「家庭連合」の説明と真お母様が語られる「独生女」の意味するところ~
真のお父様が語られたみ言との違いは何処にあるのか?
全ての祝福家庭、家庭連合の教会員は真剣に考えてみなければならないのではないでしょうか!
今、祝福家庭が考えるべきこと
緊急通達が出たらしい・・・FPA、櫻井夫人、櫻井正実氏の活動に対して
家庭連合はまた櫻井夫人に関連して緊急通達を出したらしい・・・
どうもその内容は、個人の信教の自由や、思想信条の自由を侵害しているとしか思えない内容で・・「おいおい大丈夫か!」と思わざるを得ません。宗教の和合と統一を標榜した文鮮明先生の訓戒を受けた「家庭連合」教会員のすることとは思えないんですが・・・・
【緊急】UCI の櫻井節子夫人関連集会への対応について
【緊急】UCI の櫻井節子夫人関連集会への対応について ご聖恩感謝申し上げます。 UCI(いわゆる『郭グループ』)は、今月に入ってから「櫻井節子夫人を迎えての集会」との触れ込みで、能登,東海市(本人は欠席)、静岡など相次いで集会を開催し、活発な勧誘活動を展開してきました。 またUCI は、来月7 月2 日に東京で「祝福家庭特別セミナー」の開催を予定しており、 同セミナーでは櫻井夫人の次男である櫻井正実氏が講師を務め,セミナー後の交流会は櫻 井夫人が中心となって開催されるとのことです。(添付資料) 櫻井正実氏はUCI が新たに立ち上げた組織であるFPA(家庭平和協会)なる団体の副会長を務め、また櫻井夫人は、既に公文(6 月1 日付・世17-271-02 号)でお伝えした通り、本年5 月31 日付で家庭連合に脱会届を提出し,FPA の一員として活動していくことを表明しています。両名は、今後、全国規模で勧誘を活発化させていく予定です。 UCI 側は特に櫻井夫人を通して教会から距離を置いている777 双、1800 双、6000 双等々の先輩家庭を,櫻井正実氏を通して2 世をターゲットとしていく戦略のようです。 既に前記公文で注意・勧告を行った通り、家庭連合では櫻井夫人を交えての集会は一切公認しておりませんので、こうした勧誘には相対せず、また集会等への参加はしないよう、ここに改めて注意・勧告致します。 また、本部からの再三の指導、警告にも関わらずUCI 活動に傾倒し、2017 年4 月24 日付で懲戒解雇処分を受けた郭炳憲氏は、前記FPA において北陸・中部代表として名を連ね、既に核心メンバーとして活動しています。UCI 側は、メールや電話など様々な媒体を使って、「郭炳憲氏に会ってみませんか」「櫻井夫人に会ってみませんか」等々の勧誘を行っていますが、櫻井夫人同様、郭炳憲氏の集会への参加も一切公認出来ませんので、ここに重ねて注意・勧告致します。 分派活動に相対したり集会に参加することは、分派を活気づけ、彼らの活動継続に更なる動機付けを与えることとなり、結果として参加したことが分派に利用されることになりますので、決して個人の問題では済まされません。 また何よりも分派の問題は真の父母様の心情・事情・願いに対する無知という決定的な原因から発生する深刻な心情的・霊的な問題であり、真の父母様にとって、どれ程の心情的な十字架となっているか測り知れません。“真の父母様への涙の孝情”とは結果的に正反対の“不孝・不忠の極み”とも言うべき行動となってしまいますので、くれぐれも食口たちが、真の父母様に背を向けた非原理的集団が行う分派活動に惑わされることがないよう、現場での指導の徹底をよろしくお願い致します。 総務局長 ・・・・
yeonggi氏が紹介しているが第7地区ではFPAメンバーの活動に異様な妨害がなされているらしい
世界平和統一家庭連合 第七地区の目に余る対応について(追記)
http://ameblo.jp/1949m1949m/entry-12287899322.html
世界平和統一家庭連合 第七地区の目に余る対応について
2017年6月24日(土)、東海市内で行われたFPAの集会に愛知県を中心とする祝福家庭が集いました。ところがその集会の場所を事前に知った家庭連合第七地区のスタッフと東海教会スタッフら6名が会場を見張り、FPAの集会に参加した食口達に対する行為はおよそ信仰者としてはあり得ない対応でした。
彼らは会場となった建物の入り口とエレベーターから降りた所など、三か所に計画的に分かれて見張っていましたが、「こういう行為はいけないのではないか?」と問いかけたFPAスタッフには、白々しく「私たちがたまたま来たら、あなたたちがいたんだ」と答えました。部屋を借りるでもなく、一体何の用があってたまたまやって来て、知り合い同士が三か所に分かれて座っていたのでしょうか?
さらに、彼らはI-phone やボールペン型のカメラで参加者を撮影していました。
彼らは真のお父様の根本的な思想を離れ、教派主義に陥り、信教の自由を侵害しています。もしもお父様が今も地上におられたとしたら、このような醜い指示を出されるでしょうか?
