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ダンスとか。

劇団解体社 『最終生活――永劫回帰と、』

2010-08-05 | ダンスとか
湯島・カンバス。
このところ主題がいわゆるネオリベ系へとシフトしていたけど、大文字の歴史=物語が「終焉」して小文字の歴史=物語が浮上してきたとか、ネオリベ的な意味での都市の日常というのは「歴史以後」かつグローバル(世界共通)な状況だから新しい連帯が可能とかいったような欺瞞に抗して、歴史性を回復しようという、つまり小文字で書かれた物語と大文字のそれとを何とか再び切り結ばせようというヴェクトルにとりあえず共感。しかもただ消費される「今ここ」なるものの歴史性を暴き立てるとかいった単純なことではなくて、違う時空間を強引にぶつけ合わせることでそこに何が見えるかを見ようとしているように思えた。いってみればネットカフェ難民と従軍慰安婦が出会ったらどういう会話になるのだろうか、というような…。文字の大小なんて本当に偽問題なのだ。「白人」の英語の語りが入っただけで第二次大戦のイメージが何となく浮上して来ざるを得ず、それが最後のチョゴリによって揺るぎなくなるというのも、ここが日本だからに他ならないのだけど、他方でその「白人」の祖先たちの写真が出て来ることによって彼ら彼女らの側の歴史も同時にすくい取られた時に、そうした立場性にさらなる揺さぶりがかけられる。「私」と共同体、「今ここ」と歴史、その間を何度も何度も往復させられる感覚は稀有だ。(だから実録風の「殺人事件」ネタとかソフォクレスとかいったアングラの定石みたいな要素はかえって浮いてしまっているように感じた。)出演者では Rebecca Woodford-Smith の舞踏っぽい所作の部分が良い。あらゆる方向に向かおうとしつつどこへもたどり着かない身振りを、そういうイメージの記号(「逡巡」とか「痙攣」とか)としてではなく、本当にその瞬間ごとのプロセスとして遂行してみせることに成功していて、技術的には見馴れていても、この作品のコンテクストの中で改めて伝わって来るものがあった。
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