くろにゃんこの読書日記

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おとぎ草子

2007年06月01日 | 国内文学 その他
一寸法師のリサーチのために借り出した「おとぎ草子」だけれど、ひさしぶりに古典を読むのも楽しいので、そのまま一冊読んでしまいました。
本書にあるのは「一寸法師」「道成寺縁起」「横笛草子」「鏡男絵巻」
「鉢かづき」「長谷雄草子」「猫の草子」の7編。
むかしばなしとしてよく知っているのは「一寸法師」「鉢かづき」でしょうか。
「鉢かつぎ」ではなく「鉢かづき」。
「かづき」はくっつくという意味で、ず~っと間違って覚えていたことが発覚。
あはは。
「鏡男絵巻」は、落語「松山鏡」で、私は語りで演じたものを鑑賞したことがあります。
「道成寺縁起」は、いわゆる娘道場寺ですが、「今昔物語」の「紀伊国道場寺ノ僧法華ヲ写シ蛇ヲ救フ話」を学生時代に読んだ記憶があります。
とはいえ、前記事でも書いてあるとおり、知っているものとは違っていて、その時代、つまり草子として成立した年代に合った読み物になっているわけ。

お伽草子がいかなるものなのか、解説を読んだりウィキで調べてみたけれど、
いまひとつつかめない。
歴史の授業では、確か室町から江戸にかけての庶民の読み物っていうふうに習ったような気もするけど、和歌の教養や先行する古典作品の知識が多少は必要なんじゃないのかなぁ。
読者層としては、今で言う富裕層を狙っていたんじゃないでしょうか。
それなりに豊かで、字が読めて教養を身につけることが出来るくらいの庶民ってこと。
お伽草子というのは短篇だし、絵入りだし、文章も現代文的(私たちからみれば古典だけれど)で、そういう庶民に喜ばれたのね。
本書では「道成寺縁起」の<鑑賞>の項で「紀伊国道場寺ノ僧法華ヲ写シ蛇ヲ救フ話」の本文をあげて比較しているんだけれど、物語としての完成度は断然今昔物語のほうが上。
だけど、女が川のほとりで蛇に変身するさまや、鐘に蛇体が撒きついて炎を噴出す場面は、絵入りであることで視覚的なインパクトはお伽草子のほうが大きい。
一寸法師は、老翁と姥(といっても40歳程度。現在ならまだまだ子を持てる年齢ですね)が住吉神社に願をかけると願いかなって一寸法師が生まれるのだけれど、爺姥の素性が落ちぶれた貴族の出であることがわかって、一寸法師は堀川の少将になり、中納言に取り立てられるわけで、結局は血筋が良くなければ貴族にはなれないんですね。
いくら財があり教養を身につけようと、貴族というのは夢のまた夢、憧れであったのです。

お伽草子は室町から江戸にかけて数多く生み出されているだけあって、幅広く多彩です。
たとえば「横笛草子」と「鉢かづき」。
どちらも恋愛物だけど、「横笛草子」は「平家物語」に材をとった悲恋物語。
好きな女をとるか、父親をとるかで悩んだ挙句出家って、動機が不純だと思うんだけどなぁ。
それに比べて「鉢かづき」の宰相は、愛に生きる男。
頭に鉢をくっつけた女に恋をするなんて、見上げたもんだ。
親に反対されればされるほど意地になっちゃうし。
少女漫画の世界ですね。
ちなみに、鉢かづきと一寸法師の姫はどちらも継母がいて、
父親が立場上「姫を追い出せ」と言わなければならなくなっても、誰も止めてくれる人がいなくて、父親の本心とはうらはらに姫を追い出すことになる。
家庭内を取り仕切っているのが父親でなく継母だってことがわかるところで、威厳を保とうと必死な父親、家庭の支配力に長けた母親、今とあまり変わらないですね。

「長谷雄草子」は今昔物語テイストで、風流で知られる朱雀門の鬼との双六(すごろく)勝負に勝った紀長谷雄(きのはせお)が、賭けの品として絶世の美女を得る話。
「但し、今宵より百日を過ぐして、まことにはうち解け給え」
そうしないと不本意なことになるぞと鬼に言われるが、80日あまりで我慢できなくなり、
結果、女は水となって流れ失せてしまう。
3ヶ月後のある夜のこと、怒った鬼と遭遇した長谷雄が、恐ろしさのあまり
「北野天神、助け給え」
と念じると
「便なき奴かな、たしかにまかり退け」
と大きな怒った声が聞こえ、鬼は去る。
女は死人のよいところを集めて人の形にしたもので、百日過ぎたら魂が定まるはずだった。
便なき奴とは、しょうがない奴という意味で、たくらんだ朱雀門の鬼を指しているようにみえるけれど、欲望に勝てなかった長谷雄にも同時にかかっていて、ケンカ両成敗、どちらも子どものように叱られているってわけ。

「猫の草子」は、ユーモラス。
慶長7年(1602)夏(史実では10月)、洛中では猫の綱を解いて自由にせよ
という法令が出される。
これは本当にあったことらしい。
猫を飼うことは、もともと上流貴族のすることであって、輸入品や献上品だったようです。
大事な猫は、綱をつけて飼うのが普通で、猫の性格からいって、
随分窮屈だったろうと思われます。
江戸時代になってもその習慣は受け継がれていたようですが、猫泥棒や、盗猫の売買、
逃げ出した猫を捕まえて自分の猫にしてしまう、なんてトラブルが多発したんではないかと解説では推測しています。
猫が町に放たれれば、鼠にとってはたまらない。
生死に関わる重大問題ですからね。
そこで、ある鼠が和尚の姿となって上京区に住む徳の高い出家者の夢に現れ、
切々と困難な状況を訴えます。
次の夜になると、今度は虎猫が夢に現れ、鼠の言い分には耳を貸すな、われわれは虎の子孫で由緒正しく鼠などとは比べものにもならない、この度の法令で綱が解かれ、本当にありがたい。
「『この君の御代、五百八十年の御歳を保ち給へ』と、
 朝日に向って余念なう喉を鳴らし拝み申すなり」
と言う。
これに答えて、
「殺生を止められ候らへ。その方の食物には、供御に鰹をまぜて与へ、また折々には、田作に鯡(にしん)・乾鮭などを、朝夕にはいかが」
と問うと、それは承知できません、考えなおしてくださいと虎猫は言い、
お坊さまは返答に困ってしまった。
明け方近くにまどろんでいると、鼠が現れ、京の町中では我慢できないと言う。
上京・下京から鼠が集まり、集会が持たれる。
その慌てぶりといったら、まるで「平成狸合戦ぽんぽこ」の狸たちのよう。
結論としては、京を出て野に逃げようということになるけれど、
一番残念なのは、正月のご馳走のことらしい。

「猫の草子」は話もユーモラスであるけれど、鼠の長セリフに物づくしがあって、落語のように早口で一気にまくしたてるようなおかしさがあります。
「源氏物語絵巻」のような絵つきのものは、侍女が本文を読み、姫が絵を見るという読書の形態があったようで、古典の物語文学は、声に出して読む、それを聞くという前提があったわけです。
だから、古典文学は流れるような美しい文体なのですね。
お伽草子は、仏教思想が大きく影響していますが、そのなかでも印象的なのは、
「一樹の陰、一河の流れを汲む事も、他生の縁」
という語句です。
同じ木陰に休み、同じ河の水を汲んで飲むのも、前世からの因縁であるという意。
こうしてつれづれにブログを書いている私ですが、このブログを介して知り合った方々とも、何らかの縁があるのかなぁと思い巡らすのでありました。

おとぎ草子




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