くろにゃんこの読書日記

マイナーな読書好きのブログ。
出版社など詳しく知りたい方は、記事下の書名をクリックするとamazonに行けます。

エルサレムⅠ セルマ・ラーゲルレーヴ

2007年02月01日 | ノーベル賞作家
そろそろ大作「エルサレム」を読んでみましょうと思い立ちまして、図書館に出かけたところ、エルサレム第1部はけやき書房から出版されている「イングマルソン家の人びと」(1996年)、第2部は岩波文庫「エルサレム第2部」(1952年)という組み合わせでしか手に入りませんでした。
「イングマルソン家の人びと」は、ラーゲルレーブを優れた英訳で紹介したV・S・ハワードの訳をさらに日本語に訳したもので、解説によれば、訳された吉田氏がこの翻訳を手がけられたのも渋谷の喫茶店にあるシスターが置き忘れていった一冊をずっと預かっていたということから始まったのだそうです。
ですから、第2部の翻訳はないということですね。
そして、「エルサレム第2部」は、戦時中の1943年に石賀修氏によって訳されていたもので、諸事情から1952年に出版されたものです。
図書館に石賀氏訳の上巻があったのかどうかわかりませんが、下巻しか置いていなかった可能性は大きく、ほとんど読まれた形跡はありませんでした。
40年もの間を図書館で「イングマルソン家の人びと」の訳本を待っていたのかと思うと、この2冊を手に取ったことが非常に感慨深いものとなりました。
そう、辛抱強さを誇るイングマルソン家そのもののように。

この物語は1896年、スウェーデンのネーエス教区の37人の住民が、宗教的覚醒を果たして全財産を売り払い、エルサレムに移住したという実際の事件を扱ったもので、物語作家としてのラーゲルレーヴの力量を見てきただけに、どのような小説になっているのかとても興味がありました。
第1部はスウェーデンのダールカリア(ダーラナ)地方の一農村を舞台としており、イングマルソン家という村の誰もが尊敬し、その行動に一目を置く豪農の一家を中心とした物語です。
イングマル一家は、何百年も続いた家系であり、
長男はイングマルという名を代々受け継いできました。
「われらイングマルは、人の世を恐れることなく、ひたすら神の道を歩むのみ」というのが当主たるイングマルのあるべき姿であり、それによって教区の人々から尊敬と信頼を得てきたのです。
この農村はルター派のプロテスタントであり、その教えをずっと守ってきました。
しかし、新興宗派が各地に現れ、イングマルソン家のある教区にもやってくるようになります。
あるとき強力イングマル(イングマル家の小作人で伝承的伝承的で不思議な力を持つ)の娘と娘婿がアメリカから帰国し、新たな教えを広め始めます。
娘婿ヘルグムが説くのは「真のキリスト教信仰」であり、原理を体現するために同じ信仰を持つものは、互いの利益も所有も共有しあい、生活を共にするというもの。
イングマル屋敷の大旦那は今は亡く、息子イングマルはまだ成年に達していなません。
息子イングマルが炭焼きのために山にこもっている留守の間に、イングマルソン屋敷の采配を振るっていたイングマルの姉カーリンは麻痺した足を再び動かせるようになるという奇跡を体験し、イングマルソン一族を集め、ヘルグムの教えに加わる決意を示します。
もともと神の教えに忠実な村の人ですから、ヘルグム派は勢力を増していきます。
ですが、ヘルグム派は他者に厳しく、ヘルグム派とそうでない人々の間では溝が深まるばかり。
イングマルが身を挺してヘルグムをアメリカに送り返すと村は落ち着きを取り戻し、派の勢力はそがれることになりますが、それでもヘルグムの教えを信じる人はあり、わけてもイングマルを除くイングマルソンの一族は信じ続けていました。
しばらくして、彼らのところにアメリカのヘルグムからエルサレムにいる神の原理を共にするゴードン氏らのコミニティと「栄光の仕事を分かちあう」ために、エルサレムへ向かおう、「神が、あなたに、それをなせといわれるかどうかを」耳を澄ませよという手紙が届き、彼らは神の声を聞きます。
聞かない人もいるけれども。
そして、彼らは多くの反対にも関わらず、全財産を売り払い、栄光の神の道に歩みだすのです。

第1部では、イングマルソン家にまつわる事件をとおして、
農村の風景と風土やそこに住む人々を描き出しており、そこから派生するヘルグム派の人々のかたくなさ、純粋さ、意志の強さを知ることになります。
志は高くとも、一般的にみれば彼らは間違った道を進んでいるようにしか見えません。
宗教的なところで話を進めてきましたが、この第1部では、イングマルソン家の長男イングマルと村の学校長の娘エルトルードの恋が重要な位置を占めています。
大イングマル夫婦や姉カーリンの不幸などとあわせて物語の大きな流れになっており、イングマルはカーリンがエルサレムへ出発する際に売却しようとしたイングマルソン屋敷を買い戻すために、エルトルードを裏切ってペルソン判事の娘パルブロと結婚することになります。
傷ついたエルトルードはキリストを幻視し、エルサレムへ向かう決意をします。
また、エルサレムでコミュニティを築くことになるゴードン婦人がみまわれる客船ユニヴェール号の遭難の描写はすさまじく、映画「タイタニック」のワンシーンのようです。
この遭難で死に瀕したゴードン夫人は「死と同じく、生を容易にするのは、一致 和合 調和」
という神からの啓示を受け、同じように遭難にあった船員、
乗客の数人がこのコミュニティに参加しています。
ヘルグムもこの遭難事件の関係者で、ゴードンらと行動を共にすることを決意した際に、ヘルグム主義をゴードンらに合わせているようで、その後は他者への厳しさがなくなっていきます。

全てを捨て、自分達だけで神の道を歩んで行こうとする人々、
エルトルードを裏切ったイングマル。
過ちを認め、善意を愛してきたラーゲルレーヴが、この問題をどう解決していくのかは第2部でみていくことにしましょう。

エルサレムⅡに続く

イングマルソン家の人びと〈エルサレム 1〉
エルサレム (第2部)




最新の画像もっと見る