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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

肝つぶし

2023-11-08 03:05:40 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

肝つぶし

 


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デンマンさん。。。、あんこう の肝をつぶして食べたのですかァ~?


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ぜひ食べてみたいと思うけれど、残念ながらこれまで一度もその機会がありませんでした。。。

 


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上の鍋料理は見ただけでも食べたくなるでしょう?



おいしそうですわねぇ~。。。デンマンさんがまだあんこうの肝鍋を食べてないなら、どういうわけで肝つぶし を取り上げたのですかァ~?

昨夜、たまたま三遊亭圓生の『肝つぶし』を聴いたのですよ。。。

 


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肝つぶし

 

肝つぶしは、古典落語の演目のひとつ。
胆つぶし、肝潰しとも表記される。

「肝をつぶす」という慣用句(=大きく驚く意)をフィーチャーした噺。

もとは上方落語の演目で、のちに同じ演題で東京に伝わった。

主な演者に上方の3代目桂米朝、2代目桂ざこば、東京の6代目三遊亭圓生などが知られる。

 

あらすじ

男が、病気で寝ている友人(上方では「ヨシマ」こと吉松、東京では「タミ」こと民吉など)の見舞いに友人宅をたずねる。
友人が「この病気は医者でも治せない『恋わずらい』だ」と告げるので、男は思わず吹き出す。
男が詳しく訊きただすと、友人は以下のような経緯を語る。

友人はふんどし用のサラシを買うために呉服屋をたずねるが、先客がおり、番頭に長く待たされる。
友人がしびれを切らせて帰りかけたところ、奥から出てきた店の娘にひと目ぼれをする。

娘は友人に、「お詫びに反物を差し上げます」と話す。
友人は「自分にはそれを服に仕立てることができる妻も母親もおらず、それはかえって困る」と言って断る。

娘は「では、服を仕立てさせ、あとでお届けします」と約束する。
しばらくして、裏長屋の友人宅に娘がやって来る。娘は身をかくすように戸を閉めきり、「番頭によって望まない縁談が進んでおり、店を飛び出してきたものの、行くところがありません。ここでかくまっていただけないでしょうか」と友人に取りすがる。

ひとつしかない布団にふたりでくるまっていると、番頭が店の者を連れて友人宅の戸を破って押し入って来て、娘を連れて行ってしまう。

「そこで、ふと目を覚ました」
「なんだ、その『目を覚ました』というのは」
「すべて夢だったのだ」

友人が医者に聞いたところによれば、「夢の中の女に惚れて寝付いた場合は、年月そろって(=生まれ年と生まれ月の十二支が同じに)生まれた女の生き肝を煎じて飲めば、何もかも忘れる」のだという。
ただし「人ひとりを助けるために別のひとりを殺すなどということは医者にはできない」と、断られてしまったという。

男は帰り道に、母が「妹のお花は年月がそろっているので、誰にも言ってはならない」と言っていたことを思い出す。

男は家に帰り、お花と夕食をとりながら友人の病気について報告するが、お花の生き肝があれば友人が快癒するかもしれないことを話せず、思いつめる。

夜ふけ、男は包丁を研ぎ、お花が眠っている枕元へ向かい、お花の胸に包丁を付きつけて、独白する。
「思えば俺は、両親に早いうちに生き別れ、あいつの親父に引き取られて、3人できょうだい同然に育った間柄だ。あいつの親父には、自分が盗みを犯した際に代わりに牢獄に入ってくれて、地獄のような罰の身代わりになってくれた恩がある。妹を殺してまであいつを助ける義理がなくても、あいつの親父が亡くなった今では、恩を返す相手はあいつしかいないのだ。生き肝を飲ませた後は、効果の有無にかかわらず、俺もお花の後を追う」

男の頬から伝った涙が、お花の顔にかかり、お花は目を覚ます。
目の前に包丁をかざした兄がいるために、お花は大きく驚く。

男は「これは素人芝居の稽古で、寝ている女を殺す男を演じることになったのだ」と言ってごまかす。
お花は「本当に、肝をつぶしたわ」とつぶやく。
それを聞いた男は、

肝がつぶれた? ああ、それでは、薬にならない




出典: 「肝つぶし」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あんこうの肝とは全く関係ないじゃありませんかァ~!



でも、肝には変わりないでしょう。。。それに、この噺では「肝」がオチに使われている。。。

「オチ」って何ですか?

あのねぇ~、落語は、基本的にマクラ、本題、オチの3つで構成されてるのですよ。。。マクラは、本題が江戸時代の古典で、現在の人には良く分からない行事や、習慣や、言葉が出てくる場合に、それを分かりやすく説明する部分で、それから本題に入るのです。。。本題にかかわる世間話をする場合もあります。。。「オチ」は噺の最後にどっと沸かせて高座を降りていく瞬間がオチです。。。オチには次の表な種類があります。

 


■逆さ落ち(さかさおち)

噺の結末で、冒頭のときより、物事が反対の結果になってしまったり、立場が逆転してしまうことです。
代表的な演目は子供にせがまれて買った凧で親の方が夢中になってしまい、子供に呆れられる「初天神」。

 


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■仕込み落ち(しこみおち)

落語のオチの醍醐味を最も味わえる、オチです。
前半で、オチに対する複線を含ませながら、噺を進め、後半に前半で仕込んだ複線を踏まえつつ、オチに向かいます。
代表的な演目は「時そば」「壷算」など、代表的な落語の演目の多くが、この仕込み落ち。

 


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■仕種落ち(しぐさおち)

噺の結末の仕草ですべてを語る、演技力が必要なオチ。
最後、オチをどういった形で持っていくかが、その噺家の力量が問われます。
代表的な演目は「死神」。この「死神」オチの分類は仕種落ちで統一されるのですが、演じる個々の噺家によって、その仕草が様々あるというちょっと変わった演目です。

 


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■他のオチ

一瞬考えてから、にやりとさせられる「考えオチ」。
くだらない駄洒落がオチになっている「地口オチ」。
最後の一言である意味、強引に途端に結末に持っていく「途端オチ」。
あっと驚く! 意表をつく物に見立たり、勘違いででおこる面白さで落とす「見立てオチ」。



 



上の『肝つぶし』のオチは どの種類ですか?



「地口オチ」だと思いますよ。。。つまり、駄洒落、言葉遊びです。。。生き肝を煎じて飲めば、何もかも忘れるのだけれど、妹が肝をつぶして(肝を踏んずけて)しまっては、煎じて飲めないので薬にならない、というわけです。。。

オチのない話もあるのですか?

あります。。。人情噺にはオチがないものが多い。。。例えば、『文七元結』などは、そのよい例です。。。

 


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。。。で、デンマンさんはオチのある話の中で どういうわけで「肝つぶし」と取り上げたのですか?



実は、僕もかつて「肝つぶし」のように駄洒落で終わる「地口オチ」の噺を作ったことがあるのですよ。。。

ぜひ、聞いてみたいですわァ~。。。

じゃあ、ここに書きだすので読んでみてね。。。

 


はなし


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ちょいと、わいのはなし、聞いてえな。

どないしたんや?

昨日、警察署へ行ってきたんや。

どないしてん?盗みでもやらかしたんか?


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そんなケチなことやらかすかいな。

銀行強盗か?

ちゃうわい。殺人事件のことでな。

さ、殺人、殺人事件? お前、そんなだいそれた事したんか?


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チャウチャウ。わいが人を殺せるわけないやろ。

それもそうやな、お前のような気ィの小さい奴が人を殺せるわけないなァ。

わいのこと、そないに気ィが小さいと思うてんのかァ~?

まあ、いいがな。それでどないしてン?なんで警察なんぞに呼ばれたんや?

だから、ゆうたやろ殺人事件やて。

でもお前、やらんやったんやろ?

やらん、やらん。人など殺すかイナ。

それがどうして殺人事件と結びつくんかいな?

わいに嫌疑がかかったんや?

警察は、お前がやったんやと思うとんのか?どないして?

たまたま被害者が最後に会(お)うたんがわいなんや。

被害者って誰なんや?

それが、わい、よう知らん人なんや。

よう知らん?それなのに、どうして警察がお前を呼んだりすんのや?

わいの名前と住所を書いた紙切れがハンドバックから出てきたんやがな。

ハンドバック?お前、被害者というのは女か?

そうなんや。

若いんか?

若い。まだ30になっとらんやろ。

それで、どないなんや?その人別嬪(べっぴん)か?

それが、ごつうーィ別嬪なんや。

 


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うそつけー!お前の知り合いにそんな別嬪いやへん!

だから、言うたやろ。わいのよう知らん人やて。

そのよう知らん人がどうしてお前の名前と住所を書いた紙切れを持っていたんや?

わいが一ヶ月前に実家に帰ったのん知ってるやろ?

ああ、そういえばお前、帰ってたな?金をせびりに行ってたんやろ?

何を言うてんのや?金などせびりに行くかいな。わいな、おかァはんの病気見舞いに行ったんや。

実家で、その女の人に会(お)うたんかいな?

実家とちゃゥ。駅でな。わいの帰りがけに駅で会(お)うたんや。

 


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お前、また妙なことをしたんやろ?おいどを触ったり。

ばか言うな。そんな嫌らしいことするかいな。

 


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それで、どないしてその女の人と知り合(お)うたんや?

それがな、わいが駅のフォームでぼんやりとタバコを吸うとるとなァ、「あのう、もうし。。。」と話しかけてきたんやがな。

それで。

「あのう、見ず知らずの人に、つかぬ事をお願いするようで心苦しいのですが、わたくし、路銀が少なくて困っております。もし、お差し支えなければ今夜の宿賃ほど、お貸し願えないものでしょうか?」 こう言うンやがな。

そうか?しかし、初めて会(お)うたんやろ?あまりにもあつかましいがな。

そう思うやろ。わいも、そう思うたんやがな。しかしなあ、その人、ごつーイ別嬪やがな。わいが今まで見たうちでも飛びぬけて別嬪なんや。しかも、悪気のある人には見えへん。なんかこう、ほんまに困っとる様子なんや。

お前、別嬪に弱いんや。そら、だまされたんやで。

わいも、そのこと考えたんや。けどな、断るに断れないような風情があってな。

それ程別嬪かァ?

そうなんやがな。よう昔、話に天女(てんにょ)というのが出てくるやろ。わい、これまでに天女と言うのはどんな女の人だろうと思ったことが何べんもあった。それが、その人を見た時に、なぜか知らん、わい、天女というのは、こういう人のことやと、そう思うてしもうたくらいや。そのぐらイごつーィ別嬪やがな。

そうなんかァ~。わしもその時お前と一緒に実家に行くべきやったなあ。

何をあほなこと言うてんねん。一緒に行ったかてしょうもないやろ。

それでどうしたんや?

わいなァ、ちょうど昔話の中に出てきよる、ちょっと抜けた人のようにな。お金のことなど、もうどうでもいいような気になってしもうたんや。とにかく、世にも不思議な人に出会っているような気ィになってしもうたんや。それでわし言うたんや。「一万円ぐらいでよければ貸してあげてもいいんやけど。。。」

一万円?一万円か?お前、百円でもわしに貸す時には出し惜しみするやないか?それが見ず知らずの人に一万円か?

そうやがな。そういう気ィになってしもうたんや。

ああァ、あほくさ。それで、一万円貸したんか?

そうなんや。戻ってこんやろなァ~とは思うたで。そやけど、世にも不思議な人と出会(お)うた気ィになって、一万円の値打ちがあると思うたんや。

それで別れてしもうたんか?

そうなんや。でも別れる前に言うたな。「あのう。お名前とご住所を控えさせていただきたいのですが」 どうせ書いたって、戻ってコンとは思うたけれど、せっかくそう言うもんだから、わい、書いたんや。

それが、ハンドバックの中から出てきよったわけか?

そうなんや。

それで警察署でどうしたン?

とりあえず、被害者がわいの会(お)うた人と同一人物かどうか確かめるというてな、死体置き場までわいを連れて行きおった。

 


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それで死人を見たんか?

そうなんや。あまり見とうなかったな。でも、警察の言うことやからな、さからエン。

そいで?

ィやあ、死に顔もきれいヤッタでェ。ちィっとも死んでいるとは思えなんだ。

それで何かァ、お前、裸の全身を見たんかァ?

何で裸なんや?

そやかて、死体置き場には裸にしておいて置くんやろ?

そうなんか?

そうなんか、って。裸やったんやろ?

裸やったんかも知れん。でも白い布で覆われていたから、顔だけしか見えヘンかったでぇ~。

なんや。詰まらんな。それじゃあ、一万円の価値ないがなァ~。

何もストリップ見ィにいったんと違うでぇ~。

 


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それはそうや、警察の人と一緒やからな。でも貸した金は何らかの方法で返してもらわんとかなわへんでェ。それで、どうしたんや。それだけか?

警察の人がなァ、「どこか変わったところがないか」聞くねん。

変わったところがあったんか?

いいや、ちょっと見ただけでは分からんかった。

ということは、あったんやな。変わったところが。

そうなんやがな。

どこがァ、変わってたんや?

それがなあ、前歯が一本欠けてたんや。歯が一本なかったんや。つまりな、はなしだったわけや。

はなし?

そう、はなしや。

なにか?この「はなし」をわしに聞いてほしかったというわけか?

ははは。そうなんや。これがわいの「歯なし」や。

あああァ~、アホくさァ!


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『デンマンのはなし』より
(2018年12月1日)





【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、デンマンさんの「はなし」を読んで 面白いと思いましたか?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』

『無重力の性生活』

『純子さんのクローン』

『肥後ずいき使用感』

『アナスタシア』

『地球よりも10万年も進んだ文明』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)




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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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美しい日本語

2023-11-06 02:10:35 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

美しい日本語

 



 
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ケイトーは日本語が美しいと思っているの?


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いや。。。 特に日本語が美しいとは思いませんよ。

でも、タイトルにそう書いてあるじゃない?

僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。

じゃあ、誰がそう思ったのよ?

実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。

 


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つまり、赤枠で囲んである本を読んだのね?



そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。

それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?

そうです。。。 いけませんか?

別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?

やっぱり、シルヴィーもそう思う?

だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。

だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。

。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?

じゃあ、次の小文を読んでみてください。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社


 



著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?



そうらしいのですよ。

私は特に美しいとは思わないけれど。。。

僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。

どういうところが。。。?

「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 

 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。

 


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。

 


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I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER




 



Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。

 



 



あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?

 


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どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

 

Madame Butterfly



Miss Saigon



 



でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。

 



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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。

そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。

だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということですよ。




初出: 2013年3月16日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
ピエール・ロティの小説『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が、チェーホフにサハリンへの長旅に駆り立てる“公表できない動機”を与えたのでしょうか?
そのよなことは聞いたことがありませんわ。
でも、可能性としてはありそうですよねぇ。

プッチーニも日本へ行ったことはありません。
それにもかかわらずオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』を作ってしまったのですから。。。
その内、チェーホフに関しても動かぬ証拠が出てくるかもしれませんわ。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


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『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』

『期待される人間像(2012年12月13日)』

『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事




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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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一文無しのお客

2023-10-22 01:42:21 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

一文無しのお客

 


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デンマンさん。。。、無銭旅行したまま、ホテルにでも泊まったのでござ~ますかァ?


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無銭旅行だったら、テントを張ってその中で眠りますよ。。。できるだけお金を使わないのだから、ホテルなんかに泊まりません。。。

それなのに、どういうわけで 一文無しのお客 というタイトルにしたのですかァ~?

あのねぇ~、たまたま昨夜、古今亭志ん朝の『ぬけ雀』を聴いたのですよ。。。

 


(shincho30.jpg)



 



ぬけ雀

 

小田原宿に現れた若い男。
色白で肥えているが、風体(ふうてい)はというと、黒羽二重(くろはぶたえ)は日に焼けて赤羽二重。
紋付きも紋の白いところが真っ黒。

袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠(はたご)の主人。
男は悠然と
「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」
と大きなことを言う。

案内すると、男は、「おれは朝昼晩一升ずつ酒を呑む」と宣言。
その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけ。
こうなると、そろそろ、かみさんが文句を言い出した。

「危ないから、ここらで内金を入れて欲しいと催促してきな」
と気弱な亭主の尻をたたく。

ところが男は
金は一文もない
「だってあなた、百両預けようと言った」
と亭主が泣きつくと
「そうしたらいい気持ちだろう、と」

男の商売は絵師。
「抵当に絵を描いてやろうか」
と言い出し、新しい衝立ついたてに目を止めて、
「あれに描いてやろう」
それは、江戸の経師(きょうじ)屋の職人が抵当に置いていったもの。

亭主をアゴで使って墨をすらせ、一気に描き上げた。
「どうだ」
「へえ、なんです?」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのはなんだ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ。雀が五羽描いてある。一羽一両だ」

これは抵当に置くだけで、帰りに寄って金を払うまで売ってはならないと言い置き、男は出発。
とんだ客を泊めたと夫婦でぼやく。

翌朝、亭主が二階に行き雨戸をあけると
雀が外に出て餌をあさってから、戻って来て、絵の中に納まった。
亭主はビックリした。

かみさんに話したが「真昼間から夢を見てるんじゃないよ」と全く取り合わない。
それで、近所の人を集めて、翌朝、雨戸をあけると、雀が外へでて、餌を食べてから戻ってきて絵に納まる様子を確かめる。
一同みなビックリする。

これが宿場中の評判を呼び、見物人がひっきりなしに訪れる。

ある日、六十すぎの品の良い老人が泊まり、絵を見ると
「描いたのは二十五、六の小太りの男であろう。この雀はな、死ぬぞ」

亭主が驚いてわけを聞くと、止まり木が描いていないから、自然に疲れて落ちるという。
「書き足してやろう」
と硯すずりを持ってこさせ、さっと描いた。
「あれは、なんです」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのはなんだ」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。これは鳥籠(とりかご)だ」

なるほど、雀が飛んでくると、鳥籠に入り、止まり木にとまった。
老人は「世話になったな」と行ってしまう。

それからますます絵の評判が高くなり、とうとう藩主、大久保加賀守まで現れて感嘆し、この絵を二千両で買うとの仰せ。
亭主は腰を抜かしたが、律儀に、絵師が帰ってくるまで待ってくれ、と売らない。

それからしばらくして、仙台平の袴に黒羽二重というりっぱな身なりの侍が
「あー、許せ。一晩やっかいになるぞ」
見ると、あの時の絵師だから、亭主はあわてて下にも置かずにごちそう攻め。

老人が鳥籠を描いていった次第を話すと、絵師は二階に上がり、屏風の前にひれ伏すと
「いつもながらご壮健で。不幸の段、お許しください」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親。

「へええっ、ご城主さんも、雀を描いたのも名人だが、鳥籠を描いたのも名人だと言ってました。親子二代で名人てえなあ、めでたい」
「なにが、めでたい。あー、おれは親不孝をした」
「どうして?」
「衝立を見ろ。親を籠(かご)書き(=駕籠舁【かごかき】)にした」



 



なるほどォ~。。。落語を字で読むと、全く信じられないお話ですけれど、志ん朝さんの噺を聴くと なんだかありそうに思えてくるから不思議でござ~ますねぇ~。。。



それが名人の域(いき)に達した落語家の名人たる所以(ゆえん)ですよ。。。

志ん朝さんという落語家は、いったいどう人生を歩んできたのでござ~ますかァ~?

