ソポクレスで「オイディプース王」の次に読みたかったのが「エーレクトラー」。
「アイアース」も「トラーキーニアイ」も「プロクテーテース」も面白く読みましたが、やはりギリシア神話に精通していたり、その頃のアテーナイとスパルタの関係などの知識をもっていないと十分に理解できるとは言えません。
「エーレクトラー」は「オイディプース王」に比べると知名度としては低いですが、その内容は現代にも通じるものであると私は確信します。
「エーレクトラー」はトロイア戦争後を扱っている戯曲です。
ミュケナイ王であるアガメムノーンは帰国した際の宴の席でアガメムノーンの妻であるクリュタイムネーストラーの愛人アイギストスの手にかかって命を落とします。
エーレクトラーは、その際に弟オレステースを守役の男に手渡し、亡命させます。
父の敵をとるように。
エーレクトラーは父の死を嘆きつつオレステースの復讐を信じ、待ちわびるわけですが、その姿勢は母であるクリュタイムネーストラーと王となっているアイギストスが面白く思うはずもなく、家から出ることも許されず、奴隷のような生活を強いられています。
やがてオレステースは成長し、従兄弟であるピュラデースと守役である男を伴って、
密かにアルゴスの地にやってきます。
その復讐劇が「エーレクトラー」です。
この戯曲の素晴らしさは、クリュタイムネーストラー、エーレクトラー、
オレステースの心理面の巧みさにあります。
クリュタイムネーストラーには、娘イービゲネイラを犠牲に捧げることをあっさりと認めてしまった夫アガメムノーンへの憎しみとアイギストスとの密通を正当化しようとする心の動きがあり、
自分の子であるオレステースの死の知らせ(これは復讐を成功させるための計略)には、
やはり自分の腹を痛めた子ですから動揺を隠せませんが、
復讐ならずということに安堵するわけです。
夫を殺し、娘を虐げ、息子の死に安堵する母親という構図は、
現代に置き換えれば虐待をする母親のようではありませんか。
オレステースは復讐するために亡命させられ、その目的のために育てられています。
ですから母殺しも、ましてやアイギストスを殺すことにも少しの躊躇もみせず、
粛々と成し遂げます。
また、この復讐を成し遂げる場面は、館の中での惨劇を声のみであらわし、館の外(舞台上)ではエーレクトラーがその進行に合わせて歓喜の叫びをあげるのです。
エーレクトラーは虐げられ、身の不幸を嘆いてばかりいましたが、最後になって大きく立場と感情を逆転させるわけです。
「おお、アトレウスの血を引く子よ、なんとあまたの苦難の果てに
ついに自由の境涯へと 辿り着かれたことか、
今日のこの勲しにより 見事その身を全うして。」
というコロスの言葉で劇は締めくくられ、讃えられているようにもみえますが、オレステースやエーレクトラーには身の破滅となっているというところがこの戯曲の恐ろしいところであり、そう思わせるソポクレスには、人間性に鋭い洞察があったという証拠なのでしょう。
ソポクレース II ギリシア悲劇全集(4)
「アイアース」も「トラーキーニアイ」も「プロクテーテース」も面白く読みましたが、やはりギリシア神話に精通していたり、その頃のアテーナイとスパルタの関係などの知識をもっていないと十分に理解できるとは言えません。
「エーレクトラー」は「オイディプース王」に比べると知名度としては低いですが、その内容は現代にも通じるものであると私は確信します。
「エーレクトラー」はトロイア戦争後を扱っている戯曲です。
ミュケナイ王であるアガメムノーンは帰国した際の宴の席でアガメムノーンの妻であるクリュタイムネーストラーの愛人アイギストスの手にかかって命を落とします。
エーレクトラーは、その際に弟オレステースを守役の男に手渡し、亡命させます。
父の敵をとるように。
エーレクトラーは父の死を嘆きつつオレステースの復讐を信じ、待ちわびるわけですが、その姿勢は母であるクリュタイムネーストラーと王となっているアイギストスが面白く思うはずもなく、家から出ることも許されず、奴隷のような生活を強いられています。
やがてオレステースは成長し、従兄弟であるピュラデースと守役である男を伴って、
密かにアルゴスの地にやってきます。
その復讐劇が「エーレクトラー」です。
この戯曲の素晴らしさは、クリュタイムネーストラー、エーレクトラー、
オレステースの心理面の巧みさにあります。
クリュタイムネーストラーには、娘イービゲネイラを犠牲に捧げることをあっさりと認めてしまった夫アガメムノーンへの憎しみとアイギストスとの密通を正当化しようとする心の動きがあり、
自分の子であるオレステースの死の知らせ(これは復讐を成功させるための計略)には、
やはり自分の腹を痛めた子ですから動揺を隠せませんが、
復讐ならずということに安堵するわけです。
夫を殺し、娘を虐げ、息子の死に安堵する母親という構図は、
現代に置き換えれば虐待をする母親のようではありませんか。
オレステースは復讐するために亡命させられ、その目的のために育てられています。
ですから母殺しも、ましてやアイギストスを殺すことにも少しの躊躇もみせず、
粛々と成し遂げます。
また、この復讐を成し遂げる場面は、館の中での惨劇を声のみであらわし、館の外(舞台上)ではエーレクトラーがその進行に合わせて歓喜の叫びをあげるのです。
エーレクトラーは虐げられ、身の不幸を嘆いてばかりいましたが、最後になって大きく立場と感情を逆転させるわけです。
「おお、アトレウスの血を引く子よ、なんとあまたの苦難の果てに
ついに自由の境涯へと 辿り着かれたことか、
今日のこの勲しにより 見事その身を全うして。」
というコロスの言葉で劇は締めくくられ、讃えられているようにもみえますが、オレステースやエーレクトラーには身の破滅となっているというところがこの戯曲の恐ろしいところであり、そう思わせるソポクレスには、人間性に鋭い洞察があったという証拠なのでしょう。
ソポクレース II ギリシア悲劇全集(4)
もっともエディプス・コンプレックスという言葉を発明しなかったらフロイト心理学もあれほど浸透しなかったのではないでしょうか。
ユングもそうですが、深層心理学者として成功するにはコピーラライターの才が必要のような気がします。
エディプスというギリシア悲劇の主人公を持ってくるところは、フロイトにネーミングセンスがあったってことなんでしょう。
ユングはそれにならったということなのかも。
オレステイア・コンプレックスというものもあるそうですが、いまひとつ理解できない概念ですね。
ソポクレス「エーレクトラー」はとても興味深い戯曲でした。
同じ題材でもアイスキュロスやエウリピュデスでは違うようですので、そちらを読んでみるべく、ギリシア悲劇全集を端から読んでみることにしました。
次はアイスキュロスです。
現在アイスキュロスオレステース3部作を読んでいます。
クリュタイムネーストラーがアガメムノーンとカサンドラの死体を引きずって登場。
おそろし~~。
エウリピュデスも同じ主題で悲劇を書いていますから、そのうちの一つを読んだのか、後年の悲劇をもとに書かれたものを読んだのか、いずれかでしょう。
紀元前に書かれているのにインパクトはいまだ健在。
圧倒されますよね。