家庭連合は拉致監禁事件や大学による宗教迫害など、自らが攻撃される場合においては熱心に信教の自由を訴えますが、他者に対してはそれを無視するようです。信教の自由は神の復帰摂理の中で勝ち取られた最も重要な権利ではないでしょうか?信教の自由があったからこそ、人々は自らの祈りと良心に基づいて、新しい真理の前に導かれることができ、統一教会は異端視されながらでも徐々に発展し、その摂理的使命を担当してきたのではなかったでしょうか?
昨今、真の家庭と統一家の分裂によって様々な異なる情報が錯綜しています。祝福中心家庭は一人ひとりが神様と父子の関係を結んでいるのですから、彼らが情報を自由に知ることができるようにすることが、神様の御心に適ったことではないでしょうか?現時点でどこに所属し、どのような考えを持っていたとしても、お互いに自由に情報に触れることができる環境が必要です。
西川勝先生が日本を開拓された当時、立正佼成会の庭野会長が広い心を持って40日修練会に久保木先生を送ったことは、神の摂理に適ったことではなかったでしょうか。
またお父様が韓国で展開された超教派運動のように、自らが拠って立つ真理に自信があるならば、積極的に出て行って他の教派とも交流すべきでしょう。結局、人間は自らの良心によってより真理があるところへと向かっていくようになります。
「堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから、真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば、その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである。既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは、このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである。」(原理講論、堕落論第五節、自由と堕落より)
現在の家庭連合は、中世暗黒時代のローマ・カトリックのように、本心の自由を求める人間の本性を抑圧する立場に立ってはいませんか?
ぜひともこの機会に、自ら無意識に陥っておられる偏狭な教派主義を自覚していただきたく思います。
さらに言えば、家庭連合第七地区スタッフの行為は、犯罪行為、人権侵害とも言えるものです。会場を訪れるFPAメンバーを撮影する行為をどのように自覚されているのでしょうか?
また、顯進様を支持するFPAの集会に足を運び、実際に顯進様を支持する考えを持ったからと言って公文の中で赤い文字の実名を挙げて攻撃する行為を、どのように自覚されているのでしょうか?
今年に入り、サンクチュアリ教会のメンバーが松濤本部前でデモを行い「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし、これは本当ですか?ハッキリ答えよ!」と訴えていました。その行為に対して家庭連合は自らの権利を主張し、激しく抗議し、法的手段にまで訴えていますね?
今、第七地区スタッフが行っている行為は反対派が行っている行為と似ていますね!どう思いますか?
このような行為を継続するのであれば、しかるべく対処するしかないでしょう。
(強調文字はHOPEによる)
「金容成のブログより」お父様のみ言から見えて来るもの
「金容成のブログより」お父様のみ言を引用しながら見えて来るものは~
顕進様は主流であるがゆえに出て行かれたのである。
顕進様は追い出されたのではない。出て行かれたのでもない!一見そう見えるが、座標軸を変えてみれば、顕進様の行かれた道、歩んでこられた道はだただひたすら一本道~~真のお父様の歩まれた道を継承し、前進し続けておられるばかりである。
要は、旧組織に依拠した現「家庭連合」の面々は、取り残されているだけの話なのである。
正道を行く人が従うのは当然。
正しく原理を理解した人。お父様のみ言を正しく理解して従った人は顕進様に従う。
まさにその通りである。原理を原理として正しく理解した人ならば、真のお父様の意図が何であり、顕進様が何者であるかは歴然としている。真のお父様が目指してこられたもの、生涯かけて追及されてきたものは何なのか!そのことさえわかれば、顕進様に従っていくのである。
み言がわからなければ、教団という組織に残存して、自らの存在の位置を求めるが、生涯「天地自由人」であった、お父様にはそのような概念は無かった。そしてその精神と伝統を引き継がれた顕進様にもそれはない。
組織に執着して滅ぶのは自由であるが、そこに未来が無いのは明らかである。
人間、執着心を取り除くのはある一定の努力が必要である。自分たちの組織に人々を止めようとする呼びかけに逆らうことになるので、一時の闘いがある。しかし、その闘いさえ乗り越えればそこには「心の自由天地」がある。
お父様を単に利用した人、一時の慰めを得ただけの人は組織に執着して残存している。
お父様が「ついて行くな!」と言われて当然である。
組織に依存する人々はあくまでそこに執着しようとする。
日本の歴史では、代表的事例が明治維新であろう。心ある人士は、その多くが脱藩(封建制時代はいずれかの藩に所属することによってしか存在できなかった時代。その時代に脱藩することは存在の全面否定に近い行為だった。)して、時代の変革に取り組んだ!そして彼らが次の時代の主役になって行った!
組織によってしか生きられない人間は新しい変革の時代を生き抜くことは難しい。却って足手まといな存在なのである。だからこそ「ついて行くな!」と言われた。しかし時代はその体制から脱却した人々から開かれて行った。本心の見えずるがままに生きた人々、良心に従い、真理に目覚めた人々は、過去のしがらみから脱却しして新しい時代に生きる道を選択していったのである。