dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

Alice Festival 2004/ゴキブリコンビナート 『ナラク!』

2004-08-13 | ダンスとか
新宿・タイニイアリス。
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きこり文庫 『タライ樹の下で おどるおどる まわるまわる』

2004-08-08 | ダンスとか
代官山・温室、夜。
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CUATRO GATOS 『in/out-there』

2004-08-08 | ダンスとか
王子神谷・シアター・バビロンの流れのほとりにて。
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ダンスがみたい!6/新人シリーズ Eグループ

2004-08-07 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼ONdO 『温度』
▼山賀ざくろ 『続・エレガンス』
▼荒木志水 『満月がなりやまない』
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dots 『うつつなれ』

2004-08-07 | ダンスとか
表参道・スパイラルホール、昼。
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ダンスがみたい!6/新人シリーズ Dグループ

2004-08-06 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼関かおり&木村美那子 『ハルコの娘』
▼森下真樹 『コシツ』
▼笹嶋麻由 『ツメカミ』
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アレッシオ・シルヴェストリン 『DERIVARE』

2004-08-03 | ダンスとか
西麻布・Super Deluxe。
以前に安藤洋子とのデュオ『RITROVARE』を見たことがある。今回はソロで、壁にヴィデオ(ビルの屋上にシャツが吊るされているところなど)、何着ものシャツが一隅に用意されていて、これを脱いだり着たりする。空間を斜めに使って人やモノや映像など複数の要素が立体的に配置されているのに、客席からは見づらく、どれもが中途半端にしか立ち上がってこない。能楽師が読み上げるひどく抽象的で晦渋な哲学っぽいテクストが、日本語でありながらもはや(意味がわからないため)「音響」でしかなくなりつつ、バリバリに動けるシルヴェストリンのダンスを包み込む。ただしその動きは、速いが単調、質的な変化に乏しい。ダンサーが繊細かつ自在に動き回るためにも、また観客の知覚や動体視力が繊細さを失わないためにも、それなりに計算された環境(=演出効果)というものが必要なのではないかと思った。『RITROVARE』にはそれがあったが、ここにはない。
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ダンスがみたい!6/小林嵯峨 『アウラヒステリカ/エロ』

2004-08-01 | ダンスとか
麻布die pratze。
細田麻央と若尾伊佐子をダンサーとして迎え共演。このグループは昨年秋の土方巽展からスタートしている。背景には白い紗幕、その向こうに橙色の電球が二個吊るされ、ヒモが横方向に張られている。細田と若尾の二人はほぼ常に小林嵯峨の脇を固めるポジションであり、約70分のうち大半は小林のソロ。しかし、白い着物を着て、片足を少し浮かし、床を軽く撫でるようにしながら足首をクルクル回す冒頭部分を除いて小林のソロには生彩がなかった。木の枝のように四肢を折っても、騒がしくドタバタ走り回っても、あるいは生卵を淫靡に弄んでみても、過剰なバロック的イメージと実際に動いている体との間の明白な隔たりをひたすらごまかしているという印象しかない。その代わり、白いレオタードの上から新聞紙のスカートを付けた細田と若尾のパフォーマンスがとても良かった。速いテクノがかかり、中央にいる小林が腹部で浅くビートを刻んだりしている左右で、二人がやや腰を落として背筋と首を伸ばし、両腕を堅い触手のようにして宙に漂わせる場面はクールな様式美を生んでいたし、また二人だけで舞台中央に並び両者のコントラストを見せる場面も面白かった。若尾は全身に渡ってまだらに力を配分し、その布置をギクシャクと変化させ、脱臼した人形のような状態になる。緩んだ部位は重力に支配されて揺れ、過度に緊張した部位が緩んだ部位と部位の間を繋ぎ留める。他方の細田はよりバネを利かせて鋭角的なフォルムを作り出し、オフバランスをギリギリまで粘ってから床近くでひしゃげるように転倒したりする。やがてこの二人ががに股でしゃがんだまま前進してくると、細田の腰が床まで完全に落ちているのに対して、若尾の腰はすっかり浮かび上がっているのだが、もちろんそれは「持てる者と持たざる者」としてではなく、単なる純粋な差異(身体、あるいはバックグラウンドの)として立ち上がってくる。こういう場面を成立させる振付的、演出的想像力と同じものが、小林自身の動きについても行き渡っているべき、と思う。小林のソロが終わり暗転の後、弱い光が入ると、首のない白いスリップ姿の胴体だけがボーッと三つ並んでいるというショッキングなシーンもある。照明が明るくなるとともに、三人が顔に銀色の丸い面を付けていることが判明する。闇の中では光を反射しないために黒く見えていたわけだ。小林がハケて残された細田と若尾が互いの肌を触り合う。『ガブリエル・デストレとその妹』のように、しかしこちらを不敵に見つめ返すのではなく、光をはね返し、観客の視線を観客に向けて送り返す面によって守られつつ、行為に耽る。無機質な冷たさと肌の温もりが共存し、不穏で、秀逸な造形だと思った。
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