでござ~ますかァ~?



そうですよ。。。 その気持ちが僕にも伝わってきますよ。 うししししし。。。

そのように下卑た笑いを浮かべないでくださいましなァ~。。。 要するに、男性が喜ぶポルノですわねぇ~。。。

あのねぇ~、平安時代は性に対しておおらかな考え方を持っていたのですよ。 だから、現在のように隠れてコソコソとポルノを見るような雰囲気はなかった。 語弊があるかもしれへんけど、現在と比べれば、フリーセックスの時代だった。 そういうわけで、ポルノの需要がほとんどなかった。

でも、後白河上皇が性交渉を描写した(たぶん)日本で最初の絵巻物《小柴垣草子絵巻》の詞書(ことばがき)を書いたのでしょう!? ポルノの需要がなかったら、そのような事は書かないでしょうに。。。

あのねぇ~、卑弥子さんも知ってのとおり、平安時代には性に対するタブーは現在から比べれば極めて少なかった。 しかし、その少ない中のタブーが“斎院”と“斎宮”にまとわりついていた。

つまり、“斎院”と“斎宮”と呼ばれる女性は“未婚の処女”でなければならないし、神に仕える間に男との交渉を持ってはならないということですか?

そうですよ。。。 だから、当然、このタブーに男たちの関心が注がれる。 《小柴垣草子絵巻》という絵巻は、そのタブーを犯した事件があったから、男たちの関心が集まったというわけですよ。 原本は失われて、現在に伝わってない。 だけど、何度となく模写したらしく、そのコピーが現代に伝わっている。

要するに性的タブーがあって初めてポルノが生まれたと、デンマンさんは考えているのでござ~ますか?

それが大きな理由の一つだと思いますよ。 つまり、タブーを犯したという事実は、いつの時代にも、その当時の社会に衝撃を走らせる。 社会に波紋を広げてゆく。 その波紋が好奇心をくすぐって《小柴垣草子絵巻》という絵巻が出現したと思うのですよ。

斎宮・済子(さいし)と平致光(むねみつ)の密通事件は、それほどの波紋を投げかけたのでござ~ましょうか?

あのねぇ~、平安時代の性的におおらかな時代に、“斎院”と“斎宮”に厳しい“戒律”を押し付けることがそもそも不自然なのですよ。。。 だから、当然それを破る女性が出てきても不思議じゃない。。。 だから、この話は現代まで語り継がれているのですよ。




初出:2015年9月30日



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ですってぇ~。。。
あなたは、実際に斎宮・済子(さいし)と平致光(むねみつ)の密通事件があったと思いますか?

関係者は皆、あの世に逝ってしまっているので、“死人に口無し”でござ~ますわ。
真相は闇の中に隠されたままでござ~ます。

ところで、古代にも いろいろな不思議な謎がございます。
お時間があったら、古代の謎も 探求してくださいませぇ。

平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。
ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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(byebye.gif)
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がめつい奴

2023-02-23 02:53:35 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

がめつい奴

 


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デンマンさん。。。 質問があるのですけれど。。。


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日本語の質問ですか?

そうです。。。 上の演劇のタイトルはがめつい奴ということですけれど 「がめつい」というのはどういう意味ですか?

あれっ。。。 ジューンさんは、これまでに「がめつい」という言葉を聞いたことがないのォ~?

たぶん、聞いたことはあると思うのですけれど、意味も解らずに聞き流していたと思うのです。。。 たまたま上の演劇のクリップに出くわしたので、改めてデンマンさんに尋ねようと思ったわけです。。。

上のクリップを見れば意味が解るでしょう!?

一度観ましたけれど、よく聞き取れないのですわァ~。。。

どういう話なのですか?

この作品は、菊田一夫作の戯曲を基にして演じられたのですよ。。。 古い話だけれど、1959年度の芸術祭主催公演用に芸術座のために書き下ろされたのです。。。 戦後の演劇史においては初めてとなるロングラン公演となり、その記録は1983年に劇団四季が『キャッツ』を公演するまで破られることがなかった。

つまり、人気の演劇だったのですわねぇ~。。。で、どういう内容なのですか?

