HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

「良心は神様に優る・・・」

2018-02-14 06:53:54 | 新しい希望に向けて!

 

良心は両親に優る3

儒教的価値観からすれば驚天動地 

「良心は両親に優る 良心は先生に優る 良心は神様に優る!」とは、儒教的な価値観からすれば、驚天動地の内容であろう。しかし、この言葉をお父様は繰り返し語られ、参加した婦人たちには復唱させられながら、語って行かれたのである。果たしてどれだけの人たちがその言葉の深い意味まで理解したかはわからないが、この、「済州島・水沢里修練会」を通して、まさに瀕死の状態だった日本教会が見事に復活して行ったことは確かであった。

ただ、日本教会の抱える課題や問題点が根本的に解決したわけではなかった。本当はこのみ言は、日本のみならず世界の教会指導者が深く認識しなければならない内容だったのであるが、度々の幹部研修にもかかわらず、お父様が教えようとされた本意は何処かに行ってしまったようである。

結局お父様の語られた本意は十分浸透しきらないまま、「良心」よりも、先生言われる人物や組織の上位者の意向や指示を絶対視する考えが再び食口たちを支配する思考や行動様式に帰って行ってしまうのである。

今日「TPの指示だから」「TPがこう言われているから」「TPの願いだから」などと殊更に強調されて、それ以外の行動や考えをすべて否定するような思考方式や組織の在り方が全てを支配するようになってしまっているのが現状です。

 

カミサマとは? 

お父様はこのみ言の最後に「良心は神様に優る!」と語られた・・・。「神様に優る」とは・・著と不思議にも思うが・・・これは筆者の考えだが、ここで「カミサマ」と言うのは、いわゆる組織の上位者・・・

日本語の神様は・・・上様(カミサマ)と言う意味が強い。  英語のGODや韓国語で言うハナニムとは少し意味合いが違っている。宇宙の創造神を指して神様とも言うがその他もろもろの尊いとされるものをカミサマと呼んできた。「カミサン」と言えば奥さんの事だが…それはさておき・・・日本人は様々な尊いとされるもの・・死んだ人たちもカミサマにしてきたので、それらを八百万の神々として、日本は多神教だと揶揄されたりもしているが、とにかく神様の意味は多様である。

「良心は両親に優る 良心は先生に優る 良心は神様に優る!」と言う中での「神様」とは、自分たちがカミサマとするような存在、「お上」とされるものの事だと理解するが如何であろうか?いずれにせよ、お父様は人間本人の中の本心から湧き出る「良心」の叫びを重要視して教えたみ言だと思う。何事の決定も親や先生や組織の上位者に頼った生き方では本当の神様の願いや行き方にはかなわないということを教えたかったものと考える。

 

真の主人意識を持つことの大切さ 

主体意識・主人意識を持ってこそ、本来の神様の願う人格や家庭を実現することが出来ると言うことだろう。お父様が家庭盟誓に「天一国主人・・・」と、「主人」と言う言葉を強調して入れられたのもその意味からだと私は理解する。

もしや、食口たちがその意味するところを十分に理解してきていたならば、統一家に問題は何も引き起こされることは無かったに違いない。

自分自身の中の「良心」を否定した結果・・・、「主人」としての自覚も責任もどこかに行ってしまい、そういうところに様々な矛盾が侵入してくる結果となっているのではなかろうか。


「良心は両親に優る・・・」その2

2018-02-13 07:14:32 | 新しい希望に向けて!

  希望に向けて3

良心は両親に優る・・・2



お父様が済州島・水沢里で語られた、「良心は両親に優り・・・」のみ言をもっと深く考えてみました。



東洋では儒教的価値観が長らく国民や指導者の倫理観として長らく尊重され様々な教育が国民に対してなされてきました。勿論儒教や儒学の果たした役割がとても大きかったことは認めますが、その価値観が却って発展を妨げて来たことも確かです。忠誠の封建的時代には儒教の何上k氏ら固定的な価値観が社会の安定には役に立ったのですが、近代にいたると、その固定的な倫理観が社会の発展を阻害するようになってきました。

