Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

すべて彼女のために

2014年05月04日 13時36分23秒 | 洋画2008年

 ◎すべて彼女のために(仏Pour elle 英Anything for Her 2008年 フランス)

 人間は愛する者のためにどこまで法を犯す覚悟ができるのか?

 という主題なんだけど、

 まあなんとも簡潔な主題と題名と粗筋だこと。

 けど、

 ヴァンサン・サンドンが国語教師という知的な職業人ながらも、

 うだつのあがらなそうな風采の中年男であり、腕力にも自信のないことに対して、

 ダイアン・クルーガーのほぼ完璧といっていいほどの美貌と繊細さは、

 夫をして妻を救うために人生を賭けさせるだけのものがあると、

 観る者におもわせてしまう演出力には感服するほかない。

 とはいえ、

 出だしの濡れ場は必要といえば必要なんだけど、

 不可欠かといえばそうでもないような気もするし、

 このあたりは、フランス映画だからええやんって詞に集約させる。

 また、途中の、

 チンピラを殺害してまで目的を渡航費を得ようとするのは、

 う~ん、どうしたもんだろね~とおもっちゃうんだけど、

 このあたりも、フランス映画だからええやんって詞でかわすしかないな。

 でも、そんなこまかいことはどうでもよくて、

 全編を通して、

 その疾走感と緊迫感と哀惜感に、

 なみなみならないものがあったことは、事実だ。

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最後の初恋

2014年04月29日 00時52分24秒 | 洋画2008年

 ◇最後の初恋(Nights in Rodanthe 2008年 アメリカ)

 とどのつまりは、不倫の話でしょ?

 とかいったら、身も蓋もなくなっちゃうんだけど、

「君といる幸せに気づかない男は、愚か者だ」

 とか、リチャード・ギアにいわれちゃったら、

 そりゃもう、ダイアン・レインでなくてもほだされる、かもしれない。

 ま、そんな甘ったるいことはさておき、

 浮気をくりかえす夫や、

 理解を示してくれない娘に疲れた中年の主婦と、

 おなじ医師の道を歩んでくれた息子とどうしても理解しあえず、

 妻にも出て行かれた中年の医者が、

 どこかで誰かに本音を話したいと欲していたときに偶然に出会えば、

 これはもう恋に走ってしまうのは、当然の帰結ってやつだろう。

 ところで、

 ぼくの勝手な想像なんだけど、

 ノースカロライナのアウターバンクスにある海辺の町ローダンテ、

 その波打ち際に建てられているホテルは、セットなんだろうか?

 だとしたら、たいしたデザインだし、お金かかってるよね。

 まあ実際、あんな波打ち際に建てられてたら、

 嵐が来るたびに恋が芽生えてしまうんだろうか?

 そんな余裕はないかもしれないよね、怖くてさ。

 でもまあ、

 こういう設定は誰もが憧れちゃうものなのかもしれないし、

 ともかく、みんな、いくつになっても恋をしようぜ。

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扉をたたく人

2014年04月24日 00時34分41秒 | 洋画2008年

 ☆扉をたたく人(The Visitor 2008年 アメリカ)

 リチャード・ジェンキンスが、実に好い。

 というより、役者は誰もが好演してる。

 ジェンキンスにジャンベの演奏法を教えるハーズ・スレイマン、

 その彼女のダナイ・グリラ、

 スレイマンの母親ヒアム・アッバスも、みんな、そうだ。

 けど、

 この映画のみごとなところは、脚本だよね。

 同時多発テロ以来、アメリカは移民に対して厳しくあたるようになった。

 それはそれで仕方のないことかもしれないけど、

 移民にだって、さまざまな人達がいる。

 ここに登場してくるシリア系の青年と母親やセネガル系の女性も、そうだ。

 もちろん、不法滞在は悪いことだし、

 それによって強制退去させられてしまうのもわかるけど、

 物事は杓子定規には行かない。

 アメリカは温情のある国だとおもってたけど、

 やっぱり、国家というものを背負ってしまうと、どうしても四角四面になる。

 悲劇は、たとえ、善人ばかりであっても、生まれる。

 それも、地下鉄の構内でストリートセッションをしようとしたとき、

 切符をもって乗り込もうとしながらも、

 誰もが少なからず経験しているように、改札が締まってしまったとき、

 むりやりに乗り越えようとした際、現行犯で連行されてしまうという、

 ほんとにささいなことから、悲劇が始まる。

 このあたりの展開は、上手だ。

 さらに、脚本は移民のありようだけでなく、

 妻に先立たれた大学教授の、

 孤独からの再生もまた見つめるんだけど、

 これが、ヒアム・アッバスとの恋愛に発展しそうでせず、

 結局は、再生するかもしれない魂のゆらぎだけを描いて終わる。

 そのあとの物語は、観客に想像してもらおうという構えだ。

 実に、うまい。

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セラフィーヌの庭

2013年11月27日 03時35分49秒 | 洋画2008年

 ☆セラフィーヌの庭(2008年 フランス、ベルギー、ドイツ 126分)

 原題 Seraphine

 staff 監督/マーティン・プロボスト

     脚本/マーティン・プロボスト マルク・アブデルヌール

     撮影/ロラン・ブルネ 美術/ティエリー・フランソワ

     衣装/マデリーン・フォンテーヌ 音楽/マイケル・ガラッソ

 cast ヨランド・モロー ウルトリッヒ・トゥクール アンヌ・ベネント ニコ・ログナー

 

 ☆1912年、パリ郊外サンリス

 Senlisというのは、パリの北40kmにある古い町だ。

 そこにひとりの女性画家がいて、

 セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)っていうんだけど、

 この映画は、彼女が48歳になった頃から晩年までを描いてる。

 なんでそんな中途半端な後半生だけを映像化したのかといえば、

 彼女を見出したひとりの画商とセラフィーヌの物語だからだ。

 画商はドイツ人で、ヴィルヘルム・ウーデという。

 ピカソとも親交があって、肖像画も描いてもらった仲らしい。

 ウーデは画商というより収集家のようなところがあり、

 かれのいうモダン・プリミティブ派すなわち素朴派の絵を愛した。

 アンリ・ルソーを見出したのもウーデだ。

 ウーデはプロシア生まれなのにドイツに対して好印象は持っていなかったようで、

 のちに、第一次世界大戦のときにコレクションを没収されて強制送還されても、

 戦後になるや、すぐにフランスへ戻ってきたような男だった。

 もちろん、パリにはウーデのようなドイツ人は少なくなくて、

 かれらが集っていたのは、カフェ・ドームだったらしい。

 懐かしのカフェ・ドームには、ぼくも若い頃に数回だけど、足を運んだ。

 ちょっとばかしきどった観光客にはありがちな行動だけど、

 なんだか芸術好きな大学生みたいじゃん?

