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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

男はつらいよ 望郷篇

2019年10月14日 12時58分47秒 | 邦画1961~1970年

 ◎男はつらいよ 望郷篇(1970年 日本 88分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 井川比佐志 長山藍子

 

 ◎第5作 1970年8月25日

 ようやく、山田洋次の寅さんシリーズの始まった観がある。

 ちぐはぐだった脚本と演出も、バランスが取れてきてる。そんな気がした。

 で、夢から葬式つながりなんだけど、てきやの親分の危篤の報せを受け、おいちゃんの「あの野郎、なにかってえっと葬式ばかり出したがりやがる」って台詞と、おばちゃんの「けど、これで出てってくれればこれほどありがたいことはないよね」っていうくだりから「この家じゃ兄貴はのけものにされてるんじゃねえのかい?」を経て、さくらの説教を受けながらも反省するふりしてお金をふんだくって札幌に飛ぶなんだか気分の悪くなるような展開まで、実に見事な脚本の流れだ。

 あ、ふとおもったんだけど、途中、印刷所で職工を冷やかしてふざけ回り、徹底的に顰蹙を買った裏話があるんだけど、もしかしたら撮ってるじゃないかな?ちょっとくどくて、カットしちゃったかもしれないね。

 それはともかく、小樽のロケがいい。

 坂道の家もさることながら、機関区のくだりは画面も脚本もええね。回想で粒子ざらざらの白黒画面で、線路をとぼとぼ歩く松山省二(子役7才)の後ろから蒸気機関車がやってくるんだけど、ひとつの画面で処理されてる。ワンカットだけだけど、凄いカットだ。今なら危険だとかなんだとかいわれて撮れないよ、これは。

 ていうか、ほんと、うまいな。

 うまさは脚本だけじゃなくて、牧歌的な屋根の小沢駅前にある末次旅館でのぼること津坂匡章ことを叩き出す夕飯時の、汗と煤に汚れたダボシャツがまたリアルだ。

 山田洋次の脚本のリアルさは、言葉がその時代のおとなの普通な言葉なんだよね。寅がさくらのうながしに「じゃあ、着替えさせてもらいます」って応える。させてもらうという言葉は、この時代、なにげなく使われてて、現代みたいに小うるさい印象はないんだな。

 あと、浦安の豆腐屋に厄介になってるとき、不安になったさくらに「地道にね。考えることも」と諭されたあと、長山藍子に「朝早いので、ぼく寝ます」といわれる。ので言葉が使われてるんだよね。さらになにもかも終わった花火大会の夜、たこ社長に「うまくやってるそうじゃないか」といわれたとき「豆腐屋の方?」と聞く。ここでは、~の方言葉が使われてる。

 で、寅が機関士のように額に汗して働きたいとおもったとき、寅が印刷屋に出かけて断られるとき、たぶん裏話で職工たちと揉めたとおもうんだよね。そのときに、前にからかったときの話を受けてたんじゃないかな。そしたら、前にカットされたとおもわれる場面が要るんじゃないかしら?でないと、本来、このくだりは使えなくなっちゃうんじゃないのかしら。

 ともかく、そんなことで、舟の上で昼寝したまんま、さくらが探してもわからずに舟で下っていっちゃうんだね。貴種流離譚だ。しかしこの流れていくカット、真上から俯瞰してるんだよね。撮ったの川じゃないとおもうけど、凄いな。

 それにしても、長山藍子に「ずうっとここにいてくれない?」といわれことから勘違いが始まり、アパートの大家さんちの呼び出し電話に出たさくらの不安が始まるわけだけど、色気づいてアロハを着る寅が機関士に油揚げを、つまり色は白くて水くさい娘をさらわれる、いつもどおりの展開になる。

 なるものの、いつまでも同じ展開もできないし、長山藍子のちょっと卑怯な言質の取り方もあったりして、いやまじに困った展開なんだけど、これがやがて本気で好かれて寅の方から身をひくようになる。まあ、仕方ないね。ほんとならこの回でシリーズが終わるはずだったみたいだから、サービスの展開だったんじゃないのかしら。

 まあ、葬式から始まり、地道に働くというのは実に大変なのだという主題はちゃんとできてたし。

 ラストカットの海辺を行く蒸気機関車も、ちゃんとつながってる。うまいな。

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新・男はつらいよ

2019年10月13日 12時41分15秒 | 邦画1961~1970年

 ▽新・男はつらいよ(1970年 日本 92分)

 監督/小林俊一 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 財津一郎 栗原小巻

 

 ▽第4作 1970年2月27日

 やけに品がないな~とおもい、なんともテレビ的な展開じゃないかともおもって、それでも我慢して観てたんだけど、あまりのみっともなさに徐々に観るのが辛くなってきた。

 そもそも、寅が競馬でぼろ儲けするっていう展開はどうかな?なんだか違うんじゃないか?とおもってたら、なんのことはない、その金でハワイに行こうとしたら旅行会社の社長に盗まれるって展開のための設定だった。でも、別にそれは寅のせいでもなんでもないし、旅行に出たふりをしなくちゃいけないことはまるでない。

 にもかかわらず、財津一郎の泥棒騒ぎもふくむてもうわけのわからない展開だ。

 いくらなんでも、これはないだろ。

 ただまあ、騒ぎが終わってからの不器用な優しさと頑固な辛さのぶつかり合いは、いかにも山田洋次調でようやく寅に戻ったって感じだった。とおもったのも束の間、またもや、あまりにもテレビ的な簑をかぶった展開だ。悲しくなってきたわ。

 てか、この回も「おいちゃん」じゃなくて「おじちゃん」なのね。寅も「寅っ」じゃなくて「寅さん」って呼ばれるのね。まあ、森川信の場合はそれでいいのかもしれないけど。

 しかし、この回もまだ、労働者諸君は『スイカの名産地』を歌い続けてるんだな。いや、まじでいつまでこれだったんだろう。住み込みの工員の窓をふさいだ展開も、笠智衆の呆れ顔も、寅の『春がきた』もすべてが辛いな。

