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HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

神(主)とともにあったヨセフの歩み

2018-03-03 22:56:54 | 新しい希望に向けて!

 

創世記379節を見ると「日と月と11の星が私を拝する夢を見た」とある。ヨセフがみた夢であった。

 

<先回からの続きです>

ヤコブを歓迎するに至ったエソウ

ヤコブが兄エソウのいるカナンに近づいたとき、ヤコブはエソウのもとに使いを遣わして、エソウの様子を伺った。そうするとエソウは400人の僕たちを武装させてヤコブの一行に向かってきた。恐れたヤコブは、群れを分けて、エソウへの贈り物の群れを先立たせ、次に妻と子供たちを先立ててエソウを迎えた。

極めて多くの羊やヤギなどの群れを見て「これは誰のものか?」と問う、エソウに僕たちは「これはあなたの弟ヤコブのあなた様への贈り物です。」と答えるよう僕たちに教えていた。

そしてヤコブは妻や子供たちを先立てながら自らは地にひれ伏して兄を迎えた。こういうヤコブの誠実さにエソウは心を開き、ヤコブを歓迎するのであった。

 

その後、エソウとその一族はカナンを離れ別の場所に住むようになった。それはエソウとヤコブの両家が共に住むにはカナンはあまりに狭かったからであった。

 

ヨセフの見た夢

さて、ヤコブが誰よりも愛した妻ラケルは二番目の子ベニヤミンを産むと同時に亡くなった。やはりラケルの子であったヨセフは「年寄子」であったこともあり、ヤコブからひときわ愛されて育った。そうであったがゆえに兄弟から妬まれた。

ある時、ヨセフは夢を見た。その夢とは「日と月と11の星が私を拝した」というものだった。この夢の話を聞いてヤコブは息子をとがめて行った。「本当にあなたをあなたの父母と兄弟たちが拝するというのか!」と。

ある時、兄弟たちがヨセフを妬んで彼を殺そうとした。この時ルベンは、ヨセフを助けようと彼を穴に投げ入れた。たまたまイシマエル人の隊商が来たので、ユダの呼びかけでヨセフをイシマエル人の隊商に売った。

 

エジプトに売られて行ったヨセフ

ヨセフは好男子であり、知恵が働いた。そして夢解を行った。そのヨセフを買い取ったのがパロの役人で自衛長を務める男だった。この男の妻がヨセフの見目麗しいのを見てしきりに言い寄ってきた。しかし、ヨセフは応じなかった。するとこの女はことを偽って、ヨセフが自分と戯れようとしたとして夫に訴えた。そこでヨセフは男によって獄舎に繋がれるのである。この獄中で出会ったエジプトの王の給仕役と料理役の二人に夢解きをするのであるが、これが運勢の開くはじめだった。

その後罪をゆるされてパロのもとにあった給仕役の長が、パロのみた夢を解くことが出来るとヨセフを獄舎から呼び寄せた。ヨセフは見事にパロの夢を解いて、エジプトに興る7年間の豊作とその後の7年間の飢饉を予言するのである。

エジプト王のパロはヨセフの知恵と能力に感心し、ヨセフをエジプト全地の司としたのであった。

 

エジプトの司となったヨセフ

さて、エジプトの司となったヨセフは7年の豊作の間、エジプトの人々に倉に穀物を蓄えるように命じた。次に7年の飢饉のときが訪れると、ヨセフはエジプト人に命じて倉を開きエジプトの人々に穀物を売った。さらに飢饉が続くと諸国の人々が穀物を買うためにエジプトにやってきたのである。

カナンにあったヤコブの家族もエジプトに行って穀物を買ってくるように息子たちに命じた。さて彼らヤコブの子どもたち、すなわちヨセフの兄弟たちがやって来た時、ヨセフはそれと知って、その兄弟を捕らえ末の弟(ベニヤミン)を連れてくるように促した。そして再び弟ベニヤミンを連れて来た兄弟たちに自分がヨセフであることを証しして、兄弟たちと抱き合って激しく泣いた。そして故郷に帰って父とほかの家族たちを伴ってエジプトに供養に促した。そうしてヤコブとその家族は、ヒツジや馬などすべての持ち物とともにカナンからエジプトに移り住んだのである。

 

 