 ま、それはそれとして、

 結婚はしたけど半年くらいして離婚して、

 その妻はロベール・ドローネーの奥さんになった。

 映画の中にも描かれてることだけど、どうやら同性愛者だったらしい。

 セラフィーヌがウーデの奥さんじゃないかと嫉妬めいた感情を向けるのは、妹だ。

 で、やや時は前後するけど、そんなウーデがサンリスに避暑にやってきたとき、

 家政婦として雇ったのがセラフィーヌだった。

 そこで、当時48歳のセラフィーヌの描いたリンゴの絵に衝撃を受けるわけだけど、

 それまでセラフィーヌは絵画の勉強なんてしたこともなく、

 パリへ奉公に出たとき、雇われた女学校でデッサンの授業を覗き見したりして、

 まったく独学で絵を描いてきたらしい。

 故郷のサンリスに戻ってからはサン・ジョゼフ・ドゥ・クリューニ女子修道院に雇われ、

 そこで下働きをしながら、デッサンのまねごとをしていたくらいだ。

 修道院を出てから10年ほど家政婦の仕事をし、そこで独自の絵を描くようになった。

 ただ、この10年というもの、セラフィーヌは極貧の生活をしていて、

 とても画材を買えるような身分じゃなかった。

 だから、動物の血や、教会で盗んだ蝋燭の蝋や、野原の植物を擂り潰したもので、

 自分なりの絵を描くことしかできなかった。

 ただし、白色だけは作ることができなかったから、白絵の具だけは画材屋で買った。

 そんなセラフィーヌだから独特の絵になるのはきわめて当然なことで、

 しかも、修道院にいたとき守護天使から絵を描くように啓示を受けたっていうんだから、

 これはもう他のどんな画家とも共通項のない絵になるのは当たり前だったろう。

 いいかえれば、

 敬虔なセラフィーヌという処女のありのままの絵になるしかなかったろう。

 素朴派好みのウーデが心を奪われるのは、これまた当たり前で、

 ウーデはドイツへ強制送還されるまで、セラフィーヌを励ました。

 戦後、フランスに戻ったウーデは本格的にセラフィーヌのパトロンになり、

 つぎつぎに大作を描かせ、好事家に紹介した。

 このおかげでセラフィーヌの才能は世の人々の知るところとなって、

 一挙に家政婦から画家への道をたどり、生活も豊かなものになった。

 ところが、世界恐慌に見舞われたためにウーデの生活も逼迫し、

 セラフィーヌへの支援も滞ったんだけど、悲劇はここで起こる。

 セラフィーヌは修道院とアトリエと自然しか知らない処女で、

 ウーデが金持ちだと心に刷り込まれてしまっているから、

 貧乏になったといってもまるで信じない。

 世間知らずの無垢な女が、愛人が破産してもそれを信じようとせず、

 いつまでも愛人が金持ちだとおもいこんで、

 金を入れてくれなくなったときに自分は棄てられたのだと狂乱するのに似ている。

 セラフィーヌの心はあまりにも純粋だったけど、同時にあまりにも強情だった。

 というより、精神的にどこかアンバランスなところがあった。

 たぶん、男を知らないセラフィーヌにとって、ウーデはたったひとりの男性で、

 そこには恋愛感情にもにた強烈な感情があったんだろう。

 妹を奥さんかと疑い、

 資金援助を断たれたときに捨てられたと思い込むのは、痛いほどよくわかる。

 結局、セラフィーヌの心は崩壊し、ウェディングドレスをまとって買い物をする。

 心の奥にあったウーデとの結婚がそのまま常軌を逸した行動に走らせたんだろうけど、

 そんなセラフィーヌを待っていたのは、

「系統的迫害妄想、精神感覚性幻覚、根本的感受性障害」

 という冷酷な診断で、クレルモン・ドゥ・ロワーズ精神病院に収容される。

 1932年、68歳のときのことだ。

 以後10年、彼女は絵を描くことなく病院で生活し、やがて死ぬ。

 ウーデが他界したのは1947年のことだけど、その2年前、

 つまり、セラフィーヌが亡くなって3年後のことになるんだけど、

 みずから提唱し、パリのギャラリー・ド・フランスでセラフィーヌの個展を開いた。

 パリが解放されてすぐのことで、セラフィーヌはその成功を理解していたのかどうか。

 ともかく、そんなふたりの経緯を、映画は淡々と描いてる。

 この描き方が実に見事で、

 なにより、セラフィーヌを演じたヨランド・モローの演技は凄まじい。

 セラフィーヌがのりうつったんじゃないかってくらい、天才と狂気を演じ切っている。

 この映画が賞をとらないはずはないよね。

 ただ、セラフィーヌは女性版ゴッホとかいわれるけど、

 たしかにふたりの絵は尋常な絵ではなく、生命力の塊のようなところがあるけど、

 その筆致はまるで異なる。

 ゴッホとおなじような人生を送っているからそう呼ばれるんだろうけど、

 セラフィーヌの絵そのものは、きわめて性的だ。

 枝に繁る葉の一枚一枚を驚くほどの丹念さで描いてるんだけど、

 多分に主観的ながら、ぼくには、その花のような葉すべてが女性器に見える。

 陰毛につつまれた、さまざまな色彩をおびた穢れのない性器で、

 それはそのままセラフィーヌという処女の自画像のように見えてくる。

 こんなふうに書くと「おまえ、おかしいんじゃないか」とかいわれそうだけど、

 だって、そう見えるものは仕方ないし、

 処女でありつづけたセラフィーヌにとって、

 絵を描くこと自体、そのままセックスだったんじゃないかっておもえるんだよね。

 同性愛者だったウーデはそういう不思議なセックスを敏感に感じ取り、

 セラフィーヌのもっている性的な願望や衝動を、

 すべて受け入れ、絶賛したんじゃないかな~と。

 ちなみに、セラフィーヌの作品はたった1点だけ、日本にあるらしい。

 世田谷美術館の収蔵品だそうだから、今度、実物を観に行かなくちゃ、ね。 

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ブーリン家の姉妹

2013年11月23日 15時15分47秒 | 洋画2008年

 ◎ブーリン家の姉妹(2008年 イギリス、アメリカ 114分)

 原題 The Other Boleyn Girl

 staff 原作/フィリッパ・グレゴリー『The Other Boleyn Girl』

     監督/ジャスティン・チャドウィック 脚本/ピーター・モーガン

     撮影/キーラン・マクギガン 美術/ジョン=ポール・ケリー

     衣裳デザイン/サンディ・パウエル 音楽/ポール・カンテロン

 cast ナタリー・ポートマン スカーレット・ヨハンソン クリスティン・スコット・トーマス

 