ウィキペデアに詳しく書いてあるので ここに書き出しますよ。。。読んでみてねぇ。。。

 



古今亭志ん朝


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1938年3月10日 - 2001年10月1日

 

三代目 古今亭 志ん朝は、東京都文京区本駒込出身の落語家。
本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ)。
出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。

五代目古今亭志ん生の次男。
十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。

七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。
他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。

 

来歴・人物

強次(きょうじ)の名は一時期の父の師匠初代柳家三語楼が出生日の陸軍記念日に因んで命名したとされている。

獨協高等学校でドイツ語を学んだ。当初は外交官になるという夢があり、後には毎年弟子を連れて大好きなドイツへ旅行に行った

当初は役者を志しており、噺家になる意志はなかったが、志ん生から「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けないが噺家は扇子一本で偉くなれる。」と説得され入門した。

父の志ん生に入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進し、主に八代目桂文楽の演じ方を基調としながら、のちに六代目笑福亭松鶴に心酔して豪胆さを修学し、名実共に大看板として人気を博した。

若い頃はテレビ出演も多く、喜劇俳優としての仕事もあったが、後にはタレント的な活動をセーブして本業の落語家としての活動に注力した。
独演会のチケットはすぐに完売するほどの人気であり、古典芸能の住吉踊りを復興させたことでも有名である。

同業者からの評価も非常に高く、若手の頃の志ん朝を指して八代目桂文楽は「圓朝を襲名出来るのはこの人」と父志ん生に述べた。
圓朝は落語界では誰も継げない止め名であり、文楽はそれほどに志ん朝を買っていた。

入門から5年目の真打昇進は文楽の鶴の一声によるものだった。
志ん朝の晩年に七代目立川談志は「金を払って聞く価値のあるのは志ん朝だけ」と語っている


一部のファンや俳優仲間からは「朝(チョウ)様」の愛称で呼ばれた。
また、長らく新宿区早稲田鶴巻町に居を構えていたが、その後新宿区矢来町に転居し、以後一部では「矢来町」という呼び名でも親しまれた。

落語家としては初めて高級外車を乗り回したり、豪邸を建てたりしたことで知られる。
しかし前者に関しては父・志ん生から猛反対され、後者では男性週刊誌記者から「落語家が豪邸を建てるとは何事か」「長屋住まいを続け金に執着しない八代目林家正蔵(林家彦六)を見習え」と非難されたりと風当たりは強かった。

しかし彦六の弟子の初代林家木久蔵(現:林家木久扇)は「これからの若手が経済面で手本とすべき存在」と高く評価している。

一方では、客入りの良くない名古屋の大須演芸場を守る足立席亭の心意気に感じて、1991年から毎年独演会を行った。
大阪では道頓堀角座に初めて出演した時、落語が受けなかったので漫談を高座に掛けて大いに受けた。

ところが支配人から「漫談ではなく落語をしてもらうために呼んだのだ」と注意され、以降は落語をきっちり演じるようになった。
大阪の客に東京の落語が受け入れられるまで5年かかったが、大阪の街を心から愛するようになったという。

大阪の定宿としていた千日前の旧・上方旅館の女将の葬儀で、関西のしきたりで一番重要な“止め焼香”を遺族に懇願されて行ったりもした。
旅館を建て替えて設立されたトリイホールは、上方噺家のみならず、志ん朝一門など東京の噺家も“大阪で定席を打てるホール”として、2020年3月の閉館まで活用された。
生前の志ん朝も「死ぬまでここでやる」と、大いに喜んだという。

落語以外にも、佃煮・ふりかけ「錦松梅」のCMキャラクターとしても有名で、「中身もいいけど、器もいいねえ」というCM中のセリフを、高座では他の色々なものに置き換えて「器はいいけど、中身は…」などと一種のセルフパロディに仕立ててよくネタにしていた。
この他麦茶や紙おむつのテレビCMに出演。

 



 



 



 

二ツ目時代に身の回りに不運が続いたため、信心が足りないと母に言われて谷中の寺に守り本尊としている虚空蔵菩薩へのお参りに出向いたところ、その寺の住職に、虚空蔵菩薩の使いは鰻であるので、菩薩の命日である13日は鰻断ちするよう勧められた。

しかし、13日だけなんて勝手な話は無いと、以来40年以上に渡り大好物であった鰻を断った。
鰻については、1994年のテレビ朝日『徹子の部屋』出演時、「初めは我慢するのが大変だったが、食べたいと思わなくなった」と語っていたが、最晩年、『ニュースステーション』の「最後の晩餐」コーナーに出演の際には「鰻を死ぬほど食べてみたい」と語っている。
癌による死を前に、食べたいものを聞かれた時も「鰻が食べたい」と語ったという。

晩年、時間がない時などは決まって漫談「山田吾一」を高座にかけていた。
自分が俳優山田吾一と間違えられるサゲのこの演目はいわゆる自虐ネタであるが、志ん朝が最後に演じた演目でもあった。

所属団体は落語協会で、若手時代には将来の落語協会の大幹部候補としても嘱望されたが、後述する落語協会分裂騒動の際の自身の身の振り方の経緯や、騒動以後は高座に専念し協会内部の政治的なことからは比較的距離を置いていたこともあって、58歳から亡くなるまでの5年間、副会長職を務めるに留まった。

父、兄同様に酒を愛したが長年に渡って糖尿病を患い、時折入院加療していた。

最後の高座は2001年8月11日~20日までの浅草演芸ホール「住吉踊り」。
公演途中の14日から緊急入院していたが、病院から寄席に出演し続けた。

2001年10月1日、肝臓がんのため、自宅で家族、弟子に見守られる中、63歳で死去。

遺影は、村松友視と対談時に撮影された洋装で帽子をかぶり頬に手を当てて微笑むもので、出棺の音楽はカラオケで良く歌ったというサザンオールスターズであった。
大切にしていたドイツ語の辞書は、棺に納められた

 

志ん朝に影響を与えた落語家

父である志ん生を尊敬していたが、芸の形を真似しても育った環境も人生経験も全く異なる父の境地に近づく事は不可能と考えていた。
8代目桂文楽に注目して噺を丹念に組み立てる方法で自らの芸を構築していった。

6代目三遊亭圓生も敬愛する大先輩であった。
1978年5月の落語協会分裂騒動では、志ん朝は一時的に圓生と行動を共にして落語協会脱退を表明している。
しかし当初見込みとは異なり、東京都内の落語定席の席亭たちは圓生の新団体に寄席出演を許可しなかった。

志ん朝一人だけならば3代目三遊亭金馬のように寄席に出ずに活動することは可能だが、自らの弟子を含む若手の落語家にとって寄席出演は芸を磨くために重要と考え、周囲の説得もあって脱退を撤回した。
この時「これからは芸を見てもらう、それしかありません」と決意表明をし、落語協会の会長であった5代目柳家小さんは、新宿末廣亭席亭の北村銀太郎の助言もあり香盤を下げずに志ん朝を含む協会復帰組を受け入れた。

大阪の落語家との交流の深さは同世代の東京の落語家の中でも群を抜いていた。
6代目笑福亭松鶴に心酔し、自身「大阪の角座に出るたびに追っかけまわした」と証言するほどであった。
そんな志ん朝を松鶴も可愛がり、その縁から志ん朝は大阪の寄席にも頻繁に出る機会を得て、大阪の客に受け入れられ芸も上達した。
志ん朝にとっては松鶴は芸の恩人であり、遊びを教えてくれたよき先輩でもあった。
志ん朝自身、上方落語界復興の苦労話を松鶴から夜を徹して聞かされたのが一番感動した事だと述べている。

他には3代目桂春團治・3代目笑福亭仁鶴とは二人会を開くなど親交を深めた。
特に春團治とは共に親が落語家であったこともあり双方とも格別の思い入れがあった。
二人会になると文字通りの真剣勝負で、二人とも気合いの入った高座となった。

立川談志との若手時代からのライバル関係は有名であり、志ん朝に真打昇進を追い越されたことが、談志が奮起するきっかけになった

また落語協会分裂騒動では三遊亭圓生が三遊落語協会の自らの跡目を志ん朝としたことが、談志が土壇場で新団体参加を断念した大きな要因であったとされている。
この件を巡り、談志とは激しい口論になった。
談志の芸は協会離脱後志ん朝とのライバル関係がなくなったから衰えた、という説を談志の弟子が唱えていたことがある。

 






出典:「古今亭志ん朝」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



すぐ上の古今亭志ん朝さんを偲ぶクリップの最後に『愛宕山』を演じるのだけれど、僕は志ん朝さんが演じる演目の中では一番気に入らないのですよ。。。



どこが気に入らないのでござ~ますかァ~?

この話には、志ん朝さんが意図的にうまく演じようとしているのが感じられるのです。。。自然体で演じているようには感じられない。。。

デンマンさんが言おうとしていることが あたくしには良く分かりませんわァ~。。。

あのねぇ~、山登りするところとか、土器(かわらけ)を投げるところとか、なんとなく不自然なんですよ。。。お客さんを笑わせようという意図を感じるのです。。。『ぬけ雀』には、そのような作為(さくい)は感じられない。。。『ぬけ雀』は、あくまでも その場の成り行きのままに進んでゆく感じなんですよ。。。

そうでしょうか?

もちろん、卑弥子さんには卑弥子さんの聴き方があるから、僕とは違った印象を持つかもしれないけれど、つまり、個人差がありますよ。。。卑弥子さんを納得させるだけの説明は僕にできないかもしれません。。。タイトルに 一文無しのお客 と書いたけれど、志ん朝さんのたくさんの演目の中で 一文無しのお客 が出てくる演目がもう一つあるのですよ。。。『宗珉の滝』という演目で、僕は『ぬけ雀』と『宗珉の滝』が志ん朝さんの演目の中ではとりわけ好きです。。。

 


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宗珉の滝

 

江戸時代腰元彫りの名人橫谷宗珉の弟子に宗三郎がいたが、破門されて仕方が無く各地を旅したが、3年後紀州に着いた。
旅籠岩佐屋に逗留したが、文無しで10日が過ぎて、宿の亭主に露見した

旅籠賃の代わりに、何か仕事をさせようと手を見ると居職で彫金でもやるだろうと見抜き、作品の小柄(こづか)の彫り物を見せてもらう。
誰が見ても誉める品だが亭主は小柄の虎を見て、なぜ死んだ虎を彫るんだと詰問。
死んだ虎と言ったのは師匠の宗珉とご亭主だけで、破門されたのも死んだこの虎を彫ったからで、ぜひ弟子にしてくれと嘆願した。

素人の私だが見方が違うので、注意をしても怒らないで聞いてくれたら面倒を見よう。
下の六畳二間を貸すから、仕事場と寝る所に使えば良いとお許しが出た。

だんだんと亭主が気に入るような物が彫れるようになってきた。
800石を取る留守居役木村又兵衛が泊まって、このことを聞いた。
殿のご機嫌が良いときに紹介しよと言ってくれたが、宗三郎最近は精進が出来なく、酒浸りの生活に戻っていた。

殿様から直々に那智山の滝を彫るように依頼があった。
精進潔斎し、水垢離をして始めなさいとの意見を聞き入れず、前祝いだと酒を飲み始め、仕事に掛かった。
4日掛かって仕上げ、亭主も感嘆しているので、納まったら100両だという。
宿賃と授業料だから、全額亭主に差し上げるという。まだもらっても居ないのに。

殿様それを見たが、沓脱ぎに投げ捨て、再度彫らせるようにと言付けであった。

宗三郎、再度酒を飲んで仕上げた。
前回より素晴らしかったが、殿様受け入れず、泉水に投げ込んでしまった。
そして、再度の要請。
 
宿に戻って、宗三郎に話すと、分かった、やるから酒を持ってきてくれと言ったので、ご亭主が怒り出した。
「俺を一人前にしてくれと言うから面倒を見ているのに、私の言うことも聞かず酒ばかり飲んでいるから納まらない。それは力量があるからではなく、酒を飲まなければ恐くて仕事が出来ないのだ」

宗三郎は決心したように、本物を見なければならないと滝壺に下りて行き、三七21日断食するという。
滝から上がった宗三郎は死人のようであった。
身体をいたわるより、今すぐ仕事場で、身体に入っている滝を彫り上げたいと言い残し、七日七晩一生懸命に彫った。

仕上がって部屋から出て、もし、納まらなければ切腹すると言うし、宿の亭主は立派な物なので必ず納まるし、ダメだったら私も一緒に死ぬと約束した。
でも、仕上がりを見ると先の作品よりマズく見えた。
やな事を約束したと後悔したが、仕方が無いので屋敷に持ち込んだ。

殿様、ジッと観ていたが、求めるという。
今回お求めで無いと2人の命が掛かっていたと伝えると、与のために命を賭して仕事をしてくれたか、明日お目通りを許す、との有り難いお言葉。
翌日面会をすると100石で宗三郎をお抱えになった。

岩佐屋には、腑に落ちないことがあった。
先の2点は自分が見ても出来も良かったが、最後の作品はそれほどでも無かった。
どうしてそれを求められたのか、木村様を通じて聞いてもらった。

殿様が観ているとじっとりと手が濡れてきた。
慌てて紙の上に置くと、紙に湿り気がきたという


すごいでしょう。
芸術家とはこの様にありたいという。

それを江戸の橫谷宗珉に知らせると、宗珉は老齢で床に伏せっていた。
宗珉は二代目宗珉の名前を紀州に贈ってきた。
紀州家の先祖は南龍院と言ったので、龍の一字をとって、一龍斎橫谷宗珉として紀州にその名を留めた。



 



なるほどォ~。。。デンマンさんは、勘当されたりした職人や芸人が、落ち込んだり、苦労した末に、名人の域(いき)に達するという噺が好きなのでござ~ますねぇ~。。。



確かに、言われてみれば、二つの噺とも、そういう内容になってますねぇ~。。。とにかく、ひとりで、すべての登場人物に成りすまして、あれだけの長いセリフを覚え込んで1時間近い演目を演じるのだから、落語家はバカじゃできないですよ。。。

そうですわねぇ~。。。。

しかも、二つの演目は共に あり得ない噺ながら人を感動させるものがある。。。素人が真似して同じ内容を本を棒読みするように演じたら、とても あの感動と共感は起こりませんよ。。。しみじみとすごいと思います。。。志ん朝さんは名人の域に達していたと思いますよ。。。


 


(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたも、2つの演目を聴いてデンマンさんが言うように感動いたしましたかァ~?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


(shitagi23-06-30.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 





 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


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『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『美人と接吻』

『パンツに下痢』

『阿仏尼』

『楊貴妃@満州』

『ズロースを探して』

『四睡図』


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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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他人の不幸は…

2023-10-17 01:16:22 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
他人の不幸は…

 


(maiko19.png)

 


『鑓の権三重帷子』

(やりのごんざかさねかたびら)



(gonza05.jpg)

あらすじ

鳥取藩士の笹野権三は、若殿の祝言で茶を点(た)てることを命じられた。
権三は「鑓の権三」と異名をとる遣い手だったが、太平の世に剣術では出世できない。
そこで、茶道役での出世を狙う。

しかし、この手前は格式の高い「真(しん)の台子(だいす)」で行わなければならない。 ... これは茶道指南役・浅香市之進から伝授を受けたものしか扱えず、権三はまだ伝授を受けていなかった。
しかも市之進は現在、江戸詰めで鳥取にはいない。
そこで権三は、市之進の妻おさゐから、真の台子の伝授を受けようと考えた。

権三が目指す祝言の茶道役を彼の同僚・川側伴之丞も狙っていた。
権三は伴之丞の妹・お雪と縁談を進め、本来なら伴之丞と親しく付き合えるはずだったが、権三は、嫌味な性格の伴之丞が好きになれず、伴之丞も権三をライバル視し、やはり真の台子の伝授を受けようと、おさゐに近づいた。
伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。 美男の誉れ高い権三で、娘の夫になってもらいたいと、おさゐは権三に伝え、もし承知してくれれば伝授すると約束した。
権三は悩んだ。 自分にはすでに許婚(いいなずけ)がいる。 ここは恋を取るか、出世を取るかの選択となった。

悩む権三の姿を見て、おさゐはいらつく。 権三には許婚がいるのを知っていた。 権三が締めていた帯も許婚が贈ったもの。
このままでは権三が取られてしまう。
おさゐは忌々(いまいま)しい帯をを権三から取り、私のを締めればいいと自分の帯を解いた。 すると、この状況を伴之丞が目撃する。

伴之丞は夜這(よば)いをして、おさゐから伝授を得ようと企(たくら)んでいた。
しかし、権三に先を越されたと早合点し、二人の帯を持ち去り、それを証拠に不義密通を訴え出た。

権三とおさゐは、二人で鳥取から逃げ去るが、逃亡先の京伏見で、おさゐの夫・浅香市之進の手に掛かる。

ここを観て聴いて

二人に不義密通の事実はなかった。
しかし、解かれた帯を証拠にされては、もう言い逃れは出来ない。
権三はもう、武士が廃(すた)ったと切腹を覚悟するが、おさゐはそれを押し止め、そして権三に懇願する。
私の夫・浅香市之進は妻の不義で恥をかき、その上、不義相手を討ち果たす妻敵討(めがたきうち)が出来なければ恥の上塗り。
それでは妻としてあまりに不憫なので、「どうせ死ぬのなら夫に討たれてください!」。
理不尽とも思えるこの願いを権三は受け入れる。
これも出世を望み、許婚を捨てようとした罰か……。

印象的なラストシーン

二人は、おさゐの夫・浅香市之進以外の者に斬られないように国を出た。
その二人を見つけ手に掛ける市之進。
権三は何の弁明もせずに討たれるが、おさゐは夫に真実を告げたかった。
しかし市之進は何も聞かずにおさゐを斬った。

この後、刀をじっと見つめてから捨てた、市之進役の人形遣いがいた。
今までに見たことのない演出だったが、妻を斬った苦しさ、武士の空しさが痛いほどよく判った。

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




102-103ページ 『名作文楽50』
著者: 高木秀樹
2005年7月1日 初版第一刷発行
発行所: 株式会社 世界文化社





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デンマンさん。。。あんさんは古臭い文楽などに関心がありますの?


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あきまへんか?

あっかァ~ん!と言うつもりはないんやけど、どないなつもりで文楽など持ち出してきやはったん?

あのなァ~、めれちゃんは文楽が古臭いというけど、この『鑓の権三重帷子』は、『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』と『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ』と共に近松門左衛門の三大姦通劇と言われて現在でもよく知られてるゥ。 実際、1986年には映画化されてるのやでぇ~。。。

 


鑓の権三

 


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近松門左衛門原作の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』の映画化で、1986年に作られた。
「卑弥呼」の富岡多恵子が脚色。
監督は「瀬戸内少年野球団」の篠田正浩。
撮影は同作の宮川一夫がそれぞれ担当。

あらすじは世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』とほぼ同じだが
おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、権三と夫婦の契りをかわしてから」と、旅篭(はたご)で激しく愛しあう。

宇治の川岸にかかる橋の上で、ふたりはついに市之進と出会った。
そして、彼の刀に倒れるのだった。
一件落着し、浅香家では遺児・虎次郎が亭主となり、茶を立てている。

配役:

郷ひろみ (笹野権三)
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
加藤治子 (お雪の乳母)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
浅川奈月 (市之進娘・お捨)
大滝秀治 (岩木忠太兵衛)
三宅邦子 (忠太兵衛女房)
河原崎長一郎 (忠太兵衛伜・甚平)
竹中直人 (権三の同僚・文右衛門)
浜村純 (道具屋の主人)
小沢昭一 (船頭)




篠田正浩監督作品

『乾いた花』 『鑓の権三』





 



デンマンさん。。。あんさんは上の映画を観やはったん?



もちろんやァ。 『堀川波鼓』は1707年2月15日に、大坂竹本座で初めて演じられた。 1706年に起きた、鳥取藩士が妻敵(めがたき)を討った事件を基にして近松門左衛門が書いたものなのやァ。 そやから、『鑓の権三重帷子』も、実際に起きた事件を基にして近松が書いたものやと思うねん。

つまり、実際に起きた事件を基にして近松のおっさんが書いたものやさかいに、あんさんは観る気になりはったん?

そうやァ。。。そやけどなァ~、次の箇所はドラマチックにするために付け足したと思うねん。


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おさゐは忌々しい帯を権三から取り、

私のを締めればいいと自分の帯を解いた。

すると、この状況を伴之丞が目撃する。




この場面はあまりにも不自然やと思うねん。



どうして。。。?

このような見え見えの事をするかいな! これでは、「私たちが不義をしている所を見て!見て!」と宣伝しているようやないかいなァ! アホらしくて、観ているわての方が恥ずかしくなったでぇ~。。。

なにも、あんさんが恥ずかしくなることはおまへんがなァ~。。。

とにかく、観客の目に不自然やと思われるような事はせ~へんこっちゃ!

。。。で、あんさんは、その事が言いたいために、わざわざ『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

ちゃうねん。。。そのような些細な事で記事を書くかいなァ!

そやったら、どないな理由で『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

あのなァ~、このような不義密通をテーマにした作品は“姦通物(かんつうもの)”と呼ばれておるのやけど、戦後、姦通罪が無くなったのに、どうして未だに人気があるのか? その事をわては考えさせられたのやがなァ。

それで、記事のテーマにしようと思いはったん?

そうやァ。 江戸時代から太平洋戦争まで、この姦通罪は、不義をした妻と、その相手の男だけに適用されて、この二人が罰せられた。 つまり、夫が妻以外の女と浮気をしようが2号さんを持とうが罪とはならへん。

それは男女同権に反しますやん。

そやから、戦後、姦通罪は廃止されたのやがなァ。 それにもかかわらず、未だに『鑓の権三重帷子』が上演されたり 1986年には映画にもなった。 つまり、人気が続いているねん。

『忠臣蔵』が未だに人気があるのと同じ理由やと、わたしは思うわァ。 つまり、吉良上野介を悪者にして、悪い奴をみなで懲らしめはるゥ。 そういう場面を見て日本人は気分良く日常生活に戻ってゆきはる。 気分がすっきりして癒されますねん。

なるほどォ~。。。言われてみれば分かるような気がする。 そやけどなァ、『鑓の権三重帷子』の場合はちょっと違うと思うねん。

どないに。。。?

実は、日本の家庭の主婦は、多かれ少なかれ「おさゐ」さんのような中年女性が多いと思うねん。

伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。

美男の誉れ高い権三で、

娘の夫になってもらいたいと、

おさゐは権三に伝え、

もし承知してくれれば伝授すると約束した。


つまり、たいていの主婦は打算的で、スーパーならば人よりも良い物を安く手に入れたいと思う。 夫に失望している妻は、せめて娘だけには夫よりも有望な若者を探して見合いでもさせたいと思うてる。 しかも、最悪の状態になっても、諦め切れない未練がましい気持ちにとらわれる。 そやから映画のような状況に共感する。

 


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おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、

権三と夫婦の契りをかわしてから」と、

旅篭(はたご)で激しく愛しあう。


 



つまり、このような願望を日本の中年主婦が持っていると、あんさんは言わはるのォ~?



夫に失望している妻ならば、当然やろう?

そうやろか?

そやけどなァ、おさゐも権三も殺されてしまうのや。 それを見定めて観客の中年主婦は、きっと次のように思うねん。

 


(kaisendon.jpg)

ああ~  思えば、わたしだってぇ、

同じような状況であれば、

同じような事をするかも。。。

駄目な夫と生活しているけれど、

殺されるよりは

生きて旨い物でも食べていた方がええわァ。


ここで初めて常日頃不満タラタラの家庭の主婦は蜜の味を感じるのやァ。

 

“他人の不幸は蜜の味”

 
 


あんさん!。。。、これはかな~り性格の悪い解釈ですぇ~。。。



さよかァ~。。。?




初出: 2012年1月8日



【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
デンマンさんは近松門左衛門の作品にハマっているようですわ。
かつて『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)について次の記事を書きました。


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『心中と切腹』

(2010年11月25日)


同名の人形浄瑠璃は1721(享保5)年に、大坂竹本座で初演されました。
実際に1721年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を基にして書いた作品です。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されています。
また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られています。
後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれのこたつ)が主に上演されています。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』


(vansnow2.jpg)

『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』


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『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

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『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』



(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』も

近松門左衛門の三大姦通劇の一つですが、

この人形浄瑠璃は1707年2月の初演以来、

上演が途絶えていたのです。

それが1964年にNHKで復活しました。

これを映画化したものが今井正監督による『夜の鼓』です。

新劇では俳優座が『つづみの女』として上演しました。

鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、

夫が江戸詰めで国許を留守にして間に、

酒席で飲みすぎて、そのはずみで

鼓師・宮地源右衛門と褥(しとね)を共にしてしまいます。

そして不義の子を身ごもるのです。

その噂のために、妹のお藤(ふじ)の縁談は

破談になってしまいます。

隠しきれなくなったたねは、

夫への忠節を示すため自分の胸を突き、

非を詫びながら夫の手で絶命します。

たねの妻仇(めがたき)を討つべく、

彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて

宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすという物語です。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



(rengfire.jpg)


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情けと現実君

2023-10-16 02:49:06 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

情けと現実君

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで「情けは人の為ならず」を取り上げたのでござ~ますかァ~?


