豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

往生院(豊田市高橋町)

2007-06-23 08:39:18 | 散歩
寺部の往生院
 往生院(豊田市高橋町寺部)

往生院です。


岩を穿った中に地蔵尊がありました。




往生院と胎内地蔵(
前身は地蔵堂。正徳元年(1711)に便空宣元方随を開基とし新屋町(現・豊田市高橋町)に住む水野一統が創建した。弘化3年(1846)当院五世性瑞の時、庫裏を再建したが、明治6年(1873)額田県令により廃寺となる。それまで地蔵堂と称した。
明治13年8世中西秀導を迎えて、水野弥四郎はじめ村の有志の者が発起人となり、新屋町全体で世話する寺として再建した。以来随応院末寺として存続が認められ、寺部往生院と称するに至った。当院には、木製の秘仏胎内地蔵があり、聖徳太子の作と伝えられている。昔、いまの境内の樫の大木の下に地蔵尊が祀られていた。子供達がおもちゃにして、水間川などへ持ち出し、忘れてくることもしばしばあったが、不思議にも一夜のうちに境内の元の座に帰っておられた。この霊験に対し村人協議し、供養のため尊像の修理を思い立ったが、仏師から破損著しく修理不能と判断され、胎内仏として供養する方法を教えられたという。この地蔵尊には洗米御供のならわしがあり、そのお下がりをいただけば母乳を授かると言い伝えられてきた。(立て看板より)


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