「逆理の道」の質疑その④
「逆理」とは何か?「逆理の法」を選択されたお父様の心情はいかなるものだったのか?これらをお父様の残されたみ言をもとに解明していくことが分裂を終わらせ、再び「統一」を取り戻し、希望の日に至る近道です。「逆理の道」の真相は何か?質疑を続けます。
質問:2009年3月8日、お父様が顕進様の役職を解任されそれまでのお父様の目指した方向とは真逆な方針に転じられました。その後もお父様は顕進様の元に食口が行かないように指示されたり、亨進様に王冠を授けられるなどお父様ご自身が顕進様を排除されるような言動をとられました。
顕進様がお父様の下を離れた時、お父様と顕進様の信頼関係はどうだったのでしょうか?当時、亨進様、国進様、さらにはお母様、そして教権勢力も全てお父様の意向や願いと異なる行動をとろうとしてしている状況だったと思われますが、お父様をしてそのような言動(逆理の法)をとられるようになられた理由やお父様の心情はいかなるものであったのか知りたいと思います?
それからお父様が主催された最後の大会ともいえる「神様実体み言葉宣布大会」の意義、その期間(逆理の期間)~お父様聖和までの顕進様の責任分担は何だったのかなどについてお教えください?
答:2009年2月28日の段階で、国進様、亨進様、お母様、教権勢力すべてが全てお父様と一致することができず摂理に反した行動をとったので、お父様と顕進様を中心とした順理の基元節は難しくなり、お父様は逆理の父子協助路程に入る、と確信されたと見ます。
参照:http://blog.livedoor.jp/kimyongsong/archives/1057441747.html
お父様にとっては非常に心痛い決断でしたが、顕進様は必ず勝利できる確信があったはずです。
ところで、この期間、お父様にとって一番の心配の対象はお母様でした。なぜなら2013年基元節勝利のための必須条件の一つが、お父様とお母様の摂理的心情一体基盤が前提となっていたからです。実情はそうではなかったことがお父様の一番の心配事でした。
そこで、 この夫婦一体基盤を条件的にも立てる為に「神様実体み言葉宣布大会」が必要だったのです。
問:二次摂理(逆理)に移った時にこの夫婦一体基盤や亨進様擁立を容認された理由は何だったのでしょうか?
答: 離反したお母様の心を取り戻すため、お父様は聖和まで全心全霊を尽くし努力されました。この時のお父様の心情世界と逆理摂理の心情圏が復帰摂理クライマックスの核心中の核心になります。幸いな事にみ言葉集にすべてこれらの事実が記録され残されています。お父様はあえて我々を悟らしめるため、すべて記録せよと指示され、記録が残されているのです。
さて亨進様の擁立をお父様が容認された理由はお父様の苦肉の策とみるべきです。お父様自らの意志で長子である顕進様を公職から降ろすことを公言されたので、代わりの子女を立てる事を公表せざるをえなくなりました。お父様はお母様の心を取り戻す為にもお母様が強力に推薦する亨進様を臨時(正式ではなく)に立てざるを得なかったのです。サタンに条件を取らせず且お母様の心を取り戻そうとする苦肉の策だったのです。
「逆理」とは何か?「逆理の法」を選択されたお父様の心情はいかなるものだったのか?これらをお父様の残されたみ言をもとに解明していくことが分裂を終わらせ、再び「統一」を取り戻し、希望の日に至る近道です。「逆理の道」の真相は何か?質疑を続けます。
質問:2009年3月8日、お父様が顕進様の役職を解任されそれまでのお父様の目指した方向とは真逆な方針に転じられました。その後もお父様は顕進様の元に食口が行かないように指示されたり、亨進様に王冠を授けられるなどお父様ご自身が顕進様を排除されるような言動をとられました。
顕進様がお父様の下を離れた時、お父様と顕進様の信頼関係はどうだったのでしょうか?当時、亨進様、国進様、さらにはお母様、そして教権勢力も全てお父様の意向や願いと異なる行動をとろうとしてしている状況だったと思われますが、お父様をしてそのような言動(逆理の法)をとられるようになられた理由やお父様の心情はいかなるものであったのか知りたいと思います?
それからお父様が主催された最後の大会ともいえる「神様実体み言葉宣布大会」の意義、その期間(逆理の期間)~お父様聖和までの顕進様の責任分担は何だったのかなどについてお教えください?