神(主)とともに歩んだヤコブそしてヨセフ

これら一連の出来事には常に神(主)が共にあったことを忘れてはならない。アブラハム、イサク、ヤコブとともに神(主)が共にあったように、ヨセフにも神が共にあって導き恵みをあたえてきたのであった。

 

ヤコブの路程、そしてその息子ヨセフの歩んだすべての道を見れば、神(主)が共にあり、その主の御心と導きに常に忠実にあったときに、主は彼らを導き、死の境地の中にあっても彼らを導き、祝福し恩恵を与えられたのであった。

そして、彼らはその兄弟たちの甚だしい仕打ちにもかかわらず、彼らを愛し、その家族が共にあることを、祈り願ってきたのである。

 

その伝統と精神がイスラエルの歴史として受け継がれ、その子孫を守り栄えせしめて来たのであった

今も、同様の試練と困難を越えながら歩まれる神様の息子がいる。神への深い精誠の心を受け継ぎ家族や兄弟たちへの全ての恩讐を乗り越える深い愛情を秘めて歩んでおられる方がいる。

 


エソウをしてヤコブを歓迎せしめたもの

2018-03-02 06:52:38 | 新しい希望に向けて!

 エソウをしてヤコブを歓迎せしめたもの

 ヤコブが21年間のハランでの生活に区切りをつけて故郷のカナンに帰って行こうとした時、兄のエソウは僕たちに武器を持たせヤコブたちがカナンに帰ることを阻もうとした。しかし、この時ヤコブが取った行動がエソウの心を変わらしめ、最終的にエソウとヤコブは抱擁し、兄エソウは弟ヤコブを故郷に迎え入れるのである。このエソウとヤコブの和解こそが統一の原型となって行くのである・・・・

 

ヤコブ路程

復帰摂理の中でお父様が強調されたのがヤコブ路程であった。サタン屈服の典型路程として食口たちはその一節を学んだはずである。

復帰原理では「堕落性を脱ぐための蕩減条件」として、「実体基台」を復帰するための蕩減条件と言う位置づけをしている。

人間始祖アダムとエバが堕落する過程の中で堕落性本性が生じた。その堕落性を脱ぐための蕩減条件として、アダムの息子の二人、兄のカインと次子のアベルの間で「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられなければならないというのである。

天使長の誘惑によってエバが堕落し(霊的堕落)、エバがアダムを誘惑してアダムも堕落した(肉的堕落)、その過程の中で偶発的に生じたのが堕落性本性だというのである。

・・・・この後の詳しい説明は省略するとして・・・・ ヤコブ路程を追ってみよう。

エソウとヤコブ

エソウとヤコブは双子だった。母親のリベカは、「兄が弟に仕える」ということが御心だと知っていたので、夫のイサクがその息子(イサクは兄のエソウを祝福しようとした)を祝福しようとした時に、弟のヤコブがイサクから祝福を受けられるように援助した。父親のイサクが祝福を与えるためにエソウにその条件として好きな獣の肉で作った食べものを準備するように言ったことを陰で聞いたリベカは、弟のヤコブに家にいる別の家畜を屠ってくるようにさせ、その肉で夫イサクの好きな煮物を作ってヤコブがイサクから祝福を受けられるように仕向けたのである。エソウとヤコブは双子だったので、声や毛深さが違っていたが、イサクは目が悪くなっていたので少し疑問に思ったが、好きな煮物を持ってきたヤコブを兄のエソウだと思い、エソウを騙ったヤコブに祝福を与えるのである。この祝福は家督(長子権)を相続させるための祝福だった。野に出て獣を獲ってきたエソウが父の好きな肉の煮物を作って行って「祝福をください」とエソウが父イサクに求めた時には、すでにエソウがヤコブに祝福を与えた後だったので、イサクは「祝福は与えてしまった」と、イサクにあきらめさせたのである。そういうエソウの思いを知った母親のリベカは、このままいたらヤコブが殺されてしまうのではと思い、ヤコブを守るために、故郷のハランにいる兄のラバンのもとにヤコブを・;送るのである。この旅の途中べテルと言うところで寝ていた時、天から梯子が下って来て、主(神)の使いが上がり下がりするのを見るのである。主はここでヤコブを祝福し、ヤコブは神の祝福に対して、「私はあなたを主とします。あなたが私の行く道を守ってくださるならば、私は得られる収入の十分の一を常にあなたに捧げます。」ののような約束を主(神)とかわすのである。これがいわゆる十一条の始まりとなったのである。