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実は、三遊亭圓生の次の落語を聴いたのですよ。。。

 


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あらすじ

 


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今戸の八幡様境内に茶店があって、そこにザルや味噌こしを商う安七(やすしち)が昼時に弁当を使うので寄っていた。
今日も女将から、小金を残しているのでしょうと冷やかされる

安七は、身の上話を始める。
「冷やかされるようになれば一人前と親父によく言われました。女房子供も居たが、子供は5歳の時に亡くし、追うように女房も亡くなり、ヤケになって博打、喧嘩をやり自由気ままにしていた。名前の安七より賭場では半目が好きでグニ安と呼ばれていた。親父が亡くなると聞いて、枕元に行くと「もう堅気になってくれ、これは一生掛かって貯めた金だ」と言って、布団の下から小判一枚を出した。それで生まれ変わって働くようになった」

女将は、身の上話を聞いて安七の過去を初めて知る。半分驚き、半分感心する。
そのすぐあとで、女将は用が有るからと店番を頼んで出掛けた。

茶屋の近くで、まだ年端も行かない子供が凧を抱えて自分の物だと言い張っている。
その隣で、凧屋が落とした凧だからけぇせと怒鳴っている。
安七が凧屋に嘆願して、子供にくれてやってくれと言うが、凧屋は頑として受け付けない。
「称福寺裏の長屋に住んでいるから、親に談じ込むんだ」と鼻息が荒い。
「商売物をくれてやっていたら切りが無い」

安七がどんなに頼んでもイヤだと言う。買ってあげたいが、今日の商いは一つも無いからお金が無い、ザルと交換しようと言っても納まらない。子供も納得しない。
仕方なく、親父からもらった1両を出す。
「お釣りは無い」
「出せ」、「出せない」の繰り返しをしていると、女将が帰ってきて立て替えてくれた。
釣りはいらないと、安七は凧屋の顔面を殴って、喧嘩になった。

そこに浪人風の男が現れ、みんなに謝り、安七とお茶を飲みながら話し出す。
「私はそこの称福寺裏の弐兵衛店(だな)という長屋に住む小森孫一という浪人者です」
「わしは、鳥越に住んでいる安七というザル屋です」
「越後の高田から浪人として出てきましたが、妻は病で亡くし、私も病気がちで1年もすると手元も使い果たし、落ちぶれました」
「お侍様は二度の主取りはしないからでしょ」
「そうです」
「貴方が悪いのでは無く、浪人させる世の中が悪いのだ。やな世の中だ」

早く家に帰って、凧揚げをしようと子供がせがむので、先程の小判を子供に握らせた。浪人は狼狽したが鳥居の脇から侍が出てきたので、顔を伏せるようにして引き下がって行った。

今の経緯(いきさつ)を鳥居の影で見ていた身なりの良い侍が、ザル屋を今戸橋の慶応寺を過ぎたあたりで呼び止め、料亭・金波楼に案内し酒肴をご馳走して先程の行いを褒めた。

しかし、ザル屋は試し切りのつもりだろうと腹の中をうかがっていたが、それが目的で無いと分かるとホッとし、酒の旨さも堪能した。
凧屋との一件を見ていて感服したと浅尾信三郎、人の世の美しさを見せてもらったと、金子(きんす)を出したが受け取らなかった。

気持ちよく飲んでいたが、安七が突然言う。
「酒は旨くない。貴方はでくのぼうだ。酒をご馳走するぐらいなら、浪人の生き方を一言褒めてあげないのか」
「人の心は、侍同士だとなおのこと、遠慮しなくては成らないことが有る」
「そんな人情の無い人と飲むのはイヤだ。もう帰る」
「まて、わしが悪かった。謝る」
「じゃ~、一緒に称福寺裏の小森孫一の所に行きましょう」。

長屋に入ると入口に「手習い指南所」の看板が掛かっていた。入口が開かないので強く叩くと戸が外れ、仏壇に灯明が着いている。おかしいと慌てて覗き込むと孫一は割腹して果てていた。

 


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枕元に手紙と小判一両が置いてあった。手紙を黙読すると浅尾は落涙している。

やがて安七に手紙の内容を語る。
「大家さんに部屋を汚して申し訳ない。麻布古川町の縁者のところに子供を預けて欲しい。浪人をしていて子供一人養えず、行きずりの他人から恵みの金子(きんす)をいただき、我が身のふがいなさを見た」
「行きずりの他人て言うのはこのザル屋の俺か。恵んだのでは無い、あれは親父の形見の小判だ」
「親切が仇になった」
子供は親にしがみついて泣いている。

「こんな分からないことが有るか。坊や泣かないでくれ、考えているので静かにしてくれ。頭の中がこんがらがっている」
「安七、良く聞け。およそ生ける者は、自負を持っている。橋の上の乞食、道ばたの物乞いでも、他人が見るほどさもしいとも哀れだとも思っていない。浪人は自負も望みも持っていたが、今日我が子の行い、見ず知らずの者に恵みをもらい、我が身を振り返った。その姿を己で見てしまった。もう生きていても用の無い自分を悟ったのだ。世に捨てられた人間の心が分かった」

「・・・、わしが悪うございました。人の心が分かりました。『侍同士情けを掛けぬのが情けだ』と言った意味が初めて分かりました。私みたいな人間に情けを掛けられ、世の無常を感じた先生に申し訳ない。人間が分からないこんな屑のために、立派な人を死なせてしまった。生まれつきのお節介が、肌身離さず持っていた親父の形見の小判一枚が、とんだアダになってしまった。坊やここに来な。お前のお父っつぁんを殺したのはこの俺だ。俺がお父っつぁんの仇だ」

「安七。済んでしまったことは悔やんでも仕方が無いことだ。情けがアダになったことは残念だけれども、そちのしたことは決して間違ってはいない。今の気持ちを忘れるなよ」。

浅尾信三郎の情けで小森孫一をねんごろに葬ってやり、麻布の縁者から小市を養子にもらい受け、信三郎は立派に小市を育て、安七も親戚同様の付き合いをした。



 



こういう人情噺なんですよ。。。



人の心に訴える良いお噺でござァ~ますわねぇ~。。。

卑弥子さんが珍しく涙ぐんでいるではありませんかァ~!

このようなお話を聞くと あたくしは、ついほだされて涙がじんわりとこみ上げてくるのですわァ~。。。

卑弥子さんは意外に涙もろいのですねぇ~。。。

そうなのでござァ~ますわァ~♬~。。。で、どういうわけでこの人情噺を持ち出してきたのですかァ~?

この人情噺を聞いてから、すぐに次のことわざがオツムに浮かんだのですよ。。。

 



情けは人の為ならず

 


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情けは人の為ならずとは、日本語のことわざの一つ。
情け無用が反対語。

 

原義

「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味である。

英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の語句がある。

 

原義と異なる解釈

1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった。

この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である。

2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。

平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、正しく理解している者の47.2パーセントを上回った

この諺の原義と異なる解釈の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と、中世日本語(「ならず」は「に非ず」の音便)の意味合いを誤って理解してしまう所にある。

本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるからである。

このため、人の為にならないとなれば『情けは人の為なるべからず』となる。
この諺の原義と異なる解釈が広まった背景には、現代日本語文法が普及して、中世日本語の意味が日本国民の意識から次第に薄れつつあり、「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、このことわざの原義と異なる解釈を広めた一因でないかとも言われている。




出典: 「情けは人の為ならず」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



実は、僕も社会人になるまで長いこと間違って覚えていたのですよ。。。。



あらっ。。。デンマンさんも「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っていたのでござ~ますかァ~?

そうなのですよ。。。

確かに、そのように理解してしまうのも、もっともなのですわァ~。。。なぜなら、この諺ができたのは、ずいぶん昔なのでござ~ますゥ。。。だから、諺ができ始めた頃の中世の文法では、「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるのですわァ~。。。だから、「情は人の為ならず」という諺は「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味になるのですわァ~。。。

なるほどォ~。。。

現在の日本語の文法に従うならば、「情は人のためではないのだから、他人に情けをかけるべきではない」と解釈してしまうのは、いわば当然のことなのでござ~ますわァ~。。。

さすがは、京都の女子大学で腐女子たちに「源氏物語と日本文化」を講義している橘卑弥子・教授ですねァ~。。。おみそれしました。。。

このような時に社交辞令で褒めないでくださいましなァ~。。。おほほほほほほ。。。

いや。。。社交辞令ではありません。。。卑弥子さんの見識(けんしき)に感服したのです。。。

デンマンさんが あたくしを褒めてくださるなんて珍しいことですわァ~。。。

でもねぇ~、上の人情噺を聴いたあとでは、僕が間違って覚えていた意味でも、「人の道」として間違っていないと思うのですよ。。。

どういうことでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、安七は、親切心から浪人者に小判一両を与えた。。。正に、「情けは人の為ならず(誰にでも親切にせよ)」という諺通りのことを実行したわけですよ。。。でも、それが裏目に出てしまった。。。受け取った浪人者は、その時初めて客観的に自分のこれまでの人生、それに今の自分姿を見て、生きてはいられないと思い割腹してしまった。

そうですわねぇ~。。。安七には、浪人者の心までは読めなかったのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。でも、浅尾信三郎は武士だから、浪人者の気持ちがよく分かっていた。。。だからこそ、『侍同士情けを掛けぬのが情けだ』と言ったわけですよ。。。浪人者は安七の親切心に触れたばかりに「生きる価値がないクズの廃人」だと気付かされたのですよ。。。それで割腹してしまった。。。

でも、あの悪名高い「現実主義者」と自称している現実君は「生きる価値がないクズの廃人」と自慢するかのようにネットで公言していますけれど、羞恥心をかなぐり捨てて生きていますわねぇ~。。。

あのねぇ~、現実君は、トコトン馬鹿だから、「生きる価値がないクズの廃人」と自覚しても、上の噺の浪人者とは違い 死のうという気持ちがオツムに浮かばない! 

 




『現実主義者 馬鹿の見本』


 



しかも、底抜けの馬鹿だから「生きる価値がない廃人であることをネットで広めたい」と恥ずかしがりもせずに自慢げにネットで宣言している。。。「馬鹿は死ななきゃ治らない」という諺があるでしょう! だから、あの男は一生馬鹿です。。。利口になったら、自殺してしまいますよ。。。だから、そうならないことを僕は願いながら、なるべくまともな人間になるようにと期待して、現実君のことで記事を書いて助言しているのです。。。



難しいですわねぇ~。。。

そうです。。。マジで難しい。。。親切心で手を差し伸べても、相手の気持をよく理解しないとアダになることがありますからねぇ~。。。

つまり、現実君が普通の人間になったら自殺してしまうかもしれないのですわねぇ~。。。

そうです。。。だから、彼が馬鹿のままで まともな人間になってもらうしかないのですよ(微笑)。。。そうじゃないと「生きる価値がないクズの廃人」とマジで自覚して、噺の浪人者のように割腹してしまいますからねぇ~。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

確かに、現実君のように「生きる価値がないクズの廃人」だと自覚しているのに、生きていられるというのは、馬鹿か? マジで底抜けに鈍感なのでしょうねぇ~。。。

貴方は、どう思いますかァ?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


(annasalleh.jpg)

『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『美人と接吻』

『パンツに下痢』

『阿仏尼』

『楊貴妃@満州』

『ズロースを探して』

『四睡図』


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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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中村仲蔵

2023-10-13 02:09:10 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

中村仲蔵

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで中村仲蔵を取り上げたのでござ~ますかァ?


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たまたま次の古今亭志ん朝の落語を聴いたのですよ。。。

 


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この落語は実在の歌舞伎役者・中村仲蔵の人情噺なんですよ。。。

 



中村仲蔵


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元文元年〈1736年〉 - 寛政2年4月23日〈1790年6月5日〉

 

初代 中村仲蔵(なかむら なかぞう)とは、江戸時代中期の歌舞伎役者。
俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。
紋は中車紋・三つの人の紋。

「名人仲蔵」とよばれた名優であり、江戸時代の伝説の歌舞伎役者ともいわれる。
妻は長唄の七代目杵屋喜三郎の娘お岸。

浪人斉藤某の子として生まれる(江戸平井村渡し守の子の説あり)。
4歳の時に舞踊の師匠志賀山お俊の養子となり、お俊の夫長唄の師匠六代目中山小十郎の名をもらって中山万蔵と名乗る。

はじめは舞踊関係で活動していたが、寛保3年(1743年)役者に転向し、二代目中村勝十郎門下で中村市十郎と名乗る。
初舞台はそれから2年後の延享2年(1745年)、中村中蔵の名で中村座に立つ。

寛延3年(1750年)、贔屓にされていた吉川某に身請けされ、一時役者を廃業する。
人形町で酒屋を営んだり、志賀山流の稽古屋を開き、その傍ら能楽や音曲などを習得する。

宝暦4年(1754年)、舞台に復帰する。
はじめは4年のブランクに不振を極め、先輩同輩から「楽屋なぶりもの」にされるなどして、自殺未遂に至るほど苦しむが、奮起して一心不乱に芸を磨く。

その有様を見て人々は、中蔵を「芸きちがい」と呼んだ。
やがてその才能を四代目市川團十郎に認められてからは人気が上がり、『仮名手本忠臣蔵』五段目で斧定九郎を現行の姿(黒羽二重に献上博多帯)で演じて評判となる。

 



 

天明5年(1785年)、中村仲蔵と改名する。
なお一時養父の名である中山小十郎を名乗ることがあったが、すぐに仲蔵に戻った。

また舞踊では八代目(一説には六代目)志賀山万作と名乗り、志賀山流を発展させた。
享年55。
墓所は下谷の日蓮正宗・常在寺であったが、同寺が区画整理のため池袋に移転する際、谷中霊園に改葬された。
戒名は浄華院秀伯善量信士。

 

功績

一代で仲蔵の名を大名跡とし、門閥外から大看板となった立志伝中の人である。

立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。

『舌出三番叟』のほか、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『義経千本桜』の権太と狐忠信、『関の扉』の関兵衛、『戻籠』の次郎作、『娘道成寺』の白拍子などが当り役であった。
著書に『秀鶴日記』、『秀鶴随筆』、自伝『月雪花寝物語』などがある。

 

その他

落語で現在も口演される人情噺『中村仲蔵』の主人公。

落語『淀五郎』では主人公の澤村淀五郎を励ます役で登場する。

定九郎を今日の浪人風に演じたのは仲蔵の工夫によるものであるが、三代目中村仲蔵の著書『手前味噌』によると、初代仲蔵が立作者の金井三笑と『曽我の対面』の工藤の演出をめぐって不和となり、三笑がわざと定九郎一役だけを仲蔵に振って嫌がらせをしたのが事の起こりということである。

考証に詳しい六代目三遊亭圓生は『中村仲蔵』を演じるとき、上記の説をとっている。

 


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落語では定九郎の役作りの祈願のために柳島の妙見様へ通ったとされているが、実際の仲蔵は葬儀も墓所も菩提寺は下谷常在寺であり、同じ富士派(日蓮正宗大石寺末)の常泉寺に参詣したとする見解もある。
(常泉寺の境内は業平、小梅一帯であった。)

「とにかく三七・二十一日間お詣りしていたんです。そして二十一日満願の帰りに夕立ちになってしまって、業平橋あたりのそば屋へ入って雨やどりをしていたら、そこへ一人の浪人が赤鞘(あかさや)の刀を差して、破れた蛇の目傘を持って尻っぱしょりで入って来て、入って来るなり蛇の目傘の雨しずくを振り切るわけです。その格好が美事だったんでしょう。仲蔵はその姿を見て、「これだ!」ということでその姿を定九郎の役に取り入れて素晴らしい演技ができたそうですよ。」慧燈第8号(昭和55年3月15日発行)

紋の「中車紋」は中の字を四つ組み合わせたもので、師匠の中村傳九郎家のもの。
替紋は、仲蔵が舞台に上がる時気合いを入れるために「人」の字を3回書いて飲み込んだことに由来するという。

平成17年(2004年)、大阪松竹座・東京日生劇場で初代中村仲蔵を主人公にした新作狂言『夢の仲蔵千本桜』が上演されている。
仲蔵を勤めたのは現・二代目松本白鸚だった。




出典:「中村仲蔵 (初代)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



中村仲蔵が演じたという定九郎が出てくる

『仮名手本忠臣蔵』五段目


 



僕はこの落語を聞くまで、中村仲蔵という名前を聞いたことがなかった。。。中村で知っているのは子供の頃チャンバラ映画で見た中村錦之助ぐらいなものですよ。。。

 


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三遊亭圓生の落語を聴いてみればわかるけれど、江戸時代の歌舞伎役者は、名のある役者の家に生まれない限り出世はできず、素人から役者を始めたのでは、今でいう大部屋の役者で終わるのが普通だったのです。。。

 


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『動画を見る』


 



今でも、大部屋俳優から、認められて出世して映画の主演をやるような俳優になったのは数少ないのですよ。。。僕の知っている限り川谷拓三さんだけですよ。。。

 


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現在でも、大部屋俳優から出世して主演を演じるようになった役者は数えるほどしかいないと思います。。。歌舞伎役者でも、現在名前が知られている有名な役者は、ほとんどすべてが名のある役者の家に生まれて少年の頃から子役で歌舞伎の舞台に立っている人たちですよ。。。



そのようでござァ~ますわねぇ~。。。

江戸時代には、士農工商という身分制度もあったし、歌舞伎の世界でも、身分制度があった。。。

&nbsp



歌舞伎の身分制度

 


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江戸時代、歌舞伎役者たちは、主だった役柄を演じる名題(なだい)の下に、相中(あいちゅう)、中通り(ちゅうどおり)、下立役(したたちやく)などの身分があり、個別の楽屋が割り当てられる名題以外の役者は、楽屋の3階に設けられた板の間に雑居していた。

このため、「三階」、「三階さん」といった呼称も用いられた。
ただし、最下層の下立役の部屋は、実際には1階にあった。

こうした厳しい身分制度は、明治末期まで残っていたといわれる。

 

映画

大部屋俳優も、主役級の俳優たちと同じく特定の映画会社と雇用契約を結ぶが、その契約形態は大きく異なっている。
概ね1960年代まで一般的であった専属契約では、主役級などの俳優が、出演本数に基づいて出演料が支払われた。

しかし、大部屋俳優は、定額の月給制で、危険を伴う演技など何らかの特別な場合に一定の手当が加算されるという形であった。
東宝の場合、前者を「Aホーム」、後者を「Bホーム」と称し、後者の中でもエキストラやスタントを含めておこなう者を「B2」と分類していた。

唐沢民賢によれば、東映京都撮影所の大部屋俳優は撮影所契約の月給制だが、会社に認められて本社契約を勝ち取れば、年6本の本編(映画)専属契約となり、ギャラも跳ね上がるという。

大部屋に所属する俳優の数は、数十人から百人以上に及ぶこともある。
大部屋出身の俳優である土平ドンペイの回想によると、1990年代の松竹京都撮影所の大部屋には、実際には男性用の4畳半ほどの部屋が3室ほどと、少し広い女性用の部屋1室があり、そこに20人ほどがいたという。
2018年に、東映が東映京都撮影所の大部屋にあたる「俳優事務所」の一元化をしたところ、所属俳優の規模は、もっぱら東映太秦映画村での殺陣のパフォーマンスにあたる者なども含め、180人ほどとなった。

大部屋の俳優は、端役を演じ、出演者としてクレジットされることもあるが、エキストラ同然の扱いでクレジットされないこともある。
大部屋俳優の多くは、俳優としての一本立ちを目指す比較的若い者たちであるが、中には山内八郎、加藤茂雄、福本清三、小峰隆司のように、ベテランに至るまで大部屋で過ごし、大部屋俳優として名を残した者もいる

また、怪獣映画などのスーツアクターも、大部屋俳優が務める例があった。
初代ゴジラのスーツアクターとして知られた中島春雄もその例である。

 

大部屋出身の俳優

大部屋出身であることが、しばしば言及される俳優、女優の例。

石倉三郎
川谷拓三
志賀勝
谷よしの
土平ドンペイ




出典:「大部屋俳優」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



中村仲蔵は歌舞伎役者の一番下の階級から、名題という最上級になり、さらに三座の座頭になったというのです。。。つまり、中村座の座長ですよ。。。2023年7月21日、文化審議会の答申で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に、歌舞伎俳優の中村歌六さん(72)が選ばれたけれど、江戸時代に人間国宝制度があれば、中村仲蔵も人間国宝になっていましたよ。。。


 


(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたは、映画の俳優になろうという夢を持っていますか?

劇団に入って修行を積むのもよいかもしれません。

でも、劇団に入れたとしても、アルバイトしないと食べてゆけないそうです。

昔も今も役者になって出世するのは大変なようです。。。

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 





 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

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ところで、どうして小百合さんが

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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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日本初のヌードショー

2023-08-28 01:38:20 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

日本初のヌードショー

 


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デンマンさん。。。 つい先日、9月27日に“Playboy”の創刊者のヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)さんが91歳で亡くなりましたわねぇ~。。。


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あれっ。。。 ジュンコさんはよく知ってますねぇ~。。。

だってぇ、ニュースが世界を駆け巡りましたわァ~。。。

 


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そうなのですよ。。。 僕もちょっと驚きました。。。 しぶとく100歳を超えるまで生き抜くのじゃないかと思ってましたからねぇ~。。。



。。。で、ヒュー・ヘフナーさんを追悼するために“日本初のヌードショー”というタイトルにしたのですかァ~?

それも理由の一つだけれど、実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 


日本初のヌードショー


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昭和22年になりますと、1月15日に日本初のヌードショーが行われました。 (略)

新宿の今の伊勢丹の前にあった映画館「帝都座」の5階に小さな劇場がありまして、そこでいわゆるストリップがはじまったのです。

そうは言ってもタイトルは「名画アルバム」。

 

“ヴィーナス誕生”と銘打って、カーテンが上がると女の人が額縁を背景に大きな帽子を持って舞台に立ったまま動かないのです。

下半身は帽子で隠されているけれど、たしかにハダカなんです。

まあそれでも男どもは押し寄せまして、固唾(かたず)をのんで舞台の上にはじめての女性のヌードを見たんですね。

 

この時のヌード第一号が甲斐美春(かい みはる)さんという若い女性だそうですが、彼女は間もなく親父さんに怒られてやめてしまい、その後に出てきたのがヒロセ元美さんという非常に有名なストリッパーです。


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彼女は「立っているだけじゃつまらない」と自ら動き出し、見事な裸踊りを披露して場内は大変沸きました。

これを警察が取り締まることもなく、ストリップは一気に盛んになったんですね。

 

ちなみに、この年の夏くらいから、浅草の大都(だいと)劇場やロック座でも華々しいストリップがはじまりまして、昭和23年に長岡から東京に出てきた私もよく通わせていただきました。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




207-208ページ 『昭和史 戦後篇 1945-1989』
著者: 半藤一利
2009年7月27日 第4刷発行
発行所: 株式会社 平凡社


 



確かに、昭和22年を契機にヌードショー、つまり ストリップが日本全国に広まったらしいですよ。。。



デンマンさんも、ストリップを見に日本全国を駆け回ったのですか?

