狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

人を恐れる、つまり人からの評価を求めると偽善となる:「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」を読む

2015-08-15 17:54:31 | 世間・空気
 人からの評価を求めたり認められようとすると、偽善行為となる。つまり、人を恐れる事で罠にかかる。
 人の為と書いて「偽り」となる。表面的には人の為等と綺麗事を言いながら、自分の生活費や遊行費を稼ぐ為、家族・恋人を養う為にビジネスを行なう。
 生まれたばかりの赤ん坊は純粋であるが、年を経る毎に物心が付いていき、知識が増え、悪知恵が働く様になる。
 人間は皆、「原罪」を持って此の世に生まれて来る。人間の本質は悪である。元々から、「原罪」と言う悪の性質を誰もが持っている。つまり、中国・戦国時代の思想家・荀子の唱えた「性悪説」の通りである。最初の人であるアダムが、悪魔の蛇の誘惑と言う雑音に乗せられ騙されたその妻エバの、その言う通りに行なう事により創造主に背いた事から始まった。
 今から3,500年程前の頃、へブル人(後のユダヤ人)達は創造主から離れ、その自分の悪の性質に心が支配されていた。そこで創造主はその選びの民に対して、指導者・モーセを通して「律法」と言う基準・規範を与え、律法を基にした行動、善悪の判断を行なえる様にした。主は、神から離れ悪に傾いていく選民達に歯止めを与えた。
 今から2,000年程前のイエス・キリスト在世時、ユダヤの最高法院サンヘドリン等のユダヤの国の支配者、権力者、祭祀者、律法学者達は律法を重んじ、律法を表面的、形だけ行ない、或いは口先だけの形式主義に陥っていた。不正が蔓延して真理が失われ、愛や真心の籠っていない形式主義と言う偽善がはびこり、それが当時のユダヤの体制に繋がっていたが、その体制を破壊しようとしたイエス・キリストは、それら偽善者達とそれに煽られ扇動された世間一般の民衆達によって十字架刑に追いやられ殺された。
 律法を守り行うだけでは、罪からは解放されない。主への信仰によって解放され真の義となる。律法、つまり規則や法律は、元々から悪の性質を持っている人間に対して理性を与える為のものである。理性は頭に生じるものである。頭と心は異なる。頭の知識だけで行い心が籠っていない事が形式主義・偽善となる。エリート等の俗に頭が良いと形容される者達が偽善である事が多いのは、その為である。真心、聖霊の宿る心を基にする行為は、真に正しくなる
 全部がそうであるとは言わないが、支配者、権力者、エリート、役人、官僚等は偽善者である事が多い。高い学歴を持ち、出世、保身の為に、自分より上の者や力の有る者に対しては迎合して媚びへつらっている。物事の善悪には興味が無く、或いは気付いてもそれを無視して、自身の安泰と繁栄を願っているだけである。