ハランにいた叔父のもとで21年間、ヤコブはこの地で様々な試練にもめげず、レアとラケルと言う二人の妻とその仕女によって12人の息子と一人の娘を得、さらには約束を違え続ける叔父のもとにありながらも、主の祝福を得て多くの財産を蓄えて行ったのである。

最初は良い働き手が出来たと喜んだラバンに、ヤコブは働きに応じて一定の報償を貰えるように交渉し、叔父ラバンのもとにある21年間にたくさんの財産を蓄えるに至ったのである。一方ラバンの娘のラケルが好きになったヤコブはラケルを嫁にほしいと願い出るが、叔父ラバンはそのために7年間無償の働きを要求するのであった。晴れてラケルと結婚と言うその夜、ヤコブが一夜を過ごして知ったのはそれが姉のレアだということだった。怒ったヤコブは叔父ラバンに抗議するが、「妹を先にやるわけにはいかない。妹ラケルのためにもう7年働いたらラケルも嫁に行かせる」として、結局二人の姉妹を妻とするのであった。姉の方には子供が出来るが妹ラケルには子供が出来ない、そこでラケルは侍女に子を産ませるのであるが、対抗した姉も侍女に子を産ませ、その後ラケルにも子が出来て、都合12人の男子がヤコブにはできるのである。この12人の息子たちがそれぞれ後にイスラエルの12部族を形成して行くようになって行ったのである。

さて、二人の妻を得るために14年、さらには7年をかけて家族と財産を蓄えたヤコブは主の命を受け故郷のカナンに帰ろうとするのである。ハランを去る時に姉のラケルは父親が大切にしていた偶像を隠して持ち去った。あわてたラバンが追ってきたときにラケルは股間に隠して父の追及を逃れたという逸話がある。これも意味のあることだと原理には説いている。

さて、いよいよカナンの故郷が近づいて、故郷との境のヤボク川を渡ろうとした夜、天使が現れてヤコブと相撲をしたという。この時ヤコブが天使に勝利して、天使に祝福を要求した。その時に天使が与えた祝福が、「これからはあなたはヤコブと言わずイスラエル(勝利者の意)と名乗りなさい」というものだった。これがイスラエルの出発となった。

さて、ヤコブが故郷に近づくと長子としての祝福を奪ったヤコブが帰ってくる事を聞いたエソウは、「帰ってきたら殺してやる!絶対許すものか」とエソウは僕たちに武装をさせヤコブの一行に向かっていくのである。(以下 続く)

 


統一を妨げるもの 統一の悲願の実現に願うこと

2018-03-01 18:46:58 | 新しい希望に向けて!

私たちの願いは統一 「統一の歌」

  우리의 소원 통일 꿈에도 소원은 통일
이 목숨 바처서 통일 통일이여 오라
이 겨레 살리는 통일

이 나라 찾는데 통일
통일이여 어서 오라 통일이여 오라
 

<日本語訳>

私達の願いは統一

夢にまで願うは統一
この真心を尽くして統一

統一を果たそう

この同胞を生き返らせる統一
この国が探し求めている統一
統一よ、早く来い

 

統一を妨げるもの

統一は悲願であるが、その統一を妨げる要因がある。それは何だろう?

妬みや嫉みの心は誰にも生じやすいものだが、これが厄介である。いわゆる愛の減少感である。カインとアベルが争ったのも愛の減少感からだった。

 

逆に統一を促進する要因は愛以外のなにものでもない。恨みや憎しみを越えて余りある愛情が全ての障壁を越えて、統一を実現する原動力となる。

そして、統一に向けてより大きな力となるものが、ビジョンである。すべてのものはより大きな目的があってこそ一つに向かうことが出来るし、その力も大きくなるものである。そしてその目的やビジョンを共有することが大切である。それは,共生であり、共栄の道である。今は対立分裂していても、共に同じ家族だという意識が芽生え育てば自ずと一つになるものである。

 

分断して70年

半島の南北は分裂が固定化して70年を経過しようとしている、この間6.25と呼ばれた韓国(朝鮮)動乱は同族間の熾烈な争い、殺し合いとなり300万人が犠牲となった。その後も南北の対立は続き、一時文鮮明先生の訪朝などを通して対話と交流が進む気配もあったが、その後も深刻な対立状況は続いたままの状態で今日を迎えている。

