狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

俗事における「無用性」は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める

2013-04-13 00:52:55 | エッセイ・コラム
 「役に立たない」と言う「無用性」は、偶々其処での周囲の人間や設備等の環境や境遇、職種、作業の内容、自分の個性や持ち味・能力・技能等が合わなかったり、周囲の同僚の意向・欲望に沿わなかったりする事から生じるもので、人其々に持ち場・持ち分が在る為に、別の状況の中では「役に立つ」と言う「有用性」が得られます。
 世の中には、寝たきりの方や病気や怪我で床に臥せている方障がい者、お年寄り等で身体が弱っている方等、社会・世間から俗に余り「役に立たない」と思われる様な人達が存在しますが、それだからと言って、その方々の生存権を否定する事は勿論間違いです。
 出生前診断によって、親の都合、親の気に入る子供のみを生まれる様にし、神からの運命を素直に受け入れると言う事を否定し、どの様な子供でも受け入れると言う寛容を否定する事になってしまいます親の欲望にとって「役に立たない」子供は、捨てられる訳です。障がい者の生存権をも、否定する事に繋がります
 「生きる意味」とは、何も社会や世間に気に入られる様にする事では有りません。また、何も社会や世間にとって「役に立つ」様に振る舞う事では有りません神が各人に与えた運命・使命に従う事が、各人にとっての「生きる意味」となります神に従って、神の御心に添った行いをし、神を喜ばす事が「生きる意味」となります。人・世間を喜ばそうとするのでは無く、神を喜ばすのです。人の為と書いて「偽り」、神の為が本当に正しい事となります。
 寝たきりの人が何も出来ない訳では有りません神への信仰を持ち、神に祈る事が出来ます。又、自分の事では無く世間の為の祈りを通して、社会にも貢献する事が出来ます。そして、その謙遜の姿から、周囲の人の心の奥から優しさや思いやりと言うものを引き出す事も出来ます。そして、それらの方々を世話や心遣い等のケアをする人達に、仕事や満足感を与えますその様に、寝たきりの人達や病の床に臥せている人達等も「役に立っている」訳です。
 新約聖書・ヨハネの福音書9章2~3節弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」。
 又、自分の能力が周囲の人達より劣ると言う様な謙遜・謙虚な姿は、周囲の人達に優越感安心感を与えて幸福感を生じさせます。逆に自分が周りよりも勝っていると言う態度を示すと、周囲の人達は恐怖感を抱きストレスを感じてしまいます。
 例え世間の中で俗に言われる意味での「役に立つ」と言う様な状態に在ってもほんの「一時的」な間だけで、何れは年をとって俗に言われる意味での「役に立たない」状態になります。此の世に在っては虚しい物事が殆どで、その虚しい物事の上で「有用性」を感じたとしても、その「有用性」の思い自体が虚しい訳です。人間の身体も含めて、此の世のものは全て「一時的」な存在であって、何れは消えて無くなってしまう「虚しいもの」なのです。
 「temporal」「現世の, この世の、 世俗の、俗人の」と言う意味で、「temporality」「一時的なこと, 一時性, はかなさ、一時的なもの(権力・権威など)、(特に教会・聖職者などの)世俗的所有物(財産・収入など)」を意味します。又、「temporal affairs」は俗事と言う事です。
 「permanence」は、「永続(性), 耐久(性), 永存, 恒久不変.」を意味します。
 信仰によって生き、「一時的」では無く「永遠」に残る、「永遠のいのち」を得る事が出来ます本当の人生の目的は、次です。神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(新約聖書・マタイの福音書6章33節
 旧約聖書・伝道者の書1章2~3節「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
 同書12章13~14節「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
 新約聖書・マタイの福音書6章25節だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
 同書6章26節「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 同書6章27節「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」
 同書6章28~30節なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」
 同書6章31~34節そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさいそうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」。
 
  以下に、関連動画を添付します↓↓
 

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YouTube: わたしをお使い下さい.wmv


 

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YouTube: 主よ御手もて引かせ給え/森山良子


 

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YouTube: 男はつらいよ カバー (捨て身の愛)




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