 世間の多くの人達も、真実には興味が無く、只々周囲と同じ事をしていれば周囲から批判を受ける事も無く、嫌われたり笑われたりする事も無いと言う様に、当たり障りなく社会生活を送れる様にと、エリートと同様に保身の姿勢を持っている。例え正しい事に気付いても、自分独りでそれを行なう勇気が無い。周囲の人の反応を気にするあまりに表面的なイメージ、形式を重視するだけで、その実中身は空っぽで、結局は偽善に陥っている。
 世間の多くの人達は真実に興味が無いが故に、物事の本質が解っていない。あくまでも、みんながやっている事を正解や善としているだけである。物事を真に理解していない人達から評価してもらったところで何の値打ちも無い。認めてもらったところで何の意味も無いのである。その様な世間に基準を置く事は間違う事となる。本質・根から外れた上辺・表面・形式に基準を置くが故に偽善となる
 有難迷惑というものも在る。善かれと思って行う事も、実際には相手にとれば迷惑に感じている事が多々ある。それは、自分の欲望・希望を相手に押し付けているだけであるからある。相手は何もその様なものは全く望んではいないのである。つまり要らないお節介や介入である。この様な独善的自分の思い込み・欲望を押し付ける事も偽善である。その極端なものがストーカーである。本当に善を行なおうとするのであれば、相手の気持ちを尊重することである。相手が放っておいて欲しいと思っているならば、放置する事が真の善となる。その様な相手にいちいち介入すると、余計に関係は悪化するのである。現在までの国際情勢の上でも、西欧の民主化と言う名目での押しつけが、その民族の反発心を起こしているのである。病気にしても、根本原因を取り除く根治療法をせずに、対症療法と言う表面に現われた症状だけを治そうとしても、余計に症状は悪化し長引くのである。皮膚が痒いからと言って掻きむしったりステロイドを塗ると、余計に症状は悪化するのである。
 「助け合い」や「人はひとりで生きられない」等と言う言葉が、マスコミ等で多用され美化される。確かにある程度はそれらは必要である。しかし、それらの言葉によって、甘え、安易に人に頼ろうとする人達が多い。解らない事が有っても、直ぐに人から聞こうとする。自分でインターネットや本を読む等して勉強し調べようとしない。自分で考えない為に自分で判断出来ない。安易に多数派の判断に付和雷同している。精神的に独りで立つという「自立」が出来ていない。「自己責任」を負うと言う感覚が欠けている。社会保障・サービスに助けてもらえるからと胡坐(あぐら)をかいている。人から受ける事に依存して、自らの努力が無い。甘やかしは偽善である。
 マスコミや宗教団体の唱える「平和」や「愛」等の聞こえの良い言葉も偽善である事が多い。それら一見聞こえの良い言葉によって世間の多くの人達は思考停止に陥り、「平和ボケ」と言う感覚の麻痺が起こっている。感覚が麻痺する事で、空想に浸る事で、現実の危機感を感じる事が出来なくなっている。それら聞こえの良い言葉には「裏」が在る。マスコミの言う事を鵜呑みにする事は、洗脳され思い込まされているだけである。マスコミ、そのスポンサー、上層組織、裏で操る権力の意図に扇動されたり陥らされるだけである。マスコミには嘘・偽りが多い