 ◎1536年5月19日、アン・ブーリン斬首刑

 罪状は反逆、姦通、近親相姦、魔術ってことになってて、

 しかも姦通した男は5人で、

 その内の1人は弟ジョージで、これが近親相姦の罪とされた。

 ほんとかどうかは、専門外のぼくが知ってるはずもない。

 でも、当時の大英帝国の歴史はかなり込み入ってるみたいで、

 姦通や近親相姦が皆無だったとはちょっとおもえない。

 だって、やがてエリザベス1世を産み落とすアンの夫ヘンリー8世も、

 少なくとも8人の王妃を抱えていて、その内の4人がアンと血縁関係にある。

 アン、アンの妹メアリ、アンの母エリザベス・ハワード、母方の従妹キャサリン・ハワード。

 つまり、

 ハワード家の女たちがヘンリー8世の嗜好に合ってたってことになるのかもしれない。

 でもまあ、書き出してみても凄い話で、

 これがほんとうだったら、親子どんぶりとかいった次元じゃない。

 ちなみに、上記キャサリンも後に姦通罪で処刑されてるわけだから、

 やっぱり、皆無じゃないんだろう。

 でも、姦通はまだしも、

 近親相姦とかってなると、おぞましさも手伝って罪に値するんだろうけど、

 ヘンリー8世のように一族の血をわけた女性を愛人するのは罪にはならない。

 最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンも、ヘンリーの兄アーサーの妻だったし、

 そのあたりの詳細な家系図を作れば、

 やはり庶民とは比べるのも愚かなほど入り組んだものになるんだろう。

 で、アンだ。

 アンがどんな性格だったのかはわからないけど、

 もともと侍女として仕えてたキャサリンを追い出して王妃になったわけだし、

 このいざこざのせいで、

 大英帝国がカトリックと袂を分かつてイギリス国教会をつくる元にもなるしで、

 大英帝国の歴史には欠かすことのできない女性ってことになる。

 あ、忘れない内に書いとくと、

 このときの宗教改革でひと役買ったのが、トーマス・クロムウェルだ。

 クロムウェルは、

 政敵で献身的にカトリック擁護の立場にあったトーマス・モアを処刑に追い込んだ。

 まあ、クロムウェルについては後で触れるけど、

 アンのしでかしたのは、宗教改革の要因だけじゃなくて、

 なんでも前王妃キャサリンの生んだメアリ1世のことは、

 以前に愛人だったヘンリー・パーシー伯爵に「殺す」といっていたっていうし、

 実際、メアリを娘エリザベスの侍女にしてるし、

 キャサリンが幽閉先で他界したときなんて、ヘンリー8世と祝宴まで開いた。

 まあ、実際、又従姉妹のジェーン・シーモアを侍女にしてたんだけど、

 このジェーンにヘンリー8世の心が移っていくんだから、

 人間の運命なんてものは、ほんと、先が知れない。

 ちなみに、ジェーンが平均的な容姿だったのに比べ、アンは美人だったらしい。

 とはいえ、黒髪で、色黒で、小柄で、痩せてたらしいから、

 妹のメアリが金髪で、肌白で、豊満だったのに比べてかなり見劣りする。

 その分、性格が烈しかったんだろうけどね。

 このアンを演じたのがナタリー・ポートマンで、

 妹のメアリはスカーレット・ヨハンソンが、

 母のエリザベス・ハワードはクリスティン・スコット・トーマスが演じてる。

 キャスティングは好い感じだった。

 ナタリー・ポートマンの高慢さと自惚れと虚栄心とがごっちゃになった演技は、

 最終的にその自尊心のために自滅してしまうラストによく繋がってる。

 そんな気がした。

 で、ここでまたクロムウェルの登場ってことになるんだけど、

 アンの処刑についても、王とジェーン・シーモアとの婚姻についても、

 全面的に支持してる。

 そんなこともあって、クロムウェルの息子グレゴリーの妻は、

 ジェーン・シーモアの妹エリザベスってことになったんだろうけど、

 これほど王室に食い込んだクロムウェルもまもなく失脚してる。

 ジェーンが産褥死したためにヘンリー8世の4人目の妻を探さなくちゃいけなくなり、

 後のドイツのユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘アンナ・フォン・クレーフェこと、

 アン・オブ・クレーヴズを推薦したものの、この結婚は半年で破綻した。

 このせいでクロムウェルは反逆罪で告発され、処刑された。

 首は、トーマス・モアの首が吊るされたロンドン橋に吊るされた。

 このクロムウェルの姉キャサリンの玄孫が、

 イギリス史ではただ一度だけ共和制に移行したときの立役者オリバー・クロムウェル。

 オリバーの遺骸はロンドン塔に吊るされたから、なんだか運命的な話だけどね。

 さらにちなみに、

 アン・オブ・クレーヴズの後、ヘンリー8世の5人目の妻になったのが、

 アン・ブーリンの従妹のキャサリン・ハワードなんだけど、

 こちらのキャサリンも不義密通を疑われて逮捕、処刑された。

 ヘンリー8世の6人目にして最後の妻になったのは、キャサリン・パー。

 ヘンリー8世の3人目の妻ジェーンの兄トーマス・シーモアの恋人だったんだけど、