僕は、まだヨチヨチ歩きだったので、母親の乳房につかまりっきりでしたよ。。。 (モナリザの微笑)

それほど、ストリップがはやったのですか?

あのねぇ~、中学生になってから黒澤監督が作った映画『生きる』を観たのだけれど、市役所の万年課長で退職する主人公を演じる志村喬が、“生きがい”を見出すために参考のためにストリップを見に行くのですよ。。。

 


(ikiru100.jpg)



 



上の写真の中央に写っているのが退職してから“生きがい”を探している主人公ですよ。。。



つまり、ストリップに“生きがい”を見いだしたのですか?

やだなあああァ~。。。 いくら何でも“ストリップ”に“生きがい”を見いだして、主人公が 毎晩、毎晩ストリップを見に行ったら、黒澤監督の映画にならないでしょう!

つまり、ヌードショーもストリップも“生きがい”にはならない事を言うために、この記事を書く気になったのですか?

いや。。。 そればかりではありません。。。 半藤一利さんは、上の本で昭和22年に“日本初のヌードショー”が出現したと書いているけれど、もっと大昔に“ヌードショー”があったのですよ。。。

マジで。。。?

僕は、このような真面目な話をしている時にウソとジュンコさんの尻は突きません。。。

。。。で、大昔っていつ頃の事ですか?

ちょっと次の記事を読んでみてください。。。

 


アメノウズメ


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アメノウズメは、日本神話に登場する神。
「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。

一説に別名「宮比神」(ミヤビノカミ)。
大宮売神(オオミヤノメノカミ)と同一視されることもある

『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。
神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説や、「髻華(ウズ)」を結った女性(巫女の装束)の意とする『稜威道別』(イツノチワキ)説、折口信夫が『若水の話』で出した、「マナを指すヲチの音便で、魂をヲチふらせる意」説などがある。

 

神話での記述

岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。
思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

『古事記』では次のように記述されている。

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」
つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。


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その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アメノウズメはアマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われた。

この時のアメノウズメは『日本書紀』では次のように記述されている。

「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」

つまり、乳房をあらわにし、裳の紐を臍の下まで押したれて、あざわらいながら向かって言ったとある。
その後、名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。

アメノウズメは天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまのおや)、石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人としてニニギに随伴して天降りした。
アメノウズメはサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君の祖神となった。
一説にはサルタヒコの妻となったとされる。

アメノウズメは大小の魚を集めて天孫(ニニギ)に仕えるかどうか尋ねた。
みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀で裂いてしまった。
それでナマコの口は裂けているのである。




出典: 「アメノウズメ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



これは、もう古代のストリップショーなのですよ。。。



でも。。。、でも。。。、これは神話ではありませんかァ~!

あのねぇ~、確かに、神話には違いないのだけれど、このような事がなかったと言い切ることはできない!

デンマンさんは、実際に、このような珍事があったと断言するのですか?

そうです。。。 でも、この事は僕だけが言っているわではないのですよ。。。 実は、この神話の起源には“日食”が関係していると言われている。。。

“日食”ってぇ、月が太陽の前を通り過ぎるときに、地球から見て太陽をすっかり隠してしまうので、一時的に夜のように暗くなるという、あのことですか?

その通りです。。。

それが古代のストリップショート関係あるのですか?

ちょっと考えてみてください。。。 天照大神が岩戸の中に隠れてしまったというのは、ちょうど月が太陽を隠してしまったので、夜のように暗くなったということなのですよ。。。 その時、当時の縄文人はビックリしてしまった。。。 それで、この世はもう終わりだという人たちが、酒を飲んで歌えや踊れやの乱痴気騒ぎをしたわけです。。。 中には酒を飲みすぎて酔っ払った女が、裸になって踊りだす。。。

つまり、それが古代のストリップショーとなって神話になったとデンマンさんは言うのですか?

だから、僕だけが、そう言っているわけじゃないのですよ。。。

他にどなたが、そう言ってるのですか?

あの映画俳優で、監督のメル・ギブソンが、すごい映画を作ったのですよ。。。 その映画の中に“日食”が出てくる。。。

 


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『実際のカタログページ』



 



あらっ。。。 デンマンさんはバンクーバー市立図書館でDVDを借りて上の映画を観たのですか?



そうです。。。 歴史に興味がある人にとっては見逃せない映画ですよ。。。

。。。で、どのような内容なのですか?

日本語版の『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてあります。

 


アポカリプト


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『アポカリプト』(原題: Apocalypto)は、2006年のアメリカ映画。

監督はメル・ギブソン。

 

概要

スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台に、生贄にされそうになった捕虜の脱走と生き残りを掛けた逃走を描く。全編通じて、マヤ語を使った映画となっている。

宣伝の際には「マヤ文明の衰退を描く作品」として宣伝されていたが、マヤ文明自体の衰退は描かれておらず、作品は終始逃走活劇である。

米国では、激しい暴力シーンが続くことからR指定作品となった。

 

評価

非英語作品、出演俳優は無名揃い、レイティングがR指定、そして公開前に監督のメル・ギブソンの逮捕とユダヤ人蔑視発言などの騒動も起こったが、それにも関わらず全米で、公開初週の週末(2006年12月8日 - 10日)の興行収入は初登場1位を記録した。

前述した監督の不祥事事件がプラスになったのではとも言われている(事件についてはメディアによって連日報道されていた)。

しかし、スタートの週末に稼ぎ出した興行収入(約1500万ドル)は監督の前作『パッション』と比べると、低調である。

実在したマヤ文明との相違を議論される作品である。

第一に、マヤ人に劇中にあるような虐殺行為があったかどうかであるが、マヤ文明はトルテカ文明と交流を深めた結果、末期になり盛んに生け贄を捧げる行為を行っていたとされる。

これは入植者であるスペイン人の記録(マヤ人による書物の大半はスペイン人により焼却された)によるものである為、自らを正当化する詭弁という意見もあるが、それらを差し引いても、当事のヨーロッパは未開地への侵略を容認していたことから、生け贄を捧げていたこと自体は事実であるようだ。

映画評論家の町山智浩は「この作品のストーリー構成や演出は、コーネル・ワイルド監督が66年に発表した映画『裸のジャングル』(原題: The naked prey)の影響が顕著であり、重要なシーンは完全に盗作と言ってよいほど似通っている」と評論している。




出典: 「アポカリプト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



。。。で、この映画にもストリップが出てくるのですか?



この当時の人たちは、ほぼ裸に近い生活をしているから、特に“ストリップ”が強調されてるわけじゃないけれど、僕が注目したのは“日食”の部分が出てくるのですよ。。。 要するに、科学的なマインド持っていない人々にとっては、“日食”はかなりショッキングな現象ですよ。。。 だから、縄文人にとっても、この衝撃的な現象が神話の『天岩戸』伝説を生むことになった。

それで、上の映画では、どのような伝説を生むのですか?

上の話は西暦1511年当時のユカタン半島を舞台にくりひろげられるのです。。。 生贄にされそうになった捕虜が、ちょうど“日食”が出現して、その超自然現象に“神秘性”を感じて、“王”がその捕虜を殺さずに生かすことにするのです。。。 つまり、そのときのエピソードが伝説化され、現代になって映画化されたというわけです。。。

。。。で、ストリップは。。。?

だから、日本の縄文人にとっては“日食”とストリップが結びついたのだけれど、ユカタン半島は熱い国だから、日常の生活の中で“ストリップ”は珍しいことではなかった。。。 それで、伝説は“日食”と“サバイバル”が結びついたわけです。。。

つまり、縄文人は寒い国に住んでいたので、ショッキングな現象が“ストリップ”と結びついたけれど、熱い国では“日食”は“サバイバル”と結びついたということを言うために、わざわざ“日本初のヌードショー”を持ち出してきたのですか?

そうです。。。 いけませんか?




初出: 2017年10月2日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、もしお暇だったら、近くの図書館でDVDを借りて『アポカリプト』を観てください。

日本語版があるはずですわ。。。。

日本語吹き替えでは次のようになってますわァ。

•ジャガー - ルディ・ヤングブラッド(高橋広樹)

•セブン - ダリア・エルナンデス(甲斐田裕子)

•ミドル・アイ - ヘラルド・タラセーナ(東地宏樹)

•ゼロ・ウルフ - ラオウル・トルヒーヨ(飯塚昭三)

図書館でDVDを借りることができない人は

わたしがハマッている“愛と性の美学のロック”のクリップでも観てください。。。

では、じっくりと味わってくださいねぇ~。。。


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ところで“アメノウズメ”のお話も面白いですけれど、

日本の古代史には、他にも興味深い不思議なお話がたくさんあります。

たまには、日本の古代の話も読んでください。。。

では次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』


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『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


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『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』


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『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『伊藤若冲 ランブータン』

『知的快楽』


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『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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未亡人の苦悩

2023-08-27 01:22:00 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

未亡人の苦悩

 


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デンマンさん。。。今日は、デンマンさんが未亡人を悩ませた お話をするのですかァ~?


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ジュンコさんには、僕が未亡人を悩ませるような人間に見えるのですかァ~?

デンマンさんは、上のような けっこうエロい画像をデッチ上げているので、未亡人を悩ませたことがあると考えられても仕方がありませんわァ~。。。

あのねぇ~、もし僕が上の画像のようなセクシーで美しい未亡人を悩ませていたら、わざわざ画像までデッチ上げてネットにアップロードして公開などしませんよ。。。

つまり、デンマンさんには未亡人を悩ませてみたいという秘めた欲望があるのですわねぇ~? うふふふふふふ。。。

いや。。。僕には、そのようなエロい欲望はありません。。。

じゃあ、どういうわけで未亡人の苦悩 を取り上げるのですかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『未亡人の苦悶』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で3月15日の午前1時3分から午前2時20分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。 3月15日の午前1時15分にピンタレストからやって来て 未亡人の苦悶 を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。

そうです。。。実は、インドネシアのスラバヤ市に住んでいる矢野亀夫君が読んだのです。。。

 


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スラバヤという町は大きな町なのですか?



インドネシアでは第2の都市ですよ。。。東ジャワ州の州都であり、人口は約297万人(2021年)です。。。明の時代から華僑が在住していて、漢字では「泗水」という名前で知られてます。。。天然の良港タンジュン・ペラック港を中心に、オランダ植民地時代から貿易の中心として栄えたのですよ。。。現在でも、インドネシア最大の港湾で、最大の軍港です。。。中国人やアラブ系住民も多く、チャイナタウンやアラブ街もあります。。。

矢野君はスラバヤ市で何をしているのですか?

地元のアイルランガ大学の情報工学部でメディアと情報分析を勉強しているのですよ。。。

 



 



上のリストの リファラ のリンクをクリックするとどんなページが出てくるのですか?



次のページが表示されるのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

『未亡人の苦悶』


 



このページはどこで見つけたのですか?



矢野君は落語が好きなので、久しぶりに落語のYouTubeでも探そうと思ったのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

『後家殺しページ』


 



矢野君は上のページの左上の赤枠で囲んだ写真をクリックしたのですか?



そうです。。。

落語に、マジで「後家殺し」という演目があるのですか?

あるのです。。。

 



後家殺し

 


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おかみさんが居ないのが好都合だと言い、男が聞き始めた。
表の伊勢屋の後家と常吉は、3年越しのいい仲になっていた。
出会いは、伊勢屋で浄瑠璃の会があって、助演として「三十三間堂棟由来、平太郎住家の段」を語った。
後家さんは年のころ二十七、八で、色白の上品ないい女。

後家さんは「嬉しいじゃないの。亡くなった亭主が良くやっていた『柳』だなんて」、それを聞いた常さん、急に心配になって、出だしから巧くいかなかったが、途中で後家さんを観ると首を振り振り聞いているので、気を持ち直して語り尽くした。

汗を拭き着替えていると、酒とお食事が用意されていて太棹の吉蔵達と一緒にご馳走になった。

翌日も二人が呼ばれて、忠臣蔵を語り、歓待されて帰ってきた。
またその翌日にも、今度は一人でと招待され、酒肴で歓待された。
あまり飲めないので気分が悪くなり、横にならしてもらうと、長襦袢の上に黒の羽織をかけた後家が入ってきて、「亭主が亡くなって3年、みだらな心を起こした事は無いが『柳』を聞いて心が変わった。私を、面倒見て欲しい」と。

家に帰って家内と相談したら、「打ち明けてくれたので、貴方の良いようにしてもイイ」と。
それ以来の3年越しの付き合いなんだ。

男が、常さんは想っているが、女とはそんなものでは無い。
俺は見たんだが、いい男と後家が話をしているのを聞いてしまった。
「常さんとは、時期の良いときに話をして別れ、その後にお前と生涯連れ添うよ」と。
常の耳に入れると大変な事になるからと友人からも注意されていると告げ口して、逃げるように帰って行った。

火の無い所には煙は立たない、と疑い始まるとキリが無い。
飲めない酒を飲んで、酔うどころか頭が冴えて、出刃包丁を研ぎ上げ、手ぬぐいに巻いて懐に。
伊勢屋に酔っ払って入ったが、聞く耳を持たず出刃包丁を突きつけ、逃げる後家が転ぶのを背後から、滅多差しにして殺害してしまった。

役人が出てきて取り押さえられ、調べてみると根も葉もない話で、あまりにもうらやましいので作り話で煽っただけだと解った。
人を殺せば死刑と決まっていた。

白州に引き出された常吉は、痩せ細り消沈してうな垂れていた。
「江戸無宿、常吉面(おもて)を上げィ」、無宿というのは人別帳からはずされているので、家族に累が及ばない。
御上の御慈悲です。
「御上の御慈悲により『打ち首』申しつくる。ありがたくお受けいたせ」。
「最後に一つ、奉行聞き叶えてあげるが、なにか有るか」、と問われて常さん、 「後家も殺しましたし、もう一人殺したい者が居ましたが、それも叶わぬ事。(義太夫口調で)後に残りし女房子が、打ち首とォ聞くゥなァらばァ、さこそ、なげかァん~、ふびん~やァーとォー」と語ると、
奉行、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」



 



こういう噺なのですよ。。。



矢野君は初めて聴いた演目なのですか?

一度聴いたことがあった。。。でも、殆ど忘れてしまって、どういう筋なのかも忘れていたのですよ。。。それで、改めて聴いてみたというわけです。。。

でも、この噺って、よくわかりませんわァ~。。。

どこがわからないのですか?

最後にお奉行が、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」と感心したように叫びますが、これはいったいどういうことですかァ~?

上のあらすじだけを読んだのでは理解できないのは無理もないのですよ。。。

でも、実際、三遊亭圓生の落語を聴いてみると理解できます。。。

 


(ken203h.jpg)



 



演目を語る前に噺家は「まくら」という世間話のような小咄を語るのですよ。。。演目と関係ないことを話すこともあるけれど、演目を理解するのに必要な事を話す場合もある。。。上の高座では三遊亭圓生が義太夫の掛け声について「まくら」で語っている。。。



奉行が、ポンと膝をたたいて 「後家殺しッ!」と叫びますけれど、この「後家殺しッ!」という掛け声は、演目の中で誰も後家を殺してなくとも、かけるのですか?

そうなのです。。。義太夫(ぎだゆう)では語り手が観客を感動させるような場面になると、聴衆が、特に大阪の聴衆は「後家殺しッ!」という掛け声をかけるのです。。。それが粋(いき)なことだとされていた。。。

それは知りませんでしたわァ。。。拍手はしないのですか?

拍手するようになったのは明治になってからのことだと言うのですよ。。。それまでは、もっぱら掛け声をかけたというのです。。。「待ってました!」というのが決り文句だったようです。。。

どうして江戸時代には拍手しなかったのですか?

拍手というのは、歌いながら手拍子をとる時とか、女中さんを呼んで酒を持ってきて欲しい時に手をたたくという時以外は、まず手をたたくということはしなかったのですよ。。。

時代が変わると、ずいぶんと様子が変わるものなのですわねぇ~。。。

そうです。。。現在では「後家殺し」は禁句になっている場合がありますよ。。。GOOのブログで「#後家殺し」とハッシュタグをつけたら、「その語句は受け付けられません!」という表示が出てきました。。。

記事の中に書くのは構わないのですかァ~?

記事の中に書くのならば問題はないけれど、ハッシュタグに書くとダメなんですよ。。。

ダブルスタンダードですわねぇ~。。。

時代が変わると、そういう変なことをする人間が出てくるのですよ。。。




初出: 2023年3月22日



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

貴方も落語は好きですか?

もし他の演目を聴いてみたかったら、次のページから気に入ったものを選んで聴いてみてくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「落語は、どうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわァ~。。。

 


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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


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『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』


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『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

『核戦争』

『1910年の飛行レース』

『エンペラー習近平』


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『暗殺@GOO』

『テロとの戦い』

『マリアのミイラ』

『パナマ文書』

『南京事件』

『古代文明人』

『海の文明人』

『CIAの暗躍』

『特異点の世界』

『JFK 証拠隠滅』

『トランプ@スキャンダル』

『フェーリア・モール』

『使い捨てファッション』

『万物の理論』

『カラル遺跡』

『アレン・ダレス』

『JFK暗殺の証拠』

『エロいモナリザ』

『ダイアナは殺された?』

『タイムトラベラー』

『ロバート・ケネディ暗殺』

『超古代文明』

『つぶやき効果』

『大正デカダンス』

『五千五夜物語』

『ケチ 6日知らず』

『13日は不吉』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



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ィ~ハァ~♪~!

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(bagel702.jpg)

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『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



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確信という誤解

2023-08-21 03:42:45 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

確信という誤解

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで確信という誤解を取り上げるのでござ〜ますかァ?


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あのねぇ〜、僕は昨夜、古今亭志ん朝の『柳田の堪忍袋』という落語を聴いたのです。。。その噺の中に確信という誤解を見たのですよ。。。

 


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あらっ。。。感動的な人情噺ですわねぇ〜。。。



そうです。。。この噺は、もともと講談のネタで、それを落語にした噺です。。。三代目春風亭柳枝が得意とした。近年では五代目古今亭志ん生、そして子息の十代目金原亭馬生、三代目古今亭志ん朝の得意ネタになった。

 



柳田の堪忍袋 あらすじ

 


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彦根藩井伊家の藩士である柳田格之進は、生来の正直さが災いして主家から放逐され、浪人になった。
その後、妻に先立たれ娘のおきぬとともに浅草阿部川町の裏店に逼塞している。

今日の米にも困る暮しぶりだが、そんな中にあっても武士の誇りを捨てない実直な人柄は少しも変わることはない。
彼を慕う浅草馬道一丁目の両替商、万屋源兵衛とともに碁を打ち酒を酌み交わすのが、ただ一つの楽しみだった。

8月15日の夜、格之進は万屋宅で月見の宴を張り、いつものように離れ座敷で碁を打つ。
格之進の帰宅後、番頭の徳兵衛は主人の源兵衛に碁の最中に預けた50両はどうなりましたかと尋ねる。
そこで50両の大金が無くなっていることに気づき徳兵衛は格之進を疑うが、源兵衛は「あのお方に限ってそれはない、仮にそうだとしても何か仔細があったのだ」と、番頭を諭す。

しかし、徳兵衛は主人に内緒で格之進宅に赴き50両の行方を問いただす。
「いやしくも身共は武士、何ゆえあってかような疑いをかけるか」と激する格之進に対し、徳兵衛はいずれにしても大金が消えたのは事実だから奉行所へ金の紛失を届けるという。
たとえ身に覚えはなくとも、奉行所の取り調べを受けることは不名誉とし、格之進は明日までに金の支度をすると約束する。

格之進は自害するつもりで、おきぬにそれとなく別れを告げるが、おきぬは自ら吉原へ行き金を工面するという。
そして盗んでない以上、いずれ50両は見つかるでしょうから、そうしたらその金で身請けし、源兵衛と徳兵衛を斬って武士の体面を守ってくださいと言い、格之進は断腸の思いで娘を売って金を作る。

格之進は、やってきた徳兵衛にあくまで自分は盗んでいないと念を押して金を渡し、もし50両の金が見つかった場合は、どうするつもりか?と尋ねる。
金がある以上、格之進が盗んだと確信した徳兵衛は二つ返事で、もし金が見つかったら自分と主人の首を差し出すことを約束する。

徳兵衛は帰ってくると主人に事のあらましを報告する。
仮に格之進が盗んでいたとしてもほっとけば良いと考えていた源兵衛は怒り、余計なことをして柳田様に無礼を働いたと叱り飛ばす。
そして謝罪するべく急いで格之進宅へ向かう2人であったが、既に家は引き払われた後だった。
しばらく源兵衛は格之進を捜すよう店の者に言いつけるか、次第に忘れられ年の瀬となった。

年末のすす払いで、無くなった50両が見つかる。
そこで源兵衛は小用の際に自分が隠したことを思い出し、格之進に申し訳ないことをしたと悔やみ再度、彼を捜すよう店の者達に号令を出した。

年が明けて正月の4日、徳兵衛は年始回りの帰りに湯島天神の切通しで、身なりの立派な武士から声を掛けられる。
それは柳田格之進であり、聞けば、格之進は主家への帰参が叶い、今や江戸留守居役に出世したのであった。
徳兵衛は震えながらも格之進に付き合い茶屋へ入ると、咽びながら50両が見つかったことを話し詫びる。
これを聞いた格之進はからからと笑い、明日、店へ参るから首を洗って待てと伝える。

徳兵衛から話を聞いた源兵衛は翌日、彼を無理に外に使いに出すと、死を覚悟して格之進を迎える。
そして源兵衛は自分が格之進へ取り立てを命令したと徳兵衛を庇い、首を討つのは自分だけにして欲しいと言う。
そこに主人の思惑に気づいていた徳兵衛がやってきてあくまで自身が勝手にやったことだと訴える。

2人の言い分を聞いた格之進は刀を抜くが首ではなく碁盤を真二つに斬る。
格之進は庇い合う2人の情けに打たれ斬るに斬れなかった。

日頃の貧しい生活を知っていた源兵衛は、どのように50両を工面したのかと格之進に尋ねる。
娘が親子の縁を切って吉原に身を沈めて工面した50両だと格之進は正直に答える。

源兵衛は、恐縮して徳兵衛に命じ おきぬを見受けした。
これを機会に、柳田家と万屋家の親交まますます親密になり、やがて番頭の徳兵衛と おきぬは結ばれ夫婦養子として万屋家に迎えられる。
やがて男の子が生まれると、その子を格之進が養子に迎えて、柳田家の跡目を相続させる。




出典: 「柳田格之進」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、徳兵衛は格之進が盗んだと確信したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。だから格之進が、やってきた徳兵衛にあくまで自分は盗んでいないと念を押して金を渡し、もし50両の金が他の場所で見つかった場合は、どうするつもりか?と尋ねる。。。徳兵衛にしてみれば、盗んだのは格之助に違いないと確信していたから、「もし金が見つかったら自分と主人の首を差し出す」と軽々しく答えたのですよ。。。絶対に、50両の金が出てくることはない、と確信していたからです。。。

源兵衛は、格之助が50両の金を盗むような人ではないと、信じていたけれど、徳兵衛のオツムの中では格之助以外に盗む人はいないと信じたのでござ〜ますわねぇ〜。。。

そういうことです。。。結局、格之進が50両を盗んだという徳兵衛の思い込みは確信という誤解だったのですよ。。。

この噺は、現実にあった出来事だったのでしょうか?

