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HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

個々が光り輝く社会・・・文顕進会長が語られたオーナーシップの実現された世界

2018-02-25 17:13:29 | 新しい希望に向けて!

個々が光り輝く世界

強制や、四角四面な決め事に縛られた世界ではなく、個々人が自由にその個性と能力を発揮できる世界が素晴らしい!

冬季オリンピック、様々な感動を与えてくれているが、特に女子スケートと、女子カーリングの活躍が我々の眼をテレビにくぎ付けにした。

個々人が光り輝く世界!・・未来世界はそういう世界だろう!人の個性は様々で、持てる潜在能力をいかに発揮するか!

神様の創造理想は、個々の個性体の能力を最大限発揮して、喜びの世界をみんなで共に作り上げるところにある。我々人間の務めはそういう個性や能力を人々の喜びのためにいかに発揮するかにかかっている。

人々感動させ、喜びを与え、希望を与えるのが我々個々人の使命であり、生きがいであり、さらには人間存在そのものではないのかと思う。

文顕進会長が語られたオーナーシップ

文顕進会長は「主人意識(オーナーシップ)」と言うことを強調されていたが、まさにこのことだと思う。

天国は、どこかの誰かについて行けばいけるところではない。天国は自ら作る人のものなのです。身近な郷土や、故郷の殿や兄弟姉妹と助け合い、協力し合いながら実現して行くものです。それがお父様の語られた「氏族メシア」でもありましょう。

その天国には愛があふれて、誰かが誰かを支配するというような原理は働かないところです。常にお互いがお互いのことを思いやりながら尽くしあい、愛し合う世界です。

その最も原型となるのが「家庭」だと、教えたのが文鮮明先生の教えの根本だと私は理解しています。その家庭と言うのは、儒教的な子供がただ親の言うことを聞くというような単純なものではなく。常に愛と美の授受作用が満ちる世界。心情多あふれて愛にも美が美にも愛があふれる世界。皆の心が愛で一つになった世界です。

 そのような世界をお父様は標榜されていたのだと私は信じています。そして、そのことを今私たちに顕現して見せてくれているのが他ならない文顕進会長のご家庭ではないかと思うのです。

そしてそれは、すべての「祝福家庭」が同様に愛のあふれた家庭を完成しなさいよ!と言うのがFPA(家庭平和協会)の趣旨だと私は理解しています。

皆さん如何なものでしょうか!


統一への思い

2018-02-23 06:18:05 | 新しい希望に向けて!

かつてよく歌った「統一の歌」

最近とんと聞かなくなったような気がする。南北統一の動きの激しかった、1990年代、北でもこの歌を歌っていた。指導者を賛美し、国民を鼓舞する歌の多い北の人たちもこの「統一の歌」には統一に向けての熱い思いを感じたのだろう・・・しかし、今では脱北者の「自由の歌」として歌われていると、最近のネット記事で目にした。

 

先日、ある二世の青年と話をしていたら、最近の統一家の分裂にかんして、「自分は何とかわかれてしまった三派を一つにしていく働きをしたい」との思いを聞かせてもらった。

本来「統一」を標榜してきた統一家(家庭連合)が分裂していてはお話にならない。これでは神のみ旨どころではない。

「別れ争う国また家は立たず!」と福音書にもある。

だのに、韓半島の南北は相変わらず分断したままであるし、統一家も分裂状態が続いている。

 

日本の国にも南北朝時代があった。明治維新の時代にはやはり討幕と佐幕の二派に分かれて戦った。

韓半島の歴史でも古代には三韓三国の間で争った。古代の三国は最後に新羅が唐と結んで高句麗と百済を滅ぼす形で統一したが、結果は唐の属国のような立場が待ち構えていた。  もしやこの時、高句麗、百済、新羅の三国が固く同盟していて倭国とも提携していたら唐やその後の中華の王朝の侵入を食い止めて、かつて高句麗が支配していた満州も含めて強大な国家として韓民族の国家が続いていた可能性は大きい。

お父様もこの時の新羅のとった統一策には否定的な発言をしておられたのをおぼえている。

ともかく同じ家の中、同じ国の中で争っていてはその家もその国も成り立たない。家は破綻し、国は滅びるのが目に見えている。

主義主張は様々あるだろう。全く反対の意見や見解も家の中でも国の中でも、同じ同族でもあるはず。それでも同じ血を分けた兄弟の意識が根底にあって、最後は和解して一つになればそこからその家や、民族は発展して行く。

イスラエル民族は、ヤコブが故郷のカナンのエソウを訪ねて和解したところから始まった。この、エソウとヤコブの和解無くしてはイスラエルの歴史は無かった。但し、エソウとヤコブの両家がその後も手を取り合って共に生きて行っていたらイスラエルの歴史はもっと強大なものになって行っていたに違いない。さらにはイサクとイシマエルの家庭が一つなっていたらいまのイスラエルとアラブの争いも無かったはずである。

 

