中野・テルプシコール。
冒頭の大倉摩矢子は垂直方向に引っ張られて、水の表面張力のような極微の振動を全身にまとってゆっくりと移動。また違う体、違う踊りに取り組んでいるのかな、と緊張して見ていたが、作品全体がソロやデュオなどによるシーンをブツ切りで羅列する構成なので、見る側としても深いところまで入って行けなかった。具象的なモティーフとか演劇的な設えとかコンポジションとか、そういうのとはほとんど無関係に踊りが成立する人と、むしろそういう諸々を欲する人とがおり、後者の方が力学的に勝ってしまった舞台。
冒頭の大倉摩矢子は垂直方向に引っ張られて、水の表面張力のような極微の振動を全身にまとってゆっくりと移動。また違う体、違う踊りに取り組んでいるのかな、と緊張して見ていたが、作品全体がソロやデュオなどによるシーンをブツ切りで羅列する構成なので、見る側としても深いところまで入って行けなかった。具象的なモティーフとか演劇的な設えとかコンポジションとか、そういうのとはほとんど無関係に踊りが成立する人と、むしろそういう諸々を欲する人とがおり、後者の方が力学的に勝ってしまった舞台。