儒教、中でも朱子学が主張した倫理観は、主君に対する忠や親に対する孝が強調されてきました。その価値観が行き過ぎると、主君や親の言うことには絶対従わなければならないという固定的価値観を産み、先進的な科学技術や様々な政治手法を取るようになった西洋諸国が進出するにつれて、時代の発展に取り残されるようになって行ったのが東洋の諸国でした。幸い日本は、東洋の諸国の中ではいち早く西洋の思想や文化を取り入れることに取り組み、明治維新を通して西洋諸国に匹敵する文化や経済を有する国家に生まれ変わって行きました。



親の言うこと、先生の言うこと、主人の言うことは絶対と教えられた

儒教、中でも朱子学は長らく東洋の政治理念、倫理観として国家の指導者のみならず、一般国民教育においてもその価値観が繰り返し教えられてきました。

その中で強調されたのが「忠孝」ですが、この儒学(朱子学)が教えた忠孝は、今にして思うと明らかに主体側の親や先生や主人を絶対化して、親の言うこと、先生の言うこと、主人の言うことは絶対であり、それを絶質的なものとして信じ従うことが美徳とされるように教えられてきました。

もとより、儒学は国家社会の指導者となる、中国や朝鮮半島の諸国で長らく行われてきた科挙試験の学問となり、それは本来指導者が持つべき倫理観、道徳でしたが、数多くの国民や被指導者の側には教えられるものではありませんでした。

却って科挙試験に合格したという国家の管理者たちは科挙試験と言う難関を突破した優秀者であり、四書五経を丸暗記して諳んじる能力が指導者の資質として尊重され、逆に四書五経を暗唱する能力さえあれば実態がいかなるものであっても、高い地位や名誉を得るものとなって行ったのです。

そこで「自分たちは選ばれた者」という、傲慢さが生じるようになってきました。このような経過の中で儒教が本来あるべき指導者の倫理的・・・、ここでは思いやりの深さや愛情のような人格的資質ではなく、「学問を治め科挙の試験に合格した我々の言うことに従えばよい!」という、最近はやりの言葉を使えば「上から目線」そのものの行政が行われるようになってきたのです。国民や目下のものは、ただ優れた能力のある上のものに従順に従いさえすればいいということになっていったのです。



(続く)


お父様が教えたこと

2018-02-09 13:35:48 | 新しい希望に向けて!

真のお父様は、日本の統一運動が危機的状況にあった頃、済州島・水澤里に日本の女性を呼ばれその後男性も呼ばれて修練会を開かれました。男性修練会の第1回目が阪神大震災の時でした。

さて、その時、お父様が何度も何度も繰り返し教えられたのが「良心は両親に優る! 良心は先生に優る! 良心は神様に優る!」という教えでした。良心は両親よりも、先生よりも、神様よりも優るとは! とても驚いたものです。

しかし、それはとても意味の重要な教えでした。それはその当時日本の統一運動が陥っていたもっとも大きな問題の内的問題点が、教会食口たちが「良心」に問いて「おかしいな」と思うことを「TPが言われるから 先生が指示されるから 神様のみ旨だから」と肯定して行って来たことが反社会的なこととなり、世の中から大パッシングを受けて、にっちもさっちも行かない状況に陥っていたからでした。

当時の日本教会では、組織の責任者の指示や指導に100%従うことが絶対信仰だとされて、それが世の中の法や良識から逸脱していても「お父様のため み旨のため」と思い込んで、突き進んでいたのです。そして、その結果世の中から壊滅的ダメージを与えられ、全ての活動をストップせざるをえない状況に陥っていたのです。あのときお父様は献金は教会組織を通じないで直接お父様のところに持ってくるようにとも言われていました。(結局、それは実行されませんでしたが)

その後日本教会は何とか危機を脱出することとなりましたが、そこにはご父母様の多大な犠牲と投入があったのです。

さて、その時、お父様が繰り返し教えられた、「良心は両親に優る! 良心は先生に優る! 良心は神様に優る!」という教えはどれだけ食口に定着したのでしょうか? このみ言が本当の意味で定着して、食口たちが何より良心に忠実に生きる実践を続けていたら、その後の統一運動は考えられないような発展を遂げていたでしょう!さらにはその後の様々な問題も引き起こされることも無かったに違いありません。


希望は叶う!