お父様は韓国と日本の交叉祝福をされながら、韓日は一つだ「韓日國」と言う表現もされていた。

韓国と日本が本当の意味で一つになっていたら、両国ともに東アジアでさらには世界的にリーダーシップをとることが出来る立場になって行っていたはずである。それが、反日ー謙韓の空気で、その分いまだ共産党独裁を続け、世界に覇権主義を輸出している中国の横暴をゆるす結果となっている。

 

統一(一つになること)を阻害する要因は様々にある。しかしその要因を突き止めそれを克服したところに、共存共栄の道が待っている。

意見を交換することは重要である。しかし、暴力的強硬な力で相手を阻害するものは排除して行かなければならないだろう。やはり深い情愛をいかに育てるかにかかっている。恨みや憎しみを増長するのではなく、愛と許しと寛容の心が大切である。それとともに豊かさも必要である。人々はともに満ち足りた生活ができる時に平安を感じることが出来るものでもあるからだ!


一つになる強み!

2018-02-22 09:13:40 | 新しい希望に向けて!

今朝は、冬季オリンピック女子スピードスケートパシュートの金メダルの話題で持ちきりである。

強豪オランダを振り切っての勝利!  この種目の勝利の鍵は何と言ってもチームワークの勝利だとの解説である。

小平姉妹にほか2人の選手の息の合った走りが小気味いい~  こうなるまでには年間300日の合宿生活があったと聞いては驚いた!オランダ人コーチの徹底した科学的練習もすごかった! そして何よりもこの競技は個々の実力よりも団体としての滑りにポイントがあるとして見抜いて選手間の間隔を詰めたり、交代の時間を少なくしたりの努力と練習の積み重ねが今回の勝利をもたらした!

まさに一体化!一つになることの勝利を引き出したのが、素晴らしい!

 

統一家の分裂状態は心が痛い。「統一」を標榜する教会が分裂状態では、笑うに笑えないが・・・この哀しい事実をどう受け止めどう克服して行くのか!  課題は大きいが、この問題を克服できれば、統一運動は再び復活し、大きな飛躍を遂げることは間違いないだろう!

韓半島の南北統一に関しては、今はベストチャンスの時である。

文鮮明先生が北を訪れ金日成主席と電撃的会談を行ったときとはまた違った意味でチャンスの時である。

南北分断が固定化して今年で70年目。  冬季オリンピックが終了したら劇的な変化が待っているだろう。

この劇的なチャンスの時に統一家が分裂状態と言うのは、いかにも皮肉めいてもいるが、これも全て歴史の清算の課題だと受け止めてみると、いい考えが浮かんでくるのではとも思う。

何が70年間の南北の分断をもたらし続けたのか? 分断の原因と、それが長期化してきた理由。 そして統一を妨げてきたものは何で、どうすればそれを除去できるのか!

考えてみたいと思う。

 

統一を希求する心がまず第一に大切なこと・・・・

(続く)


統一の時代を考える

2018-02-19 16:00:13 | 新しい希望に向けて!

 

「統一の時代」を考える

 

劇的変化が予想される今年

真の神の日を迎えて、そのニュースも伝わってきています。

そんな中で、いよいよ半島の統一の時代が到来した予感を強く感じて来た。

丁度ピョンチャンオリンピック開催中で、一見平和に見える半島だが、内外の情勢は一触即発の状況であることは、誰の目にも明らかです。

北は、オリンピック開会の直前に軍事パレードを実施して、彼らの軍事力を誇示しているが、核開発に核ミサイル開発は既に周辺国並びに米国の忍耐の限界を越しており、オリンピック終了後、さほどの時間の経過を待たずして、米国の何らかのアクションがあることは間違いない。

今回のオリンピック開会式に参加したペンス副大統領は、レセプションに参加した北朝鮮幹部に極めて厳しいというか、一切無視の態度を取った。好況はするけれど、対話は無い。と言うのが今のアメリカの立場である。今の韓国文在寅政権の北との対話路線は、完全に今のアメリカや世界の動向を見誤っているとしか思えない。

 

このような状況の半島情勢の中で、HJNAKU大会などを通して、別の視点からの半島統一を提言し、市民運動としての統一を志向する運動を展開している。政治的なあるいは軍事的な統一ではなく、市民による下からの統一運動がどのような展開を見せるのか関心を持って見つめて行きたい。

 

新羅による半島統一

さて、統一と言えば、かつての新羅による統一が思い起こされる。古代の半島は主要な三国、すなわち高句麗、新羅、百済の三国を新羅が統一して統一国家を実現した。新羅による半島統一に主要な役割を果たしたのが、金庾信将軍でした。金庾信はもとは伽耶の王族の末裔でした。

新羅統一の主力となったのが花郎でした。

花郎は弥勒を奉じて国の守りを祈願しました。この弥勒信仰のもととなったのが文家の始祖文多省先生であったことは有名な話です。

 

さて、新羅による三国の統一は新羅が唐の国と結んで高句麗と百済を滅ぼす形で実現した。

その結果、新羅は唐の冊封体制に組み入れられる結果となり、その後の中国歴代の王朝と歴代の半島国家の関係もそのような関係が続いてきた。それが、解消されたのが、日韓併合であり、その結果立てられたのが「独立門」だった。今韓国人の多くが独立門は日本からの独立を記念するもんだと信じている人が多くいるそうだが、それは違う。当時中国を支配していた清国との冊封体制から解放され、独立を祝う門だったのである。

 

さて、真のお父様は半島の南北統一は北の民と南の民がともに一つになりたいという熱い心で結ばれてこその統一であると語られていた。そのごとくの状況は生まれてくるのだろうか?