 別れさせられて王妃になった。

 まあ、ヘンリー8世が死んでから、このふたりは復縁する。

 とはいえ、トーマス・シーモアもまた困ったもので、

 ふたりは、アン・ブーリンの遺児エリザベスをひきとってたんだけど、

 この寝室に入り込んで、不義密通を疑われた。

 で、エリザベスはシーモア家から出され、紆余曲折の後に、

 エリザベス1世として王位を継承してる。

 それ以後のことは映画『エリザベス』の話だから、ここには書かないけど、

 なんにしても、もうなにがなんだかわからないくらい、ごちゃごちゃしてる。

 いいかえれば、大英帝国の王室史は、物語の宝庫だね。

 つぎつぎに映画が作られるのは、よくわかるわ~。

 あ、最後に、原題はThe Other Boleyn Girlだから、

 実際の主役はスカーレット・ヨハンソンってことになるんだろう。

 まあ、純粋なために不幸に見舞われてしまう女性が主役になるのは、

 物語の王道なのかもしれないしね。

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レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで

2013年09月28日 19時39分09秒 | 洋画2008年

 ◇レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで(2008年 アメリカ、イギリス 119分)

 原題 Revolutionary Road

 staff 原作/リチャード・イエーツ『家族の終わりに』

     監督/サム・メンデス 脚色/ジャスティン・ヘイス

     撮影/ロジャー・ディーキンス 視覚効果/ランドール・バルスマイヤー

     美術/クリスティ・ズィー 衣装/アルバート・ウォルスキー

     音楽/トーマス・ニューマン 音楽監修/ランドール・ポスター

 cast レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット キャシー・ベイツ

 

 ◇革命家の住まない道

 革命家であるということは、俗物であることを棄て去るってことだ。

 でも、普通の人生を送ってるかぎり、なかなか革命家にはなれない。

 ちなみに、ここでいう革命ってのは、

 自分の好きなように、自由に生きていく人間のことをいう。

 もっとも、一般的な現代社会において、

 それも、まじめに働いてさえいれば、

 けど、俗物には俗物なりの幸せってもんがある。

 ところが、俗物であることに耐えられず、

 いつも、俗物であることから脱しようともがきつづける人もいる。

 ケイト・ウィンスレットがそうだ。

 とうにレオナルド・ディカプリオは自分の夢を棄てて、

 会社員であるという束縛も受け入れ、

 パリへ羽ばたくという夢を封じ込める要因のひとつになった子供たちを育てようと、

 毎日、満員電車に揺られ、おもしろくもない仕事をこなし、

 ときには、社内で気に入った子と浮気をするという、

 世界中のどこにでも見られる会社員のひとりになっている。

 つまり、ケイト・ウィンスレットが現実を受け入れられれば、悲劇は起こらない。

 でも、起っちゃうんだね。

 おそらく、こういう夫婦も、世間にはときたまあるんだろう。

 むつかしいんだけど、

 人生はなにが幸せなのかわからない。

 自分の夢を追い求めるには、

 それなりの犠牲を払わないといけない人間もたしかにいるわけで、

 そうした不安に耐えられないとおもった人間は、

 ちょっとばかり嫌でも今の仕事をこつこつと続け、

 それなりに幸せだとおもえるような人生をまっとうすればいいし、

 もしかしたら、そういう人生がいちばん幸せなのかもしれないんだけど、

 たぶんディカプリオはそう思おうと歯を食いしばり、

 ケイトはそう思いたくないと歯を食いしばった。

 悲劇に突入するのは目に見えているわけで、

 なかなか正視するのに根性のいる映画だったわ。

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フロスト×ニクソン

2013年09月08日 19時06分45秒 | 洋画2008年

 ◎フロスト×ニクソン(2008年 アメリカ 122分)

 原題 Frost/Nixon

 staff 原作・脚本/ピーター・モーガン(戯曲)

     監督/ロン・ハワード

     製作/ロン・ハワード ティム・ビーヴァン

         エリック・フェルナー ブライアン・グレイザー

     製作総指揮/ピーター・モーガン トッド・ハロウェル

     撮影/サルヴァトーレ・トティーノ 美術/マイケル・コレンブリス

     特撮/エリック・J・ロバートソン 特殊メイク/デヴィッド・ルロイ・アンダーソン

     衣装/ダニエル・オーランディ  音楽/ハンス・ジマー

 cast フランク・ランジェラ マイケル・シーン ケビン・ベーコン レベッカ・ホール

 