 次の本を読んだ。
 「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)
 作家と評論家という、共に現在80代(初版出版当時80歳前後)の保守派の論客の対談。共に高齢でありながらも現役で、自立・自律し、世間一般の多くの人達が平和の内にボケているのとは対照的に、自分の信念・思想・哲学をしっかり持っておられる。
 戦前の古き良き日本人の気骨・気概ある精神や思想、姿勢等が、現在においては失われてしまっている事を憂えている。教育に於いては、戦前には修身という基準となるものが存在したが、現在の日教組教育にはその様な基準が存在しない。 
 以下、本書から引用する。

 「『戦後の日本人を大きくダメにした日教組的教育が人間というものの現実を正視し把握しなかったのと、…(中略)…マスコミが実は勇気がなく、無難な理想論に迎合して、そうでないものに対して思想弾圧までしたところにある』」(2013年元日付・産経新聞「『年頭にあたり 幼児性と画一性脱し強い国家に』」)
 「『自助』『共助』『公助』という順であるべきだと思いますが、『自助』を忘れて『公助』ばかりを求める風潮がどんどん強くなってきています。…(中略)…昔の日本人は困難に立ち向かうことが自分を鍛え、磨き、立派にしていくことにつながると考えていた。」
 「いまの日本人は綺麗事でないことは受け入れない。だから世界の本当の現実もわからないんです。庶民から政治家に至るまで、見えていてもイヤなこと、見たくないものは、ないことにしてしまっている。」
 「世の大勢を覆うのは綺麗事で、私は、綺麗事しか認めようとしない偽善が日本を亡ぼすと本気で考えています。」
 「戦後の日本人をダメにした日教組的教育の問題は、祖国や同胞を大切に思うこと、人はまず自らの足で立たなければならない、ということを教えなかったことにあります。」
 「戦後の日教組教育が濃厚に刷り込まれ…(中略)…祖国をいたずらに卑下する教育はよくないし、戦後この方、他国との共生を強調し、日本人としてのアイデンティティをことさら希薄化するような教育が行なわれてきたのは大きな問題です。国際化や地球市民という言葉で誤魔化して、他国の文化や価値観、主張に日本人が歩み寄り、合わせることがさも良いことだというふうにして、日本人としてのアイデンティティや教養、誇りを失わせるような教育をしたことを見直す時期に来ていると思います。」
 「地域によっては日本史をまったく履修しないまま卒業する生徒も多く、…(中略)…『国際化』が理由になっていますが…(中略)…自国の歴史を教えない国になっている
 「国語教育の充実よりも、英語を第二公用語にしようという近年の議論は誤り…(中略)…言葉が一つ確固としていなければ、思考の基軸がないのも同然で、…(中略)…バイリンガルをめざすよりも、まず日本語をしっかりと…(中略)…言葉はその国の歴史と文化と一体…(中略)…たんに英語が使えるというだけでは、英語圏の人間に使役されるだけの存在になる
 「教育者やマスコミ自らが考えることを怠り、その影響から、若い人たちが同じ型で抜いたクッキーのように同じ思考、精神の傾向をもち、似たような判断を是とするようになってしまった。」
 「報道の幼稚化…(中略)…犯罪や事件の劇場化…(中略)…テレビも新聞も現実感覚を喪失して、何か架空の世界のことを伝えるような安直さ…(中略)…しょせん他人事」
 「『艱難辛苦汝を玉にす』…(中略)…福祉というものは、それを手厚くすればするほど人間を怠惰にさせかねない」
 「自己責任…(中略)…甘えきった態度が“当然の権利”になったら、…(中略)…いったい誰が黙々と働いて納税の義務を果たす気に…(中略)…お金は、『ないほうが強い』と」
 「誰も責任をとろうとしない社会…(中略)…みんなと同じことを言い、同じ方向を見ていればいい。画一的な思考に埋没して流行に迎合していれば、自分だけが責任を負わされることはない。…(中略)…誰も悪や損な役回りを引き受ける勇気がなくて」
 「いまの日本人、日本国家は平坦な道ばかりを歩もうとして、かえって多くの大切なものを失っています。人生は波瀾万丈のほうがいい、とは言いませんが、…(中略)…高級官僚に代表される学校秀才…(中略)…前例と規則を遵守しているだけで、独創性も個性もない……(後略)」
 「民主党政権の対応…(中略)…ひたすら中国の機嫌を伺い、摩擦回避の“事なかれ主義”で」
 「中国側から『日中友好に反する』と言われれば、物事の理非にかかわらず、平身低頭するだけで何も言い返せない
 「責任から逃げたがる卑怯な人は、多くのマスコミや文化人の中に…(中略)…保身に汲々と…(中略)…GHQによる検閲、統制…(中略)…今度は日本人自身がいくつもの“閉ざされた言語空間”をつくってきた…(中略)…創価学会に対する批判ができない…(中略)…中華人民共和国に関する報道の著しい偏向…(中略)…中国の提示する『政治三原則』…(中略)…日中記者交換協定…(中略)…『朝日新聞』やNHKなどの中国べったり報道……(後略)」
 「自己責任…(中略)…危険を承知なら、最後までその使命を受諾して、殺されようと長く拘留されようと意志を貫く…(中略)…ボランティアとはそこまでの覚悟をもって取り組むものだ」
 「実に多くの人たちが、自分の信念に従って仕事をしてはいない。無難を目指して、自分が標的にならないようにと…(中略)…価値観の基準は自分のものじゃなくなるんです。別の人の物差しで計られるようになっているということを、…(中略)…一体自分というものはどこにあるのでしょう。」

 引用文献↓↓
 「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)
「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)


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