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ダンスとか。

黒沢美香 『鳥日』

2012-01-21 | ダンスとか
二子玉川・旧小坂家住宅。
昭和の古い住宅の中を移動しながら行なうパフォーマンス。障子や襖をすべて閉めた一室に30人ほどの観客が集まり、床の間の辺りから鳥人間のような不気味な衣装をまとった黒沢美香がゴソゴソ動き出す冒頭部でこそ確かに、雨が降る午後3時の湿度と暗がりをじっと味わうような「鑑賞」の空気があったものの、全体を通して「ダンスを見ている」という感覚とはまったく違った。黒沢美香の動きを追っているうちに、むしろ自分たちの方が動かされている感覚。閉め切られた最初の部屋の、廊下に面した障子を少し開けて外を見ていたかと思うと、別の襖を開けて、出ていくかと思うと戻って来たりする。静止状態、そこからスッと動き出す加速感と、持続した動きと、気付かないほどの減速感と、よくわからない停滞。予想したようには進まないので、観客はますます規則を読み取ろうとして、黒沢の動向に深くコミットしていってしまう。駆け引きのようなものが生じる。単純に「見る」ことが目的だったはずが、先回りしたり、裏切られたりすることを楽しむような気分になる。対象を目でとらえるのではなく、一緒に戯れている。複数の視線を一点に集中させるソロの形式を利用しながら、その集まった視線を揺さぶってバラバラに散らし、ダンサーの身体というよりむしろ個々の視線自体が主役であるかのようにしてしまうのだ。マスを解体して個に戻す。これは確かに黒沢がいつも劇場で行なっていることだと思った。とはいえ、劇場では舞台と客席が並行関係を保った2Dであるところが、今日は3Dで展開されている。観客も動くことができる。動きながら、見ることもする。かなりダンサーに近い状態といえるだろう。部屋から部屋へ、大まかな流れはあり、個々の部屋で短い「シーン」が演じられはするものの、それほど明確な内容がつかめるわけでもない。「何か」が始まったように思えても、それがどういうまとまりをもった「何」であるのかをはっきりつかむことはできない。昭和、廃墟、鳥、貴婦人…のような漠然としたイメージが入り混じり、その時その時に奇妙な図が生成されるばかりだ。例えば、庭に面した硝子戸から外を見ている時に、庭で本物の鳥の声がして、それを家の中で聞いている鳥=黒沢美香の図、など。やがて黒沢は庭に出て行って、土の上や、石の上でゆっくり舞う。冬の雨上がりの冷たく爽やかな外気に包まれている様子を、廊下の小さな窓の隙間から覗き見ている、というのが自分にとってのラストシーンだった。
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