 ◎1977年5月、インタビュー

 主役になっているのは、そこで対談したふたりだ。

 元アメリカ合衆国大統領のリチャード・ニクソンと、

 コメディアン出身の英テレビ司会者デビッド・フロスト。

 ニクソンはウォーター・ゲート事件で大統領を辞任していたんだけど、

 3年経ってもなお、国民に対して謝罪してなかった。

 それを知ったフロストが、全財産を傾けてニクソンのインタビューを行い、

 そこでもって、

「国家を守るためならば、大統領の行動はたとえ違法であっても合法となる」

 というような、とんでもない台詞を引き出すことに成功し、

 さらに「I'm Sorry」を引き出すまで追い込んでゆく、

 まるで、ボクシングの試合を観させられているような作品だった。

 主役ふたりの演技はまさに絶妙だったけど、

 痰を絡ませ、前屈みでしょぼくれた感じに演ずるフランク・ランジェラよりも、

 実際のニクソンはもうちょっと不敵な感じでインタビューを受けてたし、

 髪型はほとんど同じなんだけど、笑顔が爽やかすぎな二枚目マイケル・シーンより、

 実際のフロストはもうちょっと軽妙な感じでひょうひょうとニクソンに迫ってる。

 でも、ふたりとも大したもんだ。

 ことにマイケル・シーンは、

 ちょっと間違えばジャック・ニコルソンの物真似とも取られかねないような、

 切羽詰まった笑い顔を見せるくらい、好かった。

 ふたりとも、ヴァンパイア映画に出てるのが妙に皮肉な感じだけど、

 それはさておき、

 ケビン・ベーコンのようなニクソンをどこまでも崇敬する腹心のいることが、

 ニクソンという沈黙の巨人の凄さを伝えてて、これが実は要のひとつにもなってる。

 もちろん、ニクソンの家族たちもそうなんだけど、

 決して、ニクソン=悪という単純な一方通行の映画になってないのがいいよね。

 ちなみに、フロストはついこのあいだの2013年8月31日に他界した。

 享年74。

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変態島

2013年08月22日 12時44分34秒 | 洋画2008年

 ◇変態島(2008年 フランス、ベルギー、イギリス、オーストラリア 96分)

 原題 Vinyan

 staff 監督/ファブリス・ドゥ・ヴェルツ

     原案・脚本/ファブリス・ドゥ・ヴェルツ デヴィッド・グレイグ オリヴァー・ブラックバーン

     撮影/ブノワ・デビエ 編集/コリン・モニー

     音楽/フランソワ=ウード・シャンフロー

 cast エマニュエル・ベアール ルーファス・シーウェル ジュリー・ドレフュス ヨセ・デパウ

 

 ◇Vinyanは、タイ語

 意味は「魂、成仏できない霊、幽霊」だそうな。

 エマニュエル・ベアールとルーファス・シーウェルの6歳の息子が津波に呑まれ、

 その生存が絶望視されて6か月経っても尚、

 ふたりはタイを離れることができず、プーケットに居続けている。

 そんなふたりがとある映像を観たことから、

 息子の生存、つまり、人身売買の村に連れ去られたことをつよく信じるようになり、

 いろいろな村々を巡り歩きながら

 ビルマの沖合にある島まで訪ねてゆくというシリアスな話だ。

 けど、島にいたるまで、いろいろな障壁があり、

 これに精神的に弱くなっているべアールがさらに痛めつけられ、

 やがて夫の惨殺とともに自我が崩壊してゆくありさまを、

 南洋特有のじめじめとした気象の中で描いているんだけど、

 後半、ていうか、ほぼ佳境になってから、

 ようやく到達した島で、彼女はVinyanに遭うことになる。

 このVinyanは少年たちで、

 息子がすでに他界しているという事実をべアールは認められずにきたんだけど、

 白い泥に包まれたVinyanたちに丸裸にされ、

 体中を撫でまわされている内に、

 Vinyanたちの求めているものが母親の肌であり、乳房であると確信したとき、

 彼女にようやく、心からの笑みが戻る。

 べアールが息子の死を認め、Vinyanとなりながら母親を待っていたのかどうか、

 これは、わからない。

 けれど、この島でVinyanらと遭遇して、肌を合わせたとき、

 すでにべアールは息子だけの母親ではなく、

 島という非常に暗示的な空間に取り残されているVinyanたちすべての母親になった、

 と考えるのが、いちばんストレートな見方なんじゃないかっておもうんだよね。

 なんとも不思議な世界だったわ。

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リリィ、はちみつ色の秘密

2013年07月11日 17時48分06秒 | 洋画2008年

 ☆リリィ、はちみつ色の秘密(2008年 アメリカ 110分)

 原題 The Secret Life of Bees

 staff 原作/スー・モンク・キッド『リリィ、はちみつ色の夏』

     監督・脚本/ジーナ・プリンス=バイスウッド  撮影/ロジェ・ストファーズ

     美術/ウォーレン・アラン・ヤング  衣裳デザイン/サンドラ・ヘルナンデス

     音楽/マーク・アイシャム 音楽監修/リンダ・コーエン 

 cast ダコタ・ファニング クイーン・ラティファ ジェニファー・ハドソン アリシア・キーズ

 

 ☆1964年、サウスカロライナ州シルヴァン

 その桃農園から始まる少女ロードムービーなんだけど、

 ダコタ・ファニングを観てると、

 なぜか、安達裕美をおもいだしてしまうのは、ぼくだけなんだろか?

 子役から始まり、ずっとちっちゃいままな印象があって、

 声もなんとなく似てる。

 ハリウッドはどうも女の子の子役を可愛がる癖があるのか、

 彼女のほかにもスカーレット・ヨハンソンとかジョディ・フォスターとか、

 なんだかんだいっても大人になるのを見守ってくれてる感じがするんだよね。

 この映画はまさしくそうで、

 ダコタ・ファニングをみんなが見守ってくれてる。

 ただ、やや前の時代で、カントリー調ながら黒人の姉妹をあつかうことで、

 ちょっとだけだけど、社会性も取り入れられてたりする。

 ジェニファー・ハドソンの扱いがまさしくそうで、

『ドリームガールズ』と微妙にリンクしてたりするのはお遊びなんだろか?

 まあ、彼女についてはともかく、

 姉妹の長女クイーン・ラティファと次女アリシア・キーズが好い。

 長女は誇り高く、なにものにも理解あり、慈悲ぶかく、

 次女はその美貌さゆえか高慢で冷静で鼻持ちならないけれど、純粋という役割を、

 ふたりは上手に演じてた。

 ところで、ダコタ・ファニング演じるリリィなんだけど、

 どうしてこうも死の影がまとわりついてるんだろう?