いや。。。あまリにもよく出来た噺なので、僕は現実にあった出来事だとは思えない。。。格之助が300石の留守居役として帰藩したと言うけれど、正直すぎてウザい人物だと思われていた人が帰藩したとは考えにくい。。。

でも、それはデンマンさんの確信という誤解なのではありませんかァ〜?

あのねぇ〜、現実の世界を見てみると、上の話のようにハッピーエンドにはならないのですよ。。。徳兵衛のように思い込みを「確信」と信じて、不幸や悲劇を招いてしまう。。。例えば、「50両」が出てきても見て見ぬ不利をして、徳兵衛は何が何でも自分の思い込みを真実として押し通るのですよ。。。

そういう事件が実際にあるのでござ〜ますかァ〜?

あったのです。。。次の記事で書いた事件ですよ。。。

 



 

警視庁のメンツ

 


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デンマンさん。。。、警視庁のメンツ に関わるような事件を日本で起こしたのですかァ〜?


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僕は、そういう だいそれたことはしません。。。いたって善良で従順な人間ですよ。。。

そう言う人に限って世界を騒がせるような事件を起こすものですわァ〜。。。

僕はバンクーバーに住んでいるのですよ。。。わざわざ日本で凶悪事件を起こすような理由がありません。。。

じゃあ、いったい どういうわけで 警視庁のメンツ を取り上げたのですか?

あのねぇ〜、ユーチューブで「人間ドキュメント」を探していたら次のクリッぷに出くわしたのですよ。。。

 


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この事件が起きた時、僕は日本に帰省中でテレビの速報を見て驚いた記憶があるのです。。。



いったい どういう事件だったのですか?

次のような事件だったのですよ。。。

 



警察庁長官狙撃事件

 


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警察庁長官狙撃事件は、1995年(平成7年)3月30日に当時警察庁長官の國松孝次が何者かに狙撃された事件である。

2010年(平成22年)3月30日に、殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた未解決事件である。

1995年(平成7年)3月30日午前8時31分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。

國松はそのうち3発を腹部などに受け、日本医科大学付属病院高度救命救急センターに搬送された。
一命は取り留めたが、全治1年6か月の瀕死の重傷を負った。

男は自転車でJR南千住駅方面に逃走するのが通行人に目撃され、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。
電話の声は、國松に続く次のターゲットとして、井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて、教団への捜査を止めるように脅迫した。

10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた

國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。

銃を発砲した犯人は身長170 - 180 cm。黒っぽいレインコートに白いマスクを着用し、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

 

捜査

オウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年(平成8年)5月には詳細に供述していた。

 


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しかし、警視庁公安部はその事実を警察庁に5ヶ月間報告せず、世間に明るみに出ることもなかった

同年10月、マスコミ各社に「犯人は警視庁警察官」とする告発文書が捜査関係者と思われる匿名の人物から郵送され、10月25日には各社が供述を報道し始める。

同年10月27日には「銃を捨てた」という供述に基づき神田川を捜索するも、事件から既に1年半以上経過しており、川底にヘドロが堆積していたこともあり発見には至らなかった。

物証が発見されず、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年(平成9年)6月に見送られた。

なお、この巡査長はオウム幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。

この供述を警察庁に報告しなかった責任から、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職に到った

またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。
最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴となった。

特別捜査本部は1999年(平成11年)に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年(平成16年)7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。

さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。

しかし、元巡査長の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。

 


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警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた早川紀代秀と端本悟を現場指揮役と実行犯と疑っているが、2人は犯行を否定している。

2008年(平成20年)3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された。

 


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公訴時効後

2010年(平成22年)3月30日午前0時に公訴時効到来。

3月30日には、警視庁公安部長青木五郎が記者会見を開き、公訴時効が午前0時を以って成立したことと共に、この事件がオウム真理教の信者による組織的なテロリズムであるとの所見を示したが、この記者会見に対し、識者から批判が相次いだ

記者会見では、14ページの「捜査結果概要」を公表し、この中で麻原を含めた教団元幹部や元信者ら計8人(麻原を除く7人は匿名)について、それぞれの行動や会話内容などを列挙したものの「犯行に関与した個々の人物やそれぞれの役割を、刑事責任の追及に足る証拠をもって解明するには至らなかった」とした。

 

犯行説

警視庁内部では、公安部がオウム犯行説を主張し、刑事部が強盗殺人未遂犯による犯行説を主張し、捜査方針が対立していた。

 


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犯行直後の狙撃現場の証拠はオウム犯行説に分があるとされ、凶器に関する証拠については強盗殺人未遂犯説に分があるとされていたが、どちらも決定的な決め手が欠けている。




出典: 「警察庁長官狙撃事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、この事件は警視庁内部で公安部と刑事部が対立していたのですねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。双方とも縄張り意識があって、情報を共有しないのです。。。この事件が起こる10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられ、8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。。。しかもオウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)が自首してきた。。。こういう経緯から、公安部が担当して、オウムが関係あると言う前提で捜査を始めたのですよ。。。

公安部というのはどういう事件を扱うわけぇ〜?

あのねぇ〜、警視庁公安部は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の人権指令により廃止された警視庁特別高等警察部の後継組織とされているのですよ。。。だから、戦前の特高が扱うような事件を担当するわけ。。。つまり、国家の安全を脅かすような事件ですよ。。。だから、このテロ事件は公安部が担当することになったわけです。。。

つまり、警視庁の中では刑事部よりも威厳があるわけねぇ〜。。。

建前は上下の関係じゃなく同等なのだけれど、警視庁は唯一公安部を置いており、所属警察官約1100名を擁し、最大規模の公安警察官を抱えているのですよ。。。

じゃあ、どういうわけで刑事部が関わりを持ったのォ〜?

刑事部と言っても、殺人事件を扱う捜査一課が別の強盗殺人事件を捜査しているうちに、中村泰が「警察庁長官狙撃事件」と関係あることを突き止めたのですよ。。。

 


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あらっ。。。東大を中退しているのねぇ〜。。。学費が収められなくなって中退したのォ〜?



いや。。。学生運動にのめり込んだのですよ。。。中村は、教えを受けていた教授にノーベル賞がもらえるほど優秀だったと言われた。。。

 


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そもそも、中村が「警察庁長官狙撃事件」と関係あると思われたきっかけは、中村が現金輸送車から5000万円を奪って逃走したことなのですよ。。。



その捜査をしているうちに「警察庁長官狙撃事件」と関係あるモノが出てきたのですか?
 
そうなのですよ。。。スクラップブックに、「警察庁長官狙撃事件」のおびただしい新聞記事や週刊誌の記事が、ベタベタと貼ってあったのですよ。。。

そもそも、どういうわけで5000万円を奪ったのですか?

活動資金ですよ。。。中村は、暴力革命を目指していたのです。。。

暴力革命だなんて、精神に異常をきたしたのではありませんかァ〜?

でもねぇ〜、あの学生運動を経験した人たちの中には、革マル派とか、中核派の活動家になって、ハイジャックしたり、テルアビブ空港で乱射事件を起こした人がいるのですよ。。。だから、中村が暴力革命に走るには、それほど突拍子もない事ではないのです。。。しかも、中村の生い立ちを見ると、暴力革命に走るのもうなずけるのです。。。

 


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5.15事件に関わった橘孝三郎が主宰する「愛郷塾」に中村が入門したのは17歳の時です。。。革命思想は中村にとって少年の頃から慣れ親しんでいた思想なのですよ。。。

 


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中村は実際に革命に参加したのですか?



参加したのです。。。中村は強盗殺人罪で刑務所で服役している間にスペイン語を独学してチェ・ゲバラの言行録を読み漁(あさ)ったのですよ。。。

 


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刑務所を出所したのが45歳。。。その年でニカラグアへ飛んで革命軍に加わろうとしたけれど、休戦状態になり野望を達成できずに帰国したのです。。。

 


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45歳を過ぎてニカラグアの革命軍に参加するなんて、普通の人には出来ませんよねぇ〜。。。



中村は行動の人なのですよ。。。警察官も射殺しているけれど、彼にとって犯罪は暴力革命の資金集めに必要な事だから、罪悪感は意識してないと思いますよ。。。

でも、見つかれば刑務所で服役しなければならないでしょう。。。中村は青春を刑務所の中で過ごさなければならなかった。。。そうでしょう?

しかし、刑務所の中でも無為に過ごしてませんよ。。。スペイン語を独学して、チェ・ゲバラの言行録を読みふけったと言うのだから。。。

。。。で、なぜ警察庁長官を狙撃したのですか?

あのねぇ〜、中村は軍事訓練を受けるために渡米したのです。。。

 


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この訓練を受けたおかげで、拳銃の腕前は50代にしては素晴らしく、後で担当の刑事が、警察学校の銃撃の教官よりも優れていると言ったほどですよ。。。その素晴らしい銃撃を見ていた林という男が「日本人ですか?」と声をかけたことで、二人は同じような考えを持っており、意気投合したのです。。。



二人は一緒に暴力革命を起こそうと話しあったのですか?

そうです。。。中村がニカラグアの話をすると、海外じゃなくて日本で起こすべきだとうことになり、二人は武器、弾薬をアメリカで購入して、分解して日本へ密輸したのです。。。

 


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日本へ帰って、これからの暴力革命の準備をしている時に、立て続けにオウムの事件が起きた。。。警察の捜査が甘くて、サリン事件が起きると、中村は日本の警察の甘さにムカついた。。。当然、警察のトップは責任を取らねばならない! そういうわけで警察庁長官を殺害して責任を取ってもらおうとしたわけです。。。



それにしても公安部は全く見当違いな捜査をしていたわけですわねぇ〜。。。

そうです。。。オウムが警察庁長襲撃事件の前に、あれだけの事件を起こしたのだから、公安部がオウムがやったのだろうと思うのは当然のことです。。。でもねぇ〜、刑事部がこうして中村がやったと、完全に裏付けを取ったにもかかわらず、公安部はオウムにこだわりを見せた。。。

 


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しかも、事件が時効になったときの記者会見で、ぬけぬけと何の根拠もないのに公安部はオウムがやったテロだと決めつけたのですよ。。。こうして記者会見を開いたのが公安部だから、犯行がオウムと関係なかった、と言ったら面目丸つぶれ。。。そう思って、こういう猿芝居をうったのです。。。

 


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刑事部の捜査員が見たらお笑いモノですよ。。。



どうして、そのようなごまかしを公安部は本気でしたのですか?

警察というものは、事件が起きると、まず自分たちに都合の良い筋書きを書くのですよ。。。それに沿って捜査を始める。。。だから冤罪が多い。。。でも、もともとオウムとは関わりのない事件を追っていた刑事部捜査一課は、中村のスクラップブックに警察庁長官狙撃事件の新聞や週刊誌の記事がベタベタと貼ってあるのを見つけ中村が犯行に関わっていると思ったわけです。。。

でも、そういう情報が解っているのに、公安部はどうして刑事部の捜査を認めないのですか?

だいたい、オウムの犯行だと筋書きを書いた公安部にとって、刑事部が真犯人を突き止めたというのは、認め難い。。。つまり、公安部のメンツですよ。。。

でも、警視庁のトップまでが公安部に迎合することはないではありませんか?

警視庁のトップも、公安部の部長から初めに説明を受けた時にオウム犯行説に同意したのですよ。。。つまり、公安部の言うことを同意した警視庁のトップもメンツにこだわったわけです。。。

そういう事があるのですか?

あるのですよ。。。組織というのは、そういうものです。。。

 


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刑事部捜査一課長の佐久間さんはマジで悔しかったでしょうねぇ〜。。。



佐久間さんだって組織の中の人間ですからね、警視庁トップに楯突(たてつ)くわけにはゆかないのですよ。。。

それで泣く泣く組織の決断に従ったわけですか?

そういうことです。。。こういうところは、まさに日本的ですよ。。。アメリカやカナダでは、上司に対して間違いを指摘することは当たりまえのことです。。。

でも、上司にペコペコする人も居ますわ。。。

人間ですからね。。。日本人に似ているアメリカ人やカナダ人も居ますよ。。。

ところで中村さんはその後どうなったのですか?

 


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現金輸送車襲撃事件などで無期懲役が確定、岐阜刑務所で服役中です。。。上のビデオを制作した当時、90歳です。。。もしかすると、すでに亡くなっているかもしれません。。。



上の手紙は、捜査一課長の佐久間さんに当てたものですか?

いや。。。この事件を追及した事件記者が中村さんと何回となく面会して、熱意にほだされて事件の真相を中村が語り、上の手紙もこの事件記者に出したものです。。。

この事件記者は佐久間さんにも経緯を語ったわけですか?

そうです。。。捜査一課長の佐久間さんは次のように言ってますよ。。。

 


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まさにその通りだと思います。。。セクト主義、縄張りにこだわらないで、情報を共有し、組織が一つとなって向かってゆくべきなんですよ。。。




『警視庁のメンツ』より
(2023年8月1日)


 



上の未解決事件で「徳兵衛」は公安部長ですよ。。。警察庁長官狙撃事件が起こる10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられ、8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。。。しかもオウム真理教信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)が自首してきた。。。こういう経緯から、公安部が担当して、オウムが関係あると言う前提で捜査を始めたのですよ。。。



つまり、公安部の思い込みが確信になったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。

。。。で、上の事件で「源兵衛」は誰ですか?

捜査一課長の佐久間さんですよ。。。犯人はオウムとは全く関係ない中村泰だと突き止めた。。。でも、残念ながら、警視庁の組織の中堅管理職だった。。。セクト主義、縄張りがあるから、それを乗り越えて自分の首をかけて警視総監に直訴しなかった。。。アメリカやカナダでは、自分の首を賭けて、組織のトップに直訴する勇気のある人も出てくる。。。日本では、そういう土壌はない。。。

そうでしょうか?

佐久間さんだって組織の中の人間ですからね、警視庁トップに楯突(たてつ)くわけにはゆかないのですよ。。。それで泣く泣く組織の決断に従ったわけです。。。

『柳田の堪忍袋』の噺が現実の事件ではなかった、とデンマンさんが考えるのはなぜでござ〜ますかァ〜?

あのねぇ〜、上の噺の中では、徳兵衛と源兵衛は素直に自分の首を「お手打ち」のために差し出したけれど、実際には二人共死にたくないと思いますよ。。。つまり、実際には、徳兵衛は50両が出てきたことを格之進に打ち明けないと思います。。。

でも、源兵衛ならば、格之進に金を差し出して謝ったと思いますわァ〜。。。

源兵衛の性格から、そうすることは十分に考えられる。。。でもねぇ〜、そうだからこそ、徳兵衛は格之進に出会ったこと主人の源兵衛に話さなかったと思いますよ。。。

でも、それはデンマンさんの確信という誤解ではありませんか?

あのねぇ〜、現実の事件を見ると、確信という誤解があまりにも多いのです。。。日本の警察と検察には確信という誤解が溢れています。。。だから、冤罪が多いのですよ。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

警察と検察は確信という誤解が溢れている、とデンマンさんは言ってますけれど、そのために冤罪が多いのでしょうか?

興味があったら次の記事を読んでみてください。。。

 


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『なぜ死刑廃止?』

『大崎事件』

『無実の罪』



コメント
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美しい日本語

2023-08-12 01:38:28 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

美しい日本語

 



 
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ケイトーは日本語が美しいと思っているの?


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いや。。。 特に日本語が美しいとは思いませんよ。

でも、タイトルにそう書いてあるじゃない?

僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。

じゃあ、誰がそう思ったのよ?

実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。

 


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つまり、赤枠で囲んである本を読んだのね?



そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。

それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?

そうです。。。 いけませんか?

別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?

やっぱり、シルヴィーもそう思う?

だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。

だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。

。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?

じゃあ、次の小文を読んでみてください。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社


 



著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?



そうらしいのですよ。

私は特に美しいとは思わないけれど。。。

僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。

どういうところが。。。?

「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 

 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。

 


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ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。

 


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I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER




 



Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。

 



 



あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?

 


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どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

 

Madame Butterfly



Miss Saigon



 



でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。

 



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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。

そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。

だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


(chehogh4.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということですよ。




初出: 2013年3月16日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
ピエール・ロティの小説『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が、チェーホフにサハリンへの長旅に駆り立てる“公表できない動機”を与えたのでしょうか?
そのよなことは聞いたことがありませんわ。
でも、可能性としてはありそうですよねぇ。

プッチーニも日本へ行ったことはありません。
それにもかかわらずオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』を作ってしまったのですから。。。
その内、チェーホフに関しても動かぬ証拠が出てくるかもしれませんわ。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


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『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』

『期待される人間像(2012年12月13日)』

『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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(rengfire.jpg)


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イーロン・マスクの侘寂

2023-08-08 02:22:28 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

イーロン・マスクの侘寂

 


(elonmusk4.gif)


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(yen0201.gif)




(betty01.jpg)

デンマンさん。。。、イーロン・マスクの侘寂 ってぇ どういうことですか?


(kato3.gif)

あのねぇ〜、僕は毎日、ブログに記事を投稿したあとで、ツイッターで記事のことを呟くのですよ。。。ついでだから、他のツイートを眺める。。。上のイーロン・マスクさんのアニメは、他のネット市民が投稿したものです。。。

投稿したのはイーロン・マスクさん本人ではないのですかァ〜?

本人ではなかった。。。残念ながら、その時のツイートのURL を保存してなかったので ここにそのツイートを表示することはできない。。。でも、ツイッターで検索してみれば上のツイートに出くわすかもしれません。。。

 


(elonmusk4.gif)

『ツイートを探してみる』

 



7月22日に記事を投稿してからツイートを見ていたらイーロン・マスクさんの次のツイートを目にしたのですよ。。。

 


(tw23-08-05b.jpg)

『実際のツイート』

 



イーロン・マスクさんは、日本語が読めるのですか?



Appleの創業者のスティーブ・ジョッブズさんも禅や仏教に興味があったから、もしかするとイーロン・マスクさんも日本語が少しは読めるのかもしれません。。。

。。。で、上の日本語はどう読むのですか?

実は、僕は読めなかった。。。「ていじゃく」と読むのだろうか? やっぱり、この漢字を見て どう読むのか?興味を持つ人はいるらしく 次のようにして翻訳したツイートを見た。。。

 


(musk35.png)

『実際のツイート』

 



漢字だから、白人にとって中国語だと思うのも無理もない。。。ローマ字表記だと「Chà jì」と読む。。。



。。。で。デンマンさんはどのようにして読み方を見つけたのですか?

ツイッターで「侘寂」と入れて検索してみたのですよ。。。

 


(tw23-08-05.jpg)

『現時点での検索結果』

 



なんと「わびさび」と読むのですよ。。。

 


(tw23-08-05x.jpg)

 



「侘び寂び」と書いてあれば、僕にもすぐに読めましたよ。。。でも、「侘寂」では、上の白人が感じたように中国語と思うでしょう。。。



でも、デンマンさんは、どういうわけでこの「侘寂」に注目したのですか?

読み方が解らなかったのですよ。。。それに、どういうわけでイーロン・マスクさんがこの「侘寂」をツイートしたのか?

何か特別な思い入れがあるのではありませんか?

だから、その特別な思い入れを探ろうとしたわけです。。。

突き止めたのですか?

まず、「侘寂」が白人にどのように受け止められているのか? 検索してみたのですよ。。。

 


(gog23-08-05.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



もし、白人が「侘寂」を入れて検索してみれば、わかり易い動画を見るに違いない。。。上の結果に出てきた紫の枠と青の枠で囲まれた動画をここに貼り出します。。。

 


(wabisabi.jpg)





 



この上の動画を見てイーロン・マスクさんは、一体何を感じるだろうか?



イーロン・マスクさんが、上の動画を観て いったい一何を感じたのか? デンマンさんに解ったのですかァ〜?

ちょっと次の写真を見てください。。。

 


(musk30.jpg)


(musk31.jpg)


(musk32.jpg)


(musk33.jpg)

 



僕は感じ取りました。。。イーロン・マスクさんにとって X は映像的に「侘寂」ではないのだろうかァ〜!? それでツイッターのロゴを次のように変えてしまったのですよ。。。。

 



(twitter90.gif)

 



 


(twlogo.jpg)


 




【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、イーロン・マスクさんは、ツイッターのロゴを「侘び寂び」に基づいてもっとシンプルなものにしようと に変えたと思いますか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で わたしに面白いことを話せと言うのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

じゃあ、気分を変えるために面白い動画をお目にかけます。。。

 


(dog-kingyo2.gif)

 

貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


(wp91228.gif->june21-11-29.jpg->art09-12-26.jpg)


『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『アクセス急増!』

『超アクセス急増!』

『地球を飛ぶ』

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『あと1時間で死ぬと判ったら』

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『パシフィックリムの旅』

『雨のニューヨーク』

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『激節スパマー』

『ヒトラーのささやき』

『グッチ家の崩壊』

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『ネット恋愛注目記事』

『知られざる未開部族』

『37年後に出現した飛行機』

『ほほえましい動物たち』

『愉快な動物たち』

『サイトコピーツール』

『スパルタクス』

『マカロニ・ウエスタン』

『グーグルレンズ』

『ユダヤ人が紅海を渡った謎』

『5555番目に観た映画』

『ニューポートニューズ』

『警視庁のメンツ』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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エロい源氏物語 平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『春画@源氏物語』

『エロい源氏物語を探して』

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(bagel702.jpg)

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お裁きを信じますから

2023-07-31 03:03:23 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

お裁きを信じますから

 


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ケイトー。。。 今日は大岡越前の話なのォ~?