2018-02-04 22:15:00 | 新しい希望に向けて!

希望は叶う! 熱き心が全てを成就する原動力である。

私はFPA(家庭平和協会)にはとてつもな大きな希望があると思います。その希望を拡大していけば、必ずやその希望は希望では無くて実体の事実として結実するものだと思います。

 

そこで私たちはどのような希望を共有して行けばいいのでしょうか!

創立者の文顕進博士の語られたメッセージの中に様々なヒントがあり、アイデアがあり、今後我々が目指すべきビジョンがあります。

文顕進博士は言うまでもなく世界平和統一家庭連合をはじめ様々な世界組織を創設されて世界平和実現のために生涯歩み続け貢献してきた文鮮明博士の息子であられます。残念なことですが、そのように世界的平和の実現に邁進してきた文鮮明先生の創設された世界平和家庭連合やその関連組織の多くは、その父の使命を継承して行こうとされている文顕進博士の行こうとしている方向とは異なって、その母であり、文鮮明先生の妻であった韓鶴子女史を推したてて、独自の行動を推し進めているようです。さらには文顕進博士を支持歩みを共にしようとする教会員たちを「分派」とみなして、教会員たちが文顕進博士のもとに走らないように防御しているのが実情です。

そのようにしている大きな根拠は文鮮明先生ご自身が「顕進のところには行くな!」と語られた言葉のようですが、そのような言葉が実際に語られていたのかどうか、実際に語られていたとして、それがどのような状況や事情の中で語られたのか?あるいは語られたとして文先生の本意は何処にあったのか?諸々の事情や状況については、論議することも、語ることも不可のようです。当「HOPE]ブログでも様々な問いかけをしてきましたが、そいうことを論議すること自体が「問答無用」のようです。





さて、ここで考えたいことがあります。本当に使命や責任を継承するとはどういうことなのでしょうか?

ひとつは血統と言う問題があります。世の多くの事業や時代的な役割というものは血統を通じて引き継がれてきました。東洋では基本的には男子直系が重んじられてきました。正妻に子が無ければ側室の子が継承しました。そうでなければしかるべき筋の子どもを養子として迎えて家系を相続して家や事業を継承してきたのです。

「実子」は養子や、僕とは違う。何が違うのか!さらに庶子という問題もあるが・・・

とりあえず血統と言う問題が重要である。血統と言う問題は勿論、生命学的な意味での血統もあるが、我々は加えて精神論的な面での血統と言うことも考えてみる必要があるのではなかろうかと思います。

親の願いや希望理想としたものを100%受け継いで行こうとするのが実子で

我々の人生の課題とは、常にその親から先祖から継承され続けて来たものである。我々はそれを引き継ぎさらに発展させさらにそれを次代に継承して行くもので

 

そういう観点から見て、希望を創出するカギは何処にあるのだろうか?それは果たして行こうとする使命や責任を継承して行く中に希望は創出されて行くものなのではないでしょうか

 こういったことは歴史的には例えば王室の正統性や継承性などと言った問題でいろいろ論議されてきた問題に比することもできようかととも思います。

この問題は重要です。世の中でもしきりに論議されている問題があります。引き続き検証検討して行こうと思っています。







さて、こういった問題を考える時に、「幸福」とは何かと言う問題も考えないといけません。人が生きる責任とか使命とはどんな事柄なのでしょうか!それは、人がどのような職業に就こうが、どのような役割を社会の中で演じて行こうが、それはその人個人の欲望を満足させるのにとどまらず、いかに多くの人々に幸福や喜びを与えることのできるものになるかと言うことが課題なので

それは、人が生きて行く上に必要な食料を生産したり、あるいは衣類を作ったり、家を作ったり。様々な機械や器具を創り出したり、さらには人間の内的な欲望を満たす文化や音楽の類も重要で

それらが絶妙に相まって人々の幸福度は増大されて行くので。幸福は共有するものなのです。

「幸福」とは、単独で生じるものではありません。

原理講論は「人間は、何人と言えども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。・・・」という一節から始まっています。「個人の些細な出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現に他ならないのである。・・・」と続いています。