 自分がいなければ、

 4歳のときに、過失とはいえ母親を撃ち殺すことはなかったし、

 家政婦のジェニファー・ハドソンも暴力をふるわれ、あとでもない旅に出ることもなかったし、

 さらにいえば、三姉妹の末っ子もリリィとの三角関係が引き金で自殺することもなかった、

 とおもっていたかもしれないし、そうしたおもいが膨らんで、破裂もする。

 運命にもてあそばれてるわけではないけれど、

 自分の母親が頼りにした家政婦にして子守の黒人と巡り合え、

 しかも、そこで過ごしてゆくことになるのは、

 運命について、なんらかの強いものがなければこうはならない。

 なんとなく予定調和というか、箱庭的な展開ではあるけれど、

 まあ、こんな感じは嫌いじゃないし、

 ダコタ・ファニングも良い作品に巡り合えたな~って気がするよ。 

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インクハート/魔法の声

2013年06月12日 02時39分59秒 | 洋画2008年

 ◎インクハート/魔法の声(2008年 アメリカ、イギリス、ドイツ 106分)

 原題 Inkheart

 staff 原作/コルネーリア・フンケ『Tintenherz』

     監督/イアン・ソフトリー 脚本/デビッド・リンゼイ=アベアー

     製作/イアン・ソフトリー ダイアナ・ポコルニー コルネーリア・フンケ

     撮影/ロジャー・プラット 美術/ジョン・ビアード 音楽/ハビエル・ナバレテ

 cast ブレンダン・フレイザー ヘレン・ミレン イライザ・ベネット ポール・ベタニー

 

 ◎ジェニファー・コネリー、カメオ出演

 幼い頃から、童話が苦手だった。

 本を読むということがどうしてもできなくて、おかげで未だに活字は苦手なままだ。

 ただ、後悔はしてる。

 どうしてもっと本を読んでおかなかったんだろうって。

『オズの魔法使い』『ハックルベリー・フィンの冒険』『ヘンゼルとグレーテル』

『シンデレラ』『ラプンツェル』『アリババと40人の盗賊』『ピーターパン』……。

 読んどきゃよかった。

 読んどけば、この映画でところどころに本の中から飛び出してくるキャラクターに、

 もっとおもいいれができただろうし、そうした遊び心を嬉しく感じ、愉しめただろう。

 でも、ぼくにはできないんだよな~。

 で、どうして童話の中から現実に登場してくるのかといえば、

 主人公ブレンダン・フレイザーが魔法の舌を持ってるからだ。

 ところが、この舌のせいで、

 9年前に悪魔のような悪党カプリコーンを現出させてしまい、

 それとひきかえに奥さんを本の世界に閉じ込めてしまった。

 その世界の名前っていうか、本の題名が「インクハート」ってわけだ。

 で、この悪党が世界征服を企み、ブレンダン・フレイザーの舌を利用して、

 もともといた世界から手下をはじめ、さまざま事物を引き出そうとするって話だ。

 ま、おもしろかった。

 派手派手しい場面はないけれども、子ども向きに作られた良質さはよく出てた。

 ことに、大叔母役のヘレン・ミレンはいいね。

 髪をふりみだしてのばーちゃん活劇にちゃんとなってる。

 そうした活劇が繰り広げられるカプリコーンの城について、

 もちろん、城郭そのものはミニチュアなんだけど、

 城内および城下の町は、実際にある。

 イタリアのバレストリーノという地中海からやや内陸に入った村で、

 ニースとジェノバのほぼ真ん中あたりにある。

 あるんだけど、廃墟だ。

 地震による倒壊の危険があるとかで、住民が去り、過疎集落になったんだと。

 だから、今もなお、中世そのままの村がぽっかり残されてる。

 行きたいわ~!

 ところで、

「インクハート」っていう本の題名だけど、映画では「闇の心」って意訳されてる。

 なんで、闇の心なんだろ?

 インクで書かれた心、つまり、活字の世界の心って直訳になるよね?

 インクって、闇っていう意味も持ってるのかな?

 外国語がまるでわからないぼくは、首を傾げたままでいる。

 あほなんだね、たぶん。

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ある公爵夫人の生涯

2013年04月20日 18時05分29秒 | 洋画2008年

 ◇ある公爵夫人の生涯(2008年 イギリス、フランス、イタリア 110分)

 原題 The Duchess

 staff 原作/アマンダ・フォアマン『Georgiana : Duchess of Devonshire』

     監督/ソウル・ディブ

     脚本/ソウル・ディブ ジェフリー・ハッチャー アナス・トーマス・イェンセン

     撮影/ギュラ・パドス 美術/マイケル・カーリン 音楽/レイチェル・ポートマン

     衣装デザイン/マイケル・オコナー ヘアーデザイナー/ジャン・アーチボルド

 cast キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ シャーロット・ランプリング ドミニク・クーパー

 