この南北対立の一番の元凶は北に共産党(労働党)の独裁政権が続いていることであり、そのもとはと言えば第二次大戦後の東西対立に起因する。第二次大戦が日本の無条件降伏で終結し、取り残された半島を誰が支配するかにおいて、当時支配地域を第二次大戦終結の混乱に乗じて拡大しようとしたソ連スターリンの思惑の中で、ソ連軍が駐留した北半にソ連の意をくんだ金日成政権が成立したことに始まる。そして韓国動乱後は、その当時いまだソ連コミンテルンの傘下にあった中国共産党が影響を行使して、ソ連崩壊後は特に共産中国が北を支援し続けたのが大きい。

真のお父様は六か国協議を主張しておられた。半島をめぐる当事国として、南北両国に日本、アメリカ、ロシア、中国を入れた六か国である。もとより半島情勢の緊迫化は東アジア状況としては好ましくない。できれば半島で再び動乱を起こしてほしくないというのが各国の本音だろうが、それでいて自らの影響をこの半島で行使したいというのも各国の狙いでもある。

これまで、ずっと当事国の主流であるコリアン(韓国・朝鮮人)主導による統一や平和への取り組みは十分なされて来たとは言い難い。あくまで問題解決の主流は当事者のコリアン(韓国・朝鮮人)でなければならない。これには個人や一国家の思惑が絡んでなかなかうまく運ばない状況が今日まで続いてきたのである。

 

半島統一に願われること

この半島南北の統一は周辺国家にマイナスの結果をもたらすものであってはならない。周辺国も含んだ東アジアに平和と安定をもたらしさらには経済発展ももたらすものでなければならないだろう。

先日にも少し書いたが、南北統一が周辺国家にとっても好ましいものであり、統一を歓迎し必要とあらば支援しようという動きが肝心である。

コリアン(韓国・朝鮮人)独特のものの考え方や習慣も問題である。これまでのコリアン(韓国・朝鮮人)の考え方や習慣の在り方は、とかく周辺国家との軋轢や摩擦の原因にもなってきた。

そういった点が変わって行くのかどうかが一つの問題点でもある。民族性や習慣の在り方は一つの個性でもあるので、お互い尊重しなければならないが、少なくとも隣人に不快感を与えるようなものであってはならないだろう。

 

聖書で教える最も大切なこと!

ここで、イエスがその弟子たちの質問に答えて、聖書(旧約)の最も大切な教えは何かと言うことを教えた言葉を思い起こしたい。イエスキリストは、聖書の最も大切な教えとは「心を尽くし思いを尽くし精神を尽くして主なるあなたの神に仕えなさい」と言うことであり、さらには「己自信を愛するようにあなたを隣人を愛しなさい」と言うことだと教えた。これが聖書(旧約)の教えの全てだとも教えた。ところでこの教えは新約の時代にも受け継がれ、さらには再臨の時代成約時代の教えの根本でもある。

真のお父様(文鮮明先生)の教えの根本はと言えば「真の愛」に尽きるだろう!それはまず宇宙の根本である神を愛することであり、そして隣人すべてを愛することに尽きる。

半島国家コリアの南北の民が、この文鮮明先生の「真の愛」の精神と伝統を受け継ぎ、民族の欠点を克服することさえできれば、南北統一はいとも簡単に成し遂げられるに違いない。恩讐を憎むのではなく、恩讐をも赦し愛する真の愛があれば南北統一も世界の統一も不可能ではない。

 

周辺国からの期待と願い

お互いに罵り合ったり、非難しあうことは止めよう!他国や隣人、隣国に対しても真の愛で一つになることが出来れば、全世界から尊敬される民族、国家として永遠に称賛される歴史を築くことが出来るに違いない。

ことこの問題に関しては我々、周辺国に住む人間たちはこれ以上介入すことは出来ないと思う。あくまでコリアンの人々が自ら悟り、自ら選択し、自ら進んで実行して行くしかない問題でもある。

いずれにせよ、統一コリアが明確なビジョンと目的を共有して、民族国家の総力をあげて実現して行くことを望みたい。神の愛を中心に、真なる愛を中心とした統一国家の成立を我々は歓迎するし、できる限りにおいて支援し応援もしていきたいと考えているからである。

 

 

 


心の豊かさをどう育てるか!