答:2009年2月28日の段階で、国進様、亨進様、お母様、教権勢力すべてが全てお父様と一致することができず摂理に反した行動をとったので、お父様と顕進様を中心とした順理の基元節は難しくなり、お父様は逆理の父子協助路程に入る、と確信されたと見ます。
参照:http://blog.livedoor.jp/kimyongsong/archives/1057441747.html
お父様にとっては非常に心痛い決断でしたが、顕進様は必ず勝利できる確信があったはずです。
ところで、この期間、お父様にとって一番の心配の対象はお母様でした。なぜなら2013年基元節勝利のための必須条件の一つが、お父様とお母様の摂理的心情一体基盤が前提となっていたからです。実情はそうではなかったことがお父様の一番の心配事でした。
そこで、 この夫婦一体基盤を条件的にも立てる為に「神様実体み言葉宣布大会」が必要だったのです。
問:二次摂理(逆理)に移った時にこの夫婦一体基盤や亨進様擁立を容認された理由は何だったのでしょうか?
答: 離反したお母様の心を取り戻すため、お父様は聖和まで全心全霊を尽くし努力されました。この時のお父様の心情世界と逆理摂理の心情圏が復帰摂理クライマックスの核心中の核心になります。幸いな事にみ言葉集にすべてこれらの事実が記録され残されています。お父様はあえて我々を悟らしめるため、すべて記録せよと指示され、記録が残されているのです。
さて亨進様の擁立をお父様が容認された理由はお父様の苦肉の策とみるべきです。お父様自らの意志で長子である顕進様を公職から降ろすことを公言されたので、代わりの子女を立てる事を公表せざるをえなくなりました。お父様はお母様の心を取り戻す為にもお母様が強力に推薦する亨進様を臨時(正式ではなく)に立てざるを得なかったのです。サタンに条件を取らせず且お母様の心を取り戻そうとする苦肉の策だったのです。
1997年9月「第四次アダム圏宣布式」から顕進様・国進様・亨進様をそれぞれ教育し、基元節前に一体となって四大心情圏三代王権を成就できるように計らったお父様でした。
2007年12月大統領選、翌年4月総選挙の不信仰による、長子の立場が讒訴されるようになったので、顕進様をサタンの攻撃から守るために公職から下ろし、より本質的な四大心情圏三代王権の中心として立てるように配慮して迎えたのが2009年3月の束草です。
それが、お父様の順理の摂理です。
ということですが
2009年2月28日に語られた以下のようなみ言葉は何を意味すると思いますか?
・・・以下み言引用・・・
それでは、どこからしなければなりませんか?近いところからしなければなりません。オモニから。息子娘からしなければならないのです。息子娘を誰が保護してくれますか?オモニを誰が保護してくれますか?私がいなければ、誰が保護してくれますか?神様が保護してくれますか?神様がだんだん近くならなければならないのに、だんだん遠ざかっています。離れていっています。
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知ったふりもせずに黙っています。知りながらも知らないふりをしているのです。悔い改めなければならないのに、さらに、ますます離れていっています。落ちていくのです、放っておくと。そして、私が関与することのできない基準にまで落ちてなくなってしまいます。
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自分の息子娘よりもサタン世界の息子娘を、自分の息子娘に与える乳を分け与えることのできる、自分の体を売ってでも、自分の血を売ってでも、食べさせるという思いが真の母の心情だというのです。
資料:み言選集 608巻309ページ 2009.02.28 <今、すべてを成す時>
オモニも38度線を越えなければなりません。オモニの歩む道があり、私には私の歩む道があるのです。別れてしまいました。<中略>天国の門を共に通らなければなりません。
資料:み言選集 608巻304ページ 2009.02.28 <今、すべてを成す時>
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歴史を隠すことはできません。今もオモニが主張することは、オモニの言うように私は出来ないというのです。行けないというのです。訓母もそれを知らなければなりません。
資料:み言選集 608巻306ページ 2009.02.28 <今、すべてを成す時>
・・・以下み言引用終わり・・・
お母様は別の道を行こうとしているけれども
*天国の門を共に通らなければなりません。*
と言われています。
お父様は、この時点でもお母様を諦めておられないのではないですか?