 ◇1774年6月6日、ジョージアナ、結婚

 ジョージアナ・キャヴェンディッシュことデヴォンシャー公爵夫人が生まれたのは、

 1757年6月7日だそうだから、結婚した翌日に17歳になってる。

 にしても、たった17歳で英国屈指の名門に嫁がされるってのは、

 現代のぼくらから見ると、ちょっとばかし酷かもっておもっちゃう。

 恋愛の経験もないだろうし、まだまだやっぱり子どもだもんね。

 それはさておき、ジョージアナの生涯はなかなか波乱万丈だ。

 だんなの公爵がちょっとばかし女好きすぎたのか、

 女召使を孕ませてしまったもんだから、生まれた娘の養育もしないといけなかったし、

 ジョージアナの親友のエリザベス・フォスターを愛人にしちゃったために、

 24年間も3人で暮らさないといけない羽目になり、

 くわえてエリザベスは、この間に、1男1女を産んじゃってる。

 なんだか『華麗なる一族』をおもいだしちゃうけど、ともかく、公爵、すごいです。

 とはいえ、ジョージアナもなかなかのもので、

 人並み外れた美貌と知性でもって社交界の花になって、一大サロンを形づくり、

 チャールズ・グレイ伯爵(紅茶のアールグレイで知られた、後の首相ね)と不倫して、

 娘をひとり産んじゃった。

 この娘は、グレイ家にひきとられちゃうんだけど、

 だんなとの間にも、ふたりの娘とひとりの息子を産んでるし、

 それよりなにより、選挙と飲食と賭博が大好きだったみたいで、借金まみれだったらしい。

 これがそのまま映像化されてたら、なんだか、すさまじい映画になったんだろうけど、

 この映画は、ジョージアナの不倫を中心にして、綺麗かつ儚く撮られてる。

 ま、めりはりのきいた顔と態度のキーラ・ナイトレイが超豪華な衣装をまとってるし、

 そうしたところは目の保養にはなるんだけど、

 夫に愛されず、単に世継ぎを産むためだけの道具のように扱われ、

 くわえて親友を愛人にされたばかりか同居までさせられることに耐え切れず、

 真実の愛を求めて不倫に走り、それを認めてほしいと嘆願したら、

 その台詞が逆鱗に触れてしまったのか、暴力的に犯されて、

 もう産みたくもなかったはずの夫の子を身ごもり、まわりの期待どおり男の子を出産する、

 っていう展開は、ああ、そうか、そういうことだったのかって感じで、なんだか息苦しい。

 さらに、夫の愛人になって一緒に住んでる親友はあいかわらず優しく接してくれるし、

 一連の不倫劇を経てから、

「おまえの苦しみは理解していたのだよ、わたしも」

 ってな態度で夫が接っしてきたことで、なんだか、心底からの悪人はいないって感じで、

 結局は、

「王室には絢爛豪華な暮らしとひきかえに真実の愛には恵まれない時代があったのだよ」

 とか聞かされてるような気も、ちょっとだけ、した。

 まあ、考えてみれば、どこの国だって似たようなもので、

 名門の血を継がせるための生殖がいちばんの役割という立場は、なんだか哀れだ。

 ただ、どうだかなあ、彼女の悲しさや儚さは十分にわかるし、不倫する気持ちもわかるし、

 不倫相手の子を身籠りたいだろうし、でも産んだら産んだで引き裂かれる辛さもわかる。

 だけど、

 ジョージアナの人生が真実の愛を求めてるだけなように見えちゃうのは、ちょっとね。

 現実の彼女は、彼女なりに頑張って生きてるんだから、

 もうすこし生き生きさせてほしかったな~とかおもうのよね。

 あ、ちなみに、

 だんなの飼ってる2匹の犬は、ジョージアナとエリザベスの暗喩かしら?

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フローズン・リバー

2013年04月07日 17時55分22秒 | 洋画2008年

 ◎フローズン・リバー(2008年 アメリカ 97分)

 原題/Frozen River

 staff 監督・脚本/コートニー・ハント 撮影/リード・モラノ

     美術/インバル・ウェインバーグ 音楽/ピーター・ゴラブ、シャザード・イズマイリー

 cast メリッサ・レオ ミスティ・アップハム チャーリー・マクダーモット マイケル・オキーフ

 

 ◎1650年、イロコイ連邦、成立

 無知というのは、おそろしい。

 アメリカとカナダの間に国家(独立自治領)が存在してるってことを、ぼくは知らなかった。

 このアメリカ独立にもかかわった連邦に、映画に登場するモホーク族が加わってる。

 けど、映画で主題になってるのは、モホーク族の現状だけじゃない。

 ていうより、たしかに、北米原住民の現在の暮らしぶりについても描かれてるし、

 貧困層にある白人労働者たちの暮らしぶりについても描かれてるけど、

 それだけじゃない。

 主人公メリッサ・レオは、トレーラーハウスに住んでて、ふたりの息子を育ててる。

 夫が生活費を持ち逃げしちゃったせいで、借金の支払いもままならない。

 車はあるけど、お金になる仕事はない。

 一方、モホーク族のミスティ・アップハムは、夫が息子を残して他界し、眼も悪い。

 カナダからの密入国の手口はわかっているものの、それに使う車がない。

 で、ミスティの案内で、メリッサの車に不法移民を乗せ、

 凍ったセントローレンス川を保留地まで渡る闇の仕事に従事するんだけど、

 赤ちゃんを隠した荷物を氷の上に捨ててしまい、結局、その命は助かるんだけど、

 このことから、母同士の奇妙な友情が芽生え、

 足を洗おうとした最後の仕事のときに警察に見つかり追われることになるって筋立てだ。

 よく、できてる。

 母親という絆でもって、佳境まで引っ張るんだけど、

 凍結した川が、アメリカの辺境で実際に起きている問題を象徴している。

 寒々しく、なにもかもが凍てついた静寂に包まれている世界は、

 つまり、生きることが凍結されてしまいそうな現状をなんとか打開しようと足掻く世界だ。

 ひるがえって、ぼくたちはこうした国境線の問題について、かなり疎い。

 樺太の50度線がいまだに存在していれば話は別だけど、

 もはや、そんなものはないから、実際に、日本人のぼくらでは見聞しにくいからだ。

 そうした分、たしかにかっちりまとまった佳作ではあるけれど、

 この映画のせつなさは、ただ想像することしかできないんだよなあ。

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ハート・ロッカー

2013年04月01日 22時58分39秒 | 洋画2008年

 ☆ハート・ロッカー(2008 アメリカ 131分)

 原題 The Hurt Locker

 staff 監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール 撮影/バリー・アクロイド

     美術/カール・ユーリウスソン 音楽/マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース

 cast ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ガイ・ピアース デヴィッド・モース

 