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あれっ。。。 シルヴィーは大岡越前という人物を知ってるのォ~?

日本では人気のあるテレビ番組でしょう!?

確かに、人気がある番組なのですよ。

それで、今日、ケイトーは そのテレビ番組について話すわけなのォ~?

いや。。。 実は、今日の話は、直接 大岡越前とは関わりがないのですよ。

じゃあ、どういうわけで大岡越前を持ち出してきたわけぇ~?

裁判に関係がある話だからですよ。。。 ちょっと次の作品を読んでみてください。

 


最後の一句

 


(kosatsu02.jpg)

 

時は元文3(1738)年11月23日。

大阪で船乗業を営んでいた桂屋太郎兵衛の斬罪を知らせる高札が立てられた。
市中はその噂で持ちきりだったが、肝心の太郎兵衛の家族は南組堀江橋際の家で、丸2年近く世間との交流を絶って暮らしていたため、その事実を知る由もなかった。

それを桂屋に知らせたのは、太郎兵衛の女房の母親だった。
桂屋には、この媼(おうな)のことをおばあ様と呼んで慕っている5人の子どもがいた。
16歳の長女・いち。
14歳の二女・まつ。
三人目は女房の里方から里子として譲り受けた12歳の男子・長太郎。
次に生まれた8歳の娘・とく。
そして最後に6歳の男子・初五郎である。

 (中略)

そもそも、太郎兵衛に死罪が言い渡されるに至った経緯は以下のとおりである。

太郎兵衛は船乗りといっても自分が船に乗るわけではなく、自ら所有している北国通(がよ)いの船に新七という男を乗せて、運送業を営んでいた。


(fune21.jpg)

元文元(1736)年の秋、出羽国秋田から米を積んで出帆した新七の船が、航海中に風波の難に遭(あ)い、積荷の半分以上を流失してしまった。

そこで新七は、残った米を売って金にして、大阪に帰ってきた。
そして太郎兵衛に、難船したことは世間に知れ渡っているので、米の売り上げ金は米主に返さずに新しい船の準備金にあてたらどうかと計らった。

太郎兵衛はそれまで正直を信条として経営していたのだが、営業上大きな損害を受けた直後に、現金を目の前に並べられたことで、つい良心の鏡が曇って、その金を受け取ってしまったのである。

一方、秋田の米主のほうでは、難船の知らせを受けたあと、その際残り荷があり、それを購入した者がいたという情報を得て、その後調査した結果、新七から太郎兵衛に金が流れた事実を突き止めていた。

こうして、米主の訴えにより太郎兵衛は入牢し、斬罪が確定したという次第である。

太郎兵衛の斬罪を伝える高札が立てられた日の午後、おばあ様は女房にその事実を伝えた。
しかし、女房は意外にもそれほどの驚きを見せず、いつものように繰り言を言いながら泣くばかりであった。
そしてこの話を、長女のいちは、襖の陰に立って聞いていたのである。

その世、家族6人がそろって就寝している中、いちが布団の中で「ああ、そうしよう。 きっとできるわ」と、独り言をつぶやいた。
それを聞きつけたまつに対し、いちは次のようなことをささやいた。

明後日に控えている父親の刑の執行をなんとか阻止するために、お奉行様に願書を出そうと思う。


(ohka102.jpg)

しかし、ただ殺さないでくれと頼んでも聞き入れてはくれないだろうから、われわれ子どもの命と引き替えに父を助けてくれと頼む。
それをお奉行様が聞いてくれて、父が助かればそれでよい。
子どもは皆殺されるか、自分が殺されて小さい者は助かるか、それはわからない。

ただ、お願いするとき、長太郎だけは殺さないでくれるよう書いておく。
長太郎は太郎兵衛の実子ではないうえに、日ごろから長太郎を家の跡継ぎにするつもりだと父が話していたからである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『最後の一句』
著者: 森鴎外


 



この作品は明治の文豪と言われた森鴎外が書いたものなのですよ。



名前だけは聞いたことがあるわァ~。。。

ほォ~。。。 マジで。。。?

少しぐらいは日本文学を勉強したのよ。 (微笑) でも、どういう人なのォ~?

次のような人物なのですよ。

 


森鴎外

 


(morio01.jpg)

1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日

 

大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。
帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。

その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。
乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。

1896年(明治29年)1月、『しがらみ草紙』の後を受けて幸田露伴・斎藤緑雨とともに『めさまし草』を創刊し、合評「三人冗語」を載せ、当時の評壇の先頭に立った(1902年廃刊)。

その頃より、評論的啓蒙活動が戦闘的ないし論争的なものから、穏健的なものに変わっていった。
1898年(明治31年)7月9日付『万朝報』の連載「弊風一斑 蓄妾の実例」のなかで、児玉せきとの交情をあばかれた。

1899年(明治32年)6月に軍医監(少将相当)に昇進し、東京(東部)・大阪(中部)とともに都督部が置かれていた小倉(西部)の第12師団軍医部長に「左遷」された。


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19世紀末から新世紀の初頭をすごした小倉時代には、歴史観と近代観にかかわる一連の随筆などが書かれた。

小倉時代に「圭角がとれ、胆が練れて来た」と末弟の森潤三郎が記述したように、そのころ鷗外は、社会の周縁ないし底辺に生きる人々への親和、慈しみの眼差しを獲得していた。

交際も広く、その顔ぶれが多彩であった。
しかし、教師でもあった夏目漱石のように弟子を取ったり、文壇で党派を作ったりはしなかった。

ドイツに4年留学した鷗外は、閉鎖的で縛られたような人間関係を好まず、西洋風の社交的なサロンの雰囲気を好んでいたとされる。
官吏生活の合間も、書斎にこもらず、同人誌を主宰したり、自宅で歌会を開いたりして色々な人々と交際した。

また、当時としては女性蔑視が少なく、樋口一葉をいち早く激賞しただけでなく、与謝野晶子と平塚らいてうも早くから高く評価した。
晶子(出産した双子の名付け親が鷗外)やらいてうや純芸術雑誌『番紅花』(さふらん)を主宰した尾竹一枝など、個性的で批判されがちな新しい女性達とも広く交際した。
その鷗外の作品には、女性を主人公にしたものが少なくなく、ヒロインの名を題名にしたものも複数ある(「安井夫人」、戯曲「静」、「花子」、翻訳戯曲「ノラ」(イプセン作「人形の家」))。




出典: 「森鴎外」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



。。。で、どういうわけで上の物語を取り上げたわけなのォ~?



あのねぇ~、上の作品は森鴎外が1915年9月に書き上げたのですよ。。。 作者は、2ヵ月後、京都で挙行された大正天皇の即位の礼に参列した。。。 その後で東京に戻り、陸軍省に辞意を伝えたのです。

どうして。。。?

前年の1914年に「年とともに官に仕える心が薄くなる」という意味の漢詩をつくっているのですよ。 そのことから、作者自身の官僚体制に対する批判があったとされているのです。

その思いを込めて上の作品を森鴎外が書いたというわけなのォ~?

そのように考える批評家が多いのです。。。 要するに、実質的な明治の終焉とともに、官僚社会と決別した作者の心中が作品の中に読み取れるというわけですよ。

そう言えば上のウィキペディアの説明の中に 1899年に小倉(西部)の第12師団軍医部長に「左遷」された、と書いてあるわねぇ~。。。 どうして左遷されたわけなのォ~。。。?

あのねぇ~、森鴎外はドイツに4年留学した経験から、閉鎖的で縛られたような人間関係を好まず、西洋風の社交的なサロンの雰囲気を好んでいたわけですよ。。。 当然のことながら、当時の日本の堅苦しい閉鎖的な官僚体制の中で軍医として働かなければならなかった森鴎外にとっては、澱(よど)んだ池の中で泳ぐ魚のような気分だったわけですよ。

つまり、“池の水”に合わなかったわけなのねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 だいたい、政府で働いている官僚でありながら文学作品を書いていることを上司や同僚の中には毛嫌いしている人がたくさんいた。

どうしてよ。。。?

あのねぇ~、明治時代に二葉亭四迷という有名な作家がいたのですよ。


(futaba01.jpg)



名前だけは知っているわァ~。。。



あれっ。。。マジで。。。? じゃあ、どうしてそのような名前にしたか知ってる? この人の本名は長谷川 辰之助というのですよ。

どうして二葉亭四迷という筆名にしたのォ~?

あのねぇ~、父親が将来のことについて尋ねたので、辰之助さんは作家になると言ったのですよ。。。 ところが、父親は文学に対する理解が全くない人だった。。。 当時の出世コースは明治政府に勤めることだった。。。つまり、“官員さん”になることだった。 だから、父親が次のように言ったのですよ。

“戯作などに時間を費やして

人生を無駄にするような奴は

くたばってぇしめぇ~

(くたばってしまえ)!”


つまり、死んでしまえ!と言われたというのですよ。。。 それをもじって、辰之助さんは“二葉亭四迷(ふたばていしめい)”という筆名を考えたというのです。 (微笑)

マジで。。。?

ウィキペディアには、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる、と書いてあるのですよ。

つまり、ケイトーの説は、いわゆる俗説なのねぇ~。。。

でもねぇ~、そういう俗説が生まれるほどに、当時の社会風潮は、文学者を官員さんよりも、相当低く見ていた。。。 つまり、見下していた。。。 だから、森鴎外自身も次のように書いている。

 



(morio02.jpg)

 

無政府主義と、それと一しょに芽ざした社会主義との排斥をする為に、個人主義という漠然たる名を附けて、芸術に迫害を加えるのは、国家のために惜むべき事である。

学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない。




つまり、森鴎外という人物は、当時の官僚体制や社会風潮に対して批判的だったのねぇ~。。。



そういうことですよ。。。 だから、森鴎外は社会の周縁ないし底辺に生きる人々への親和、慈しみの眼差しを向けるようになり、上の作品を書いたというわけですよ。

。。。で、16歳の長女・いちが ただ殺さないでくれと頼んでも聞き入れてはくれないだろうから、われわれ子どもの命と引き替えに父を助けてくれという嘆願書を出すのだけれど、その後、どうなるのォ~?

大阪の西町奉行所に嘆願書を差し出したのだけれど、当時の西町奉行は佐々又四郎成意だった。 奉行になってからまだ日が浅いために、役向きのことは東町奉行所の同役である稲垣淡路守種信に相談しながら処置していた。。。 要するに、佐々又四郎には、こういう嘆願書が舞い込むのは実に迷惑なことだった。

つまり、どう処置したらよいのか? 奉行本人にも分からないわけねぇ~?

そうなのですよ。。。 でも、新人奉行だから、何とか処置しなければならないと一生懸命になる。。。 それで、子供の考えだけではないだろう!? と言う訳で家族を呼び出したのですよ。

 


(ohka102.jpg)

 



つまり西町奉行の佐々又四郎は大人がそそのかして子供に嘆願書を書かせたのではないかと疑ったわけなのねぇ~?



そういうことです。。。 佐々又四郎は16歳の長女・いちに向かって「隠して本当の事を申さぬと、そこに並べてある拷問道具で、誠のことを申すまで責めるぞ!」と脅(おど)した。。。 ところが、いちは 少しもためらうこともなく「いえ、申したことに間違いございません」とはっきりと答えた。

それで。。。?

佐々又四郎は、更に「おまえが 死ぬ前に父親と会うことも許されない。。。 それでもよいのか?」と付け加えた。。。 そのときも いちは「よろしゅうございます」と同じように静かな調子ではっきりと答えた。 そして、少し間を置いて「お上(かみ)のことには間違いがございますまいから……」と言い足した。

あらっ。。。 16歳の長女・いちは、気丈(きじょう)な しっかりした娘なのねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 だから、その言葉を聴いた佐々又四郎の顔には、不意打ちにあったような驚愕(きょうがく)の色が見られた。

それで、どうなったのォ~?

物語は次のように続くのですよ。

 


尋問が終わり、太郎兵衛の家族は下がっていった。
佐々又四郎の心の中には哀れな孝行娘の面影も、おろかな子どもの影も残らず、ただ氷のように冷ややかで刃(やいば)のように鋭い、いちの最後の言葉の最後の一句が反響していた。
そして、いちがもっている献身の中に潜む反抗の鉾(ほこさき)は、いちと言葉を交えた佐々又四郎のみではなく、その場にいた役人一同の胸をも刺したのである。


(furisode1.jpg)

結局、孝女に対する同情こそ薄かったものの、当時の行政司法の元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は思いがけず貫徹することになる。
桂屋太郎兵衛の刑の執行は延期され、翌年の京都における大嘗会(だいじょうえ)執行にあたり、太郎兵衛は死罪を赦免され、追放処分を言い渡された。

桂屋の家族は再び西町奉行所に呼び出され、太郎兵衛に別れを告げることができたのである。


 



あらっ。。。 いちの嘆願書が聞きとどこられたのねぇ~。。。



そういうことですよ。

よかったじゃない。。。 でも、どういうわけで、ケイトーは このような物語を持ち出してきたわけぇ~?

あのねぇ~、上の物語は、めでたし、めでたしで終わるのだけれど、日本の現実は、厳しい! そのような温情主義ではないのですよ。

どういうことよォ~。。。?

実は、日本では、やってない犯罪で裁判にかけられ死刑にされた人物はたくさんいる。。。 その一人が「飯塚事件」の久間三千年さんですよ。

 


(kuma01.jpg)



 



久間三千年さんはマジで無実だったのォ~?



問題の多い事件だったのですよ。。。 でも、拷問まがいの取調べを受けても、久間さんは「足利事件」で無実だと判って釈放された菅家利和さんと異なり、初めから最後まで“自分はやってない。。。無実だ!”と言い続けた。。。 だからこそ、奥さんは死刑が執行された後でも「再審請求」を求めて闘っているのですよ。

あらっ。。。 夫が死刑にされた後でも夫の無実を信じて、現在でも頑張っているのォ~?

そうなのです。。。 ところが日本の司法は再審請求を棄却してしまった。。。 ここが上の物語と違って、現実の日本の司法の無謀と言うか。。。、冷酷非道なところがあるのですよ。

 



 



再審請求を認めたら無実の罪で久間さんを死刑にしてしまった事を世界に発信してしまう。。。 日本の司法は、何が何でも自分の過ちを認めたくないからですよ。。。 つまり、権威主義に凝り固まっている!



つまり、飯塚事件はすでに久間さんが死刑になっており、再審で無実が確定しても「取り返しがつかない」ので日本の司法は再審請求を却下した、とケイトーは考えるわけぇ~?

そうですよ。。。 再審で無実が確定すれば、司法の権威は失墜しますからね。。。 それに、今までに無実で死刑にされた人の家族が再審請求をしてくる。。。 死刑にした「飯塚事件」を調べれば、関係者は「ヤバイことをしてしまった」と皆が後悔していることがすぐに読み取れるのですよ。

それなのに、日本では権力を握っている司法が ごねているわけなのォ~?

そういうことです。。。 実は、イギリスでも無実の人が死刑にされたことがある。

 


(john03.jpg)



『なぜ死刑廃止?』より

 



でも、イギリスの司法は謙虚に受け止めて、死刑を廃止した。 日本国民が、もっとイギリス国民のような怒りを感じるべきなんですよ。。。 死刑は国家権力の殺人に他ならない! 国家権力だからといって人殺しが許される理由はどこにもない! 死刑を行ってしまったら、その人の命は無実だとしても2度と戻ってはこないのだから。。。




初出: 2016年2月26日



(question.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは どう思いますか?

そうですよねぇ~。。。 死刑を行ってしまったら、その人の命は無実だとしても2度と戻ってはこないのですよねぇ~。。。
だから、やっぱり死刑は絶対に廃止するべきですわァ。
わたしは、そう信じています。

ところで、シルヴィーさんが登場する記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

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『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

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(sunwind2.gif)

『京都アニメ放火事件と現実主義者』

『ニャースと大介スパマー』

『ビットコインバブル』

『ニャースと大介 悪質スパマー』

『ニャースと大介 反省』

『ニャースと大介 現実主義者』

『Limitedheart 現実主義者』

『ニャースと大介 無反省』

『美容ブログ スパマー』

『現実主義者の女』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



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ィ~ハァ~♪~!

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蕎麦屋と忠臣蔵

2023-07-24 03:01:44 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

蕎麦屋と忠臣蔵

 


(sobaya3.jpg)


(sobaya2.jpg)


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デンマンさん。。。 蕎麦屋と忠臣蔵が関係あるのでござ~♪~ますか?


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あれっ。。。 卑弥子さんは「忠臣蔵」を映画で観たことがないのですか?

もちろん、観たことがありますわよう。 テレビでしたけれど。。。 うふふふふふ。。。

だったら、討ち入りする前の晩に赤穂浪士たちが蕎麦屋の2階に集まるシーンが出てきたでしょう!?

そのような場面があったかしら?

ありましたよ! 。。。 じゃあ、卑弥子さんのために『忠臣藏 花の卷・雪の卷』(予告篇) を貼り付けるから、ここでじっくりと観てくださいねぇ。

 



 



あらっ。。。 世界のネット市民の皆様が解るように英語の解説が流れていますわねぇ~。。。



卑弥子さんにも分かりますか?

あたくしは、これでも英語を勉強してきましたわ。 バンクーバーにも出かけて実地に英語会話を身につけましたァ。

だったら、上の予告編を観て蕎麦屋のシーンが出てきたのが分かったでしょう!?

あらっ。。。 お蕎麦屋さんのシーンがありましたかしら?

あのねぇ~、この上のYouTubeのクリップは、せいぜい5分にも満たない予告編なのですよ。 だから蕎麦屋だと、すぐに判る場面は出てこないのです。 でもねぇ~、よ~く見れば赤穂浪士の47人のメンバーが集まっているシーン出てくるのですよ。

 


(sobaya2.jpg)

 



この上の場面がお蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士の47人が集まっているシーンでござ~ますか?



その通りですよ。 僕はそのシーンをソフトカメラで撮って貼り付けたのです。

デンマンさんは上の映画をマジで観たのですか?

もちろんですよ。 バンクーバー市立図書館でDVDを借りて観たのですよ。 その証拠にちゃんと観た後でコメントを書き込みました。

 


(lib30308.gif)

『実際のカタログページ』

 



信用できないのならば卑弥子さんも実際のカタログページをクリックして確かめてくださいね。



そのような事はどうでもよろしゅうござ~ますわ。 それよりも、デンマンさんは日本語が解るネット市民の皆様のために日本語まで書き入れたのでござ~ますわねぇ?

いけませんか?

でも、この映画は1962年に作られたのでしょう!? もっと新しい映画があるではござ~ませんか!

あのねぇ~、この映画に出演している俳優さんを見てくださいよ。 これだけの豪華キャストの映画はもう日本では見れませんよう。

あらっ。。。 それほど素晴らしい俳優さんたちが出ているかしらァ~?

やだなあああァ~。。。 もう一度上の予告編を見てくださいよ。 原節子さんも出ているのです。

 


(hara901.jpg)

 



大石 内蔵助(くらのすけ)の妻(りく)を演じているのが原節子さんですよ。



もう、ずいぶんのお年なのでしょう?

あのねぇ~、1962年当時、原さんは42歳の熟女だったのですよ。 この映画が最後の出演で、それ以来、銀幕から姿を忽然と消してしまった。 いわば、この映画は原さんの最後を飾る映画だったのですよ。

デンマンさんは、どうして原さんに拘(こだわ)るのでござ~♪~ますか?

 


(hara112.jpg)


(hara16.jpg)

 



だってぇ~、原節子さんは僕のアイドルなのですよう。 うししししし。。。



デンマンさんは太平洋戦争前に生まれたのでござ~ますか?

ん。。。? やだなあああァ~。。。 僕は戦後生まれですよう!

だったら、戦前の女優さんなどに拘る前に、あたくしのようなアプレゲール(après-guerre)の女に目を向けてくださいなァ~!

 


(curtain5.jpg)

 



あのねぇ~、卑弥子さん。。。 今日は蕎麦屋と『忠臣蔵』の話なのですよう。 どうして卑弥子さんは下着姿の自分の写真を持ち出してくるのですか!?



だってぇ~、あたくしの立場も考えてくださいましなァ。 戦前生まれの女優さんの写真を持ち出されれば、あたくしだって戦後生まれの女性として対抗意識が出てくるのでござ~ますわァ。

分かりました。 この話はまた記事を改めて話すとして、そろそろ本題に入らないと記事が長くなりすぎて、退屈してネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまいますよ。

デンマンさんが戦前の女優さんのことを持ち出すから、こうなってしまったのですわ。。。 それでぇ、どのような訳でお蕎麦屋さんを取り上げたのでござ~ますか?

あのねぇ~、実は、お蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士47人が集まったというのは嘘なのですよ。

ええっ。。。? 赤穂浪士の皆様方は、お蕎麦屋さんの2階に集まったのではないのでござ~ますか? 。。。でも映画では、お蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士の面々が集まるシーンがあるのでしょう!?

確かに、そのようなシーンが出てくる。 でもねぇ~、文献を紐解(ひもと)くと赤穂浪士の討ち入りが行われた元禄15年旧暦12月14日(新暦では1703年1月30日)には、赤穂浪士47人が集まれるような2階を持つ蕎麦屋は江戸中を捜してもなかったのですよ。

マジでござ~ますか?

