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ダンスとか。

ダンス トリエンナーレ TOKYO '06(Cプログラム)

2006-10-31 | ダンスとか
青山円形劇場。
▼小池博史/パパタラフマラ 『三人姉妹』
2005年初演。白井さち子、関口満紀枝、あらた真生が「姉妹」であるらしきシチュエーションで、しかしこれといって脈絡のないアクション、ダンス、セリフ、歌、行為などを52分間ひっきりなしにつないでいく。ストーリーではなくイメージのノンリニアな連鎖。確かに振付・演出およびパフォーマンスの技術的水準の高さは見紛うべくもないのだが、94年以来たまに見ていてパパタラに常に一貫したある種の「頽廃」を感じてしまうのは、おそらく、(ほとんど無節操なまでに)多様な表現手段やヴォキャブラリーを自在に駆使して演劇ともダンスともつかない不分明地帯へ踏み出していっているはずなのに、結局は何もかもが明瞭に定義され磨き上げられた上で実に器用に用いられてしまって、まるでどこかで買い付けてきた大量のパーツを組み立ててみせているだけに見えるその手つき、いわば創作すなわち「生産」がそのまま実は「消費」であるような不毛な予定調和の中に、人間の想像力に対するパパタラの「所詮こんなものだろう」というようなシニシズムというかむしろ甘い「見くびり」を感じてしまうからなのだ。「天才」的なインスピレーションや、何かを賭けて跳んだ結果としてのスリリングな出来事じゃなくて、あくまでアートに憧れる「凡人」のたゆみない勉強と努力の跡としての優等生的な技巧ゆえに、巧くやられればやられるほど見ている方はシラけてしまう。一言でいえば「夢がない」のである。
▼ソン・ジンジュ 『Keep in Touch―疎通』
Jin-ju Song, Keep in Touch.
韓国の女性ダンサーのソロ。鳥籠の下にうずくまった状態から、上手にいるシンセ奏者の音楽に煽られるようにして徐々に大きな動きへ移行しつつ、舞台中央床の光の線上で踊る。大きな体を振り回してフォルムを作る振付に目新しい部分は見受けられないのだが、組み立てに論理性が乏しいため無理な展開が多く、また身体能力面での裏付けがあるわけでもないので、全体に見づらい、説得力のないダンスである。最後はシンセの電源をいきなり引っこ抜いて終わる。18分。
▼チョン・ヨンドゥ/ドゥ・ダンスシアター 『Hollow, Pure white, The body』
Young-Doo Jung / DOO DANCE THEATER.
前に横浜で、男の体の上に女がよじ登って色々な風に移動し続けるというデュオ作品を見たことがあるが、今回はソロ。冒頭からペルトの『フラトレス』が聞こえて来てたちまち憂鬱な気分にさせられるのだが、脱力した佇まいから低めの重心を上下垂直に動かしつつ軟らかく穏やかなリリース系の少数のフレーズを組み立てたものを様々に向きを変えて見せていく内容は必ずしも志の低いものではない。後半はライヒに変わって上体や首を折って前に倒す動きとその反動を主軸にした動き。リズムの取り方と体の使い方が非常にテキトー(目を上下に動かすところなども実にテキトー)なのだが、「演劇」にも「コンセプチュアル」にも「痙攣&転倒」にも逃げず愚直に自分のヴォキャブラリーを構築しようとしている。より一層真面目に、あるいは不真面目に、やってくれればと思った。28分。2006年初演。
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