発展する運動となって行くには
安心安全な商品が並ぶスーパー
最近あるテレビで、東京や神奈川で最近話題のちょっと変わったお店の紹介をしていた。
それは、「生活クラブ」という生協が経営するスーパー「デポー」。ここは様々なオリジナル商品が魅力で、年々組合員数を増やして今や38万人の会員がいるという。
ここの特徴は、消費者である組合員自らが加わって開発したオリジナルなPB商品。
消費者である組合員が直接加わって、生産者と二人三脚で、「安全で美味しい商品」を開発し続けて来た。あくまで消費者目線で、原材料から加工の仕方に至るまで、素人ではあるけれども消費者として不安な原材料や製造過程の不安を一切取り除いた、商品作りで、ここで売っている商品はどれも安心できるし、おいしいという商品を作り上げて来たのだそうである。
生産者からすれば、これで安全性も心配ないし、味も良いだろうと思うのが、消費使者の立場からみれば、そうでもないことが多い。製造過程で一見不合理だと思うことが、消費する立場から見れば理にかなっている場合があるのである。
消費者目線の商品開発に主婦たちが
もとは社会党系の政治運動を行ってきた組合の創業者たちだったが、牛乳値上げに対抗して、本当に安心でおいしい牛乳を!と、自分たちで牛乳工場を立ち上げたところから始まったらしい。
そのうち消費者の主婦たちが加わって独自の商品開発を始めるようになって、本当に安心して消費できる商品が受け入れられるようになり発展を遂げて来た。
生活クラブの組合員の中から地域に受け入れられ喜ばれる事業を起こした主婦起業家がすでに600もあるそうである。それは消費者目線の商品開発に取り組んできたノウハウを生かして、本当に地域に愛され必要とされる、例えば高齢者向けの弁当屋などを起業してきたからである。
ここの組合員たちは自分たちが「社会をよくする主役になる」という意気込みに満ち溢れているという。
だから、今この「生活クラブ」は、創業者の意図するところを越えてどんどんと発展して行っているのである。敢えて、会員拡大と言わなくても多くの主婦の支持を得て組合員は増え続けている。
発展の鍵
筆者は、ここに発展の鍵があると思った。
どんなに素晴らしい商品があるとしても、本当に必要としている商品を消費する消費者の立場に立たなければ人々から受け入れられない。却って一見不合理のようでも、社会に密着した消費者の立場に立って、個々の感性や能力を発揮していった主婦達の力が大きな発展の原動力になったのである。
家庭崩壊の激しい時代、今世の中はこの家庭崩壊を食い止める何ものかを求めている。
そのことに多くの学者や研究者が処方箋を書いてはいても、それがそのまま受け入れられ、現実に問題を抱え苦しんでいる家庭を救うには至っていない。
本来的な家庭を追及して家庭理想の実現を目指した家庭連合であったが、その理念や活動は広く社会に受け入れられているとは言い難い現実がある。
今後FPAがその課題を解決するべく取り組んでいったとしても、実際に家庭の崩壊や問題に直面する多くの人たちの現実と遊離しては本当に役立つ運動とはなりえないだろう。
おそらく、FPAに所属する家庭自体が、様々な課題を今でも抱えているのではとも思う。解決の鍵はみ言であり、原理だが、その原理やみ言をどう生かすのか?それは現実にあるそれぞれの家庭自身の課題である。膨大なみ言を、生かしたものが現実に有用なものとなって行く。
本来の訓導家庭教会の在り方がそこにあるのでは!
本来それが、氏族メシアやホームチャーチの課題とするものではなかったのか!
我々は日々の訓読生活で、ただみ言を訓読していればいいのではないだろう。み言の訓読を通して我々自身が、宇宙の根本や、本来的な家庭や社会の在り方を実感し、我々自身の生活や思考を改善して行ってこそ、み言が有効なものとなり、多くの人々を救済する価値あるみ言となって行く。
それこそが本来的な訓読家庭教会ではないかと思う。
本来はグループ活動で、み言を通して発見した物事のとらえ方や生活の在り方の生の情報を交換して行くこそが、本当に価値ある生き方を提供して行く氏族メシア活動になるのではと思う。
そうしてこそ、社会全般に広く普及して行く運動足りえるのではないかと思わされた。
普通の会員、普通の家庭がその力を発揮して行く
「生活クラブ」の商品開発に携わった主婦たちはみんなどこにでもいるような普通の主婦たちだった。その人たちがそれぞれの個性を発揮して行く喜びの中に発展の道があった。
我々も、氏族メシアをになるそれぞれの祝福家庭はみんな普通の家庭である。特別ずば抜けた能力や感性があるわけでもない。それでも、日々の生活の中でみ言を生活化して行く努力の積み重ねの中で、み言の実体化が可能なのだと思う。他力本願ではない。自ら喜びと希望の家庭を作り上げて行く努力が、最終的には多くの人々をも巻き込んで幸せな家庭づくり運動として結実し発展して行くのではなかろうか!
必要なことは、現実の我々自身がいま必要として行くものを自ら見出していくことでにあるのではと思う。