例えば半藤一利さんも次のように書いている。

 


吉良邸討ち入り・そば屋の二階


(sobaya3.jpg)

本所のそば屋の二階に浪士集結の一席がある。
町人姿あり医者姿あり職人姿あり、三々伍々に集まる面々、ここで揃いの家事装束に身を固める。
すべての打ち合わせをすませ、腹ごしらえの力そばをすすると、刻限もよしと立ち上がる。
御大将の大石内蔵助を先頭に階段を駆けおりる。
トントントントン。
仰天するそば屋の主人、おかみ、お手伝い。
いちばんしんがりの浪士が「おやじ、勘定だ」と小判を主人の前に投げる。
チャリン…… という名場面。
これまた、絵空事とされてしまったのである、ああ。

この場面が嘘っ八の根拠は、いかなる文献をひらこうとも、元禄15年12月には、今日のように堂々たる店構えをもつそば屋が、本所くんだりにはまだ存在していなかったから、ということである。


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なるほど、そばが江戸町民の食べ物となったのは寛文年間で、同4年(1664)にはじめて江戸でそば切りの販売がみとめられ、二八そば(小麦粉とそば粉の混合の割合)とか、けんどんそばという呼称とともに、そば切りが流行していった。
そして元禄のころには、江戸町民のすこぶる好むものとなる。
で、寛文で8文の値が元禄では7文、需要がふえて値を引き下げたことがわかる。 (略) 忠臣蔵の元禄15年当時は俗に夜鷹そば、つまり振り分け屋台のそば屋で、担いでいって町なかで商いをするのがほとんどで、店舗を構えたそば屋なんか寥々たるものであった。
というのが、かけ値なしの事実というわけで、47人もの多勢が二階に集まれる座敷があって、梯子段をトントン、チャリンという具合にはいかないのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




201-202ページ 『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利
2010年4月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



でも、デンマンさん。。。 赤穂浪士47人が眠る、あの有名な泉岳寺の近くにはお蕎麦屋さんがあって、ちゃんと「討ち入りそば」を売っていますわよう。

 


(28soba12.jpg)


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あのねぇ~、赤穂浪士47人が蕎麦を食べたとしてもそれは本所ですよ。 泉岳寺の近くの蕎麦屋じゃない。 つまり、泉岳寺の近くの蕎麦屋さんは『忠臣蔵』ブームに乗って「討ち入りそば」を作って950円で売っているのですよ。 場所も蕎麦も全く違うものですよ。



じゃあ、赤穂浪士の皆様方はどこに集まったのでござ~ますか?

普通の旅籠ですよ。 本所にある大きな2階建ての旅館ということでしょうね。 やはり、大きな店構えの蕎麦屋はなかった。 実際、『真説 赤穂銘々伝』の中には赤穂浪士の一人・杉野十平次が「夜鳴きそば屋」になって情報を集めている話が出てくる。

 


俵星玄蕃との交友

俵星玄蕃(たわらぼしげんば)は、本所松倉町で道場を開いていた。
たいへんな力の持ち主で、槍の穂先で米俵を1俵ずつ突き上げては宙に放り投げるという荒業を持っていた。

このころ、吉良邸の前で毎夜のように店を出す夜鳴きそば屋がいた。


(28soba02.jpg)

吉良邸の様子を探るために変装した杉野十平次(じゅうへいじ)である。
俵星玄蕃はよく十平次の夜鳴きそばを食った。
そして、十平次の人柄が気に入った。
ある夜、夜鳴きそばを食べながら玄蕃はこういった。
「この吉良家とまた吉良家の息子殿が養子に入っている米沢の上杉家からおれに仕官の口がかかってきた」

杉野はびっくりした。
なにしろ槍の穂先で米俵を1俵ずつ空中へぶん投げるような荒業の持ち主なのだから、こんな槍の名人がもしも吉良家で雇われて、用心棒になられたらたいへんなことになる。
義士側で相当な犠牲が出る。
そこで十平次は、なんだかだといって結局は俵星玄蕃が吉良家にも上杉家にも仕官しないように仕向けてしまった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




219ページ 『真説 赤穂銘々伝』
著者: 童門冬二
1999年11月17日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社


 



つまり、この頃も浮世絵で描かれているような「夜鳴きそば屋」が主流だったのですよ。

 


(28soba05.jpg)

 



だから、上の絵に描かれているような「夜鳴きそば屋」になって吉良邸の前で毎夜のように杉野十平次のは店を出したのですよ。



でも、店を構えたお蕎麦屋さんもあったのではござ~ませんか?

確かに、あったのです。 でもねぇ~、浮世絵で見ると小さなものですよ。

 


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上の絵のどこに、お蕎麦屋さんがあるのでござ~ますか?



よく見ると橋の袂(たもと)に「二八そば」という看板が出ているのですよ。 この絵は歌川広重(安藤広重)の「東海道五十三次」の保土ヶ谷宿の場面です。 この絵が描かれたのが1833年ですからね。

討ち入りが行われたのは1703年ですわよねぇ。。。

そうです。 つまり、広重は討ち入りから 130年後に上の絵を描いたのですよ。 その時でさえ、この蕎麦屋さんは小さな藁葺(わらぶ)き屋根の平屋の店ですからね。 保土ヶ谷と言えば今では横浜の賑(にぎ)やかな場所ですよ。

 


(hodogaya2.jpg)

 



それに上の『忠臣蔵』映画では俵星玄蕃と交友があったのは杉野十平次ではなく堀部安兵衛ということになっている。



だから、俵星玄蕃は杉野十平次と堀部安兵衛の二人と交友があったのですわよ。

違うのですよ。 「ウソ」は、そればかりじゃなくて堀部安兵衛は「呑んべえ安さん」で有名だけれど、実は、安さんは酒呑みではなかった。

つまり、お酒が嫌いだったのでござ~ますか?

そうです。 『真説 赤穂銘々伝』にはそう書いてあります。 高田馬場の有名な敵討ちの日、安さんは酔っ払って寝込み、目が覚めた時にはすでに高田の馬場で菅野が討たれていたというのも真っ赤な嘘だと言うのですよ。

つまり、安さんはお酒を飲んで酔っ払ってはいなかったと。。。?

そうです。 素面(しらふ)だったのですよ。 安さんは菅野と高田馬場へ同行している。 村上側は3人で、安さん側は二人。 戦闘では助太刀であった中津川と言う薙刀(なぎなた)の名人と、村上の弟・三郎右衛門がきたない真似をしようとしたので、「卑怯!」と叫んで、安さんが二人の助太刀を切り倒した。 平和な元禄時代だったので、『忠臣蔵』と同じように、この事件はたちまち有名になってしまった。 

つまり、同様に『忠臣蔵』にも、たくさんの嘘が出てくるのでござ~ますか?

その通りですよ。 こういう事はよくあるのです。 例えば、あの有名な遠山の金さんねぇ。。。

江戸町奉行の遠山金四郎さんでござ~ますか?

そうです。 桜吹雪(さくらふぶき)の刺青(いれずみ)をしているということも、どうやら真っ赤な嘘らしい。 当時の東京地方裁判所の所長のような人がヤクザでもないのに、もろ肌になって「これが見えねえかァ~!」なんて啖呵(たんか)をきるようなことは絶対なかったらしい。

でも。。。

それに、あの水戸黄門さんねぇ~。。。 あの人も諸国を歩き回ることなんて一度もなかったらしい。 今で言えば、セキュリティの問題があるから副将軍である水戸黄門様は諸国を歩き回るようなことは絶対に許されないのですよ。

でも、越後の商人に化けて。。。

あのねぇ~、遠山の金さんにしろ、水戸黄門さんにしろ、そんな風に振るまわさせたのは勧善懲悪を望んでいる庶民が「スーパースター」を求めていたからです。 その気分に便乗して作られた話が『忠臣蔵』、『安さんの高田馬場の決闘』、『桜吹雪の刺青の遠山の金さん』、『水戸黄門様の諸国漫遊』の話なのですよ。




初出: 2013年3月9日



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【小百合の独り言】


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ですってぇ~。。。
実は、私の祖先が百済からの難民だったなんて、デンマンさんに教えていただくまで全く知らなかったのですわ。
百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。


(burnamap2.gif)

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


(burnamap3.gif)

この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。


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この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。


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この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



『あなたの中の阿修羅』

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江戸風呂事情

2023-07-18 02:10:01 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

江戸風呂事情

 


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デンマンさん、どういうわけで江戸の風呂事情を取り上げたのですかァ~?


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実は、先日、江戸時代のアイドル・笠森お仙を取り上げたのですよ。。。

 


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『笠森お仙』

 



この記事を書くときに次の動画を観たのです。。。

 


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つまり、江戸時代には銭湯は混浴だったのですわねぇ~。。。



確かに、江戸時代には混浴の時期もあった。。。でも、江戸時代と言っても260年も続いたのですよ。。。だから、混浴が禁止された時期もあったのです。。。

 



混浴

 


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混浴は、通常男女の性別で分かれる浴場を、例外的に同じ浴場にて男女で入浴をすること。

現在、日本国内での混浴は禁止されており、男女混浴できるのは、貸切風呂や露天風呂付き客室などがある宿に限られる

日本独自の入浴習慣と思われがちだが、ドイツをはじめ、北欧・東欧諸国でも見られる。

西洋の混浴は運動温熱療法施設として水着着用が義務化されているスパ施設と、温浴療養施設として裸で入るサウナがある。

また、一つの施設内に併設することもある。
温泉が健康に良い効果があることは広く認識されている。

 

日本 近世以前

古くは、大きな湯船の共同浴場は一般的でなく、大きな湯船といえば天然の温泉が溜まってできた野湯であり湯治場であった。

そのため、性別で分ける男湯・女湯という概念はなく、混浴は、自然発生的にできたものである。

(下帯の褌)や湯文字を着用したうえでの入浴という習慣も存在しており、裸の入浴は江戸時代以降という説もある。

また、日本には太古の昔より、ゆるい混浴文化があり、鎌倉時代の温泉は混浴だったといわれている。
時代が下ると温泉の宿泊客相手に密かに性的サービスも行う「湯女」が登場する。

温泉地では、泉源から湯船まで温泉を引いた今で言う共同浴場もできてきたが、まだ、男湯と女湯の区別もなく、日本の温泉や公衆浴場は江戸時代初期までは基本的に混浴であった。

 

江戸時代

江戸時代には都市部では大衆の衛生観念が高まり入浴が盛んになり、大都市のインフラとしての銭湯が普及し身体の清潔の維持が保たれるようになった。
それとは全く別に入浴ついでに垢すりや髪すきのサービスを湯女(ゆな)に行わせる湯女風呂などが陰で増加しはじめた。

松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出すなど、厳しい風紀の取り締まりの対象にもなった。
これは混浴そのものよりも、湯屋における売買春などを取り締まる治安維持を目的としたものであったと言われる。

当時の湯屋は二階に待合所のような場所があって将棋盤などが置いてあり社交場となっていただけでなく、湯女などによる売春や賭博などの任侠の資金源など格好の場となっていたためである。

しかし依然として庶民に混浴はあった。
1853年、来日したペリーは大浴場に驚き「日本遠征記」には挿絵付で以下のように記されている

 




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男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて湯船で混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。

他の東洋国民と違い、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である



 

近代

明治新政府は近代国家として大国となるべく欧米への体裁を気にし、混浴禁止令を出す。
都市部では取締りが強化される。

しかし、なかなか改まらないため、混浴禁止令はたびたび出されたが、完全になくなったのは明治末期になってからであった。
それでもなお、地方の小規模炭鉱の浴場や、鄙びた温泉地などの多くでは、更衣室は別でも浴室が同じ混浴が残るという時代が、昭和30年代まで続く

高度成長期以後、旅行などで都市部の住民が地方の温泉地を訪れる機会が増え、男女の性別できちんと分けない風呂に抵抗がある(混浴を容認できない)観光客が増加したため、多くの旅館やホテルがそのニーズに応えるべく、浴場の増改築(男女別化)など施設の改修に取り組んだ。

それらの近代化の結果として、昭和40年代以降に観光地の混浴は減少の一途をたどることとなった。
浴場や入浴施設の衛生検査権限をもつ保健所が、「公衆浴場法」の条例に則り、新規の混浴施設建設に対しては衛生検査済証を発行しないことも、減少に拍車をかける一因となった。

なお、九州や東北地区では未だに混浴が残っている古い温泉も多い

なお、2020年の東京五輪・パラリンピックの開催に際し、日本国外から訪れる外国人には3本の湯気を記号化した多く温泉マークは温かい料理を出すレストランと誤解されるおそれがあるとして、経済産業省では3人の人物が入湯している様子を記号化した国際規格の案内用図記号の採用を検討しているが、温泉地からは、日本では男女を分けない混浴だと外国人に誤解されるおそれがあると反対意見が出されている。

 

規制など

各地方自治体の制定する公衆浴場条例により、すべての都道府県において原則的に男女の性別で浴室・脱衣室を明確に区分することと定められている(混浴禁止)。

 

混浴禁止年齢の改正

日帰り入浴施設は公衆浴場法(公衆浴場条例)、旅館の入浴施設は旅館業法の規制を受ける。
また、各自治体は条例の定める範囲内において混浴で入浴することが可能な年齢の基準を設けている。

厚生労働省が公衆浴場の衛生管理について示した要領はこれまで、公衆での混浴を禁じる年齢を「おおむね10歳以上」としていたが、浴場組合など業界団体から「引き下げるべきでは」との意見が寄せられた。

厚労省の補助事業で実施した研究結果も踏まえ2020年12月、「おおむね7歳以上」に下げて各自治体に通知した。
各自治体は今後、この改正を踏まえ公衆浴場に付随する各種条例等を順次改める。

6歳以下 京都府

7歳以下 愛知県、 滋賀県、 鳥取県、 宮崎県、 熊本県

9歳以下 青森県、 宮城県、 秋田県、 茨城県、 群馬県、埼玉県、 東京都、 神奈川県、 富山県、 石川県、福井県、 山梨県、 長野県、 静岡県、 三重県、和歌山県[、岡山県、徳島県、 愛媛県、 高知県、福岡県、 大分県、 長崎県、 鹿児島県、 沖縄県

北海道・岩手県・山形県・栃木県・岐阜県・香川県では混浴禁止の上限年齢を最大11歳に設定していたが、改正が見込まれる。

6歳(就学直前・小学校1年生)だと男女とも思春期前、7歳(小学校1・2年生)だと女子の早い者で思春期に入り、9歳(小学校3・4年生)だと女子の大部分と男子の早い者で思春期に入り、11歳(小学5・6年生)だと女子は遅い者でもこの年齢までに思春期に入り男子の大部分が思春期に入る。

厚労省の補助事業で実施した研究で全国の7~12歳の男女1500人を対象にしたアンケートでは、異性の浴場に水着なしで入るのを「恥ずかしい」と思い始めた年齢は「6歳」が27%で最も多く、「10歳」は4%だった。成人男女3631人のうち、「年齢制限が必要」と回答したのは8割を超えた。

 

家族風呂に対する混浴禁止の例外

兵庫県では、以前は6歳以上の混浴が禁じられていたが、2008年1月1日に条例が改正され、家族風呂などにおいて専用で利用する場合は、「夫婦」「親とその10歳未満の子」「介助を要する者のための家族」の場合に限り例外として混浴の禁止を解除する旨の規定が設けられている。

上記の兵庫県の条例改正に伴い、神戸市では「公衆浴場営業許可等に関する取扱い要綱」を改正し、夫婦であるかどうかの確認について、住所及び氏名が記載された書類を提示させることにより行うものとする旨の規定を設けている。

大阪府は条例で浴室を男女別々にすることを定めているが、浴場側が入浴者と直接面接できることなどを条件に、同一家族が一緒に入浴する家族風呂などの設置を例外として認めている。

滋賀県は条例で「8歳以上の男女を混浴させないこと」と定めているが、例外として「知事が風紀上支障ないと認めるときは適用しないことができる」との項目を適用し、1996年4月から家族風呂を認めた。

他にも、青森県、秋田県、大分県など家族風呂の例外を認めている自治体がある。




出典: 「混浴」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



日本の温泉や公衆浴場は江戸時代初期までは基本的に混浴であったのですよ。。。



どうして混浴を禁止する必要があるのですか?

あのねぇ~、いつの世にも、悪いことをする人物が出てくるものですよ。。。混浴を利用して金儲けを企む奴が出てきた。。。それで、松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出したのですよ。。。この禁止令は風紀の取り締まると言うよりも、湯屋における売買春などを取り締まる治安維持を目的としたのです。。。

どうやってお金儲けをするのですか?

だから、ピンプ(女を食い物にしている男)が自分の女を連れてきて男客にその女を抱かせて金を取るのですよ。。。混浴だと、これがやりやすい。。。

それで、松平定信が禁止令を出したのですかァ~?

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、風紀の乱れも混浴だと起こるのではありませんかァ~?

あのねぇ~、混浴禁止令が出るまでは、風呂場にいる裸の女をジロジロと見つめるような男は、それほど居なかった。。。女性客に悪さをするような男もめったに居なかった。。。そんなことをすれば、義俠心にとんでいる座頭市のような男に痛い目にあうのですよ。。。

 


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『座頭市千両首』の1場面

 



でも、禁止令ができて、男湯と女湯が別々になると、男客が風呂屋の2階から女湯を覗くようになったというのです。。。

 


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「出歯亀」ですわねぇ~。。。

 


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いつも、見ることができたものが見られなくなると、見たいものなのですよ。。。



デンマンさんも「出歯亀」の気持ちは分かるのですかァ~?

分かります。。。分かります。。。

じゃあ、デンマンさんも女湯を覗きにゆくことがあるのですかァ~?

バンクーバーには銭湯はありませんからねぇ~。。。

日本に帰省した時には。。。?

最近、日本でも、銭湯はなくなりましたよ。。。でも、混浴温泉があります。。。

でも、現在、日本国内での混浴は禁止されており、男女混浴できるのは、貸切風呂や露天風呂付き客室などがある宿に限られる、と書いてありますわァ。。。

でもねぇ~、九州や東北地区では未だに混浴が残っている古い温泉も多いのですよ。。。

 



鶴の湯温泉

 


(tsuruyado.jpg)

鶴の湯温泉 山の宿

 

鶴の湯温泉は、秋田県仙北市の乳頭温泉郷内にある温泉である。
旅館「鶴の湯温泉」と、その別館である「山の宿」がある。

白湯、黒湯、中の湯、滝の湯の4種類の源泉が存在し、泉質はそれぞれ以下の通りである。

白湯:含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素泉(硫化水素型)
黒湯:ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
中の湯:含重曹・食塩硫化水素泉
滝の湯:含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素泉

県道から外れて山道を走った先、ブナの原生林に囲まれたなかに、日本秘湯を守る会にも加盟している一軒宿の「鶴の湯温泉」がある。
館主の佐藤和志は、同会の副会長を務めている。

建物は、茅葺屋根の本陣が有名で、他の建物も含めて全体が鄙びたイメージで統一されている。

白湯が足元から湧出してくる混浴の露天風呂は、鶴の湯のイメージを代表するものである。
またこの露天風呂は乳頭温泉郷を紹介するときにイメージとして多く取り上げられ、さらには秘湯のイメージを代表するものとしても多く取り上げられている。

 


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東北地方の鄙びた湯治場には今なお、混浴の習慣が多く残る

(鶴の湯の混浴露天風呂


 

旅館の手前の林道沿いには、本館から引湯した別館「山の宿」があり、貸切露天風呂を備える。
山の宿宿泊者は、本館の温泉も利用できる。
日帰り入浴客が訪問する本館とは異なる静かな趣きの宿である。

 

歴史

鶴の湯温泉は乳頭温泉郷でもっとも古くからある温泉場といわれている。
発見は江戸時代とされる。

開湯当初は「田沢の湯」と呼ばれた。秋田藩の佐竹義隆も湯治に訪れたことがあり、本陣という建物があるのはその名残である。
ただしこの本陣には警護のものが泊まったとされる。
この本陣は2010年に登録有形文化財に登録された。

1708年(宝永5年)に鶴が傷を癒している所を勘助というマタギによって発見された。
このとき、これに因んで温泉名も「田沢の湯」から「鶴の湯」となった。

一軒宿が開かれたのはその後であり、農閑期の湯治場として営業を続けていた。

1967年(昭和42年)10月19日、乳頭温泉郷の一部として国民保養温泉地に指定。

1980年代に入り、秘湯ブームと共に大きく脚光を浴びるようになった。

2006年(平成18年)2月に、平成18年豪雪の影響で雪崩が発生し、巻き込まれた従業員1名が死亡し、客など16名が負傷した。
そのため、冬季中、本陣は臨時休業し、別館のみの営業であったが、同年4月20日から営業を再開した。

2011年(平成23年)3月5日に放送された『嵐にしやがれ』(日本テレビ系列)では、ゲストが秋田県出身・在住の柳葉敏郎ということもあり、当温泉を再現したスタジオセットが作成され、温泉の湯を通常営業では行わない足湯として利用した。

 

アクセス

鉄道:秋田新幹線田沢湖駅より羽後交通バス「乳頭温泉」行きで約40分、「鶴の湯温泉入口」下車。その後徒歩1.5km
もしくは、同バス「アルパこまくさ」バス停下車。その後送迎(要予約)。

車:東北自動車道・盛岡ICより国道46号・国道341号を通り、秋田県道127号駒ケ岳線と秋田県道194号西山生保内線で約60分。車は旅館の前まで進入可。




出典: 「鶴の湯温泉 (秋田県)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



デンマンさんは、わざわざ女性の裸を見るために、混浴露天風呂温泉へ行くのですかァ~?



もちろん、それだけじゃありませんよ。。。やっぱり、日本の露天風呂は情緒があっていいですよ。。。他の国では味わえない日本独特の趣があります。。。

でも、それは口実で、実は女性の裸を見にゆくのでしょう?

いや。。。僕はジュンコさんと同伴で行きますから。。。うへへへへへへ。。。

あらっ。。。私の裸が目当てなのですかァ~?

ジュンコさんも日本の露天風呂につかって、他の国では味わえない日本独特の趣を楽しみたいでしょう!?

そうしたいですけれど、デンマンさんとご一緒では、おちおちと楽しんでばかりは いられませんわァ~。。。

あのねぇ~、そんなに裸を見られるのが嫌なら「湯浴み着」というのを着用したらいいですよ。。。男の目には興ざめな代物だけれど、貧相な体を隠すにはいいものですよ。。。

あらっ。。。私の体は貧相ですかァ~?

