ワクチンを評価する際、自然感染と比較して有利なことが基本です。
従来は天秤にかけて比べるイメージで説明されてきました。
しかし、現在の日本では、情報が偏ってバランスが崩れているように感じます。
自然に感染する場合の重症度が軽視され、副反応ばかりが注目される傾向があるのです。
私は少し視点を変えて捉えることを提案します。
ワクチンを自然感染の延長と考えてみてはいかがでしょうか。
自然感染は、人により重症から典型例、軽症までバリエーションがあります。
軽症よりさらに軽いタイプに「不顕性感染」という病態もあります。
これは、罹っても症状が出ない、しかし免疫は作られるというもの。
いいですねえ。
ただし、周りの人に移す感染力があるので感染対策上はやっかいな存在です。
元々、生ワクチンはこの「不顕性感染」を目標に開発されてきました。
弱毒化したウイルスを接種することにより症状が出ない程度に感染させ、免疫を作る手法です。
そして自然感染の重症度にはめ込むと、不顕性感染よりさらに軽症に位置します。
つまり、ワクチンは不顕性感染より軽い感染を引き起こす薬なのです。
さて、「不顕性感染」とワクチンの違いを具体的に考えてみましょう。
・不顕性感染は終生免疫を獲得できるけど、ワクチンはそこまで免疫システムにインパクトを与えられないので複数回の接種が必要になる。
・不顕性感染は周囲に広げる感染力を有するが、ワクチンにはない。
以上、ワクチンを自然感染の中で捉えると、不顕性感染より軽い病態ということになります。
当然、合併症(副反応)も自然感染の重症型より少ないことが予想されます。
実際に、自然感染の重症度・合併症頻度を上回るようなワクチンは認可されません。
では逆に、自然感染をワクチンの視点で捉えるとどうなるでしょう。
時に重篤化して命に関わる合併症があり、周囲に広げる感染力もある危険なワクチン、という評価になります。
メリットは終生免疫ができる(1回で済む)ことのみ。
このワクチンは認可されませんね。
いかがでしょうか。
「ワクチンを接種しないという選択」=「自然感染という最も危険なワクチンを選択」
ということをご理解いただけたでしょうか。
従来は天秤にかけて比べるイメージで説明されてきました。
しかし、現在の日本では、情報が偏ってバランスが崩れているように感じます。
自然に感染する場合の重症度が軽視され、副反応ばかりが注目される傾向があるのです。
私は少し視点を変えて捉えることを提案します。
ワクチンを自然感染の延長と考えてみてはいかがでしょうか。
自然感染は、人により重症から典型例、軽症までバリエーションがあります。
軽症よりさらに軽いタイプに「不顕性感染」という病態もあります。
これは、罹っても症状が出ない、しかし免疫は作られるというもの。
いいですねえ。
ただし、周りの人に移す感染力があるので感染対策上はやっかいな存在です。
元々、生ワクチンはこの「不顕性感染」を目標に開発されてきました。
弱毒化したウイルスを接種することにより症状が出ない程度に感染させ、免疫を作る手法です。
そして自然感染の重症度にはめ込むと、不顕性感染よりさらに軽症に位置します。
つまり、ワクチンは不顕性感染より軽い感染を引き起こす薬なのです。
さて、「不顕性感染」とワクチンの違いを具体的に考えてみましょう。
・不顕性感染は終生免疫を獲得できるけど、ワクチンはそこまで免疫システムにインパクトを与えられないので複数回の接種が必要になる。
・不顕性感染は周囲に広げる感染力を有するが、ワクチンにはない。
以上、ワクチンを自然感染の中で捉えると、不顕性感染より軽い病態ということになります。
当然、合併症(副反応)も自然感染の重症型より少ないことが予想されます。
実際に、自然感染の重症度・合併症頻度を上回るようなワクチンは認可されません。
では逆に、自然感染をワクチンの視点で捉えるとどうなるでしょう。
時に重篤化して命に関わる合併症があり、周囲に広げる感染力もある危険なワクチン、という評価になります。
メリットは終生免疫ができる(1回で済む)ことのみ。
このワクチンは認可されませんね。
いかがでしょうか。
「ワクチンを接種しないという選択」=「自然感染という最も危険なワクチンを選択」
ということをご理解いただけたでしょうか。