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顕進様にみる真実 ~7年間の非難と迫害の中で~「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する④

2016-12-19 22:10:58 | 櫻井夫人のメッセージ

「櫻井節子夫人のメッセージ」を精読する④

櫻井節子夫人の呼びかけに一祝福家庭としての感想です。

 

(3)顕進様にみる真実 7年間の非難と迫害の中で

私が真の家庭に深刻な問題が起こっていると感ずるようになったのは、顕進様がお父様の命に背いて独自の活動を展開し、お父様の摂理基盤であるUCI財団をも占拠してしまった、という情報に触れた時でした。2013年の基元節勝利に向け、摂理の最絶頂期を迎えていた2009年のことです。

2009年のこの時のことはすべての教会員、食口、祝福家庭がよく覚えていることだと思います。あまりにも突然のことでした。つい先日まで活躍の報を聞いていた顕進様に何が?とほとんどの教会員、食口、祝福家庭が違和感を感じていたはずです。

 

顕進様は常に率直な方であり、時には、お父様に対してもご自分の意見を直言する、そんな子女様でした。しかし、父母様への愛情や御旨にかける情熱においては、誰よりも深い世界をもっておられたに違いありません。それだけに、顕進様の一件は、私には理解し難いものでした。

 あまりにも突然でした。それまでの伝えられてきた顕進様のイメージとは180度異なる情報が教会本部から流され続けられるようになりました。

 

しかし、それ以上に目を疑い、深刻な思いにならざるを得なかったのは、その後起こってきた、教会組織を挙げての顕進様批判キャンペーンでした。顕進様にどれほどの事情があったにせよ、アベルの子女様を“堕落したアダム”として排斥し、糾弾するあり様は、サタン的な動機や感情が見え隠れする、実に行き過ぎ、やり過ぎと言うべき行動以外の何物でもありませんでした。

 たとえ何らかの過ちが顕進様にあったとしても、その伝えられる表現や手法はとても我々が慣れ親しんだ教会の姿や方法とは異なるものでした。

 

さらには、内部の問題を公の場にまで持ち出し、外部の法廷に訴え出たり、メディアを通して誇張宣伝するなど、教会の不祥事を世間の目にさらして、一体、誰が、どの部署が得をし、勝利を得たと言えるのでしょうか? もし、それを“父母様の指示だった”というのであれば、一体、どんな報告を、どのように説明すれば、父母様がそう判断されるのでしょうか。それは真の父母様の生き方とも、真の愛の思想とも、全く相容れないものでしかないからです。

 “父母様の指示だった”という表現があったと思います。しかしこれまでのお父様の考えや言動からしてもそれは腑に落ちない違和感を感じざるをえないことでした。ともに兄弟姉妹のように慣れ親しんだ統一家族がそのようなことをするものなのか?と苦悶せざるを得なかったことを覚えています。

  

教会では、顕進様がお父様に従わなかったことが発端だとされてきました。確かに、たとえお父様の指示が事実と異なる誤った報告によって下されたものだったとしても、ひと度、お父様が下された判断には絶対服従すべきというのが私たちの一般的信仰観であるかもしれません。顕進様がその時、自らの考えをも捨てて、お父様に従われたなら、そこに別の道が開かれたであろうと考える人々が多くいました。

単に「お父様に従わなかった」ということでここまで顕進様を否定できるものなのだろうか?「お父様に従わなかった」ということならばこれまでどれだけ多くの幹部たちがお父様の命令や指示に従わず摂理に支障をもたらす行いをしてきただろうか?そしてそのように不従順な幹部がいたとしてもお父様は除名や地位剥奪などといったことはしてこられませんでした。ましてや真の子女様に対してここまで否定的なことをなされるお父様であるとはとても考えることができませんでした。

 

しかし、もし顕進様が誰よりもお父様の御旨を思い、誤解や迫害をも覚悟で、子女としての責任を果たそうとする動機で行動されたのだとしたら、私たちはそれを非難できるのでしょうか。「いや、それなら少なくとも、UCIの基盤を持って行ってはならなかった」と言われるに違いありません。確かにお父様がトップである以上、その許可なく組織を動かすことは容認できることではありません。しかし、もし本当に、当時、顕進様側の人々が語るような深刻な課題があり、顕進様がお父様の願われる御旨を守り、摂理的基盤を守ろうという一念だったとすれば、私たちはどう考えるべきなのでしょうか。

もしやUCI問題など教会で主張していることが正しいとしても真の父母に侍る立場の教会メンバーが顕進様に対しての言動はあまりに常軌を逸したものではなかったでしょうか。

 

様々な情報が錯綜する中、何が偽りで、何が真実なのかを判断することは容易ではありません。しかし、もし私たちに判断基準があるとすれば、それは統一原理のみ言以外にありません。真理と神霊をもって、天のみ意と真実を祈り求めるしかないでしょう。

 私たちに判断基準があるとすれば、それは統一原理のみ言以外にありません。」その通りだと思います。「真理と神霊をもって天のみ意と真実を祈り求める」これは週末における我々のとるべき態度であると終末論にも述べられています。

 

人はその言葉と行動を見れば、動機や心情を感じ取るものです。ここ7年間、顕進様がとって来られた言動とはどのようなものだったでしょうか。教会に対する反対運動だったのでしょうか。父母様や祝福家庭に対する恨みや批判の言葉だったのでしょうか。神の摂理に反する非原理的活動だったのでしょうか。

 その後顕進様に関する情報は常に否定的なものばかりとなり、この間顕進様がどのように考え、どのように行動され、何をなさってこられたかについて教会に所属する食口、祝福家庭の大半が知らないままに過ごしてきました。わずかに顕進様に身近に接する兄弟姉妹やそこから伝えられるわずかばかりの情報に接するしかなかったのです。幸い当ブログ主も顕進様の身近にある兄弟から伝えられた様々な事実を知って、教会で伝えられてきた顕進様に関する情報があまりにも事実と異なるものであることを如実に知らされました。この間の顕進様の深刻な心情を知る時に悲しみの涙を禁ずることができませんでした。

 

私は顕進様というお方を熟知している訳ではありません。しかし、その言葉と行動から感じ取れる世界は、変わることのない神様、父母様への孝情であり、原理のみ言に対する確固たる信念であり、御旨に対する必死な思い、そして祝福家庭に対する兄としての愛情でした。

 「櫻井節子先生のメッセージ」の最後に顕進様の祈祷文が引用されています。その祈祷に顕進様の懇切な思いが凝縮されていいると思います。顕進様の本当の姿を知れば、この期間に教会で流布された顕進様に関する情報がいかに事実と異なり、実は真逆な姿であったことを深く知ることができます。「神様、父母様への孝情であり、原理のみ言に対する確固たる信念であり、御旨に対する必死な思い、そして祝福家庭に対する兄としての愛情」まさにそのような姿こそが顕進様の本当の、実際の姿だったのです。

 

 


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