 そりゃまあ、栗原小巻の置かれてる相容れない父親との死に別れという環境との対比もあるんだろうけど、それで、寅の父親の命日を忘れるという展開に持っていくことで小巻の頑なな気持ちがほぐれていくというのはわからないでもないけど、なんというのかな、山田洋次の書いてる部分とそうでない部分とがわかりすぎる気がして、このちぐはぐな脚本と演出は辛すぎるな、やっぱり。

 しかし、この時代はミニスカートなんだね。栗原小巻のミニとか初めて見る気がするけど、それは当時の映画を忘れてるだけなんだろう。それにしても、若いな、みんな。

 あ、この回も、さくらの出番はほとんどないんだね。ふられて旅に戻るのを聞くのもおいちゃんとおばちゃんの役目なんだね。

 ただ、寅が胸の内を告げて出て行こうとしたときかぜの冷たさに悩んだとき、おもわずおいちゃんとおばちゃんの話を聞いてしまう寅と、去ったあとの自転車の後輪の回転する演出だけはよかった。ここのところだけは、脚本の勝利だな。

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男はつらいよ フーテンの寅

2019年10月12日 12時23分43秒 | 邦画1961~1970年

 △男はつらいよ フーテンの寅(1970年 日本 90分)

 監督/森崎東 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 森川信 新珠三千代 香川美子

 

 △第3作 1970年1月15日

 出だしに、悠木千帆こと樹木希林が出てる。それも渥美清とツーショットのやりとりだ。へ~。そういう時代か~。

 つね、梅太郎、竜造、源吉、みんな名前でタイトルに出てるわ。佐藤峨次郎、店員で台詞もあって、なんだかまともだ。ていうか、竜造が「とらさん」と話しかけるのは森川信のときだけなんだろうか。

 え、ワイプ使ってるわ。演技の切れもいいし、なんだか落語みたいだ。やっぱり、森崎東だね。

 けど、ジャケット、土色と黒色の千鳥格子ってのは濃すぎる気もしないではない。それと、寅がひろしとけんかになって「表に出ろ、ほんとになぐるぞ」となり、喧嘩して組伏せられ、涙を流して負け惜しみまでいうんだ、若いね。

 しかし、涙で滲んだ目線のカットから霧にけぶった江戸川の川面に続いて、倍賞千恵子のアップがフレームインだ。いいな、このカットつなぎ。とくにこの作品の倍賞千恵子の初カットだからね。

 てか寅、トレンチコートまで羽織ってるぞ。この時期までは服装も定番だけってわけじゃなかったのね。ま、衣裳はともかく、いつものとおり、寅はインテリに負けてふられるという展開はこのあたりから定番化する。そう、たとえば、ここでいう大学教授だね。

 歯磨きしながらようやく気がついて口をゆすいだ水をごくりと飲んで「それじゃあその馬鹿というのは」と寅がつぶやいたとき、絶妙なタイミングで「そうよ、馬鹿はおまえよ」という左卜全が、つっこみをいれる。うまい。さらに、勘違いして障子の向こうにいる左卜全たちに寅が告白かたがた別れの挨拶をするわけだけど、ふむ、シラノ・ド・ベルジュラックね。

 で、すれちがったあと、立ち小便してる寅には声をかけずそのまんまベンツで走り去る新珠三千代と、歌を歌って去っていく寅。もしかしたら、この別れの場面は寅の別れの中ではいちばん好みかもしれない。

 ラストが年越し蕎麦というのも、最初で最後じゃなかったかな。しかも、寅が白黒テレビの向こうからご挨拶というのも、最初で最後なんじゃないかしら。子供が3人いると嘯くのもね。ま、それはそれとして、お志津~!といったときに、新珠三千代の新居でカラーテレビをかけっぱなしで、でも観てないってのも、わかるね。

 ま、だからといって「おまえのけつはくそだらけ」っていう観光客の合唱で終わるのは、実に品がないな。

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男はつらいよ

2019年10月10日 23時39分09秒 | 邦画1961~1970年

 ◇男はつらいよ(1969年 日本 91分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 森川信 笠智衆 志村喬 津坂匡章 広川太一郎 光本幸子

 

 ◇第1作 1969年8月27日

 ぼくたちが、たぶん、このシリーズを現役で観ているいちばん若い世代だろう。

 当時、渥美清は代表的なおもしろい人だった。小学生だったぼくは役者や俳優たちと芸人との違いもよくわかっていなかったかもしれないけど、ともかく、めったに観ることのない映画の中で、このシリーズは毎度出かけていく映画のひとつだった。それは中学生になっても変わらず、寅さんのシリーズを欠かすことはなかった。

 中学生のときには脚本も買った。一所懸命に読んだ。山田洋次っていう人はなんてこんなに細かく丁寧な台詞をおもいつくんだろうとかおもった。人の暮らしをじっと見てるのかな~っておもった。

 ちなみに、ぼくは山田作品に0.1秒映ったことがある。倍賞千恵子さんがバスガイドを演じた『喜劇 一発大必勝』のタイトルバックで、倍賞さんがバスの扉を開けて「墓場行でぇす」という台詞をいうんだけど、そのバス停に立っているのがぼくだ。もちろん生まれて初めての体験で、でも、その日の撮影現場の風景はいまだによく憶えてる。

 さて、この映画だ。

 さくらが、ひたすら可愛い。

 優しくて、利口そうで、ぴちぴちしてて。髪を栗色に染めてるのはどうかなとおもうけど、ま、それはさておき、この頃の寅はネクタイにモノトーンの格子、白黒ツートンの革靴。まあ出だしは20年ぶりの帰郷だし、観客には誰だろう?とおもわせないといけないし。

