私がハマって読んでいたギリシア悲劇でいうディアスポラとは、離散伝説のことで、トロイア戦争後の敗者であるトロイア側の生き残りが離散していく過程、およびその末路を意味します。
良い運命が待っているとはとても思えないですよね。
確かにそうなのですが、なかにはその子孫から、偉大な血脈が現れたりすることを考えると、悲惨なだけではなく、未来に対する展望も感じ取れる、私にはそういう用語のイメージがあります。
文化研究的には、さまよえるユダヤ民族などのように自国を離れて居住している集団を意味しているようです。
民族や文化研究の用語が入ってくるところが、とてもイーガンらしいなと思わせるところですね。
「ディアスポラ」におけるディアスポラは、大きく2つに分けると、人間の形態としてのディアスポラと自分自身のディアスポラがあります。
肉体を持つことにこだわるか、肉体を強化することにこだわるか、精神性にこだわるか。
それぞれに利点があり、短所があり、自分自身が選択するとしたらと考えるのも面白いかも。
私としてはややグレイズナー寄りだけど、精神だけの存在というのも捨てがたい。
肉体を捨てきれるかどうかの踏ん切りがつくかが問題だな。
肉体の保存は遺伝子の保存に繋がるわけだけれども、自己複製子としてのミームを考えるなら、蓄積された知識を持つ意識の統一体としての精神体の保存もまたしかりなわけで、彼らが自分自身のコピーを作ることはごく当たり前のこと。
だが、それは自分自身のディアスポラとなっていき、それぞれの自分がそれぞれの人生を生きていくことになる。
昔読んだマンガ「A-A'」をついつい思い出してしまいました。
昔の少女マンガはクオリティが高かったなぁ。
それにしても、アクのある多くの登場人物の生き方を鼻につかないようにさせているのは、主人公ヤチマの少年のような無垢さを持つキャラクターにあるのではないかと思います。
イーガンなので、この「ディアスポラ」もかなりな部分理解しがたい理論的な部分が多いです。
そうじゃなかったらがっかりするでしょ?
トンデモなところを理論を行使して如何に読者をだまくらかすかというのがSFの醍醐味でもあるわけで、それがうまい作家というとホーガンを思い出すのだけど、「ディアスポラ」の冒頭部分であるヤチマの誕生箇所は「創造主の掟」の冒頭シーンに似て、とってもワクワクしました。
量子論は未だ勉強不足なのだけど、前もって物理の勉強やミームの関連本、「時空の歩き方」なんかをすべてを理解しないまでも読んでおいてよかったなぁと思いました。
いや、ホントに。
偶然だけど、「TAP」を先に読んでいたのも正解でした。
両方読んでいる人は、「TAP」にある短編のなかからいくつものエッセンスが抽出されて「ディアスポラ」に反映されていることがわかるはずです。
人類がこの先どのような選択をしていくのかは、予測不能ですけれど、否定も肯定もしないという姿勢をなんとなく感じたのは、私だけでしょうか。
作家の真意がどこにあるのかはわかりませんが、「ディアスポラ」が知的生命体を探すという昔ながらのテーマを持ちながらもまったく新しいSFであり、とっても面白いということはわかります。
ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)
良い運命が待っているとはとても思えないですよね。
確かにそうなのですが、なかにはその子孫から、偉大な血脈が現れたりすることを考えると、悲惨なだけではなく、未来に対する展望も感じ取れる、私にはそういう用語のイメージがあります。
文化研究的には、さまよえるユダヤ民族などのように自国を離れて居住している集団を意味しているようです。
民族や文化研究の用語が入ってくるところが、とてもイーガンらしいなと思わせるところですね。
「ディアスポラ」におけるディアスポラは、大きく2つに分けると、人間の形態としてのディアスポラと自分自身のディアスポラがあります。
肉体を持つことにこだわるか、肉体を強化することにこだわるか、精神性にこだわるか。
それぞれに利点があり、短所があり、自分自身が選択するとしたらと考えるのも面白いかも。
私としてはややグレイズナー寄りだけど、精神だけの存在というのも捨てがたい。
肉体を捨てきれるかどうかの踏ん切りがつくかが問題だな。
肉体の保存は遺伝子の保存に繋がるわけだけれども、自己複製子としてのミームを考えるなら、蓄積された知識を持つ意識の統一体としての精神体の保存もまたしかりなわけで、彼らが自分自身のコピーを作ることはごく当たり前のこと。
だが、それは自分自身のディアスポラとなっていき、それぞれの自分がそれぞれの人生を生きていくことになる。
昔読んだマンガ「A-A'」をついつい思い出してしまいました。
昔の少女マンガはクオリティが高かったなぁ。
それにしても、アクのある多くの登場人物の生き方を鼻につかないようにさせているのは、主人公ヤチマの少年のような無垢さを持つキャラクターにあるのではないかと思います。
イーガンなので、この「ディアスポラ」もかなりな部分理解しがたい理論的な部分が多いです。
そうじゃなかったらがっかりするでしょ?