あらすじは『ウィキペディア』に書いてあります。

 


がめつい奴 (あらすじ)

 


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お鹿婆さんこと向山鹿は、釜ヶ崎で1泊60円の簡易旅館「釜ヶ谷荘」を営む一方で高利貸しも行っている。

よく深く抜け目のない性格は周辺の人々にも有名だが、戦災孤児のテコを引き取って育てる一面もある。

「釜ヶ谷荘」に定住している人々は多く、ポンコツ屋の熊吉と占い師のおたか、マッサージ師の圭子、鹿の娘である咲と共謀して美人局(つつもたせ)をしている「通天閣の雄」、ニコヨンの世話人である「播州の鉄」、麻薬屋の源さん、かつては女形の役者として活躍していた実川深之丞、千三つ屋の神田に加え、ホルモン料理の屋台を出している小山田初枝と絹の姉妹もいる。

かつて、小山田姉妹の父は「釜ヶ崎荘」周辺の土地を所有していたが、家族で疎開している間に、鹿を始めとする人々に勝手に使われてしまった。

妹の絹は鹿の息子の健太と親密な仲だが、姉の初枝は鹿から土地を取り返したいと強く望んでいる。

そんな初枝に熊吉がおたかの目を盗んで接近し、手を貸すと告げる。

戸惑いながらも初枝は熊吉の申し出を受け入れる。

そんなある日、鹿の亡くなった夫の弟だという彦八がやって来て、鹿が3000万を貯め込んでいることを知っていると暗にほのめかす。

土地を返すように頼み込んでもまともに取り合おうとしない鹿に、初枝は訴訟を起こすことを告げる。

そこに熊吉がやって来て、弁護士を料理屋に連れて来たから会おうと初枝を誘い、宿を出る。

初枝の体を奪うとともに土地の権利書を取り上げた熊吉は、次の日に健太たちに土地の売買を持ちかけるが、鹿に拒絶され、話はなかったこととなる。

熊吉が出て行った後に戻って来た初枝は、2人から権利書を売りに来たと教えられて驚き、熊吉を探しに出かける。

鹿が梅干しの瓶に入れてしまい込んでいた金を勘定していると、健太がやって来て、絹と結婚するから財産の半分をくれと頼み込む。

断る鹿ともめているうちに、健太は鹿の首を絞めてしまう。

騒ぎに驚いて集まった住人の1人である風船売りの「閣下」の人工呼吸によって事なきを得たところにテコがやって来て、自分の知らない男たちが「釜ヶ谷荘」を取り壊すと言っていたことを住人に告げる。

あわてて出て行った住人たちと入れ違いで入って来た彦八が鹿の金の入った瓶を探していると、テコに見つかってしまう。

彦八は、梅干しが好きだから800円で瓶を売ってくれと、テコに頼む。

本当に梅干しが好きなのかと念を押した上で、テコは彦八に梅干しの瓶を1つ渡す。

改めて彦八が瓶の中を確認すると、そこには金はなく、ただ梅干しが入っていた。

権利書を土建屋に売った熊吉がカフェーでホステスをからかっていると、初枝がやって来て権利書を返して欲しいと頼み込む。

馬鹿にする熊吉を初枝は隠し持っていたナイフで刺し、逃げる熊吉をなお追いかける。

一方、鹿と健太は、権利書を手にした土建屋の升金と土地の売買について話し合う。

熊吉が刺されたのを見た鹿は、土地を買う方が得だとわかっているものの、立ち退けば初枝と争うこともなくなり、絹も健太と幸せになれると考え、升金に立退き料を支払ってもらうことにする。

そして、亡くなった熊吉の身包みをはいで近所の空家に埋めた住人たちに立退き料を払った鹿は、絹を健太の嫁にもらいたいと、初枝に頼む。

警察に自首すると言う初枝に、絹は熊吉のような悪人は殺しても罪にならないと反対する。

しかし、初枝は普通の世間に出るためにはそう言う態度は通じないと諭し、さらにパン屋を営業していたこともあるおたかに、自分が出所したら一緒にパン屋をやろうと言う。

やがて「釜ヶ谷荘」は取り壊され、空地になる。

結局、鹿のもとから金を得られなかった彦八はやりたい事業も出来ず、大阪の千三つ屋から制裁を受け、そこを通りかかった鹿とテコにも邪険に扱われる。

簡易旅館の経営を辞めてからの鹿は、お金を貯め込んでいるにもかかわらず、テコと乞食を始めていた。

一方、健太と絹は玉3つを5人前にして売るうどん屋を始め、咲は雄と一緒に美人局を続けている。




出典: 「がめつい奴」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、「がめつい」というのは、「よく深くて抜け目がない」ということですか?



そういうことです。。。 実は、「がめつい」というのは、上の作品を作った劇作家の菊田一夫の造語なのですよ。。。 「ごまかす」という意味の「ガメル」に「ツイ」をつけた形容詞なのです。。。 太平洋戦争前の広辞苑には掲載されてないのです。。。

「ごまかす」という意味の「ガメル」という動詞をデンマンさんは使ったことがあるのですか?

ありますよ。。。 子供の頃に、子供仲間では「騙して奪う」という意味で よく使われたものですよ。。。 おそらく、上の作品が人気が出て「ガメル」という動詞も使われるようになったのかも知れません。。。 僕は、子供の頃『がめつい奴』という演劇も、映画も見たことはないけれど、「がめつい」という言葉はよく使いました。。。

ついでですけれど、ホルモン料理の「ホルモン」は英語の"hormone"ですか?