 それもさくらの見合いに付き添うという展開もあるからだけど、そこで『お仕事の方は?』と聞かれ『セールスの方を』と答えるんだ。へ~この頃から『なになにの方』ていうんだね。そこでさらに『さくらというのは珍しいお名前ですね』と訊かれる。

 さくらというのは、ほんとは漢字なんだと。貝ふたつの櫻らしい。知らなかったわ。

 ただ、そのあとがいけない。尸に匕と書いて『あま』匕ふたつで『へ』水で『にょう』とかいうくだりはまだいいとして、寅の不躾な失礼さはこのときが最高潮で、封切り当時、この最低さに笑ったものだけど、やくざの賭場に出入りするわ、庭の桜の木に立ち小便するわ、さくらの頬も張り飛ばすわ、そのめちゃくちゃぶりに次第に観るに耐えなくなってきた。

 だからだろうか、実をいえば、ぼくは10作目を過ぎたあたりから観るのやめた。寅に堪えられなくなったからだ。

 ま、それはさておき、まったく忘れてたけど、写真を撮るときにバターていうのは御前様が始めたんだね。

 で、はは~ん、光本幸子にひっついて柴又に帰ってくるときようやくいつもの寅のスタイルになるわけね。

 あ、ひとつ良いこと聞いた。寅がひろしの気持ちを知り、恋愛指南をする際、こんなふうにいうんだ。目を見ろといってもじっと見るんじゃないよ、色きちがいっておもわれちゃう。という台詞のとき、現在のテレビ放送とかでは「色きち…」と調整してる。ほほお、なるほど。色きちといえばいいのか。

 ていうか、ひろし、3年間も自分の部屋からさくらの部屋を見てたわけ?

 それって覗いてたってこと?

 1969年、まだまだ良い時代だな~。

 ちなみに、ひろしの父親はとっても難しい漢字の名前で、ひょういちろうと読むんだけど、当然、登場人物は誰も読めない。 そりゃそうだろう。ぼくも読めない。ただやっぱり、それがゆるされた時代であったとしても、寅の悪乗りには辟易する。笑ってられないんだよね、なんだか。

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大殺陣

2019年09月12日 23時10分27秒 | 邦画1961~1970年

 ◇大殺陣(1964年 日本 118分)

 監督/工藤栄一 音楽/鈴木静一

 出演/里見浩太朗 平幹二朗 大木実 大友柳太郎 三島ゆり子 宗方奈美 稲葉義男 山本麟一

 

 ◇新吉原の戦い

 細かいところは変えてみたものの、結局は『十三人の刺客』の亜流に留まらざるを得ないのがつらいところで、工藤さんも苦労したんだろうけど、ここはやっぱり新吉原が舞台になってるんだから、そこの連中の目撃する甲府宰相襲撃にした方がよかったんじゃないかしら。

 ただ、人物の設定に強引さがあってどうも中途半端な印象は受ける。

 酒井忠清の治世が良くないといい、次期将軍の命をとればその野望を挫くことができると。でも、それは結局、将軍は跡目争いでしかない。

 どこに庶民も納得できるような襲撃理由があるのかわからないし、襲撃する連中の性根もまた善くない。

 唯一のヒロイン三島ひろ子は無残にも斬り捨てられるし、宗方奈美はふたりに犯されちゃったりでなんだか哀れだ。優しさが売り物の大坂四郎は幼な子もふくめた家族全員を惨殺してから襲撃に参加するし、もはや、夢も希望もない。玉砕に向かってなかば発狂状態になってる連中の襲撃でしかない。

 結局、単に引きずられてしまった感じがする里見浩太朗の惨殺されるところをまのあたりにした平幹二朗が、まるで関係なかったはずなのに、一夜を共にしただけの友とも呼べない里見浩太朗の死にざまに突き動かされて、宰相襲撃を果たすっていう最後はわからないではないけれども。

 まあ、半狂乱になった大友柳太郎が、必死になって行列をたてなおし、見せかけの宰相行列が動き出すところで終わるところだけは、なんとなく当時の雰囲気がして、まあまあよかったけどね。

 でも、なんていうのかな、工藤さんのダンディズムっていうか、ちょっぴり斜に構えて、でも正義感はあって、散っていくことに魅力を感じちゃうところはわかるからな~。

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おさな妻

2018年01月18日 00時44分09秒 | 邦画1961~1970年

 ◇おさな妻(1970年 日本 86分)

 監督/臼坂礼次郎 音楽/北村和夫

 出演/関根恵子 新克利 坪内ミキ子 渡辺美佐子

 

 ◇ダイニチ映配配給

 ダイニチ映配は大映と日活の作品を配給するための会社だったんだけど、この会社で配給されたものはきわめて珍しい。だからといってこの作品の内容とはまるで関係ないんだけどね。要するにこの二社が倒産する前夜、一所懸命になって時勢にあらがって組織された会社とおもっていいのかもしれない。この作品は、いわば、そうした時代の象徴的な産物で、想像されるとおりキワモノ的な売り方をされた。それは、あおりの文章を読んでもよくわかる。

 でも、中身はいたってまじめな映画で、関根恵子はとってもまじめな女子高生で、いたいたしいほどに家族に尽くすのだけれども、そんなことは当時の観客も期待していないし、おそらくは大映本体もそんな映画を期待してはいなかったのかもしれない。一所懸命だったのは現場だけだったかもしれない。

 ま、個人的な想像だけど。

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肉弾

2018年01月10日 00時03分31秒 | 邦画1961~1970年

 ◎肉弾(1968年 日本 116分)

 監督・脚本/岡本喜八 音楽/佐藤勝

 出演/寺田農 大谷直子 天本英世 伊藤雄之助 高橋悦史 中谷一郎 田中邦衛 小沢昭一 笠智衆

 

 ◎バッカヤロー!