トンデモなところを理論を行使して如何に読者をだまくらかすかというのがSFの醍醐味でもあるわけで、それがうまい作家というとホーガンを思い出すのだけど、「ディアスポラ」の冒頭部分であるヤチマの誕生箇所は「創造主の掟」の冒頭シーンに似て、とってもワクワクしました。
量子論は未だ勉強不足なのだけど、前もって物理の勉強やミームの関連本、「時空の歩き方」なんかをすべてを理解しないまでも読んでおいてよかったなぁと思いました。
いや、ホントに。
偶然だけど、「TAP」を先に読んでいたのも正解でした。
両方読んでいる人は、「TAP」にある短編のなかからいくつものエッセンスが抽出されて「ディアスポラ」に反映されていることがわかるはずです。
人類がこの先どのような選択をしていくのかは、予測不能ですけれど、否定も肯定もしないという姿勢をなんとなく感じたのは、私だけでしょうか。
作家の真意がどこにあるのかはわかりませんが、「ディアスポラ」が知的生命体を探すという昔ながらのテーマを持ちながらもまったく新しいSFであり、とっても面白いということはわかります。
ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)
単行本、私はブックオフで立ち読みしたかな。
単行本は読むけど、もう雑誌までは買わないし読まないよね。
そういえば、「王家の紋章」は終わったのかしら。
なつかしいですね。
たしかプリンセスだったと思います。
10年以上たって単行本に収録されているのを発見して即買いした記憶があります。
会社の同僚に読ませたところ、
「難しい」と言われてしまいましたよ。ちゃんちゃん。
心のひだに触れるような、あのなんともいえない感覚。
最近では「夏目友人帳」に顕著です。
ワンのタイル!
あそこはテンションの上がるところですね。
クラークだったか、ガス状の生命体を描いたSFがあったと思いますが、ヤドカリとは!
棒を振ってコミュニケーションをするところなんか、コミカルで可愛い。
チューリングマシンについては、「セクシーな数学」を読んでいて助かりました。
しました。
そして得られた感動はわたしのなかに残っています。
ディアスポラの中間でとても興味深かったのはワンのタイル、
原始的チューリングマシンという考え。
わたしにとってはとてもエキサイティングです。
また、オーランドがヤドカリとコンタクトをとるために自分の5次元変種を作った後、
統一しようとするとクローンたちが拒絶するところも象徴的だと思います。
中学生か高校生の頃でしたが、あのときの感動は今も忘れません。
「ディアスポラ」では、そうとうハードルを越えた後の話しでしたが、葛藤がないとは言いきれないかと思います。
なにが正しく間違っているかというところを越えたところにいるとは感じましたが。
そういうところで、「ディアスポラ」は評価できる作品になっていると思います。
「A-A’」は名作でしたね~あれも同一性のゆらぎが主軸にあるのですごくクールな作品ですね。