2018-03-01 07:32:46 | 新しい希望に向けて!

すべては人間にかかっている

国の政治も経済も、世界の平和も、それがうまくいくかどうかは結局のところ人間にかかっている。なかでも人の心が肝要である。人の心が全てを決定する。そうなてくると人をどのように育てるかと言う問題が重要になってくる。

人間と言うことは、その心が肝要で、その心をどのように育んでいくかが問題です。

 

家庭教育の大切さ

人間の心が何処で育っていくかと言うと、それはまず家庭です。家庭で父母の愛や兄弟姉妹の愛、様々な隣人愛の中で愛を学んでいくのが最初です。

人が生まれてくれば、まずは母親、そして父親、さらには兄弟姉妹や祖父母、親戚、家族の隣人たちから愛を受けて育っていきます。よく胎教と言うことが大切だと言われてきましたが、母親の胎中にいるころから、実は愛情を受けて育っているのかもしれません。

 

統一思想の教育論を見ると

統一思想の教育論を見ると、人は三大祝福を完成して行く中で教育が必要になりますが、第一祝福を完成して行く中で必要とされるのが心情教育だとされています。第1祝福は個体的四位基台で心と体が一つになった人格を形成して行くことです。その時に必要なことが心の豊かさ、すなわち心情です。心情と言うのは、主体が対象に対する愛の動機のようなものだと言われます。単純に心情が豊かと言うことは愛情が豊かだと言ってもいいでしょう。

子供が成長する中でまず大切にしていかなければならないのは心情の豊かさです。別の言葉で言えば愛情が豊か、あるいは思いやりのある子どもであるとか、優しい子供、人を喜ばすことのできる子供に育っていくと言うことです。

次に第2祝福ですが、これは家庭的四位基台を形成して行くことで、家庭からさらに社会、国や世界の人々との調和を意味します。ここで求められるのが規範教育です。家庭内における親子、夫婦、兄弟姉妹の人間関係が大切です。親子の上下の関係、夫婦の横の関係、兄弟姉妹の前後の関係です。・・・ここで注意しなければならないのは上下や前後左右の人間関係は固定的な一方的な関係ではないと言うことです。統一原理では主体と対象の関係を愛と美の関係で表現しています。主体の対象に対する情的力が愛であり、対象が主体に返す状的な力が美だと教えます。しかし、主体と対象の授受作用が進めば愛にも美が美にも愛が含まれるようになると教えています。

規範教育と言うと何か儒教的な四角四面の関係を教えることのように受け止めがちですが、そうではなく、規範を育てるもととなるのもやはり、人間の心であり、愛情です。人間の心の根本に、人を思いやる心が育っていてこそ、人間関係の秩序もうまくいくのです。

無神論や非宗教的教育、あるいは儒学による四角四面の教育では本物の秩序はもたらされません。親子、夫婦、兄弟姉妹の関係もお互いがお互いを思いやる深い心情を基盤としてこそ本来の秩序がもたらされるのです。

最後は第三祝福、主管的四位基台を実現して行くための技術教育です。これもやはり、第1第2祝福を実現して行くための心情教育や規範教育の基盤の上になされるものです。例えば学校教育における教育の基盤は、読み書き算盤といった技術や知識の教育ですが、その使い方を間違えば人間社会に平和や豊かさをもたらすものではなく、却って脅威や破壊をもたらすものになってしまいます。技術を駆使し使いこなすには豊かな人間性や社会秩序を重んじる人間性が問題になってくるのです。

学校教育も問題ですが、家庭教育が全ての基盤になることがわかります。

 

家庭連合創設の目的

真のお父様が家庭連合を創設された目的もここにあると知らなければならないと思います。心情を豊かに育てる家庭基盤が実現されて行けば自ずと、社会も国も世界も平和に豊かになって行くと言うことです。

ここにメシアの真の使命があると説いたのが文鮮明先生の教えでした。本来最初のアダムが本来的な関係でエバと真の愛の家庭を築いていたら人類に破滅的な堕落や戦争などは起こりえなかったはずです。

心情の豊かさの枯渇が、人々に争いの心を生じせしめるのです。妬みや嫉みの心も心情の欠落から生じます。どんなに立派な理想論を説いても、その動機に愛情が無ければ、人を裁くものになってしまいます。