 この叫びは「ばっかやろう」ではなく「バッカヤロー!」なんだとおもう。個性というのはそういうもので、それはときには相対している者の気分というか受け止め方の差もあるんだろうけれども、たぶん、岡本喜八の場合、つねに「ばっかやろう」ではなく「バッカヤロー!」というのが正鵠を射ていたんじゃないかと。

 寺田農演じるところの「あいつ」とこの作品がデビューの「うさぎ」こと大谷直子の青春はあまりにも短く、それはいうまでもなくこの国のひきおこした戦争によって翻弄されたわけで、もちろんそれはこの時代の日本人すべてがそうなんだけれども、これに対して岡本喜八は「バッカヤロー!」と叫んでる。

 ただまあこれはたった一回だけのことで、あとは終始、情けなくも痛烈かつ滑稽な嗤いを延々と続けていく。封切られた当時は正に弾丸のように強烈な皮肉と諧謔に満ちていたんだろうけれども、こんにち観ると、ややだれる。

 ふしぎなもので、岡本喜八の作品の多くがそんな印象を受けるんだけれども、もちろんこれは僕の勝手な受け止め方だが、もしかしたら時代はかなり切迫した時間の感じ方になってるのかもしれないね。

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九ちゃんのでっかい夢

2017年10月22日 23時35分53秒 | 邦画1961~1970年

 △九ちゃんのでっかい夢(1967年 日本 89分)

 監督・脚本 山田洋次

 出演 坂本九、倍賞千恵子、竹脇無我、九重佑三子、犬塚弘、有島一郎、ジェリー藤尾、大泉晃、渡辺篤

 

 △てんぷくトリオも出てる

 幸せな時代だったんだな~っておもった。

 まあ、設定として、自分が不治の病だとおもいこんだ坂本九が世を儚んで自殺しようとするけれどできないものだから殺し屋佐山俊二を雇うってのはありだ。さらにそこへスイスの古城に住んでる大富豪がかつての日本人の恋人の孫つまり坂本九に遺産を相続させようとするのを阻止するために殺し屋E・H・エリックを雇うってのもありだ。どたばたの見本みたいな脚本で、このあたりはさすがだなっておもうけど、当時の坂本九は凄かったんだろうな、これ新曲披露のための映画みたいなんだもん。

 それにしても、倍賞千恵子の可愛いことといったらないわ。

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源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶

2016年05月29日 22時10分22秒 | 邦画1961~1970年

 △源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶(1962年 日本 109分)

 監督・脚色 伊藤大輔

 

 △最後の白塗り?

 一心太助が白塗りかどうかは微妙なところだけど、少なくとも美剣士ではないわけで、そういうことからいうと、もしかしたら錦之助にとっては最後の白塗りだったんじゃないかって気がする。でも、その作品を演出するのはやっぱり伊藤大輔なんだよな~。こういう偶然なのか必然なのかよくわからないけど、ともかく結果として節目節目にふたりが一緒になってるのを観ると、いや、ほんと、錦之助と伊藤大輔の絆はほんと深いな~って感じるわ。

 1960~70年代はもう日本映画が一気に坂を転げ落ちていく時代で、見るも無残なことになっていくんだけど、でも、おもうに白塗りは消えていったわけじゃないんだよね。立ち回りで見えを切るのはテレビの時代劇で嫌ってくらいに残ったし、かえってリアリズムは映画だけのものになったまま現代に至っちゃったって感じもする。ということはどういうことかっていうと、所詮、時代劇を愉しむときはそういう芝居芝居してる方がいいってことなのかもしれないね。

 ぼくは時代小説ってやつをまったく読まないし、いつのまにやらテレビの時代劇も見ないようになっちゃったんだけど、どうも生理的に白塗りが肌に合わないらしい。こればかりは趣味の問題からどうしようもないんだけど、う~ん、源氏九郎は当時どれだけヒットしたんだろ?ぼくみたいなひねくれ者は少なかっただろうから、みんな、純粋に錦之助の白塗りを愉しんだんだろうか?

 ちなみに、錦之助が二役を演じてる初音の鼓っていうやくざ者のことなんだけど、これ、古典落語なんだよね。そもそも伝えられるところえでは、この鼓、源九郎狐の親狐の皮が張られてて、源義経が静御前に与えたっていういわくつきな代物だ。で、それが偽物かどうかっていうのが落語なんだけど、それはともかく、つまりは源氏九郎や源義経に繋がってて、しかも偽物うんぬんっていう二役めいた話になってるところから、この初音の鼓っていう役回りができてきたんだろうね、たぶん。

 ただまあ、原作を読んだことのないぼくは、それが柴田錬三郎のオリジナルかどうかは知らんけどさ。

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飢餓海峡

2016年05月22日 01時36分35秒 | 邦画1961~1970年

 ☆飢餓海峡(1965年 日本 183分)

 監督 内田吐夢

 

 ☆洞爺丸海難事故と岩内大火

 モデルになったのは小題のふたつの事件なんだけど、これはどちらも昭和29年9月26日の洞爺丸台風(台風15号)の日に起こった。その偶然をもとに水上勉が書き上げたのが原作で、これを東映大泉撮影所が内田吐夢を招いて制作したものだ。企画から初日にいたるまでに東撮の所長が3人も入れ替わったりしたりして、ほんとにもう東撮どころか東映そのものが台風に見舞われたような凄まじさになった作品なんだけど、そのあたりの経緯についてはよく知られている話だし、この日本映画史上に燦然と輝いてる映画の内容ともども、いまさらなにか書いても仕方がない。ことに部外者のぼくが知ったかぶりして書いたところでまったく真実とは程遠いものになっちゃうしね。

 だからまあなんとなく最初に観たときの印象をおもいだそうかなって。たぶん、大学一年生だったとおもうから、もう気の遠くなるほど昔の話だ。銀座の並木通に並木座っていう名画座があって、当時、この作品はそこでときどき上映されていた。ただまあなにぶん3時間を3分超える長尺物だし、モノクロだし、相当に古い作品だしで、観るときはいつもかなり気合を入れてから観たものだ。ところがあるとき、この映画は実は短縮版があって、封切りのときはほとんどの劇場ではその167分の短縮版が公開されたって話を聞いた。183分の作品は実は数館の直営館でしか公開されなかったと。なんだそれっておもってたんだけど、ほんとのところをいうと、この作品は192分1秒あったんだよね。もう観ることは不可能なんだろか?