ジュンコさんの体は貧相ではありません。。。だから、隠すことなどありません。。。ジューンさんのように堂々と入ればいいのです。。。

 


(konyoku9b.jpg)

 



法師温泉

 


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冬の法師温泉・長寿館

 

法師温泉は、群馬県利根郡みなかみ町永井(旧国上野国)にある一軒宿の温泉。
1999年4月20日、湯宿温泉・川古温泉と共に国民保養温泉地に指定されている。

硫酸塩泉(カルシウム、ナトリウム硫酸塩泉(石膏泉)、無色透明)
源泉温度:43℃以上

効能: 胃腸病、火傷、動脈硬化等。

 

歴史

正確な開湯時期は不明だが、地形より1200年前の開湯と推察されている。
長寿館公式ウェブサイトには弘法大師巡錫の折の発見とある。

このため混浴の大浴場を法師乃湯と称している。
宿の開業は明治8年。

法師乃湯はラウンドトップの大窓を持つ明治28年建築の鹿鳴館様式の建物で、建築後1世紀を経ており浴槽の底には一面に玉石が敷き詰められその隙間から温泉が自然湧出する仕組みになっており、4つの浴槽は温度が微妙に違っている。

大浴場の脱衣所は男女別になっているが、浴場は混浴となっている

浴場内の浴槽の周りにも脱衣箱が置かれており、これは常連が愛用しており、宿では昔から「法師温泉流」と呼んでいる。
この浴場でかつて国鉄のフルムーンのポスター(上原謙と高峰三枝子が入浴している写真)が撮影され、一躍法師温泉の名が全国的に有名になった。
このポスターは館内に現在も飾られている。

与謝野鉄幹、与謝野晶子、若山牧水、川端康成をはじめとして多くの文人や女優の夏目雅子が訪れたことがある。

1999年4月20日、湯宿温泉・川古温泉と共に国民保養温泉地に指定された。

三国峠にも近い標高800mの高所に日本秘湯を守る会にも属する一軒宿の「長寿館」があるのみ。

 


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法師乃湯(混浴大浴場

 

アクセス

鉄道:JR上毛高原駅から法師温泉への町営バスが午前2便、午後2便ある。
車:関越自動車道月夜野ICより約40分。




出典: 「鶴の湯温泉 (秋田県)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



大浴場の脱衣所は男女別になっているようですけれど、浴場は混浴となっているのですわねぇ~。。。



やっぱり、男女入り混じって、見られながら裸になるのは、きまりが悪いのですよ。。。だから、体育館で男女一緒に運動するとしてもロッカールームは男女別々ですよ。。。

 



尻焼温泉

 


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尻焼温泉(しりやきおんせん)は、群馬県吾妻郡中之条町大字入山(旧国上野国)にある温泉。

泉質: 塩化物泉

平家の落人によって発見されたと伝えられる。発見時期は不明だが、嘉永年間の地図には既に温泉の記載がある。

名前の由来は川底から湧出している温泉で温められた石に腰を下ろして痔を治したこと、すなわち尻を焼いたことだという。

 

温泉街

 


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野天風呂・川の湯
混浴露天風呂
川そのものが温泉になっている


 

吾妻川支流の白砂川のさらに支流、長笹川沿いに3軒の旅館がある。
尻焼温泉で最も有名なのが「川の湯」と呼ばれる川底から温泉が湧き出す地点であり、川を堰き止めて作った巨大野湯となっている。
その脇には小さな湯小屋もある。

 


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湯小屋

 

湯小屋での入浴は水着禁止

川を堰き止めて露天風呂としている部分については更衣室等は特に用意されていない。
その大きさからまるでプールのようでもあるため水着を着用しての入浴者もいるが、通常の風呂と同じく裸で入浴する者も多い。
多雨期や融雪期、また上流での夕立発生時には川幅いっぱいに急流となるので川の中で入浴はできない。

なお温泉街から1.5 km以上離れた国道405号沿いに日帰り入浴施設「バーデ六合」があり、これは尻焼温泉から引湯をして運営している。
ただし隣の花敷温泉よりもさらに東側であり、立地としては温泉街の外である。

 

交通

吾妻線長野原草津口駅より中之条町営バスで約45分で花敷温泉着。
そこから徒歩約10分。




出典: 「尻焼温泉」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。川そのものが温泉になっているのですわねぇ~。。。



こういう温泉は、他の国ではまず見当たりませんよ。。。僕も卑弥子さんと一緒に、こういう温泉に浸かったことがあります。。。

 





 



忘れられない思い出になりました。。。

 



二股ラヂウム温泉

 


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石灰華

 

二股ラヂウム温泉は、北海道山越郡長万部町字大峯にある温泉。

二股温泉、二股ラジウム温泉、二股らぢうむ温泉など、複数の名称で呼ばれる。

泉質: ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
源泉温度 43°C。

湯色はわずかに黄色がかった透明。
湯の花により黄褐色に見える。
「ラヂウム温泉」を名乗っているが、温泉法に基づく分類では放射能濃度が基準に達しておらず放射能泉では無い。

当麻町にある当麻ヘルシーシャトーでは、この温泉の湯の花原石を利用している。

長万部の市街地から山間部へ入った奥地に、一軒宿の「二股らぢうむ温泉」が存在する。
2001年に建物が新しくなったため以前のような秘湯の雰囲気は薄らいだが、湯治場としての機能や雰囲気を残している。

源泉に含まれる石灰分によって形成される石灰華が特徴である。
旅館の傍には巨大な石灰華ドームが形成されており、北海道の天然記念物にも指定されている。

源泉に瓶を1ヶ月浸して石灰分を表面に付着させて作成する、「湯の花の置物」が温泉の名物の一つとして売店で売られている。

 

歴史

1898年、嵯峨重良によって温泉が開かれる。
開湯伝説によれば、熊が温泉につかっている所をアイヌの人々が発見したとされる。
効能は古くから知れ渡っており、戦前は帝国陸軍の保養施設としても使われていた。

国道から離れた雪深い奥地に立地しており、温泉旅館の維持の困難さからか何度か経営者が代わっている。
2000年に消費者金融の三和ファイナンス(現:SFコーポレーション)が旅館を買収。

 


(futamata12.jpg)

混浴露天風呂

 

木造旅館を建て替え、男女別の浴場を改修(このため混浴は露天風呂のみとなっている)し、「二股らぢうむ温泉」と名称を変更して経営が続けられている。

名物であった石灰華ドーム内の浴場が撤去され、ミニ屋内プールが増設された他、日帰り入浴料金が500円から1,000円に値上げされた。

2001年から三和ファイナンスのキャッシング広告(首都圏を中心とする電車の吊り広告や雑誌広告)の下部5分の1程度の面積で「二股らじうむ温泉」の宣伝が掲載されることになり、「2週間の湯治で椎間板ヘルニアが良化しなければ代金を返す」旨を謳っていた。

後年、公正取引委員会は景品表示法違反(優良誤認)に当たると判断し、旅館を経営する三和ファイナンスに対して警告を与えた。
この警告は温泉の分野では初のケースであり、表示方法について業界内に波紋を広げることとなった。

2007年現在は、「2週間以上療養し、お客様自身が良化の兆候がないと感じ申告した場合は、宿泊費用の全額を返還します」という表示をホームページ等で行っている。

旅館を直営していた三和ファイナンスは2008年に過払い債権保有者の弁護士らから破産申立が行われたが却下され、SFコーポレーションに社名変更し、2011年8月に倒産。
2018年現在は水の素株式会社の運営になっている。

 

アクセス

鉄道:函館本線長万部駅よりタクシーで約30分(宿泊の場合は送迎あり)
道路:北海道道842号大峯双葉線




出典: 「二股ラヂウム温泉」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



僕とジューンさんで一緒に訪れた時には、まだ木造旅館でした。。。次のエピソードはその時のものですよ。。。

 



(bare04e.gif)

こんにちは。ジューンです。

日本の露天風呂っていいですよね。

カナダにも露天の温泉ってありますわ。

でも、日本と違うのは、まず間違いなく

水着を着用しなければならないことです。


(hotspa2.jpg)

人里離れた山奥でも行かない限り

日本のような露天風呂に入ることはできません。

わたしはデンマンさんとご一緒に

北海道の長万部(おしゃまんべ)にある

ラジウム温泉の露天風呂に入ったことがありました。

 


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2度目に入った時にはわたし一人だけで行きました。

20代の若い男の人が2人ほど入っていましたが、

わたしが行くと、あわてて出てしまいました。

3度目にはわたし一人だけでしたが、

50歳くらいの男の人があとからやって来ました。

英語が少しだけ話せましたが、

かなりしつこくわたしに話しかけてきました。

お酒の臭いがしたので、たぶん、

いたずら心を起こしたのかもしれません。

ニコニコしながら、わたしに近づいて

お尻に触ろうとしたのです。

わたしは合気道2段の技を持っていますので、

「逆手取り」にその老人を沈めました。



イテテテぇ~、と言いながら、かなりお湯を飲み込んで

目を白黒させながら、わたしを恨めしそうに見て

ゲロゲロとお湯を吐き出していましたわ。


(roten09.jpg)

大変面白い経験をしました。

うふふふふ。。。





『混浴入浴風景』より
(2015年10月10日)


 



あらっ。。。やっぱり、中には変な事をするおじさんがいるのですわねぇ~。。。



そうです。。。だから、ジュンコさんも一人で混浴露天風呂に入る時には、予め柔道か、合気道か、空手の黒帯を取得してから行ったほうがいいですよ。。。うへへへへへ。。。

そんな事までして混浴露天風呂にゆきたくありませんわァ~。。。

僕と一緒に行けば大丈夫ですよ。。。今度、一緒に日本に帰省したら、ぜひジュンコさんと日本の混浴露天風呂の情緒を一緒に味わいたいです。。。楽しみにしています。。。




初出: 2023年5月30日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あたなたも、混浴露天風呂に入ってみたいと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわァ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


(sunwind2.gif)



(sylvie500.jpg)

『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


(teacher9.jpg)

『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』


(ken203h.jpg)

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』


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『無重力の性生活』

『純子さんのクローン』

『肥後ずいき使用感』

『アナスタシア』

『検察が裏金作り』

『ガリポリから愛を込めて』

『らくだ』

『皇帝ペンギン』

『007秘話』

『笠森お仙』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)




(spacer.gif+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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めれんげさんの『即興の詩』

めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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『センスあるランジェリー』

『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

『今すぐに役立つホットな情報』




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(byebye.gif)


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ダンスとノーベル賞

2023-07-15 02:35:10 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

ダンスとノーベル賞

 


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あらっ。。。 デンマンさん。。。 2015年のノーベル賞授与式の後の晩餐会で 私とデンマンさんがダンスしているのですか?


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いけませんか?

私は12月10日に スウェーデンにあるストックホルムのコンサートホールに出向いたことはないのですけれど。。。

真由美ちゃん。。。 堅苦しいことは抜きですよ。。。 真由美ちゃんと僕で仲良くダンスしているではありませんかァ~!

また、デンマンさんのお得意のコラージュで、上の写真をでっち上げたのですわねぇ~。。。?

うへへへへへへ。。。 やっぱり、バレてしまいますねぇ~。。。

当然ですわ。。。 私は、まだスウェーデンに行ったことがないのですもの。。。

スウェーデンのストックホルムはきれいな街ですよ。。。 真由美ちゃんも休みが取れたらぜひ訪ねてみたらいいよ。。。

 


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デンマンさんはストックホルムへ行ったことがあるのですか?



仕事でジューンさんと一緒に出かけたことがありますよ。。。 僕はジューンさんのカバン持ちでしたけれど。。。 (微笑)

 


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。。。で、ノーベル賞の授与式に参列したのですか?



いや。。。 ノーベル賞とは全く関係ありません。

それなのに、どうして今日、ノーベル賞を取り上げるのですか?

あのねぇ~、3月28日に軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと“愛の偶然と必然”について語り合ったのですよ。

 


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偶然と必然のあいだ


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19世紀の科学者達の多くは、精密科学の領域で得られた豊富な、そして確実な成果によって裏づけられた力学的な世界観の上に立って、あらゆる細部にわたる決定論を避け難いものと結論した。
彼等にとっては「偶然」とは結局人間の無知に基づくものであった。

ある日の午後、私が道を歩いている時に、偶然旧友に出遭ったとする。
私がこれを偶然と感じるのは、彼等の考えによれば、私が旧友の最近の動静を知らなかったからである。
もしも超人的な能力を持った、いわゆるラプラスの魔物がいて、私と旧友の行動に目をつけていたとするならば、その日の朝から二人の出会いを予知し得たであろう。

それどころではない。
この魔物がこの世界の状態をもっと広く、もっと詳細に調べていたならば、何千年、何万年も前に二人の出会いを推定し得たであろう。

私どもの視野が狭く、知識が足りないために、思いがけない事件が起こるように感じるのである。
この意味において偶然はすべて主観的なものであるといわれる。

【昭和22(1947)年8月号】

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




65-66ページ
『「文藝春秋」で読む戦後70年』
【第1巻】終戦から高度成長期まで
編集人: 石橋俊澄
平成27(2015)年7月21日 発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 




あのねぇ~、これは日本で初めてノーベル賞をもらった湯川秀樹博士が書いたエッセイの一部なのですよ。 昭和24年11月3日の文化の日、コロンビア大学客員教授だった湯川秀樹博士が、日本人として初めてのノーベル賞を受賞した。。。 このエッセイはその2年前、プリンストン高等学術研究所に招かれて渡米するに際し、『文藝春秋』昭和22年8月号に掲載された科学エッセイなのですよ。。。



上の写真は湯川博士と娘さんがダンスをしている写真ですか?

違いますよ。 奥さんのスミさんと授賞式後のパーティーでダンスを踊っているときの写真です。

それで、上のエッセイのどこにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

もっと詳細に調べていたならば、何千年、何万年も前に二人の出会いを推定し得たであろう”と書かれているところですよ。

この部分に それ程の感銘を受けたのですか?

そうですよ。。。 実は、僕も小百合さんとの出会いをかなり以前に推定していたのです。。。 小百合さんと僕はカナダで偶然に出会ったわけではないのですよ。

信じられませんわ。




『愛の偶然と必然』より
(2016年3月28日)


 



あらっ。。。 小百合さんとデンマンさんの出会いは千年以上も前に推定できたというのですか?



うん。。。 そうなのだけれど、今日はその事について真由美ちゃんと語り合うのではないのですよ。。。 昨日改めて上の記事を読んでねぇ、ちょっと考え込んでしまったのですよ。

何がそれほどデンマンさんを考え込ませたのですか?

あのねぇ~、湯川博士がノーベル賞を受賞したのは昭和24年なのですよ。。。 まだ日本が敗戦の痛手から完全に抜け出していないときなのですよ。。。 上野駅の地下道では食うや食わずで戦争孤児がたむろしていた時代なのです。。。 

 


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昭和24年頃までは、まだこういう悲惨な状況が日本の各地に残っていたのですよ。。。それにもかかわらず、湯川博士と奥さんがストックホルムの授与式に参加して、その後の晩餐会でダンスを踊ったのです。



つまり、湯川秀樹博士夫妻の豊かな生活をデンマンさんは非難するのですか?

いや。。。 別に非難するつもりはありません。。。 湯川博士だって日本に居る時には豊かな生活をしていたとは思えない。。。 当時の日本人は誰もが食うために一生懸命に仕事を見つけて働いていたのですよ。

 


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ただし、ここで考えさせられるのは、昭和24年当時、社交ダンスを踊れる人が いったい日本人にどれだけいたか?。。。当時の日本人は食うことに一生懸命で社交ダンスどころではなかったですからねぇ~。。。 ところで、真由美ちゃんは社交ダンスを踊れる?



いいえ。。。 お恥ずかしいのですけれど、私はこれまでにフォークダンスは女子高で習ったのですけれど、社交ダンスは正式に習ったことがないのですわァ。。。

フォークダンスが踊れるだけでもたいしたものですよ。。。 昭和24年には盆踊りを踊れる人は日本人にたくさんいただろうけれど、西洋のフォークダンスは踊れる人はまずいなかっただろうねぇ~。。。 もちろん、社交ダンスを踊れる日本人は、ごく少数だったと思いますよ。 女性では、外交官の奥さんか戦前の貴族の令嬢ぐらいだったと思うのですよ。

今でも、社交ダンスを踊れる人は日本ではそれほど多くないと思いますわ。

でもねぇ~、日本は明治維新を迎えて、文明開化の時代には、とにかく西洋文化を受け入れようと“鹿鳴館”という社交場を造って、毎晩のようにダンスパーティーを開いていた時期があったのですよ。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


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(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。

すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。

初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)

 


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二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。

人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社

『美しい日本語再び』に掲載
(2015年3月11日)


 



芥川龍之介も『舞踏会』という作品で、こうして“鹿鳴館”を取り上げている。。。 でもねぇ~、“鹿鳴館”にやって来た外国人の目には日本人が社交ダンスを見よう見まねで踊る姿は“猿真似”と映っていた。



マジで。。。? その証拠でもあるのですか?

ちょと次の対話を読んでみてください。

 




それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?



いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」 「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」 「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。




『美しい日本語再び』より
(2015年3月11日)


 



あらっ。。。 “オカネさん”というのは、あの有名なオペラ『蝶々夫人』のモデルになった人なのですか?



うん、うん、うん。。。 そうなのですよ。。。 でもねぇ~、今日は その事が問題じゃなくて、明治の鹿鳴館時代には、猿真似で日本人が社交ダンスを踊っていたのですよ。。。 でも、とにかく、日本は“文明開化”で西洋の文化を吸収した。 それで曲がりなりにも日本にも西洋の進んだ文化が根付くようになった。

つまり、昭和24(1949)年のノーベル賞授賞式の後の晩餐会で湯川秀樹博士夫妻が社交ダンスを踊れたのは、日本に西洋の文化が定着したことの証拠だとデンマンさんは見るのですか?

 


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そうですよ。。。 昭和24年といえば、一般の日本人は社交ダンスどころではなかった。。。 おそらく、日本人の90%が盆踊りは踊れても、食うために忙しくって、盆踊りどころではなかった。。。 だから、社交ダンスなどには見向きもしなかった時代だったでしょう!



それなのに、湯川秀樹博士夫妻がストックホルムの晩餐会で社交ダンスを踊ったことにデンマンさんは感銘を受けたのですか?

そうですよ。。。 つまり、ノーベル賞をもらえる人は専門馬鹿ではないのですよ。。。 やっぱり、湯川博士も奥さんも西洋文化の洗礼を受けていたということです。

私は違うと思いますわァ~。。。

ん。。。? 違う。。。? 何が違うのですか?

昭和24年11月3日の文化の日、コロンビア大学客員教授だった湯川秀樹博士が、日本人として初めてのノーベル賞を受賞したのですよね。

そうです。。。

デンマンさんが引用したエッセイは その2年前、つまり、昭和22年にプリンストン高等学術研究所に招かれて渡米する時に、『文藝春秋』昭和22年8月号に掲載された科学エッセイでしたよねぇ~!?

そういうことです。。。

つまり、湯川夫妻がアメリカに渡ってからノーベル賞を受賞するまでに2年の歳月があったのですわ。。。 だから、その間に湯川夫妻はアメリカで社交ダンスを習ったのだと思いますわ。

そうかなァ~。。。?

だってぇ、私も日本では社交ダンスは踊れませんでしたもの。。。 バンクーバーにやって来てから、デンマンさんに教わったのですわァ~。。。

 


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うん、うん、うん。。。 確かに、そうかもしれない。。。 でも、こればっかりは湯川夫婦に訊いてみないと分からないよねぇ~。。。




初出: 2016年4月16日



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【デンマンの独り言】


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真由美ちゃんは、現在ノース・バンクーバーでホームステーしながら
VCC (Vancouver Community College)にかよって
パン職人・ベーグル職人の勉強と実習に励んでいます。

先生やクラスメートとの英会話には、今でもまごつくことがあるそうです。
外国語というのは習得するのが実に大変です。

あなたは英会話を勉強してますか?
できれば、英語を話している国へ行って英会話を勉強するのが一番です。

でもねぇ~、英会話を勉強する方法に王道はありません。
人それぞれです。。。
自分に合った勉強法を見つけるのが、英会話の上達の早道だと僕は思いますね。

同じことを同じように勉強しても、人によって上達が違うのですよ。
僕の経験で言っても、人によって、語学の才能というのはまちまちです。

なかには、日本語を忘れてしまうほど、英語にどっぷりと浸かってしまう人もいます。
20年以上英語圏で英語を話してますけれど、
僕は、漢字を忘れることはあっても、日本語を忘れることはありません。

もちろん、今でも、英語を話すよりも日本語を話す方が楽に話せます。
僕自身は語学の才能があるとは思ってませんが、
僕が、カナダ人と笑いながら話しているのを聞いていると、
真由美ちゃんには さっぱり 何を話しているのか解らないと言うのですよね。

僕がペラペラと英語を話しているように見えるのだそうです。
早くデンマンさんのように 英語がしゃべれるようになりたい、と真由美ちゃんは言います。

しかし、僕は、常に、英語を日本語のように しゃべれたら いいなと思っているのですよ。
外国語を母国語のように話すのは、本当に難しいと思います。

いずれにしても、真由美ちゃんは小さい頃からの夢が叶ってぇバンクーバーにやって来たのです!


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現在、移住を目指して頑張っているところです。

ところで、あなたはバンクーバーに行ったことがありますか?

とっても素敵な街ですよ。


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世界で最も住みやすい街バンクーバー






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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

卑弥子さんが バンクーバーにやって来たのは 2008年の元旦の2週間ほど前でした。

クリスマスをバンクバーで過ごして、それから元旦の“Polar Bear Swim (寒中水泳)”に参加したのです。


(polar10.jpg)



上のビデオを見ると、まるで真夏のようでしょう?

ところが気温は確か2度ぐらいでした。 

水の中の方が暖かかったのです。

とにかく、バンクーバーには面白い人たちがたくさん居ますゥ。

あなたも、お暇と お金の余裕があったらぜひ出かけてみてください。

では、また興味深い、面白い記事を書くつもりです。

だから、どうか、あなたも またやって来てくださいねぇ~~。
じゃあね。


(hand.gif)




If you've got some time,

Please read one of the following artciles:




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『まんじゅう@富岡』

『ん?トゥーランドット』

『女の子の夢』

『イヴォワールのレストラン』

『151歳の誕生日』

『お皿をぺろぺろ』

『ポップス@蕎麦屋』

『検便と回虫』

『スコーンとプディング』

『スコーン姉妹』

『ピラミス 美術館』

『明治屋 圧力ジャム』




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コメント
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