 

新羅の唐の力に頼った統一は日本との関係も危機に陥れた。当時、日本と最も関係の深かったのが百済だった。日本からは百済救援のために日本各地からの援軍が組織され海を渡った。その軍団が終結したのが、白村江だった。ところがこの白村江での海戦で、日本と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に決定的な敗北をしてしまうのである。この白村江の戦い以降、日本と半島との関係は決定的な決裂関係となってしまう。

 

真のお父様もこの時の新羅による統一は否定的にみられる発言があった。慶尚道の連中(新羅)を中心としての半島統一ではなく、全羅道(百済)中心に、高句麗や日本とも連携して大国中国(唐)の進出を食い止めての統一がなされていたとするならばその後の東アジアの歴史は決定的に違っていたに違いない。その後半島は新羅が旧高句麗系の高麗に代わり、その後親中国路線の朝鮮が王朝を支配する時代が続いてきた。


「良心は神様に優る・・・」

2018-02-14 06:53:54 | 新しい希望に向けて!

 

良心は両親に優る3

儒教的価値観からすれば驚天動地 

「良心は両親に優る 良心は先生に優る 良心は神様に優る!」とは、儒教的な価値観からすれば、驚天動地の内容であろう。しかし、この言葉をお父様は繰り返し語られ、参加した婦人たちには復唱させられながら、語って行かれたのである。果たしてどれだけの人たちがその言葉の深い意味まで理解したかはわからないが、この、「済州島・水沢里修練会」を通して、まさに瀕死の状態だった日本教会が見事に復活して行ったことは確かであった。

ただ、日本教会の抱える課題や問題点が根本的に解決したわけではなかった。本当はこのみ言は、日本のみならず世界の教会指導者が深く認識しなければならない内容だったのであるが、度々の幹部研修にもかかわらず、お父様が教えようとされた本意は何処かに行ってしまったようである。

結局お父様の語られた本意は十分浸透しきらないまま、「良心」よりも、先生言われる人物や組織の上位者の意向や指示を絶対視する考えが再び食口たちを支配する思考や行動様式に帰って行ってしまうのである。

今日「TPの指示だから」「TPがこう言われているから」「TPの願いだから」などと殊更に強調されて、それ以外の行動や考えをすべて否定するような思考方式や組織の在り方が全てを支配するようになってしまっているのが現状です。

 

カミサマとは? 

お父様はこのみ言の最後に「良心は神様に優る!」と語られた・・・。「神様に優る」とは・・著と不思議にも思うが・・・これは筆者の考えだが、ここで「カミサマ」と言うのは、いわゆる組織の上位者・・・

日本語の神様は・・・上様(カミサマ)と言う意味が強い。  英語のGODや韓国語で言うハナニムとは少し意味合いが違っている。宇宙の創造神を指して神様とも言うがその他もろもろの尊いとされるものをカミサマと呼んできた。「カミサン」と言えば奥さんの事だが…それはさておき・・・日本人は様々な尊いとされるもの・・死んだ人たちもカミサマにしてきたので、それらを八百万の神々として、日本は多神教だと揶揄されたりもしているが、とにかく神様の意味は多様である。

「良心は両親に優る 良心は先生に優る 良心は神様に優る!」と言う中での「神様」とは、自分たちがカミサマとするような存在、「お上」とされるものの事だと理解するが如何であろうか?いずれにせよ、お父様は人間本人の中の本心から湧き出る「良心」の叫びを重要視して教えたみ言だと思う。何事の決定も親や先生や組織の上位者に頼った生き方では本当の神様の願いや行き方にはかなわないということを教えたかったものと考える。

 

真の主人意識を持つことの大切さ 

主体意識・主人意識を持ってこそ、本来の神様の願う人格や家庭を実現することが出来ると言うことだろう。お父様が家庭盟誓に「天一国主人・・・」と、「主人」と言う言葉を強調して入れられたのもその意味からだと私は理解する。

もしや、食口たちがその意味するところを十分に理解してきていたならば、統一家に問題は何も引き起こされることは無かったに違いない。

自分自身の中の「良心」を否定した結果・・・、「主人」としての自覚も責任もどこかに行ってしまい、そういうところに様々な矛盾が侵入してくる結果となっているのではなかろうか。