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十一人の侍

2014年11月13日 00時24分40秒 | 邦画1961~1970年

 ◎十一人の侍(1967年 日本 100分)

 英題 Eleven Samurai

 staff 企画/岡田茂、天尾完次 監督/工藤栄一 脚本/田坂啓、国弘威雄、鈴木則文 撮影/吉田貞次 美術/塚本隆治 音楽/伊福部昭

 cast 夏八木勲 宮園純子 里見浩太朗 大川栄子 西村晃 近藤正臣 大友柳太朗

 

 ◎集団時代劇の骨頂

 つくづくおもうんだけど、工藤栄一には最後の作品として時代劇を撮らせてあげたかった。

 工藤さんには少なくとも5本の時代劇の傑作がある。『十三人の刺客』はいうにおよばず『大殺陣』『八荒流騎隊』『忍者秘帖 梟の城』そしてこの『十一人の侍』だ。年を食ってから現代劇ばかりになり、人殺しの話を撮ってきて、途中で服部半蔵を演出してヒットは飛ばしたものの、堂々とした大作時代劇は撮れず仕舞いだった。

 おそらく、寂しかったろう。

 だって、それだけの腕前はあったんだから。

 工藤さんは役者からもスタッフからも信頼される人だった。なんとなく薄汚くて、それでいてかっこよくて、どことなくフクロウに似てた。まったく気取りのないように見えるんだけど、実はとっても気障な性格だった。楽しいことが好きで、お酒とタバコもまた好きで、濡らしの演出も、逆光のアングルも、時代劇で鍛えられたものだ。だから撮らせてあげたかった。

 この作品の凄さは雨にある。街道を封鎖して小さな宿場に追い込むのは工藤さんの得意な展開で、なにもこの作品だけのものじゃないし、もしもこの作品にいかにも工藤さんらしい点があるとすれば、それは雨の宿場とその郊外での戦闘だろう。研ぎ澄まされたモノクロームの世界で、人間が吠え狂いながら戦う図は実に見事だ。

 この時代、東映の時代劇はきわめて特色があった。集団戦という独自の戦闘を創り上げたわけだけど、それはなんだか侠客の抗争にも似ているし、戦争における歩兵戦にも似ている。むろん、戦国時代の合戦絵巻はそれこそ集団戦の最たるものだけど、どちらかといえば清水の次郎長に近い。それは、企画を担当してた岡田茂と天尾完次の指向によるものかもしれないんだけど、たしかなことはわからない。

 ただ、そうしたプロデューサーたちと志が合っちゃったんだね、工藤さんは。

 だから、この傑作が生まれたんだろな~と、ぼくはおもってるんだけどね。

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喜劇一発大必勝

2014年10月18日 03時40分44秒 | 邦画1961~1970年

 ◇喜劇一発大必勝(1969年 日本 92分)

 staff 原作/藤原審爾『三文大将』

     監督/山田洋次 脚本/森崎東、山田洋次

     撮影/高羽哲夫 美術/梅田千代夫 音楽/佐藤勝

 cast ハナ肇 倍賞千恵子 谷啓 佐藤蛾次郎 犬塚弘 武智豊子 左卜全 田武謙三 佐山俊二

 