 

神様との心情関係

神様との心情関係も重要です。心情教育や規範教育の中で人々は目には見えないけれど宇宙の根本になる神様の愛を感じ取って行くことを学んでいくのです。

根本的な家庭愛の世界を自然に自ずと人々が学んでいけるような環境や、働きかけが重要です。極端な民族性や偏狭な宗教的基盤は時としてその妨げになります。人類歴史と世界を俯瞰した考えや思考がそれらの教育や運動を進める上では大切なものの見方や考え方になるでしょう。

もし愛がなければ

ですから、福音書が教えている「もし愛が無ければ・・・・」と言うコリントⅠ13章の聖句がとても大切だと言うことがわかります。

あらゆることに、その根本となる「愛」を育てることの重要さがわかります。

私たちに求められているころは、まずは私たち自身の家庭の中で子供たちや身近な家族が如何に愛情を育てる生活を大切にしているかが問われているということではないでしょうか!

 

大河ドラマ「西郷どん」に見る人の愛、家庭の愛の大切さ

大河ドラマ・・・今年は「西郷どん」です。 テレビで今描かれているのは、西郷隆盛の青年時代ですが、そこで描かれているのは青年西郷の愛情の豊かさです。家族や隣人、そして藩主や国への熱い思いです。今週の西郷どんで描かれていたのは、西郷のその愛情深さのゆえに、実家に帰り、あえて離縁を申し出る嫁の話でした。涙が出ました。

今回の大河で描かれる西郷は、維新のヒーローではあるけれども、そういう西郷の英雄的側面より人間性、あまりにも愛情ゆたかな人間としての西郷の姿かなと思われます。

西郷のその豊かさを育てたのは、その家族や地域の人々との結びつきにあったでしょう。またその両親や祖父母の愛情の豊かさであったかもしれません。

いずれにせよ、人を思いやる愛情の深さが何より大切なこと、またその愛情を育てる基盤が家庭にあることを深く思わされる番組になっています。

 

私のFPA創設に見る理解

私のFPAの創設に対する理解、HJNが目指すもの、そして本来真のお父様が創設された家庭連合が目指すべきものはこういう愛情あふれる人間性を育てる教育にあったのではと思わされています。

おそらく、だれしもそのことには異論がないだろうと思うのですが如何でしょうか!

 


半島に愛と希望にあふれた統一国家が実現したならば

2018-02-26 06:46:02 | 新しい希望に向けて!

冬季オリンピックが終了した!様々に顯される事態、トラブルもあったが、それでも大きな事故や事件もなく無事に終わったのは良かった!

日本は今回長野オリンピックの時のメダル数を超える金銀銅のメダルを活躍、フィギアスケートの羽生選手やスピードスケートの高木姉妹、小平選手などの活躍が時に目立った、そいう中で日本選手の、勝負の勝ち負けを越えた爽やかな姿が日本国民のみならず地元韓国や世界の人々をも感動させた。

さて、オリンピックが終了して、この半島をめぐる情勢は再び緊迫の事態に引き戻されている。北の核やミサイル開発にくぎを刺し続けて来た米トランプ政権が再び北に対する圧力を強化して行くことは、閉会まじかになってトランプ大統領が発表したコメントに明らかである。局部的な攻撃を意味する「鼻血作戦」が実行されるかどうかはわからないが、確実に北の核武装の拡大に止めをさしてくることは明白である。そういう事態に当事国の韓国や周辺国の日本や中国、ロシアがどのように対応して行くのか!

今回平昌オリンピックでアメリカが示したのは「(北とは)交渉はあるが対話は無い」という姿勢であった。その点。韓国の文在寅政権の対北政策とは、大きな隔たりがあった。オリンピック後。北と韓国文在寅政権はどのような対応をしていくのだろうか?

 

今年の9月で北の朝鮮民主主義人民共和国は建国70年を迎えるはずである。あと7か月、しかし「共産主義は70年を越えられない」という、文鮮明先生の言葉がある。この7か月に何が起こるのかは全く予断を許さない。

世界はどう見ているのか?日本の政府や国民は!

