HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

本来ブログは自由なもの

2017-12-27 05:07:42 | 希望の未来を開くため

どうやらHOPEブログの名前をあげていろいろ宣われておられる方があるようだが・・・

 

本来ブログは自由なもの

本来「ブログ」と言うのは自由なものだろう・・・ 自由に自ら思うがままを書くのが本来のスタイルである。

もとより、だれかを誹謗中傷するようなものは良くないが、だからと言って一方的に誰かを排除したりするのは如何なものかとも思う。

個人が得る情報には限りがある。きちんと事実関係を確かめられないものもあるだろう・・・ しかし、偽りの情報や資料はいずれは淘汰されて行く・・・時代とともに言論は浄化されて行くというのが、ブログやインターネットのない時代でもそうだった。

ある特定の集団や個人に有利な情報ばかりで、言論が独占されればいかなる結果がもたらされるのか・・・・

この地球上では完全に言論が統制された国家がいくつか残存する・・・。しかしそのような言論の自由のない社会や国家がいかなる実情にあるかは、世界と言う視点からみれば極めて明白である。自由な言論のある場は、本物偽物沢山あるが…偽りのものは自然に淘汰されて行く・・・

 

権力が介入した言論封殺

最近、SNSの世界・・・・Facebookなどでも、近隣の某大国の意にそわない言語を用いただけでカウント停止に追い込まれたという話をよく聞くようになった。日本でかなり有名な言論人でもそのような事態に見舞われたそうである。その国とは国内的にも今の国家権力に不都合な言語での検索が不可能な国だそうである。権力者が自分に都合の悪い言論を自国内に留まらず海外にまで拡大する。困ったものである。

まあ、そうこう言ってもインターネットの世界は基本的に自由である。特定のSNSが言論封じに陥っても、そのようなことに与していたらそのSNS自体がいずれ閉鎖に追い込まれるのは自明の理である。

 

力ずくでの言論封殺

最近世に所謂「モリカケ問題」で朝日新聞を批判した本を出版した文芸評論家の小川栄太郎氏と出版社の飛鳥新社を、謝罪広告の掲載と5000万円の損害賠償で告訴したというニュースが伝わっている。小川氏の論は「・森友・加計問題で安倍政権を批判した朝日新聞は虚報だ・・!」というものである。

このニュースを聞いたネットの声は「やっぱり朝日新聞!」「自らが虚報を繰り返していて、たかが中小出版社の一評論家の本にいちいち目くじら立てるとは・・・!」と、朝日新聞を擁護する声は何処にもない・・・。

自らがまいた「従軍慰安婦」という虚報の後始末もいまだ出来ず、いまだに日韓間の混迷をもたらしていることにはすっかり逃げておきながらの朝日新聞の傲慢勝手な行為に「朝日つぶれろ!」との声も多い。

 

そもそもHOPEブログの身上は

そもそもHOPEのブログの身上は、自由な言論である。様々な人の様々な意見やもたらされる情報を大切にして行きたい!  そこに混乱の中に統一の希望があると信じて来たのである。

言論と言うのは時には、ある当事者には耳の痛いこともあるだろう・・・。しかしそのような時には相反するような言論の批判を乗り越えてこそ、真実が見いだされるものである。様々な言論を闘わせる中に真実が見えてくるものである。真実が見えてくれば、問題解決も早いし、そこから希望が生まれてくるというわけである。

だから、HOPEのブログには、ブログ管理人の見解だけではなく、様々な方からの記事も掲載させていただいている。明らかに間違い出るような内容であれば、記事内容の修正もさせていただいている。

 

自分たちの組織や仲間の都合のいい言論だけを求めるのであれば、会員制のクローズな言論空間も持てるのが今のインターネットの世界である。それはそれで自由にされたらいい・・・ 自分たちだけの世界で交流を深めて楽しくできるならその方が良いのではと思う。

世の中には行き過ぎた言論も多々あることは事実である。あらぬ噂によって廃業に追い込まれた企業なども多々あるのは事実である。だから行き過ぎた言論に一定の制限があったり批判があるのは当然である。しかし強制的に言論を封殺したり、権力的に手段で言論を封殺することは厳に慎まなければならないことである。

 

反対の声を封じるものは

隣国では、歴史的事実をあげて「慰安婦は売春婦だった」という発表をした教授が有罪判決をうけ、慰安婦についての父親の誤った行為のゆえに立てられいた石碑を改ざんしたとして、慰安婦問題の元凶となった吉田清二氏の息子の意をくんで慰安婦謝罪碑の改変をした奥さんと言う方が、韓国で訴えられいまだに出国が許されていない。裁判では真実を語る奥氏の発言は通訳されず、事実をあげての奥氏の発言が封じられたまま一方的な裁判が進行しているという。

 

特定の個人や集団に都合のいいだけの言論は百害あって一利なしである。国家が独裁に陥れば必ず言論統制が始まる。その結果はいつも悲惨であったことは歴史が証明しているのである。

 

まあ、「家庭連合」カテゴリーのブログ村が何処まで続くのか・・・人々が興味を失えばいずれ消滅して行くしかない。

心配せずとも真実や事実に即さないものはいずれ消えゆくのみなのである。


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