白山神社(京町)
白山神社への参道階段と鳥居
枝下用水沿いの歩道から小さな橋を渡り愛環鉄道下を潜り抜けると神社に至る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/8d/7e31b3b3c5074c9c367eebe92a96ec09.jpg//)
白山神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d8/5c8c594491456c096aa8a33db1e172fa.jpg//)
社記
1)鎮座地 豊田市京町七丁目拾弐番地
社名
祭神 伊弉那美命(いざなぎのみこと)
菊理比賣命(ぐくりいひめのみこと)大気津比賣命(おおけついひめのみこと)
火産霊命(ほむすいのみこと)
由緒・沿革 白山比神社は加賀国白山と称し、白山神社の総本山であり石川県鶴木町三の宮町に鎮座されている。当白山神社の祭祀勧請の時については詳らかでない。口碑によれば昔梅坪村は村の四方に社を祭祀しこれを守り神として村人の安全と五穀豊穣を祈り生活してきた。これを梅坪四社と称す。当白山神社はその内の一社であり、数百年前の鎮座と伝えられている。四社とは東に弁才天、南に若宮社、西に神明社、北に白山神社。(境内表示板より)
白山神社と秋葉神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/8e/dde251665d10651f22740bc34274c35d.jpg//)
合祀秋葉神社
古文書によれば徳川幕府の中期宝暦13年(1763年)、いわゆる宝暦の大火があり、記録によれば同年6月24日九ッ時土井地内より出火、下町、風呂尾町、永明町、残らず焼失すとあり村の大半を焼失した。このこともあって天明2年(1762年)当所梅坪村庄屋太田定勝本領主となり遠州秋葉宮を勘請し本社に合祀したとある。それ以来村人は通称秋葉山を崇敬し鎮火の神として信仰が深い。祭礼は毎年旧暦11月16日で境内でドンドコという火祭りが行われていたが、第二次大戦後は中断されている。
昭和26年挙母市制施行 同36年豊田市と市名変更し梅坪北区を新しい町名設定により、東梅坪町京町と改め両町の崇敬者を以って氏子となし神社の維持経営にあたっている。
(境内表示板より)
白山神社への参道階段と鳥居
枝下用水沿いの歩道から小さな橋を渡り愛環鉄道下を潜り抜けると神社に至る。
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白山神社
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社記
1)鎮座地 豊田市京町七丁目拾弐番地
社名
祭神 伊弉那美命(いざなぎのみこと)
菊理比賣命(ぐくりいひめのみこと)大気津比賣命(おおけついひめのみこと)
火産霊命(ほむすいのみこと)
由緒・沿革 白山比神社は加賀国白山と称し、白山神社の総本山であり石川県鶴木町三の宮町に鎮座されている。当白山神社の祭祀勧請の時については詳らかでない。口碑によれば昔梅坪村は村の四方に社を祭祀しこれを守り神として村人の安全と五穀豊穣を祈り生活してきた。これを梅坪四社と称す。当白山神社はその内の一社であり、数百年前の鎮座と伝えられている。四社とは東に弁才天、南に若宮社、西に神明社、北に白山神社。(境内表示板より)
白山神社と秋葉神社
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合祀秋葉神社
古文書によれば徳川幕府の中期宝暦13年(1763年)、いわゆる宝暦の大火があり、記録によれば同年6月24日九ッ時土井地内より出火、下町、風呂尾町、永明町、残らず焼失すとあり村の大半を焼失した。このこともあって天明2年(1762年)当所梅坪村庄屋太田定勝本領主となり遠州秋葉宮を勘請し本社に合祀したとある。それ以来村人は通称秋葉山を崇敬し鎮火の神として信仰が深い。祭礼は毎年旧暦11月16日で境内でドンドコという火祭りが行われていたが、第二次大戦後は中断されている。
昭和26年挙母市制施行 同36年豊田市と市名変更し梅坪北区を新しい町名設定により、東梅坪町京町と改め両町の崇敬者を以って氏子となし神社の維持経営にあたっている。
(境内表示板より)
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