人生や宇宙の様々な問題は結局のところ以下に幸福を増大して行くか!というテーマに行きつくのではないでしょうか!そして「幸福」はともに作り上げて行かなければならないものです。パートナーと、ファミリーで・・・さらに国や世界でも・・・・

 

さて、そういうことを考える時に、最も重要になるのが人の心の在り方の問題です。もとより人々の求める幸福の根本は物質的なものであり、衣食住が満足され、自由な行動が保障されての人々が作り上げる文化でもあります。

しかし、物質的に一定の満足が得られたとしても、人は様々な不安や不満を抱くこともたくさんあります。差別や抑圧を受ければそれに反抗し怒りをいだくこともあるでしょう。様々な疎外感の中に、思わぬ犯罪行為に走るものも出てきます。心のゆとりや豊かさが無くなれば、人の心は殺伐として様々なアクシデントを引き起こすことにもなりかねません。

そしてその結果はその人自身がとんでもない不幸を背負うことにもなるのです。



人の心の問題と言うと、まずは「宗教」そして、「倫理」や「道徳」と言ったもを考えますが、それらは人々の心の平安や幸福感を創出するように働きますが、時には逆の働きをしてしまうこともあります。時として、「倫理や道徳と言ったものが人を縛る働きをしてしまうこともあります。

心の在り方や、物の見方、あるいは人の生きざまが人々と幸福を増進させるものでなければ意味を持ちません。時として国や社会がある一定の価値観を押し付けてしまうこともまま生じやすいものです。

 (続く)

 

 


HOPE 新しい希望に向けて!

2018-02-02 22:05:28 | 新しい希望に向けて!

 

HOPE

新しい希望に向けて!

 

一夜明けて、気がつい見たらそこは「家庭連合」ではなく「家庭平和協会」だった。

 

どうやら、「強制移動」とやらに・・・・

 

まるで目が覚めたら「天国に来ていた」ような気分である。永遠の世界ってこういうのかな!と思ったりした。

 

理不尽な「強制移動」だが、そこはこれを逆手に取って、より一層み旨が進む方向性を考えて行きたいと思う。

 

これまでの「HOPE]のブログのスタンスは、家庭連合に所属する食口たちに「真実」を伝えることだった。お父様の願いや、お父様のみ言の中にある真実を現家庭連所属の兄弟姉妹に伝えたいと思ったのが、そもそものブログ開設の動機だった!

ところがそれが、現在の家庭連合を支持するものたちには「いらないこと」のようだった。

「いらないこと」   お父様のみ言を根掘り葉掘り紹介することは、現家庭連合では「してはいけないこと」のようであって、「気違い」のような批判をするブロガーさんもあった。

 

最早「言っても無駄」なのかもしれない。言ってわかる時は過ぎたのかもしれない・・・・

 

だったら、どうしたらいいのか?

 

家庭平和協会(FPA)が出発した。

顯進様は、「家が出来たようだ!」と喜ばれたと聞く。

ああ、それでいいんだ!  とも思う。

 

ただ、まだまだ考えなければならないことがたくさんある。

真の家庭の分裂はいまだ継続している。家庭連合に所属している家庭はいまだ行く道が定まらない。

家庭連合とFPAと家族でバラバラになっている家庭もある。

「家庭連合」は、もはや捨て置いたらいいのかもしれないが、さりとて何もしないでいていいのだろうか!顕進様がなさる摂理を未だ妨害し続けている「家庭連合」でもある。

このまま捨て置けば神様のみ旨に対する反逆となり、このまま捨て置けば、家庭連合に所属する祝福家庭は神のみ旨に反逆する天法に違反する反逆者のレッテルが貼られてしまう。

家族や、信仰の友をそのまま捨て置いていいのか!

