HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

希望は叶う!

2018-02-04 22:15:00 | 新しい希望に向けて!

希望は叶う! 熱き心が全てを成就する原動力である。

私はFPA(家庭平和協会)にはとてつもな大きな希望があると思います。その希望を拡大していけば、必ずやその希望は希望では無くて実体の事実として結実するものだと思います。

 

そこで私たちはどのような希望を共有して行けばいいのでしょうか!

創立者の文顕進博士の語られたメッセージの中に様々なヒントがあり、アイデアがあり、今後我々が目指すべきビジョンがあります。

文顕進博士は言うまでもなく世界平和統一家庭連合をはじめ様々な世界組織を創設されて世界平和実現のために生涯歩み続け貢献してきた文鮮明博士の息子であられます。残念なことですが、そのように世界的平和の実現に邁進してきた文鮮明先生の創設された世界平和家庭連合やその関連組織の多くは、その父の使命を継承して行こうとされている文顕進博士の行こうとしている方向とは異なって、その母であり、文鮮明先生の妻であった韓鶴子女史を推したてて、独自の行動を推し進めているようです。さらには文顕進博士を支持歩みを共にしようとする教会員たちを「分派」とみなして、教会員たちが文顕進博士のもとに走らないように防御しているのが実情です。

そのようにしている大きな根拠は文鮮明先生ご自身が「顕進のところには行くな!」と語られた言葉のようですが、そのような言葉が実際に語られていたのかどうか、実際に語られていたとして、それがどのような状況や事情の中で語られたのか?あるいは語られたとして文先生の本意は何処にあったのか?諸々の事情や状況については、論議することも、語ることも不可のようです。当「HOPE]ブログでも様々な問いかけをしてきましたが、そいうことを論議すること自体が「問答無用」のようです。





さて、ここで考えたいことがあります。本当に使命や責任を継承するとはどういうことなのでしょうか?

ひとつは血統と言う問題があります。世の多くの事業や時代的な役割というものは血統を通じて引き継がれてきました。東洋では基本的には男子直系が重んじられてきました。正妻に子が無ければ側室の子が継承しました。そうでなければしかるべき筋の子どもを養子として迎えて家系を相続して家や事業を継承してきたのです。

「実子」は養子や、僕とは違う。何が違うのか!さらに庶子という問題もあるが・・・

とりあえず血統と言う問題が重要である。血統と言う問題は勿論、生命学的な意味での血統もあるが、我々は加えて精神論的な面での血統と言うことも考えてみる必要があるのではなかろうかと思います。

親の願いや希望理想としたものを100%受け継いで行こうとするのが実子で

我々の人生の課題とは、常にその親から先祖から継承され続けて来たものである。我々はそれを引き継ぎさらに発展させさらにそれを次代に継承して行くもので

 

そういう観点から見て、希望を創出するカギは何処にあるのだろうか?それは果たして行こうとする使命や責任を継承して行く中に希望は創出されて行くものなのではないでしょうか

 こういったことは歴史的には例えば王室の正統性や継承性などと言った問題でいろいろ論議されてきた問題に比することもできようかととも思います。

この問題は重要です。世の中でもしきりに論議されている問題があります。引き続き検証検討して行こうと思っています。







さて、こういった問題を考える時に、「幸福」とは何かと言う問題も考えないといけません。人が生きる責任とか使命とはどんな事柄なのでしょうか!それは、人がどのような職業に就こうが、どのような役割を社会の中で演じて行こうが、それはその人個人の欲望を満足させるのにとどまらず、いかに多くの人々に幸福や喜びを与えることのできるものになるかと言うことが課題なので

それは、人が生きて行く上に必要な食料を生産したり、あるいは衣類を作ったり、家を作ったり。様々な機械や器具を創り出したり、さらには人間の内的な欲望を満たす文化や音楽の類も重要で

それらが絶妙に相まって人々の幸福度は増大されて行くので。幸福は共有するものなのです。

「幸福」とは、単独で生じるものではありません。

原理講論は「人間は、何人と言えども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。・・・」という一節から始まっています。「個人の些細な出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現に他ならないのである。・・・」と続いています。

人生や宇宙の様々な問題は結局のところ以下に幸福を増大して行くか!というテーマに行きつくのではないでしょうか!そして「幸福」はともに作り上げて行かなければならないものです。パートナーと、ファミリーで・・・さらに国や世界でも・・・・

 

さて、そういうことを考える時に、最も重要になるのが人の心の在り方の問題です。もとより人々の求める幸福の根本は物質的なものであり、衣食住が満足され、自由な行動が保障されての人々が作り上げる文化でもあります。

しかし、物質的に一定の満足が得られたとしても、人は様々な不安や不満を抱くこともたくさんあります。差別や抑圧を受ければそれに反抗し怒りをいだくこともあるでしょう。様々な疎外感の中に、思わぬ犯罪行為に走るものも出てきます。心のゆとりや豊かさが無くなれば、人の心は殺伐として様々なアクシデントを引き起こすことにもなりかねません。

そしてその結果はその人自身がとんでもない不幸を背負うことにもなるのです。



人の心の問題と言うと、まずは「宗教」そして、「倫理」や「道徳」と言ったもを考えますが、それらは人々の心の平安や幸福感を創出するように働きますが、時には逆の働きをしてしまうこともあります。時として、「倫理や道徳と言ったものが人を縛る働きをしてしまうこともあります。

心の在り方や、物の見方、あるいは人の生きざまが人々と幸福を増進させるものでなければ意味を持ちません。時として国や社会がある一定の価値観を押し付けてしまうこともまま生じやすいものです。

 (続く)