 ☆2004年夏、イラク、バグダッド

 少年だった頃、ぼくは兵器にまるで興味がなかった。

 友達の中にはめったやたらに戦闘機や戦車や軍艦に詳しいやつがいて、

 プラモデルもそういう類いのものばかり作ってた。

 ぼくは、だめだった。

 なんでだろうとおもうんだけど、いまだに理由はわからない。

 戦争に興味のない少年は、おとなになってもなかなか興味が湧かなかった。

 それでも長く生きてれば、すこしは戦争や兵器について知識がついてくるものだ。

 でも、そんなものは単なる付け焼刃でしかなかった。

 IED(即席爆発装置)とかEOD(爆発物処理)とかいう単語も知らなかったし、

 イラク戦争において、

 アメリカ兵のIEDによる死傷者が凄まじい数に上っているなんてことも知らなかった。

 だから、爆発物処理班がどのような活動をしているのか、

 この映画を見ながら、ああ、そうなんだ~となんとか理解できたくらいだ。

 まったく、自分のことが情けなくなってくるけど、事実なんだから仕方がない。

 で、この映画なんだけど、

 主題の受け止め方について、なんだか、いろんな意見があるみたいで、

 それはつまり、おのおのの観客がおのおのの意見をいわざるを得ないほど、

 強烈な映画だったってことなんだろう。

 実際、映像は、衝撃的ですらあった。

 じりじりした緊迫感もさることながら、爆弾が爆発する瞬間のスローモーションとか、

 ぞくっとするほど強烈だったし、美しさすら感じとれてしまった。

 実際に戦場に送り込まれている兵士たちに、美しさなんていったら怒られるだろうけど、

 それは、演出のちからづよさを証明するものだから、仕方がない。

 でも、たしかにリアルなんだけど、ドキュメンタリーを見ているような印象は受けなかった。

 全体の構成にしても、いくつかの挿話にしても、むろん会話にしても、計算されたものだ。

 で、ジェレミー・レナー演じるところの、

 イラク駐留アメリカ軍爆発物処理班B(ブラボー)中隊に途中から配属された、

 爆弾処理の熟練ウィリアム・ジェームズ一等軍曹のことなんだけど、

 兵士の誰もが精神が崩壊してしまいそうな戦場で、彼は偏執的に職務をこなしてる。

 心が病んでしまっているのか、それとも自暴自棄になっているのか、判断はつかない。

 ただ、原題から、なんとなく想像することはできる。

 原題の「Hurt Locker」というのは、辞書によれば、米軍の俗語で、

「極限まで追い詰められた状態。または棺桶のこと」らしい。

 ということは、

 戦場という地獄に放り込まれ、異常な緊迫感の中で爆弾を処理している内に、

 徐々に心を閉ざし、愛情とか憐憫とかいった物柔らかな感情を失ってしまった主人公が、

 アメリカの家族も含めて誰とも打ち解けられない荒々しい日々を送っていたんだけど、

 あるとき現地の少年と出会ったことで、少しだけ人間的な感情を取り戻したのも束の間、

 その少年までもが殺され、体内に爆弾を埋め込まれるという、

 あまりにも惨たらしい目に遭わされたために常軌を失い、かつ、心の底まで蝕まれ、

 ひとたびは母国アメリカに帰ったものの、穏やかな生活にはもはや馴染めなくなり、

 ふたたび死の崖っぷちに立たされるイラクの地へ戻ってゆかざるを得なくなるんだけど、

 主人公にとって、棺桶のような戦場は、実は彼が生を実感できるところで、

 つまり、戦争の恐ろしさは、そうした人間を生産してしまうところにあるというのが、

 もしかしたら、この映画のいわんとしていることなのかもしれない。

 よくわからないのは、

 殺されたはずの少年、あるいはその子に酷似した少年が、

 主人公の前に現れてDVDを売ろうとするところで、

 ジェレミー・レナーは唖然とするのと同時に、少年を拒むような態度に出る場面だ。

 これは、

 たとえ、その少年が以前の少年であろうがなかろうが、

 二度とふたたび子供の死をまのあたりにしたくないという彼個人の防衛本能なのか、

 あるいは、自分が新たな少年に接してしまえば、

 今度はこの少年が犠牲になる恐れがあるんじゃないかとおもい、

 そうした悲劇をふたたび起こさないために配慮して拒んだのか、ということだ。

 ぼくは、人の顔がよく憶えられないものだから、

 余計にそんな曖昧なことをおもってしまうのかもしれないけど、

 ただ、監督のキャスリン・ビグローの意図しているのが、

 アメリカに対する反戦の主張なのか、それとも普遍的な意味での戦争反対なのか、

 いまのところは、どちらとも判断がつかない。

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パッセンジャーズ

2012年09月23日 01時32分24秒 | 洋画2008年

 ◎パッセンジャーズ(2008年 アメリカ 93分)

 原題 Passengers

 監督 ロドリゴ・ガルシア

 出演 パトリック・ウィルソン、デヴィッド・モース、クレア・デュヴァル、ダイアン・ウィースト

 

 ◎現実は何処にあるのか?

 たとえば、リアルな夢を見ている場合は、その場所に居たり物を触ったり人と会話も交わせるけど、結局は一瞬の夢でしかない。けど、意識だけの存在になって現実の場に行ったら、そこにある物はいっさい触れない。

 本作の鍵はそこにあるわけで、実に単純なんだけど、アン・ハサウェイの場合、そのお人好しそうな大きな瞳のまま、自分の置かれている状況に気づかずにいるんだよね、いつまでも。でも、こんな短編小説のような小さな謎をサスペンスに仕上げて引っ張っていくってのは並大抵な腕じゃないっておもうんだけど、どうなんだろう?

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サベイランス

2012年08月28日 16時36分47秒 | 洋画2008年

 ◎サベイランス(Surveillance)

 なんてまあ、父親リンチゆずりのいかがわしさかと。

 映像、ことに乾いた茶色の大地と真っ青な空に、陰影の強い人物を配置するのは、いかにも父デビット・リンチ的におもえる。たぶん、ジェニファー・リンチ、才能あんだな。

 なのに、音楽はどうしちゃってるのといいたくなる。

 筋立ては、佳境のどんでん返しが冒頭の残酷描写の解明にもなってて、よく練られる。

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