 

それにもまして、真の家庭を救わねば!真のお母様がこのまま進んだらどうなって行かれるのだろうか!懸念が残る。

 

全ての責任は顯進様が負って進んでいかれているので、顯進様に全てをお任せすればいいのか!それでも我々祝福家庭がある一定の責任を果たさないと、顯進様がどのように歩まれ、そのように勝利して行ったとしても、最後の課題は我々自身の課題として残って行くのである。

 

現実世界にも様々な課題がある。

東アジア情勢はひっ迫している。南北問題は最終的局面に立たされている。韓国の政治状況は極めて流動的である。北朝鮮は究極の限界状況に来ている。このまま北の体制が続くとは誰も思っていない。

中国情勢も限界状況である。経済力を強め「一帯一路」を推し進める中国だが「一党独裁」の矛盾は極限に達している。香港や台湾、ウイグルやチベットの問題はますます深刻化している。中国共産党政権による覇権的侵出は、東アジアのみならずアジア全体に危機を高めている。

 

そういう中で、日本はどういうリーダーシップを取って行くのか! 日韓関係は極めて深刻な状態に陥っている。

国内問題も深刻である。

今後世界平和のモデルになる国が見当たらない。真に国民の平和と福祉を実現できる国家モデルがいまだ、この世界には出現していないのである。

 

人の心も限界である。グローバルな経済や文化が拡大しているが、発展の陰には必ずと言っていいほど深刻な矛盾がある。それらの問題をどのように克服して行くのか!

 

我々は文鮮明先生をメシアとして信じて来た。その文先生を中心とした真の家庭のモデルこそが全人類を幸福に導く模範家庭であり、モデル家庭であると信じて来た。しかし、今現在そのことを言うことが出来ない。文鮮明先生が聖和された今、その家庭は限りなくバラバラになり、行く道を見失ったしまったかの如くである。

 

結局我々が信じて来たものは何だっただろうか!

唯一、顯進様が希望であることは解る。そのご家庭はまさしくモデル家庭として相応しい姿を我々に見せてくれている。しかし、それは本来真の父母である、文鮮明先生ご夫妻を中心として、その姿を単に家庭連合に所属する祝福家庭の前にだけではなく、全人類の前に示されるべきものではなかったのか!

 

・・・ならば、我々は文先生の価値をどう見るのか!語られたみ言が間違いないものとして、それでは、何が問題だったのか!どう解決すればいいのか! 

 

基本的な問題点に関しては、すでに顕進様が語られている。そのみ言のなかにすべてが語られていると思う。

しかし、問題は、そのみ言をいかに実体化するのか!いかに実感として我々祝福家庭が捕らえて行くのか!  そこが問題になってくる。

 

真のお父様が、生涯一心不乱に、ひたすらみ旨の授受を願い続け、そのためにあらゆる行動を為し続けて来られた。  お父様には勝利の確信があったのであろう・・・。しかしお父様はその勝利の一日を見ることなく聖和して行かれた・・・・

2013113日の基元節を目前にした・・・・・2912年の9月に・・・・・・

 

 

HOPE」はさらに追及していきたいと思う。

お父様が残された偉業を達成するためにその息子である、顯進様がその使命を継承されて、その活動の舞台として、あるいは部隊としてFPAを創設された。その創設の趣旨は「創設メッセージ」やその前後の顕進様のメッセージに明らかである。  さて、これらのメッセージをいかに実体化して行くか!側近幹部となった会長団の課題も大きいだろう!今後どのようにカジ取りして行くのか!そして、FPAに所属する、あるいは支持する食口たちの歩みが肝心である。

これからどのような活動を展開して行くのか!

 

対社会的な活動がこれからの主流的な活動であることは言うまでもないだろう。本来「世界平和統一家庭連合」によってなされるべき課題を家庭平和協会によって実現して行かなければならない。

その本来的な姿とはどの様なものなのだろうか!そこの所属する、それぞれの家庭や、個人の課題とは何なのだろうか!

 

様々な課題がある・・・そして、いまだ家庭連合に残る家族や信仰の友たちをどのように導いて行くのか!

 

これからは、そういったことを一生懸命に考えて、行動して行くものとなって行きたいと思います。

 

 

HOPE」ブログ・・・そんなつもりで再開したいと思います。とりあえず「家庭平和協会」に置かせてもらいます。  ここに所属する皆さんの迷惑にならぬように・・・役立つブログを目指します!