40からのインラインsk8

娘にさせようと買ったのに、逆にハマってしまった中年男。果たして自由自在に操れる日は来るのか?

韓国朝鮮人無縁仏慰霊祭

2010-11-18 18:28:46 | 日記
随分のご無沙汰ですが、いかがお過ごしですか。今月も忙しいちょうです。

 さて、今から10日ほど前になるので、ちょっと情報としては古いんですが、相生市の東部墓園にある韓国朝鮮人無縁仏之碑で行われた慰霊祭に参加してきたのでアップしますね。

 ご存知の通り日本と朝鮮半島とは日韓併合・植民地支配という歴史によって大きなしこりが現在も残っています。さらに半島は韓国と北朝鮮に分断状態で、未だ不安定な情勢。なんとも不幸な歴史が現在進行形で進んでいます。

 それをもしかしたら草の根レベルで変えていくかもしれないのが相生の在日韓国朝鮮人の方々の活動なんですね。それには相生の造船所と強制連行との関係が深く関わっています。

 ちょっと興味ない人には難しいかもしれませんが、相生にあった播磨造船所では戦時中、軍関係の艦船が建造されており、その建造や造船所拡幅工事に強制連行されてきた朝鮮半島出身者や中国占領地区からの中国人が従事していたのでした。特に強制連行されてきた半島出身者は「至誠工」と呼ばれて8畳あたり20人位押し込められた寮に住まわされ、粗悪な食事と重労働、酷薄な日本人現場監督などの仕打ちに追い立てられながら働いていました。彼らはあまり日本語ができない若者達で、その怒りと不満はしばしば同じ至誠工に向かい、ケンカや原因不明の事故により命を落とす者がでました。その遺体は野焼きされそのままうち捨てられるはずでしたが、あまりに不憫なその最期に誰かがキャラメルの箱や木箱などに土や木片と一緒にかき集めて大島山善光寺というお寺に持ち込んだのでした。当時の住職は戦時中という世間体を考えて半島出身者の遺骨を公に祀ることはできず、納骨堂の縁の下に隠して時が来るのを待ったそうです。こうして密かに置かれることになった遺骨は60体分にのぼりました。

 1991年になって長く眠っていた遺骨の存在が朝鮮人強制連行真相調査団によって明らかにされると相生市内の韓国民団と朝鮮総連が思想の違いを乗り越え、無念の思いを残した60体の霊を慰めるべく慰霊碑建立に奔走し、地域住民や相生市まで巻き込んで1995年に相生東部墓園に慰霊碑を建立したそうです。それから毎年11月の第一日曜日に法要を営んで今年で16回目を迎え、姫路・神戸のみならず多くの人々や地元の人々も参加するものになってきています。

 それにしても民団と総連が手を携えて慰霊碑を建てて、10年以上も法要を続けてるなんて聞いたことがありません。法要後の懇親会で南北それぞれの立場の人が地域の人や部活帰りに立ち寄った中学生と一緒にチヂミやキムチ、シルトッを食べて談笑するのを見ているとまずは話をすること、一緒に食べること、とにかく相手を知り合うこと、その場を作ることが大切なんだなーと思いましたよ。

 会場で知り合ったキムさん(どうもエライ人らしかった)が「気楽にお参りして、食べたらエエよー、残ったら困るんやし」って言ってくれたし、来年もまた行ってみようかな?!