「母の母たるが所以は母であるからである。」
なにか、なぞなぞのようであるが、なぞなぞではない。
今、教権勢力は「真のお母様」をして「真のお父様と一つ」として、「真の父母様」と称して、そのもとにすべてが従わなければならないという詭弁を弄しているが、これは誰もが詭弁そのものであることは、少し物事のわかる人なら当然理解することだろう。
ところで、真のお母様が真の母たる所以とな何だろうか?「母が母たる所以は母であるからである」としたが、要するに母と言うのは子供を持ってこその母であると言うことは言うまでもなかろう。「真の母」と言うのはまさに母の中の母、母親としての模範であり、モデルとなってこその「真の母」である。
当ブログ村「家庭連合」ジャンルでも人気ブログの一つ、「Cocoa] さんのブログで最近の記事で,アメリカNYで語られたHJNのみ言の翻訳をアップされていた。
ソウルでの報告会に参加しました (ニューヨークの訓読会から)
この中の一言「みなさんが責任を果たせば、オモニムは深刻な場に落ちることなく、再び勝利したオモニムとしてお迎えすることが出来る。私はこれを楽しみにしているし、私が必ずそうするだろう。」と言われたHJNの言葉が印象的だった。
ここで言われる「勝利したオモニ」とは何でしょうか!
母が母として勝利することは、その子供の勝利によってなされると言うことです。
母親としての勝利は、その子供の勝利があってこその勝利だと言うことです。
ここで「みなさんは」とHJNが言われるのは、我々祝福家庭のことです。祝福家庭は「カインの子女」です。真の父母様の実子が「アベルの子女」です。ここで「真の母」という言葉の原理的意義は、原理を学んだ人ならば誰でもわかるはずです。そうです。カインの子女である祝福家庭がアベルの子女である真の父母様の実子である子女様に侍り一体化して勝利することで真の母の位置が確定するのです。
HJN様が「皆さんが責任を果たせば・・」と言われるのは、我々祝福家庭がアベルの子女である子女様と一体化して勝利すればと言う話です。そうすれば真の母であるお母様は自動的に勝利した真の母になられるのです。真のお母様がどのようなことを発言されあるいはどのようなことをなされとしても、母としてはその子女である子女様と祝福家庭が一体化して勝利することで勝利した母になるのです。
逆に真のお母様がどんなに人格者であり素晴らしいリーダーであり、どのように個人として勝利したとしても、母としての勝利は子女の勝利如何に関わっているのです。
ですからHJNとともに祝福家庭が一つになって勝利してこそ真の母が真の母となるのですから、そしてその子女であるHJNが「私がそうするだろう」と言うのはそれだけ頼もしい姿であろうかと思うのである。
このたび櫻井節子夫人が「私は顕進様とともに最後まで歩みます!」と、信仰告白されたが、このような信仰告白する櫻井節子夫人と同様に顕進様と絶対的に一つになって勝利を決意する祝福家庭さえあれば、アベルとカインの子女が一つになって勝利することになるので、お母様は自動的に「勝利した真の母」になられるのである。
HJNははっきりとそのことを語ってくださっているのである。
教会幹部が何を言おうと関係が無いのである。「顕進様は分派だ!顕進様のところには行くな!」と、どのように叫んだとしても、「私は行きます!」と言う祝福家庭が出てくれば、カインとアベルの子女が一体化して勝利することになるので、最終的には「行くな!」と言って反対した幹部たちの背後の悪霊も復活して(これがまさに悪霊の復活現象です!)救われるのである。
今後教会幹部がしつこく執拗に「行くな!」と言えば言うほど多くの教会員や食口たちは、ようやくにして「何かおかしいぞ!」となって、真実を知りたくなり、事実を知るようになるのである。
「行くな!」「行くな!」と言う幹部の言動は、却って食口たちがその間違いに気づくチャンスを与えられることになり、結果として禅の働きになるのである。
ちょっと例えが生々しいが、現在の日本の政界で民進党が森友学園問題や加計学園問題でおかしな追及をすればするほど却って安倍内閣の支持率は向上し、民進党はますます凋落するのによく似ている。
だから教会本部はますます「反顕進様」の旗色を鮮明にして「顕進様のもとに行くな!行ったら除名だ!」とこれまで以上に激しく反対をしてほしい。そうすればこれまで混沌としていた食口たちもようやく事の次第に関心を持つようになり、事実を知るようになってくるだろう!
先にCOCOAさんが引用したHJNのみ言にこうあった!「境界線、または中間地帯に立つな。」と言う一言である。
中途半端で曖昧なのが一番質が悪い。どっちつかずであいまいにしていてはいけない。白か黒かはっきりすれば、誰しもがどちらが善でどちらが悪か、どちらが正しくどちらが間違っているかに気づくようになっているのである。
「母の母たる所以は母であるからである」・・・子女の勝利が母の勝利なのである。
COCOAさん勝手に引用させてもらいました。ありがとうございます。