 ◇半世紀前の記憶

 ぼくには忘れられない記憶がある。

 もう半世紀近くも前の記憶なんだけど、

 そのときの映像も台詞もしっかり脳裏に刻み込まれてる。

 その日、ぼくは実家の近くにある消防署の前に立っていた。

 ただ、現在、消防署は商工会議所に変わってるんだけど、それについてはいい。

 そこは故郷ではいちばんの繁華街で、そのあたりでは最初に街灯がつけられ、

 夜になっても明るいとかいって、たくさんの人が暗くなっても歩いてた。

 いまでもそのときにつけられた2軒毎に1柱の街灯が夜でもまたたき、

 過疎のせいで誰ひとり歩かなくなってしまった通りを照らしてる。

 で、その記憶によれば、ぼくの前に乗合バスが停まってて、

 扉が開くと同時に、女の車掌さんが、こういうんだ。

「墓場行きですよ」

 車掌さんは、それを何度も繰り返した。

「墓場行きです、墓場行きです、墓場行きです…」

 その後、

 バスは、ぼくよりも小さな男の子と女の子、それと初老の男の人を乗せて発車した。

 けど、眼の前の四つ角を右に曲がって、

 魚福という魚屋さんと三七福という餃子屋さんの前で停まって向きを変え、

 またぼくのいたところまで戻ってきて、同じことを繰り返した。

 ぼくはそれをずっと見てた。

「墓場行きです」

 と何度も繰り返した女の車掌さんは倍賞千恵子で、

 ぼくのすぐうしろには消防署の窓があって、

 窓辺には、キャメラを横にした山田洋次監督がいた、はずだ。

 そう、その日、ぼくは撮影現場の真ん中にいた。

 なんでそんなところに自分がいたのかわからないんだけど、いた。

 この記憶は1968年の晩秋あたりの記憶で、以来、半世紀近くぼくの頭の中に残ってる。

 記憶はもうひとつある。

 消防署の前には、

 米兵本店という食料品店、同盟書林運動具店、菊乃屋という中華そば屋さんが並んでたんだけど、

 クレージーキャッツの人達が昼食をその菊乃屋さんで取り、

 食べ終わったあと外に出て「いらっしゃい、いらっしゃい」と客の呼び込みをしていたことだ。

 たぶん、ロケ現場でのサービスだったんだろうけど、ハナ肇、谷啓、犬塚弘の3人がいた。

 けど、たしかな記憶はあっても、その後、この撮影について、町の人は誰も話さなかった。

 だから、ぼくの中では「あれは夢だったんだろうか」ともおもうようになった。

 ところが、あるとき、倍賞千恵子がバスの車掌をやった映画があるということを知った。

 それがこの作品で、このたび、ようやく観た。

 ただ、どういうわけか、場面場面、断片的に記憶がある。

 もしかしたら封切りのときに観たのかもしれないんだけど、それはともかく、

 映画のタイトルが映された次の瞬間、ぼくはおもわず「おおっ」と声をあげた。

 冒頭ワンカットめから始まるタイトルバックは、ぼくの故郷の駅前だった。

 乗合バスのターミナルの奥から車体なめのカットなんだけど、

 奥に見えるのは、当時、町でいちばん大きかったスーパー西川屋で、

 倍賞さんが車掌さんになって乗り込み、バスは発車する。

「お乗りの方はありませんか、墓場行きですよ」

 これが、出だしだ。

 ちなみに、

 市営公園墓地行き乗合バスあさしお号の後部看板には、

『センスとコストで奉仕するモリ洋装店…』とあり、

 さらに当時の住所と電話番号までしっかり写ってた。

 駅前から坂を下りていくバスは、

 豊坂屋、アサヒヤ、カネマタ、ギフヤといった懐かしい宣伝看板を横目にして通り過ぎ、

 新道を南へ曲がり、小学校の西門へ入っていく角口の歩道橋をくぐり抜け、

 ぐるりと町を回ってずいぶん北にある消防署前で停まり、

「墓場行きです」

 という例の台詞の場面になった。

 バスのボディには寺田産業、呼帆荘の宣伝看板。

 寺田産業はぼくの同級生の実家で、呼帆荘はぼくの母親の同級生の営んでる旅館だ。

 倍賞さんが「墓場行きです」といって現れたバスの向こうには、

 米兵本店と同盟書林運動具店があって、同盟書林の店頭にはバットを入れた籠が置かれ、

 ガラス戸に手書きで『はかり』『贈り物にヘルスメーター』とある。

 その戸の横に店内から眼鏡をかけたお爺さんが覗いてる。

 当時のご主人だ。

 うわ、なんだこの映画、とぼくはおもった。

 それからあとは、ぼくの生まれた町と隣町でのロケが延々と続いた。

 隣町は陶器の生産で知られた町で、窯元がたくさん並んでて、今でも風景は変わらない。

 映画の中では「煤煙都市」っていう設定になってるんだけど、

 もう現在、登り窯の煙突から煙がもくもくと立ち上ることはほとんどなくなってる。

 でもその時代の煙突はまだいくつか残ってて、

 山の上市営墓地から港の方を眺めると、その煙突越しに海が見える。

 その陶器の里とおぼしき長屋の店舗兼住宅に倍賞千恵子は棲んでるんだけど、

 家の台所の片隅には、

 ぼくの実家近くの酢屋で醸造される酢の一升瓶が6本入る木箱が置かれてたりしてる。

 ほんと、なにからなにまで故郷のオンパレードで、

 倍賞さんのガイドで観光旅行に出るんだけど、

 それすらも、県庁近くにあるテレビ塔前とライン下りだ。

 陶器の里に帰ってからはひたすらそのあたりのロケが続く。

 いやあ、堪能した。

 ただ、物語に堪能したのかといえば、実は微妙だ。

 というのも、この作品、ひと言でいってしまえば、喜劇とは程遠い。

 えげつない。

 陶器の里によくにた貧乏長屋は、三つの厠とひとつの風呂を共同で使っている。

 そこにたった一軒だけあるのが、倍賞さんの実家となる食堂兼雑貨屋で、

 この長屋にウマさんこといかりや長介が棲んでいたんだけど、

 こいつが手におえない乱暴者で、ついに長屋の住人4人が殺してしまい、

 その中に倍賞さんのおやじ田武謙三もいたりするんだけど、

 こいつらがウマさんの死体をカラーテレビの段ボールにつめてバスに乗り込み、

『東京のバスガール』なんぞを歌い、勝手に火葬しちゃうところから話が始まる。

 この住人どもはけしからんどころか相当におぞましい連中で、

 ウマさんはフグにあたって死んだとかいって香典を集めるんだけど、