南北統一に向けては文顕進会長は独自のアクションをこれまで行ってきた。AKUを組織して、下からの統一運動を推進して来た。このAKUは幅広い韓国の市民や国民、さらには諸外国の人々にも理解と賛同の輪が拡大して行っている。

問題は統一のビジョンである。どのようなビジョンをもって統一を成し遂げて行くのか!と言うことが問われている。

特に周辺国にとってみれば、統一されたとしてその国家がどのような国になるのかが気になるところです。半島が統一されたとしても、周辺国に再び混乱や困惑を招くような国になるのならば、かえって統一されない方が良いとも考えると思う。あるいは自分たちには関係ないとなるか!

南北統一が周辺国の祝福を受けるかどうかで、この統一の動きも変わってくるのではないだろうか!

先に、新羅の時代の統一を考えてみた。当時、半島国家を分けていた、高句麗・百済・新羅の三国が協調、協力を得て統一を成し遂げていたならば、その後の中国や日本の国との関係も違っていただろう。三度も隋の攻略を退けた高句麗や、日本(倭国)との関係が良好だった百済と一つになっていたら、東アジアにおいて強大な大陸国家となった唐やその後の中国の王朝とも対等の関係でつき合うことが出来たのではなかろうか!そうすれば、東アジアに今以上に強力な文化国家を実現していたかもしれない。

 

 

イエス以後の2000年間、東アジアに世界の全ての文明が流入して、20世紀から21世紀を迎えた現代に最終的結実を見るというのは統一史観で説いている通りである。但し、マイナスの文化も結実している。共産主義と言う無神論思想によるカイン型文化が今なお強力に支配しているのが東アジアでもある。家庭文化の在り方に付いても東アジアは一つの試練の場となっている。

だから、南北統一は世界文明の光と影の象徴であり。最も難しい統一問題だと言えるのかもしれない。

この統一問題を解決するには、実際のところ人類史全体の目的や目指すとことを明らかにすることなしには、実現しえない性格のものなのである。

 

統一国家に願うこと

今、正直な思いを述べてみよう! 日本と言う国にいるとある面、世界が見える。現在の日本の政権を預かる安倍晋三首相は、全地球を俯瞰する外交を続けているが、それは東アジアの端に位置する島国と言う特異性のゆえに実現している向きもある。太平洋と言う海を通して、そしてかつては半島や大陸との関係を通して、そして南方のルートを通して全方位から文化を摂取しつづけそれを融合し結実させてきたのが日本でした。

韓国は韓国のプライドがあり、歴史性があると思う。半島国家独時の文化があり個性がある。これからの時代は世界の諸民族、諸国家がそれぞれ独自の文化や風土を育てて、皆がそれぞれ輝いて行く時代だと思う。

だからこれからは、それぞれの国や民族がお互いに尊重しあい、協力協助しながら、新しい時代の文化や風土、さらには豊かさを育てて行く時代だと思う。

それぞれの民族や国家が、その個性や特性を主張することは別に構わないが、隣国に対して核やミサイルで脅かしたり、歴史的にあり得ないことまで捏造して隣国への恨み言をいつまでも主張されては、極めてはた迷惑この上ない。さらには境界線をめぐって筋の通らない主張をいつまでも続けるなどと言うのは、隣人関係を最悪にすること以外のなにものでもない。

南北が統一されて一つになっても隣国との関係がぎくしゃくしたものになるのであれば、却って統一などしてくれない方がまだましだと考えるのが普通である。

統一国家のビジョンには是非とも隣人愛・・・「汝の隣人を愛せよ!」といった旧新約聖書の最も大切な教えを具現化するものであってほしい。

隣国とともに平和と繁栄を実現して行ってこそ、これからの時代の国の在り方の見本であろう。

穏やかな愛情あふれる心の文化を備えた国がこれからの時代、世界から尊敬されいつまでも繫栄して行くモデル国家となることは間違いない。

南北統一と言う絶好の機会を通して、これからの半島国家コリアが、そういう国家になるというのであれば、我々は南北統一の悲願実現を全面的に応援したいと思う。

そういう趣旨とビジョンが広く行きわたれば、全世界がこの悲願を応援したいということになるだろう。

今は覇権主義の侵出を企てる共産中国とともに、分断国家南北の混乱は世界平和の最も懸念材料となっている。本当の意味で東アジアに平和と安定、安寧の時代が訪れればそれは、近隣諸国を始め、世界の諸国の願うところと一致する。

半島南北の統一運動にはそのようなビジョンと取り組みを期待したいものである。