豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

恩真寺(豊田市)

2009-10-30 05:13:57 | 散歩
恩真寺
所在地 愛知県豊田市山中町曝田100 電話 0565-42-1371  

恩真寺への案内板



上の写真地点から下の地点に至るまでは、鬱蒼とした樹林の中の細道で、それも上り勾配の坂道
ばかりで薄暗く、自転車は引いて歩くしかなかった。

案内地図です。


恩真寺への途中に鈴木正三座禅石がありました。




恩真寺です。




市指定文化財の説明板がありました。


次のように書かれています。
市指定有形文化財
 梵鐘  一口
 木造鈴木正三和尚坐像  一躯      恩真寺
 
 恩真寺は則定の旗本、鈴木九太夫重三、のちの名、鈴木正三に
よって建立された寺院です。
 正三は近世仏教史上、文学史上に偉大な足跡を残した人物で、
恩真寺には数多くの遺品が残されています。
 梵鐘は寛永二十一年 、正三和尚の願いにより鋳造されたものです。
 坐像は正保二年二月に刻まれたもので、正三和尚の生前の姿をあらわした
 像です。胎内には和尚百回忌にあたって分納したと思われる真骨が
 納められています。
                   豊田市教育委員会    

鈴木正三の墓地です。


墓地の説明板です。


説明板には次のように書かれています。

鈴木正三墓地
 鈴木正三は天正七年(1579)足助庄則定
の徳川氏に仕えた旗本・鈴木重次の下に生ま
れ四十二歳で武士の身分を捨てて出家して
七十歳で江戸に出るまで恩真寺を活動の拠点とし
ました。庶民に独特の実践的な仏教を説き「盲
安杖」、万民徳用」、「麓草分」「因果物語」など
多数の著書を残しました、
 明暦元年(1655)六月二五日、七七歳で江
戸駿河台鈴木町の弟・重之の邸において亡くなり
ました。江戸天徳院で荼毘にふされ?重俊
庵、了心庵(江戸)と恩真寺に分骨されて埋葬さ
れました。
 正三の木造は恩真寺をはじめ長泉寺(八王子
市)、心月院(足助町)、能仁寺(大分市)、報慈寺
(彦根市)に伝えられています。
          豊田市教育委員会

豊田市の名木がありました。