 そもそも貧乏人には手の届かないフグなんぞ食えるはずもなく、香典もみんな呑んじゃう。

 こんな連中だから、きちんとした火葬を出してやろうなんて殊勝なことは考えない。

 あたりには陶器を焼く窯がたくさんあるわけで、かれらがなにをしたのかは充分に想像がつく。

 でもって、そこへボルネオ帰りのハナ肇こと寅吉が登場し、

 ウマの仇をとってやるとばかり、オコツをとりだし、スリコギもってきやがれと叫び、

 スリバチでごりごりと遺骨を粉微塵にし、水だ、醤油だ、と始まり、

 もう、信じられないほどえげつない仇討が展開されるんだけど、

 ともかく、その後、紆余曲折あって、倍賞さんはいつのまに車掌を辞めたのか、

 実家の食堂でかき氷とか出すようになったりしてるんだけど、

 その倍賞さんに惚れちゃうのが、ボルネオ帰りのハナ肇と保健所々員の谷啓だ。

 ハナ肇の場合は、こういうどうしようもない爪弾き者にはありがちなひと目惚れで、

 乱闘の際、賠償さんが、

 長屋の道端に落ちてる使い古して棄てられた便器をむんずとつかみ、

 それでもって後頭部に強烈な一撃をこうむったことで、

 もう、どうしようもないくらいに恋の虜になっちゃう。

 この恋話の凄いところは、

 そのハナ肇が、倍賞さんの服役中の旦那への手切れ金を稼ぐために、

 港湾の再開発の飯場にもぐりこみ、自殺して労災の金をあてこもうとする無鉄砲さで、

 さらに凄いのは、これに巻き込まれた谷啓がいともあっさり死んじゃうことだ。

 くわえて、葬式のときに棺桶の中から引っ張り出して踊りを躍らせるんだから、ものすごい。

 このときのハナ肇の怪演ぶりは、たぶん、誰も真似できないだろう

 けど、この無茶苦茶さがよかったのか谷啓は蘇生し、ついに倍賞さんに求婚するんだけど、

 それもまた肥溜めに落ちて失敗するという臭いオチまでついてくる始末だ。

 とどのつまり、ハナ肇と谷啓は失踪し、倍賞さんは貧乏長屋の店を継ぐという、

 あまり幸せな未来が待ってるとはおもえない結末にはなるんだけども、

 疾走したふたりが旅の空でまた出くわして喧嘩するというエピローグまでついてる。

 ただ、

 この傍若無人な作品に主題があるとしたら、いったいなんだったんだろうと考えれば、

 浮かんでくるものがないわけでもない。

 ウマさんの骨粉汁を飲ませられた親父たちが倍賞さんに不満をもらしたとき、

 倍賞さんはひとことこう呟いてみせる。

「足りないのは、あんたたちの勇気なんじゃないの」

 そう、この映画の主題は、勇気なんだよね。

 倍賞さんは、ボルネオ帰りの御大ことハナ肇に対して、肩をはだけながら啖呵を切る。

「あたしを裸にしたいんだったらしてごらんなさいよ。

 でもね、体はあんたの自由になるかもしれないけど、心は自由にできないんだから」

 倍賞さんは、片意地はった開き直りながらも、生きる勇気を見せつける。

 谷啓は、気の弱さを全面に漂わせながらも無茶で小さな勇気を見せる。

 ハナ肇は、単なる蛮勇だけど、自分の体を張っても倍賞さんを助けてやろうという健気さを見せる。

 でも、ほかのがらくた連中は、こそこその貧乏長屋の端っこで膝を抱えるだけで勇気を見せない。

 これって、結局、日本の縮図なんだよね。

 山田洋次のいいたかったことは、たぶん、そのあたりにあるんだろう。

 ついでながら、倍賞さんの継いだ食堂は「タイガー軒」っていうんだけど、

 このあたりになると、見え隠れしてくる映画がひとつある。

 そう、フーテンの寅だ。

 ボルネオ帰りのハナ肇は厄病神みたいな野郎で、

 こいつが長屋へ戻ってこなければみんな幸せに生きていけるはずなのにっていう展開、

 さくら、じゃなくて、鶴代こと倍賞さんはそれでも健気に実家の店を守り続け、

 惚れた相手に振られたことで行方をくらますハナ肇や谷啓を、

 貧乏長屋の連中が、

「いまごろ、どこにいるのかね~、どうしてるんだろうね~」

 とかいって心配したりしてるなんてのは、

 これはもはや『男はつらいよ』の原型といってもいいんじゃないだろか?

 ハナ肇が期待されもしないのにひょっこり現れるところもそうだし、

 エピローグなんかも、まさしく『男はつらいよ』のお約束ごとだ。

 ただ、この凄まじくも空恐ろしい爆裂映画は、

 山田洋次よりも森崎東の諧謔が色濃く滲んでるような気がしないでもないけど、

 まあ、寅だのなんだのだという推論はおいといて、

 半世紀近く前のぼくの記憶は、正しかった。

 それどころか、

 キャメラは消防署(映画では保健所ね)の中から、バスの中に移動して、

 倍賞さん舐めの発車のカットになるんだけど、

 そのとき、窓の向こうに見えてる消防署の壁際に、

 ぼくがいた。

 当時、ぼくは10歳になるまで、半ズボンをはいていた。

 映画の中のぼくも、

 灰色のボタンシャツの上に、

 ボタン部分だけ青くなってる白地のカーディガンを羽織り、

 紺色の半ズボンをはいている。

 ロケの記憶から半世紀、ぼくは当時のぼくに再会したのだ。

 感動した。

 0・5秒の再会だったけど、こんなことってあるんだね。

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ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃

2014年08月31日 16時09分35秒 | 邦画1961~1970年

 △ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年 日本 70分)

 英題 All Monsters Attack

 staff 監督/本多猪四郎 脚本/関沢新一 撮影/富岡素敬

    美術/北猛夫 特技監修/円谷英二 音楽/宮内國郎

    主題歌/佐々木梨里、東京ちびっこ合唱団

        『怪獣マーチ』作詞:関沢新一、作曲:叶弦大、編曲:小杉仁三

        雷門ケン坊『怪獣ゲーム』作詞:坂口宗一郎、作曲・編曲:渡辺岳夫

 cast 佐原健二 中真千子 矢崎知紀 天本英世 田島義文 堺左千夫 鈴木和夫 沢村いき雄

 

