自国民に対する戦争責任をあいまいにしてきた原因

2005-08-15 19:08:58 | Weblog
なぜ終戦記念日なのか?

日本軍が他国に対して残虐行為をしたかどうかに気を取られてる間に、国民に対する指導者の戦争責任についてはかなり曖昧にしてきたのが気になる。

近頃、インドの印パール作戦などは無謀なもので、兵士の多くが飢餓や病気で亡くなったと聞いた。そんな作戦を立てたのは誰で、それは已むお得なかった決断だったのかについて論評したものを、私はまだ目にしたことはない。

兵士を無駄死にさせた作戦の失敗の責任はたぶん誰もとってないのでは?

中韓との問題は、どうせいつまでも相手国が問題を終わらせる気も事実を検証するつもりもないのだから、そろそろ放置して(汗)、日本の指導者たちの日本国民に対する責任の所在の方を明らかにしないと、いつまでも戦後が終わりそうもない。

NHKの特番では、なぜ原爆投下されるまで戦争を終結できなかったのかという問題を特集していたが、それなども重要な問題だろうと思う。

最近発見されたロシアの資料では、ロシアが日本を戦争へと追い詰めようと長い間画策していたのもわかってきている。日露で負けたことを忘れていなかったのねえ。アメリカはそれに乗せられた面もあった。

新しく発見された資料を基に、世界的な視野で戦争がなぜ起こったかも、再分析されてきている。その中で、アメリカについての批判もしていかなければいけない。

アメリカに限らずいわゆる白人は、黄色人種である日本人は悪者でなければならなかったことも忘れたくない。

日々新しい発見とともに、歴史の解釈は変わっているのに、何かを思い込んだ人々には、どんな情報も日本が右傾化している理由にしか見えないのが残念だ。まあ、私も思い込むと修正しずらい同種の人間なんだけれどね。

戦争で実際に戦った人々は、戦争犯罪人として裁かれるのを恐れて、真実を語らずに来ている方もいる。生の話を聞けるのもそろそろ限界に近づいている。どうか、最後に真実の声を残して言ってもらいたいものだと、心から思う。

日本人は本当は何を反省しなければならないのかは、自分たちで歴史をはっきりさせてから決めることだろうと思う。なにしろ国民は長い間、真実を知らせたくないアメリカと日本政府の両方から、そして戦後は中韓やマスコミから、騙され続けてきたのだから。

嫌小泉は理解できても打倒小泉は理解できない

2005-08-15 16:41:56 | Weblog
リアルでの意見の違う人とのやり取りは、ほんと難しい。
ネット上のコメントのやり取りなら、まだ冷静な対応もできなくもないけれど。

「中国入門って本偏ってるね」とかいきなり言われたとき、
「仕事ばっかりしてて、時代に乗り遅れんじゃないの?」
とつい言ってしまった。
お得意の脊髄反射である。
「私たち世代は、変な教育で毒されてるからねえ」とも。
「いつまで時代遅れの左翼のままなんだよ!」と言う言葉だけはなんとか飲み込んだけれど(汗)けっこう、ヒステリックな応対だったかも。

そこで言うべきは、
「へえ、どこが偏っていると感じたのか教えて?」だったのに。

これじゃあ、反対意見を聞くと暴力的になるどこぞの団体の人たちと私ってあんまりかわらない。

イラクの三馬鹿問題の時も同じようなことがあった。日常的な問題ではもう少し柔軟な応対できるのに、恋愛(笑)と殊この手の話になると、どうも感情的になってしまう。

自分がそんな状態だから、リアルの場で政治的な話題を出すのには躊躇してしまう。もし相手が反双桑社反郵政民営化反小泉な人だったら、お互い一瞬にして敵味方ってこともわるわけだし。こういう政治的な主張以外はけっこう気が合う相手だったりする場合もあるので、悩ましい。

普段は、はっきりした対立構造の中に自分を置くことを避けているのに、こういう問題だけは白黒つけたくなる。それぞれに立場や意見があると穏やかに認められず、自分が正義だと思えてしまう。相手が間違っていると声高に主張したくなる。

普通はどんな問題でも、自分と違う相手の考え方を理解しようと努力し、それなりに納得できることも多い。

でも、嫌小泉は理解できても、打倒小泉が日本のためになるという考え方は到底理解できない。他のだれを応援したいのかがなくての打倒では、倒した後どうするというのだろう。

「こいつがいやだ」ではなくて「こいつのほうがいい」って対抗馬があっての反小泉ならまた耳を傾ける価値があると思うのだけれど。