半蔵門・国立劇場(小劇場)。
▼地唄 ねずみの仇討(山村若)
▼地唄 鉄輪(井上和枝)
▼上方唄 やなぎやなぎ・館山(楳茂都梅咲)
▼地唄 善知鳥(吉村ゆきぞの)
▼上方唄 三国一(井上八千代)
「ねずみの仇討」は、ある文脈では「洒脱」とかいいそうな感じのコミカルな演目なのだが、極度にコード化されていて、普通に引いた。しかしそもそも踊りって、何て大人気ない行為なんだろうという根本的なことも思った。井上和枝の「鉄輪」は、少なくともぼくの中にある井上流の価値基準とは全く相容れず、肯定的に見れる部分がなかった。軸、ペーシング、静止、音と絡むタイミング、間の作り方、動きのコース取り、あらゆることが落ちるべきところに落ちていないように思えた。次の二つは、集中力切れ、流し見になってしまう。井上八千代の「三国一」は、頭巾を被ったお大尽の格好で、わりとすぐに黒の薄羽織を取って立ち上がった瞬間から踊りが立った。迫力の点では昼の井上かづ子の方が上に思えたが、静止し切った水色の着物の平面は重厚感を放っていた。お多福の面をつけてからは、内股の女の子座りになってそのままの姿勢でジタバタと前進するという、いかにも井上流的な凄い振りがある。何度かこれをやった後、面を引き取りに来た後見の方へ向かって(垂直に舞台奥へ向かって)進み、後見の面前で(!)またバタンと座り込んでジタバタとにじり寄っていくところは、何かもう意味不明すぎて、笑いを通り越して、怖かった。
▼地唄 ねずみの仇討(山村若)
▼地唄 鉄輪(井上和枝)
▼上方唄 やなぎやなぎ・館山(楳茂都梅咲)
▼地唄 善知鳥(吉村ゆきぞの)
▼上方唄 三国一(井上八千代)
「ねずみの仇討」は、ある文脈では「洒脱」とかいいそうな感じのコミカルな演目なのだが、極度にコード化されていて、普通に引いた。しかしそもそも踊りって、何て大人気ない行為なんだろうという根本的なことも思った。井上和枝の「鉄輪」は、少なくともぼくの中にある井上流の価値基準とは全く相容れず、肯定的に見れる部分がなかった。軸、ペーシング、静止、音と絡むタイミング、間の作り方、動きのコース取り、あらゆることが落ちるべきところに落ちていないように思えた。次の二つは、集中力切れ、流し見になってしまう。井上八千代の「三国一」は、頭巾を被ったお大尽の格好で、わりとすぐに黒の薄羽織を取って立ち上がった瞬間から踊りが立った。迫力の点では昼の井上かづ子の方が上に思えたが、静止し切った水色の着物の平面は重厚感を放っていた。お多福の面をつけてからは、内股の女の子座りになってそのままの姿勢でジタバタと前進するという、いかにも井上流的な凄い振りがある。何度かこれをやった後、面を引き取りに来た後見の方へ向かって(垂直に舞台奥へ向かって)進み、後見の面前で(!)またバタンと座り込んでジタバタとにじり寄っていくところは、何かもう意味不明すぎて、笑いを通り越して、怖かった。