 △特撮とボク、その42

 あ、42本目がこの作品になろうとは、語呂までぴったりで悲しくなる。

 当時、子供の楽しみなんてものは映画か動物園か遊園地くらいしかなくて、

 ことにぼくの住んでた田舎は娯楽なんてものはほかになかった。

 だから、

 どれだけ映画界が斜陽になっても、ぼくらは怪獣映画が封切られるたび、

 今度こそおもしろいにちがいないと、祈るような気持ちで映画館へ向かったものだ。

 でも、その数年間、東宝にも大映にもその祈りは打ち砕かれた。

 邦画界の斜陽の波は凄まじいものがあって、

 日活も大映も青息吐息で、東宝と松竹はなんとか継続していたものの、

 怪獣映画については、どれもこれもきわめて残念な代物になってた。

 この作品も例外じゃなく、なにより残念だったのが新怪獣ガバラだった。

 名前もそうだけど、顔がそこらのぶさいくなオヤジみたいでどうにもやるせなかった。

 当時、映画はどんどんだめになって、怪獣映画もそれに含まれるんだけど、

 もうひとつ、衰退の一途をたどっていたものがある。

 月刊の漫画雑誌だ。

 次々に廃刊になって、

 週刊漫画雑誌として創刊されるものもあれば、他の週刊誌に吸収されるものもあった。

 この作品が前売り券を売り始めたとき、景品につけられた下敷きがあったんだけど、

 それが『ぼくらマガジン』の下敷きで、

 これは『ぼくら』が廃刊になって週刊漫画雑誌になった頃の宣材だったんだろう。

 まあ、それはともかく、

 この頃、ゴジラもガメラも極端に世界は小さくなった。

 物語はわずか半日や数日で片の付くようなホームドラマみたいなものになって、

 もともとゴジラとは切っても離れないはずだった原子爆弾への怒りみたいな、

 そういった肩を張ったものは鳴りをひそめるようになってた。

 この作品も、現実逃避していた苛められっ子の少年が発奮するという、

 ただそれだけの30分ドラマのような日常のほんのひとコマに怪獣が絡んでいるだけの、

 観ているだけでつらくなるような内容だった。

 とはいえ、ぼくはそれでもちゃんと観てたわけだから、

 なんとなく当時のぼくを褒めてやりたいようなそんな気までする。

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怪獣総進撃

2014年08月30日 23時20分20秒 | 邦画1961~1970年

 ◇怪獣総進撃(1968年 日本 89分)

 英題 Operation Monsterland/Destroy All Monsters

 staff 監督/本多猪四郎 特技監修/円谷英二 特技監督/有川貞昌

     脚本/馬淵薫(木村武)、本多猪四郎

     撮影/完倉泰一 美術/北猛夫 音楽/伊福部昭

 cast 久保明 小林夕岐子 愛京子 田崎潤 土屋嘉男 佐原健二 黒部進 田島義文 森今日子

 

 ◇特撮とボク、その41

 物語の設定として、これほど当時の子供たちを喜ばせたものはないかもしれない。

 1994年、つまり、ゴジラが日本に初上陸してからちょうど40年後、

 国連科学委員会(U.N.S.C.)は硫黄島に宇宙港を建設し、

 ゴジラをはじめとする怪獣たちは、

 小笠原諸島周辺の海洋牧場の怪獣島、通称怪獣ランドで管理研究されている。

 まあ、管理研究といえば聞こえはいいが、要するに飼育されてるんだね。

 けど、これをスピルバーグが参考にして、

『ジュラシック・パーク』を製作したのかどうかはよくわからないけど、

 ともかく、当時としては画期的な企画で、

 往年の怪獣は、牙をぬかれ、爪をもがれた、優しくて子供好きなまま放牧されてるわけだ。

 で、この作品もやっぱり『ゴジラの息子』同様、漫画を持ってた。

 月刊誌『まんが王』の付録で、画は虫プロ出身の井上智と成田マキホの共作だ。

 昭和43年7月号の別冊付録だから、映画を観に行く前にちゃんと読んでた。

 この漫画は、おもしろかった。

 ぼくは手塚治虫が大好きだったから、とってもよく似た描線だともうそれだけで好きになる。

 で、何度も読み返して、ついに劇場へ行った。

 ま、そのときの感想は、正直な話、漫画の方がおもしろいな~というものだった。

 この作品は円谷英二の監修した最後の怪獣映画なんじゃないかっておもうんだけど、

 どうなんだろ?

 これ以後、円谷英二の名前があってもそれはたぶん名義貸しなんじゃないかな。

 そういうことからいえば、

 世界中を怪獣が破壊して回るのは最後の監修ということかすれば楽しめたかもしれないね。

 それくらいの感想になっちゃうのが、なんとなく悲しいね。

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怪獣島の決戦 ゴジラの息子

2014年08月29日 22時51分28秒 | 邦画1961~1970年

 △怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年 日本 86分)

 英題 Son of Godzilla

 staff 監督/福田純 特技監修/円谷英二

     特技監督/有川貞昌 脚本/関沢新一、斯波一絵

     撮影/山田一夫 美術/北猛夫 音楽/佐藤勝

 cast 高島忠夫 久保明 前田美波里 平田昭彦 土屋嘉男 佐原健二 黒部進 深沢政雄

 

 △特撮とボク、その40

 小学生の頃、月刊の漫画雑誌があった。

 少年、少年画報、ぼくら、少年ブック…。

 ぼくは『少年』は毎月とっていたし、ほかの月刊誌もかなりの頻度で買ってた。

 そんな昭和43年12月、東宝チャンピオンまつりが始まる直前、

『少年』の1月号別冊付録に、この作品が漫画化されて冊子になってた。

 脚本をほとんどそのまま漫画にしたもので、画は中沢啓治だった。

 映画の予習のようにして、ぼくは一所懸命に読んだ、とおもう。

 特にゴジラがクモンガの脚をもって、

 ぐおっと振り回す絵は真似して描いたような気もする。

 まあ、そんなこともあったりして、かなり映画を楽しみにしてたんだけど、

 うん、つまりは、小学生でも落胆するほどの出来栄えだったんだよね。

「ちがうな~、これは」

 なにがどう、どこがどうちがうのかはわからなかった。

 たしかに、

 カマキリやクモがただ大きくなっただけのカマキラスやクモンガはよく動いてた。

 人力による操演は今となっては芸術的なものにもおもえるけど、

 でも、あきらかに昔のゴジラじゃなかった。

『南海の大決闘』のそれにちかかった。

 この頃になってぼくが『1967年の悲劇』としきりにいってるのは、

 こういう体験もあったからなんだよな~。

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