たぶん、多くの人がそう思っているでしょうねぇ~。。。

違うのですか?

いろいろな説があるみたいですよ。。。 たまたま、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしましたよ。。。

 


辞書が嫌った「ホルモン焼き」

 


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ホルモン焼きと呼ばれる料理がある。
牛や豚の臓物を焼いた食べ物に、その名はあたえられている。
客には、小さく切った肉片を、串へさしてだすのが、基本形だとされてきた。 (略)

さて、『広辞苑』は代表的な国語辞典だとされている。
初めて出版されたのは、1955年であった。

だが、その初版は、「ホルモン焼き」という項目をのせていない。
もう、その名は、料理じたいも世にでまわっていたが、見おとしている。
あるいは、あえて黙殺をきめこんだという可能性もある。

いや、ことは初版だけにかぎらない。
その第2版(1969年)と補訂版(1976年)も、この言葉をひろわなかった。
『広辞苑』が収録へふみきったのは、ようやく第3版(1983年)になってからである。

岩波書店の『広辞苑』は、それだけおたかくとまっていたのだと、思われようか。
下世話な料理の名を辞書へおさめることに、はじめのうちはためらったのだ、と。(略)

 


(kouji02.jpg)

 

国語辞典はホルモン焼きを、なかなか国語としてみとめようとしなかった。
おりめただしい日本語だとは、考えなかったのである。

20世紀のはじめごろまでだと、牛や豚の臓物を食材につかうことは、なかったろう。
それらは肉料理に、まったくいかされず、すてられていた。

大阪弁風に言えば、みな「ほうるもん」=「放る物」だったのである。
ホルモン焼きという言葉の語源じたいが、この「ほるもん」だったとも言われている。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




132-133ページ 『大阪的』
「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた
著者: 井上章一
2019年1月20日 第4刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎


 



あらっ。。。 「ほうるもん」=「放る物」から「ホルモン焼き」が生まれたのですわねぇ~。。。 でも、これってぇ、信用していいのですか?



なんとなく、納得のゆくような説明になっているし、面白いから、この説を唱える人は多いですよ。。。

デンマンさんはどう思っているのですか?

あのねぇ~、英語のホルモンとも関係がありそうですよ。。。 というのも、栄養豊富な内臓を食べると、活力がつくと言う人は多い。。。 それに、ホルモン料理の名称は戦前からあったらしい。。。 戦前には、内臓料理に限らず、スタミナ料理一般、例えば、スッポン料理などもホルモン料理と呼ばれていたそうです。。。

つまり、栄養価が高い料理なので「ホルモン焼き」と呼んだのが始まりなのですか?

そう考える人も多い。。。 ホルモンは「放るもん」ではなく、明治維新の頃の西洋医学の影響を受け、栄養豊富で活力がつくから「ホルモン焼き」と名付けたのだと言うわけです。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたもホルモン焼きは栄養価が高いので英語のホルモンにちなんで「ホルモン焼き」というようになったと思いますか?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他のもっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


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スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。





(roten101.jpg+cleoani.gif)

『タイタニック@スリランカ』

『蜂@泣きっ面』

『外人が知っている美しい日本』

『腰使い 熟女』

『熟女の下着姿』

『腰を使う熟女』

『ブログランキング』

『曇ってきた@英語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『出会い系より腰を使う熟女』

『ブリスベンの従妹』

『アヒルが行く』

『英語ペラペラ勉強法』

『ブラウザとOS』

『二千二夜物語』

『大晦日のおばさんパンツ』

『下着の人類学』

『万夜一夜@ロンドン』

『ヒトラーとトランプ』


(malata019c.jpg)

『ロマン@マルタ島』

『下着の人類学@大阪』

『ハロー@ロックビル』

『孀婦岩の人気 なぜ』

『マグダラのマリア 娼婦か聖女か?』

『マグダレンの祈り』

『女子大生の多い混浴』

『アンネフランクの言葉』

『ビクトリア朝の慎み』

『銭湯と円タク』

『女装ブログ』

『注目記事』


(sylvie122.jpg)

『風邪が治るまで』

『ひょうたんde徒然』

『アヒルが並んだ』

『なぜ骨なの?』

『にべもない』

『やぶさかでない』

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『ヤンキー』

『及び腰と二の足』

『ジューンさんの従妹』


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『ナマズにされた』

『美術解剖学』

『太ったチャンス』

『ジューンさんの下着を探して』

『おおどかさ』

『高級娼婦@パリ』

『つい見たくなった』

『混浴 女子大生』

『FBI捜査官のツブヤキ』

『熟女下着 投稿ブログ』

『おばさんパンツ@ネット』


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)


 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ



(juneswim.jpg)


『センスあるランジェリー』



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コメント
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